『呪いを解いてみよう!』 その1

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翼を失った鳥──と言うよりは、牙の抜けた虎。爪が折れた熊。いや、腕力を失ったにちりんまおうと言う方が正しいのだろう。

牙や爪を失っただけなら何とでもなるだろうが、根本的に力を失ってしまえば、それは全ての能力に作用する。
たとえば、走る動作、跳ねる動作ひとつ取ってみても、いつも通りの力の入れ方では足りない。しかもシードの場合、己の肉体を破壊しないよう、『力を抜く』動き方こそを研鑽する必要があったのだろうから、戸惑うのも道理だった。

「うーん……まあ、こんなもんかな」

転んだ状態からまたむくり、と起き上がり、シードが呟く。

まともに歩く加減を掴むだけで、しばらく時間がかかったことになる。格闘術にいたっては、己の肉体に合わない動きをする分、そのあたりの素人より不器用かも知れない。

と言うわけで、現在のシードは、はっきり言ってその通り──『スゲェ弱』い。
何せ、リュックサックを背負うと支えきれずに押しつぶされる有様だ。クルガンでさえ自分の目を疑ったのだから、シードの衝撃といったら相当だろう。現実逃避に入らなかった分だけ、評価してやってもいいくらいだった。

原因はと言えば、落ち着いてみれば至極簡単に判明した。
『ステータス』を開いてみれば、『レベル』欄の横に文字が書き足されている──

──『蚊蜻蛉(カトンボ)の呪』。

シードだけが呪われているところを見ると、あの扉を開けようとした者に呪いがかかる仕組みだったのだろう。

だが、原因がわかっても、だからどうすればいいのか?

エタピリトにかけられていた『鉄人形の呪』の場合、アイテムを手放せば呪いの効果からは逃れることが出来た。しかしこの『蚊蜻蛉の呪』はシード自身にかけられているから、自力ではどうにも出来ないことになる。

呪いが解けない限り、シードがダンジョンに挑むのは無謀と言って良かった。
勿論、クルガンが一人でダンジョンを攻略する事は出来る。しかし──

「………………」

──それではどうにも、シードの立場がない事は確かだった。
たとえば、力の必要ないアルバイトでもして、部屋の片付けでもして、クルガンの帰りを待つ?それは何と言うか──何と言うか、不適切だろう。色々と。

しかも、呪いがかかったままではハイランドに帰還しても仕方がない。どうにかして解かなければいけないものなら、その問題を先に解決した方がいいだろう。

「そーだよな」

シードは自分の上着の乾き具合をチェックしながら、口元を吊り上げた。

「解けるモンなら解きゃあ元通りになんだろ?それじゃ、落ち込む必要はねぇよな」

一度めり込んだ分やけにテンションを上げているシードは、表面上元通りに見える。マインドセットが出来なければ、軍を率いる資格はないか。

シードを背負って帰らずとも済んだことに、クルガンは内心安堵を覚えている。
しかし問題はまだ残っていた。

「動けるようになったなら、その荷物の余計な部分をお前の剣で切除しろ」
「……余計な部分?」

シードが首を捻る。
そして、足元に広げられ乾かされているアイテムを眺めた。

毛布が二枚、小物入れがひとつ、布が一尺ほど、巻いたロープ、大き目の水筒、マグカップがふたつ、カンテラの枠がふたつ、そしてまだ形を保っていた固形の燃料油。外した皮手袋がふたつ。後は財布。

「何か捨てるモンあるか?」
「……俺は、切除しろ、と言ったんだ」
「…………」
「…………」

はっ、とシードが何かに気付いたように顔を上げた。
そして、中身を失って今は潰れているリュックサックに視線を移す。それから、ぎぎぎ、と首を回してクルガンを見た。信じられないものを見る目つきに近い。

