EYE 
OPENER 


 ざあああああああああああああああああ

 深夜。
 シャワールームから、強めの水音。
 この時間にルフィが起きている筈もなく、今日はウソップが見張り番。
 ナミはつい2時間ほど前に湯上がりで目の前を通り過ぎたのを見た。
 単純な消去法で行けば、コックだろう。

 さて困った。

 ゾロはただいま、どうしても用が足したかった。
 コレがルフィ、もしくはウソップなら問題はない。軽く二、三度ノックしてから用件を告げ、遠慮なく用事を済ませればいい。
 しかし、コレがあの凶暴チンピラ料理人の場合。

『はあ?テメェなに至極当然ってカンジで人間サマと同じ居住スペースに収まろうとしてんだ無礼千万だなァこの海草類!誰にしつけて貰ったんだァハムスターだって自分のトイレの場所くらいちゃっかりちゃんと決めてんだよ葉緑体完備緑毛新生物は海に帰って思いっきり塩水に浸かってやがれよちったァアルコール分も抜けてすっきりまろやかなテイストになれるかも知れねぇぜ?』

 ここまで一息に返ってくることが容易に想像できる。
 ゾロは溜息をついた。頭が痛い。ついでに下半身もせっぱ詰まっている。
 どちらの事情を優先すべきか、ゾロは三分ほど悩んだ。

 三分。

 そろそろ馬鹿らしくなってきたので(大体、何故コックの機嫌を窺う必要がある)ゾロはおもむろにシャワールームの扉を開けた。
 降ってくると思った怒声は、ない。

 三秒待つ。

 まだ、ない。
 ゾロはコレはそろそろ異常事態だと思い、ぐるりと辺りを見回す。すぐに、シャワーヘッドの下でうつむいている金髪を発見した。
 勢いよく降る水流に全身を叩かれ、床にうずくまっている。奇妙なことに、服を着たままだ。流石にジャケットは脱いでいるようだが、ブランド物であるだろうワイシャツやパンツがびしょぬれになっている。さらには、靴まで履いていた。

「あ?」

 コックにこんな特殊な性癖があったとは。

 イヤそりゃ違うだろ。

 自身につっこみを入れ、ゾロはただいまの状況で一番良いであろう選択肢を検討した。
 取り合えず、シャワーのコックを捻る。

「………………なんだ、テメェか」

 途端に下から声がかかる。
 濡れた髪をかき上げ、サンジが顔をあげた。

「何してんだ、お前。俺ァそこの便器に用があるんだけどよ、冷水嗜好の変態オプションはいらねェんだが」
「変態に変態言われてちゃ世話ねぇな」

 ククク、と低く笑うサンジに、どうやらコレは本格的に異常だとゾロは考えた。普段なら頼みもしないのに機関銃的罵詈雑言が吐き出される筈なのに。

「どうしたんだよテメェ」
「なんだ、明日はウソップが空から降ってくるかもしんねぇなァ?ンな気遣うような声出してんじゃねぇよまるで人間みたいじゃねェか」

 普段なら速攻で喧嘩になる筈の発言も、覇気のない口調ではどうにもならない。
 コイツは本当にうちのコックか?
 先程のサンジの言葉ではないが、まるで普通の人間みたいだ。

「心配すんな………これァな、ただの儀式だよ」
「儀式?」
「俺が、ちゃんと俺でいる為の儀式だ」
「…………どういう意味だ、クソコック」
「それだよ。俺が、『柄と口が悪くて』『タフで』『女好きで』『仲間のためなら命を張れる』『クソコック』でいる為の、儀式だ」

 サンジは瞳を細めた。

「見せるつもりはなかったんだけどなァ。なんてタイミングが悪ィんだ、テメェは。見て見ぬフリ、ってのも時には大切なんだぜ?お前は、すぐに回れ右すれば良かった。あまつさえ、水なんか止めちゃいけなかった」
「…………何なら今から出てくか?」
「タイミングが悪ィ、って言ったろ。テメェは今から俺のゴミ捨て場になれ」

 出て行くつもりなどなかった。というよりも、出ていけなかった。
 こんな捨て犬みたいな男は知らない。自分の知っているコックは、ワガママで気紛れな毛並みのいい猫だったはずだ。

「なァ、俺がどんな気持ちでこの船にいると思ってる?軽蔑しろよ、俺ァ、夢のために命なんざ捨てられねェんだぜ?…………ただのクソ弱ェ、貧弱なガキだ。風が吹いたらヘコたれる。仲間がいなきゃ歩けもしねェ」
「んな事…………」
「ねェってか?無理すんな、クソ剣士。俺のこのザマァ見てテメェの素直な感想を言って見ろよ、なァ?情けねェにも程があるだろ…………しかもこんなテメェをテメェでチョットばかしは気にいっちまってるから尚更始末に負えねェ」

 ふるふると震える細い首筋。水滴が伝った。

「テメェが弱い、ってコトをわざわざ確認してんだよ………マゾじゃねェぜ?俺は、一人じゃ生きて行けねェし、生かされてる…………」
「誰にだよ」
「さァ?カミサマとかじゃねェの……?」
「テメェの口からそんな言葉が出るとは思わなかったぜ………もしかして、神に救って貰いたいとか、思ってるのか…………?その為にンな事してんのか?」

 何でこの男とこんな話をしなければならないのか。
 ゾロは、否定して欲しいと思いつつそう言った。
 こんな弱気な声は、知らない。
 この男は、馬鹿強いはずだろう。へらへら笑いながら死に神を蹴り飛ばす男だろう。
 ―――――――不安になる。

「バッカ、祈ってねぇよ。なんでカミサマがわざわざ俺ら救ってくれなきゃならねぇの?そんなん、面倒臭ェじゃん。俺だったら絶対ェお断りだね」

 サンジはとびきりのジョークを聞いたような顔をゾロに向けて、噛みついた。

「いるかいないかはどーでもイイ、ケド、ンなに頼られたってカミサマだってイイ迷惑だよなァ。だろ?」
「………………かもな」


 低く嗤うさまに、何かとても哀しい記憶を抱いているのだと、わかった。

 サンジの細い手が、ゾロの襟首をひっそりと掴む。
 冷えた指先が、肌に当たってぞくりと鳥肌が立つ。
 普段はやぶにらみ気味の瞳が、真摯にこちらを見つめてくる。
 それがやけに痛々しく見えて、ゾロの胸が少し痛んだ。
 サンジは腕をぐいと引っ張り、顔を近づけてくる。

「なァ………ちゃんとわかってるか?お前だって、生かされてる………誰かに」
「かもな」
「突っ張ってたって、なんも出来やしねェ。カッコつけてるだけだ」
「かもな」
「弱ェんだ、テメェだって……………」
「…………かもな」
「クソ……ヤロ……………」

 か細い声。縋るような手。
 ゾロにはただ、その細い冷えた身体を抱き上げることしかできなかった。









「っていう夢を見たんだが」
「そりゃ大変だな妄想緑。テメェのツラァ三遍洗ってから海飛び込んでうつぶせに浮かんでみろや」



  EYE OPENER
「朝の目覚ましの一杯」という名の、ラムベースのカクテル。一見、クリーミィなオレンジジュースのようだが、アルコール度数はなかなかで油断は出来ない。三種のリキュールと卵黄が、複雑で濃厚な味を作っている。