かつかつかつかつかつかつ。
ある晴れた日。ゾロは温かな甲板で昼寝をしていた。
夢うつつに、規則正しい固い足音を聞く。
かつかつかつかつかつかつ。
―――――――ああ、誰のだっけ、この足音。
かつかつかつかつかつかつ。
そうだ、最近新しく仲間になった、目つきと態度と足癖と言葉遣いの悪ィコック(男に対してのみ)。
かつかつかつかつかつ………。
…………名前、なんつったっけ。
ぴたり。
……まあ、どうでもいいか。
足音が止まる。それとともにゾロの意識も深い眠りに就こうとしていた。
その筈だったのだが。
どごぉん!
いきなり降ってきた殺気に、ゾロの意識は強制的にONになった。
寸前で、首を横に捻る。
―――耳の横を掠って、黒いブーツが船のへりに突き刺さっていた。
「な………」
フワリと微かに香る男性用香水。
視線を辿れば、金髪碧眼の、黒スーツの男。
きつい目つきで、こちらを見下ろしている。
「なにしやがる」
ゾロも負けじと鋭い視線を返す。
どうも、この男とはそりがあわない。
話をしていて、喧嘩にならなかったことはないと言ってもいい。
ナミの怒鳴り声で中断されるのがおきまりなのだが、怒鳴りあいだけでは済まずいつも直接的な暴力にまで発展する喧嘩。
嫌い、という訳ではないのだろうが…………
「気にくわねぇ」
やっぱり、嫌いだ。
ゾロは唐突なサンジの言葉に、眉根を寄せた。
「何がだ」
「…………この船に乗ってから今まで、俺ァよく考えてみた。かなり考えた。事あるごとに考えた。けどなァ、どうしても」
サンジはぐぐっ、と足先に力を込め(ゾロの耳元でみしみしという音がした)、ゾロにゾロに顔を近づけ、思い切り怒鳴った。
「テメェの態度が!顔が!身長が!声の調子や日課、歩き方から会話のタイミングから体臭から癖から呼吸の仕方まで!とにかく全てが気にくわねェ~~~!!」
「…………ガキか、テメェは」
ゾロは呆れて、サンジの足を掴むと耳元からどかす。
「………その、いかにも俺は大人です~ってエラそぶってるところもだァ!」
サンジは苛立たしげに、がつんと足先を甲板にぶつけた。船が少し揺れる。
(オイオイ…………大丈夫か、コイツ)
ゾロとしてはそこまでサンジの気に障るようなことをした覚えは全くない。
「テメェまだ19だろ!?俺とタメだろ!?所帯持ちよりオヤジ臭ェんだよ!!」
「なっ」
サンジは激情を無理矢理押さえ込むように、すぱすぱと煙草を吹かすと、
「……………中でも一番気にくわねェコトがある」
ゾロの頬をつねり、思いっきりグニグニと引っ張り回した。
まさかそんなことをされると思わなかったゾロは、されるがままに変な顔になった。
たてたてよこよこまるかいてちょん。
「テメェが年がら年中ぶすっくれた顔でいるコトだァ!オラオラ、笑えってんだよォ!!」
「………………は?」
ゾロはパシンとサンジの手をはたき、顔からどかした。
サンジはその手をビシ、とゾロの目の前に突きつける。
「テメェには喜怒哀楽ってもんがねェ!」
「あるわ!」
「ねェ!少なくとも俺に対しては『怒・怒・怒・呆』で終わってる!」
「……そりゃテメェの態度に問題があるからだろ」
サンジはその言葉に、指を引いて小首を傾げる。
「俺の態度?」
「そうだ」
「テメェに対する俺の態度の何処に問題があるってんだ!」
「それの何処に問題がねぇってんだ!」
するとサンジの首の傾きが30度から45度へと移行した。
「問題…………『怒・呆・嫌・緑』の何処に問題があるんだ?」
「………なんだ最後のは」
「イヤ、緑だな~、と」
「まんまじゃねぇか!」
ごきん、とゾロはサンジの頭を殴りつける。首の傾きが120度になった。
「な、殴ったな!?ジジイにだって殴られたことねぇのに!」
「そんかわり蹴られてたんだろ、毎日」
わざとらしく抗議するサンジに、冷たく返すゾロ。
「よくわかったな、マリモにしてはエライぜ?80点やるよ」
その言葉にサンジはけろり、と態度を戻す。
ゾロの額に青筋が立った。もとより、そう耐性のある堪忍袋ではない。
「………だからテメェのそういう態度に問題があるってんだ!」
「わっかんねぇよ、テメェの態度の方が問題がある!」
サンジが子供のように地団駄を踏む。
「緑のくせに緑のくせに緑のくせに!俺を軽視してるトコに問題があるんだよォ!」
「……………?」
(………………軽視?)