「まさかアンタ……」

まさかも何も。当然である。

濡れて重量を増した荷物をシードが背負えない以上、クルガンが持って帰るしかない。クルガンは、そのことに文句を言うつもりはない。
ただし──

「その馬鹿げた兎の頭を切り飛ばせ」

──余計なものを背負う気はなかった。
それが、少女趣味に走った桃色のぬいぐるみなら尚更である。






「ちょ、可哀想だろそれは!?」
「何が可哀想だ」
「だってウサギだぞウサギ!?何も悪くないウサギ!」
「意味がわからん。女子供の玩具に執着するお前の頭が可哀想という事か?」





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『呪いを解いてみよう!』 その2

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「呪いのトラップねぇ……ピンキーのエリアでンな大層な呪いがかかるなんて、聞いたことないぜ。それに、あの扉に罠があるとか言ってきたのもお前らが初めてだ。……ま、嘘とは言わねぇけど?」






「──ガキの小遣いかっての」

報告の対価として与えられた5G硬貨を指先で跳ね上げる。
それを危うく捕まえ損ねそうになりながら、シードは溜息を吐いた。

冒険者ギルドのある通りを歩くのはやはり冒険者が多く、奇抜な格好をした老若男女が行きかっている。血の気の多い者の割合は大したもので、足を踏んだ、肩がぶつかった、あるいは吐く息が臭かった等々、くだらない理由で通りのあちこちで諍いが起こっていた。

そんな騒ぎに巻き込まれないようにしながら、道の端を歩く。

「なぁクルガン、アンタこの前サレ神殿に行ったんだろ? 伝手とか出来なかったのか」

一般的に、呪いを解くスキルを持つのは神官である。『蚊蜻蛉の呪』から逃れるには、誰か神官に依頼する必要があった。
勿論、シードの隣を歩いている男も名目上は『神官』ではある。だが、彼が現在のところ持っているスキルは詐欺にしか役立たないし、将来にわたって『呪いを解く』などといういかにも信仰心が必要とされそうなスキルが身につく見込みはない。

「伝手か。ないことはないが……」

クルガンは気乗りしなさそうな様子だった。

「サレ神殿の関係者は、何と言うのか……金銭に非常に固執する傾向がある。解呪を依頼した場合、かなりの対価が必要になると思う」
「……神職者なのに?」
「老神サレは、商売と円環を司る神だからな」
「いや、理由になってねぇよ。宗教ってのは何かこう、一般大衆にも救いを導こうとするモンなんじゃねぇの?」
「教義の解釈に踏み込む気は無い。とにかく、彼らにとっては利殖が信仰の実践なんだ。相当に足元を見られると思った方が良い」
「うーん……」

勿論、彼らの懐に余裕というものは全くない。
早くシードの呪いを解いて働かないことには、そのうち宿にも宿泊出来なくなってしまう。

「じゃあ実際に神殿を回ってみて、良さそうなところ探すか?」
「入信と引き換えにするなら、何処も随分と歓迎してくれるだろうな」
「げー。それって嘘じゃ駄目なんだろ?」
「別に、形式的なもので構わないだろう」
「そう考えんのはアンタだけだって。誓いってのは結構重いモンなんだよ。つーか、形式でいいならアンタがどっか入信してさくっとスキル覚えろっつの」

転ばないように気をつけて歩きながら、シードは脳裏に七大神のリストを思い浮かべた。

法と正義を支配する太陽神ロメガ
安らぎと休息を与える月の双子姉妹神エス=レス
力と勇気を尊ぶ半獣神カジナル
愛と結婚を祝福する女神ラッラ・フェ
豊饒と安定をもたらす大地母神ナジェリイア
商売と円環を司る老神サレ
自由と死を象徴する海神オロメガ

「……んー、まぁ、カジナル神殿から行ってみるか?」
「妥当なところだろうな」

『商業』都市ブラッデンブルーで一番の勢力を誇るのはサレ神殿だが、カジナル神殿もかなりの規模であるらしい。というのはやはり、『カーディナル・ホールド』の影響だろう。
港がある為に海神オロメガ神殿も他の街に比べて大きめなのだが、シードは『盗賊』が職業でも盗賊根性に染まる気は無いのでオロメガ神殿には行きたくない。

