「テメェさァ……せめてその腹巻だけはどうにかなんねェ?」

1億歩譲って、サンジは誠心誠意お願いしてみた。

どんな服を着ようがゾロの勝手ではあるが、同じ船に乗っている以上、並んで歩くこともままある。サンジの美的感覚からすれば、それがどうにも耐え難いのだ。

何せ腹巻である。腹巻。しかも色は緑。

しかも、ジジシャツだけでなくどんな服にもこの腹巻を合わせてくる。アロハシャツにも腹巻。Tシャツにも腹巻。更に、服の下ではなく上に回して、とことんまでアピールしてくる。どんなセンスだ?

サンジだけではなく、これはゾロのためでもある。腹巻を外せというのは、非常に的を射た、劇的な効果が望めるアドヴァイスだ。
だって、それはいくらなんでも若い男がする服装ではない。ブランドを着ろなんてことは言わないが、せめて、人様の前に出る格好をして欲しい。そもそもジジシャツは肌着(つまり下着)だし、見苦しいと思わないのだろうか。

「煩ェ。口出しすんな。お前は母親か」

ゾロはたったのスリーセンテンスで、サンジのなけなしの親切心と堪忍袋をぶち壊した。











Chi-Chi











「畜生あの野郎……無茶苦茶抵抗しやがって……」

キレたサンジは大きな鋏を持ってきてあの腹巻をぶった切ってやろうとしたのだが、ゾロは卵を守る父親ペンギンのように必死に交戦してきた。
最終的には船の備品である鋏の方をゾロが刀で真っ二つにしてしまい、ナミの拳骨でバトル終了となった。勿論、サンジはそんな終わり方では満足していない。

普通なら、洗濯中を見計らってあの腹巻をこっそり海にでも捨ててやればファッション問題は解決なのだが(海洋汚染問題は別として)、あのマリモ野郎は梃子でも腹巻を脱がないのである。常時腹巻なのである。

つまり、まともに洗濯さえしていないのだ。恐ろしい!

風呂に入っている隙を狙おうかとも思ったが、ゾロは気配に聡いので中々難しいところだった。しかも、サンジが腹巻を狙っていることを野生の警戒心で察知しているのか、最近は風呂場の中に持ち込んでいる。ついでに洗っていればいいのだが、そこまで気が利いている確率はゼロパーセントだ。

ウソップに何か良い知恵はないかと相談したのだが、「好きにさせときゃあいいじゃねぇか」と腹巻黙認派に回った。チョッパーに至っては、「腹に何か巻いていた方が、内臓を落っことさなくて済むぞ」などとずれた視点で腹巻肯定派に加わった。駄元でルフィにあたったが、「肉が喰いてぇ」と予想通りの答を返しやがったのでサンジは醤油とバターで味付けした毛糸玉を食らわせておいた(しばらく噛んで遊んでいたので、お気に召したらしい)。

何故、あの腹巻に誰も反対しないのだ?

「……あれ、おかしいよな……?」

逆に己のセンスの方を疑いそうになってしまって、サンジはぷるぷると頭を横に振った。
腹巻は断じてモードの最先端なんかではない。あれを時代の先取りと言い張るなら、それは早く走り過ぎて一周して最後尾にくっついている状態だ。つまり単なるアホだ。

あんなダサいセンスをした男とサンジは並んで歩きたくなんてない。それでも並んで行動しなくてはならないときがある。ならばダサい部分を切除すればいい。
誰が聞いたって納得するだろう理なのに、船のやつらは誰も腹巻排除を手伝ってくれないのだ。切ない。

何もサンジだって、無理な事は言っていない筈だ。
ゾロの身なりに対しての文句ならいくらだってあるけれど(キチガイみたいな髪色を染め直せとか無駄にムサい筋肉を見せるなとかジジシャツはありえないとかニッカーボッカーも捨てろとか1日着た服は洗濯しろとか投売りの靴は止めろとか)、腹巻撲滅のみで我慢してやろうと、譲ってやっているのに。

接客商売が長いせいもあり、ナンパをするせいもあり、サンジはどちらかと言うと服装には気を使う方だった。だから、あの格好で平気で外を歩く神経が信じられないのだ。

どう考えても、格好が悪い!
あんな腹巻男が仲間だという事実は、サンジの精神に多大なストレスを与えている。全く、耐え切れない。


「────」

怒りに任せて歩いている間に、サンジは街の裏通りに入り込んでしまった。

まだ日の高いうちの裏通りというのは、サンジにとって存在価値がゼロ以下だ。太股や胸の谷間や尻の割れ目をみせた女の子はいない癖に、吐瀉物の痕は目立つ。

抜けようと検討をつけて角を曲がってみたが、そこは袋小路だった。
どん詰まりでは3人の男が居て、1人は地面の上に伸びていて、1人は壁に押し付けられていて、1人は拳を振り上げては振り下ろしていた。