そんな物をした覚えはない。出来るはずもない。
(ああ、俺にだけちやほやされないもんだから拗ねてんのか………まあ無理もねェかもな、あの魚レストランじゃさんざご機嫌取られてたみたいだしな、笑いかけられない、ってのも初めての経験なのか)
それは非常に大きな勘違いなのだが、ゾロは納得した。
「お前の言いたいことは、良くわかった」
「……………なーんか、ムカつく………テメ、絶対ェなんか違うこと考えてるだろ」
ジト目のサンジに構わず、ゾロはまたごろんと寝転がった。
「でも俺に構って貰おうとすんのはヤメとけ。別に軽視してる訳じゃねぇけど、無理だ」
「テメェは…………誰がお前に構って欲しいっつったーーーーーーー!!」
どごすっ
怒りのために光速で振り下ろされたサンジのかかとが、ゾロの鳩尾を抉る。
「ぐふうっ…………!」
思わず少年漫画的なうめき声を漏らして悶絶するゾロ。
サンジは口元をひきつらせてかかとを踏みにじり続ける。
「テメェ…………!」
思わず魔獣モードになって起きあがろうとしたゾロだったが、
「サンジーーーーーー!!腹減ったぞ!!」
びよよ~ん がしっ
「おわっ!!?」
ルフィがおやつの催促に、ゴムを伸ばしてサンジの腰にタックルをかけた。
衝撃でつんのめるサンジ。
がんっ
「あ、わり」
「~~~~~~~~~こんのクソゴム…………!」
船のへりに思い切り顔面をぶつけたサンジは、鬼のような形相で顔をあげた。
その顔に、ゾロの視線が刺さる。
「ぶっ」
「?」
「ぶわははははははははははっ」
いきなり腹を抱えて笑い出したゾロに、何事かとルフィがサンジの顔を覗き込んだ。
「お」
「?」
「サンジ、面白い顔になってるぞ」
サンジの白い顔の真ん中に、でかでかと、はっきり靴の跡がついていた。
どうやら、先程ゾロが寝ているときに繰り出した蹴りと同じ所に顔をぶつけてしまったらしい。
「わはははははははははっ!!」
日頃スカした顔で黒スーツなど着込み洒落た男を気取っている奴の顔面に浮かぶ靴跡(しかも自分の靴のだ)。
面白くないわけがない。
いつも生意気な口を利く、くわえ煙草の似合う甘ったるい顔に、靴跡。
面白くないわけがない。
大人でクールな態度がウリだと公言してはばからないフェミニストのしかめ面に刻まれた、靴跡。
面白くないわけがない。
「なかなか、似合ってんじゃ……ねぇ…か………その、跡……結構、洒落てるぜ?色男、あ、あははははははははっ!!」
「…………………ブチ殺ス」
事態を理解したサンジが、ぐいぐいと顔を拭うと、小動物ならそれだけで殺せそうな狂暴な目つきでゾロを見下ろした。
それを見たルフィは、こっそりと忍び足で逃げていく。
ゾロは甲板をばしばし叩きながら、まだ笑っている。引きつけを起こしているようだ。
それをしばらく黙って眺めていたサンジは、何かを思い付いたように危険な笑みを浮かべると、ゾロのもとに歩み寄った。
「オイ、ゾロ………お前」
「な、なんだよ、クソコック………?」
この男が自分を名で呼んだのは初めてではあるまいか?
いつになく、真剣な表情をするサンジに、ゾロは笑いを止めてその顔を見上げた。
涙で潤んだ蒼い目(先程顔面を強打したせい)と、上気した頬(怒りのため)に思わず続く言葉を飲み込む。
(な、なんだ…………!?)
動揺するゾロの耳元へ、囁きかけるようにサンジが唇を寄せる。
今までレディに対してしか使用されることはなかったであろう、極上の甘い声で。
「――――笑った方が、ずっとイイ男だぜ……………?」
間。
「な、なっなっなっなっ、な……………………!!!」
次の瞬間、ゾロは茹で蛸になり、わたわたと意味不明の踊りを踊った。
顔面は硬直し、まるで初めて好きな子に告白する小学生のようにどもっている。
「ななななな、な……………!!!?」
どうやら、呼吸困難にも陥っているようだ。
それを飽きるまで眺めた後、ふっ、と気障な微笑を浮かべ、サンジは軽やかに身を翻した。その後ろ姿を呆然と見つめるゾロ。
―――蹴られるよりも、よほど効いた。
がくり、と甲板に両手を着く。
「ま、負けた……………なんだかしらんが、負けた…………」
…………この後ゾロは、三日三晩、酒を片手に悩み続けることになる。
サンジは至極満足した表情で、ぷかりと煙草を吹かした。
「………………まず、一勝」
MOSCOW MULE
ウオツカベースの、レモンを使ったカクテル。名前のミュールとはラバのことだが、その裏にはラバの後ろ脚で蹴られたみたいによくきく酒という意味がある。1940年代の始め、ハリウッドの料理店主ジャック・モーガンが考案したと言われる。