ちなみに、ブラッデンブルーで弱小とされる勢力はロメガ神殿とナジェリイア神殿である。ナジェリイアは農村部を基盤とする神だから仕方がないとしても、ロメガ神殿に人気がないというのは如何にも商業都市だ。商人というものは法律を利用はするが、『公正』ということに価値を見出す訳ではない。

「えーっと、カジナル神殿は……こっちか」

シードは一巡と言えどメールボーイのアルバイトをしたため、ブラッデンブルーの地理には詳しくなっている。
大きな通りを何度か横切り、たまに横道を通って、カジナル神殿を目指した。

神殿の建物の正門をのぞみ、そこまで後10歩程の距離に近づいたところで、もう見慣れた金属質のプレートが斜め前に出現する。





『カジナル神殿』






『呪いを解いてみよう!』 その3

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この街の建築物は、基本的に白茶けたレンガ造りだ。
カジナル神殿も例外ではなく、無骨な門には緋色の布がぐるぐると巻かれている。カジナルを象徴する色。

(俺の軍衣に似てるよなぁ)

クルガンは初めてだろうが、シードは何度かこの神殿に来たことがあった。といっても、神殿の入り口の受付に荷物を届けただけで、建物の内部にまで入り込んだ事は無い。

門を抜けた広場には、巨大なカジナル像が立っている。
冒険前の気休めに、ちょっとした加護を祈りに来るのであればここで用は済む。今も、冒険者がぱらぱらとカジナル像の前に跪いていた。

「ええとぉ」

カジナル像の脇には、案内板が設置してあった。神殿内の簡単な見取り図と、用向きごとに分けた案内。


入信希望→右折・A塔入り口へ
礼拝希望→直進・聖堂へ
説法希望→右折・A塔入り口へ
喜捨受付→左折・B塔二階へ
護符・教本等販売→後方・売店へ
加護・回復・解毒等希望→直進・聖堂地下へ
決闘式申請→左折・闘技場受付へ
その他相談→直進・聖堂前受付へ


「…………」

取り合えず、わかりやすいのはいいことだ。

「呪いを解くっつーと……解毒等、かな」

正面には、一際巨大な建物。礼拝や集会のための聖堂に間違いない。
案内の通りに聖堂脇の階段から地下に降りれば、緋色のローブを纏った若者が話しかけてきた。

「どのような御用向きですか」
「えーと、呪いを解きたいんだけど?」
「あちらの机の木片に必要事項を記載して、窓口に提出して下さい。順番になりましたらお名前をお呼びします」

何処までもシステマティックである。

シードは机の上に積まれている薄い板切れを手に取った。机の前には黄ばんだ羊皮紙が貼り付けられており、書くべき事項が羅列されている。

「名前、職業、依頼の種類。それに……コース名?」

シードは振り返って、ちょいちょい、とクルガンを手招いた。
顎で張り紙を示す。


銅のコース・・・喜捨50G
鉄のコース・・・喜捨300G
銀のコース・・・喜捨2,000G
金のコース・・・喜捨10,000G
王のコース・・・喜捨額不定


「……これってやっぱり、サービスに違いとかあんのか?」
「そうだろうな。何にしろ、選べる選択肢は一つしかないと思うが」

この街では、軽い食事で5G、素泊まりの宿で一泊するのに、20Gから50Gほどかかる。
二人の財布の中身から考えると、無理をしても鉄のコースまでしか手が出ない。そして、無理をする場面かいえば、そうでもなかった。

「んじゃ、後は任せた」

シードは薄い板切れをクルガンに渡した。ついでに、握る部分に布を巻いた細い木炭も押し付ける。

「…………」

最初から、この世界の言葉は何故か理解出来た。文字も、眺めれば意味が掴めた。

しかし、書くとなれば話は別である。

シードははっきり言って一文字も覚えていないので己の名も書けない。簡単な単語のひとつも無理だ。

シードが怠けている訳ではない。
たとえば、『?рч⊇§и』と表示されて、それが『カファエの森』という意味であることはわかっても、どの部分が森という単語で、どの部分が飾り言葉で、どの部分が意味と意味を結び、どの部分がカファエという固有名詞なのかまでは理解出来ないのだから仕方ない。