ごきゅっ

悲鳴を上げて命乞いをしている男の頬を殴りつけてから、そいつは視線だけ巡らせてサンジを見た。

「……見せモンじゃねェぞ」
「見世物として通用すると思ってんならクソお生憎様、野郎同士の絡みを見ても吐き気がするだけだ」

むしろこちらが慰謝料を30万ベリーほど貰ってもいいくらいだが、面倒臭いので取り立てるのは止めにしておく。くるりと回れ右。

勿論サンジは底抜けのお人よしでもなんでもないので、殴られている男共を見捨てるのに良心の呵責なんて全く全然、底まで攫ってもスプーン一杯もなかった。そもそも、勝敗ははっきりしているがどっちが悪いのかはわからないことだし。

立ち去ろうとしたサンジを、硬い声が追って来た。

「──お前、麦藁の船のクルーだろう」

サンジは足を止めて、振り返った。
男の方も、目だけでなく体ごとサンジに向き直っていた。血に濡れた拳を相手の服の裾で拭いて、悟りきった獣のような視線を投げてくる。

その腰に剣が差してあるのを見て、サンジは納得した。なんとなくムカつく男だと思っていたら、ゾロに似ているのだ。同じような体格、同じような眼光、同じような声、同じような顔つきで、更に剣士。

ただし、腹巻は無い。サンジは少々加点してやった。
マリモも、こういう風にしていればまあ見れるのに。


「警戒するな。港で船を見かけたんだ」
「……それで?」
「ロロノア・ゾロのことを聞かせろよ。強いって言われてるだろうが」

成る程、クソ剣士のことをか。
サンジは一瞬も考えずに、そのまま言った。

「単なる馬鹿だ」

男は口元に薄い笑みを浮かべて、面白そうにサンジを見た。

「大道芸みたいに、刀を三本も使うってのは本当か?」
「嘘だったらと俺も思うが、本当だ。真面目にそうやって戦うからウケねェように気をつけろ」
「賞金首を合計3億も狩ったってのは?」
「いちいちマリモの生態調べてねェから、細けェ数字は知らねェよ。でも俺が知ってる限りじゃ、3億は言い過ぎだな」
「鷹の目のミホークに負けたのは?」
「厳然たる事実」

派手な負けっぷりだった、とサンジが締めくくると、男は鼻を鳴らした。
それから、一気に興味を失った顔になる。

「なんだ、負けたのか。──その程度か」

しゅっ

サンジは煙草に火を点けながら、疑問に思ったので聞いてみた。

「……その程度っつーのは、どういう意味だ?」
「強ェ男なら、負けねェだろう。負けた男程格好悪ィものはねェ。……それでまだ腰に刀を差してる神経が、俺には信じられねェな」

そう言って、男はサンジからも興味が失せたのか、視線を逸らしかけた。

「噂は当てにならねェな。もう行っていいぞ」

サンジの疑問はまだ解消されていなかったので、こんこん、と地面に靴を打ち付けて音を立て、興味を引いてやってから足を踏み出した。

「負けた男は格好悪ィ……まあ、確かにそうだな。じゃあ、お前はどうなんだ?」
「俺は無敗だ」

当たり前だろうと、誇らしげに、男は目を眇めた。
ロロノア・ゾロなんかより、自分の方がクールだから、ご満悦?


「負けた事なんかねェよ」











ごぎんっ











サンジの靴のつま先が男の顎を引っ掛けて、そのまま捻って地面の上に叩きつけた。
体格のいい肉がぐるりと回って潰れるまで、半秒。


そうやって、ゾロに良く似た顔がいつの間にか靴を置く台になっていても、サンジの機嫌は全く上向かなかった。苛々する。

美意識に反するものを見ると、胸が悪くなるのだ。自然な反応だろう?

「オイ、クソ野郎……」

もう聞こえていないかも知れないが、サンジはそのまま続けた。

「テメェが無敗『だった』のは、テメェが世界一強ェからじゃねェだろ。単に、自分よりも弱い奴しか斬ってこなかっただけだ」

誇ることか。
少なくとも、無抵抗な人間を殴って平気で胸を張っているうちは、サンジはその、己の強さに陶酔する発言を許すわけにはいかなかった。

悪だからではない。美しくないからだ。
見ている方が恥ずかしい!


「クソ格好悪ィんだよ……!」


フィルターを噛み破った煙草を、路上に吐き捨てる。

地べたに這いつくばっているゴミのような男を、サンジはつくづく眺めた。
それからゾロのことを思い浮かべ、比べてみた。

まあ腹巻くらいは許してやるか、という気になった。

















チチ Chi-Chi
ウォッカとパイナップルジュースとココナッツミルクをステアして、
フルーツを飾ったトロピカルなカクテル。口当たりは甘い。
名前の「Chi-Chi」は、英語のスラングで「お洒落」「格好良い」「粋」を表す俗語。