読めないのなら必死になって学ぶ必要もあろうが、読めてしまうのである。しかも、どうやらこの世界の文字体系はかなり複雑で、数種類の文字が入り混じってむやみに不明確な構造になっている。
そんな中でシードが理解しているルールは、文章の区切りには小さな丸が挟まるということくらいだ。

「────」

クルガンはじっと板切れを睨んでいる。
まあ、出来ないとは言わないだろうなぁこの見栄っ張りは、とシードは新種の生物でも観察するような気持ちでそれを眺めた。

「頑張れ」
「黙れ」

クルガンは木炭を握ると、お世辞にもスムーズとは言えない様子で一文字一文字綴り始めた。たまに手を休め考え込むのは、文字の種類か、単語かそれとも文法かを思い出しているのだろう。大層な能力ではあった。

その上本当にアホだな、とシードは感心するのだが。

たとえばシードなら、文字が書けないなら書けないで、その辺の通行人にでも素直に話し、頼んで、代筆して貰う。二秒の労力で済む。
しかしクルガンは──

「────」

──考え考え、十数分も経過しただろうか、とうとう自力でやり遂げた。やはりアホである。




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『呪いを解いてみよう!』 その4

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受付ではしばらく待つように指示された。
そう言われた時点で、クルガンはシードを置き去りに何処かに行った。確かに、ただ座っているだけというのは暇で仕方がないことではある。

解呪を受ける本人はふらふらと出歩くわけにはいかないので、シードは硬い長椅子の上でずっと順番を待っていた。

「──次、サイナスさん。いらっしゃいましたら、二番の部屋にどうぞ~」

部屋の隅に蹲っていた、妙に顔色の悪い青年がひょろりと立ち上がり、大きく②と書かれた扉に吸い込まれていく。シードはまだ呼ばれない。

(……いつまで待たされるんだ、これ?)

シードと同じように順番を待っている者はまばらにしかいなかったので、早く済むかと思っていたが、事はそう単純ではなかった。
一応、この場からは①から④まで4つの扉が用意されているのが見えるが、回転率はあまり良くない。しかも、処置をしてもらえるのは受付けをした順番どおりではないようだ。
シードがこの場に腰を落ち着けてから既に半刻は経過している筈だが、名を呼ばれる気配はまだないのである。

待合室のようになっている廊下には、残念ながら、暇を潰せるようなアイテムは殆ど見当たらない。
シードは、受付札の書き損じを拾い上げると、裏面に木炭で落描きを始めた。デッサンというような大層なものではない、単に指の運動に近いかも知れない。

「…………」

いつもの調子で描いても筆圧が弱過ぎることにすぐに気付いたが、指に力を入れても木炭を折ることがないのは新鮮だった。
シードはこれで結構、絵を描いたり、歌を歌ったり、という芸術活動は好きな方である。まあ、好きであることと、才能は、特に比例するわけではないが。

あまり考えずにさっさと木炭を滑らせ、板の隅から画面を埋めていく。

もさもさ。
サラマンダー。
ターゲットレディ。
いかれるツタ。
タランチュラ。
ラージスパイダー。
たてがみおおかみ。
ミリオンアイ。
イーグルマン……はナシで、イビルトード。
ドロドロウオ。
おばけはな。
ナメゾンビ。
貧乏神。
ミラージュ。
ユニコーンゾンビ。
ひいらぎこぞう。
ウルフ。
フライリザード。
ドレミの精。
イビルバット。
毒蜘蛛。
もさもさ……は描いたから、モスキート。
ドラゴンフライ。
いのしし。

(し……し……)

ちなみにシードは今、落描きをする上で、モンスターしりとりをする、という自分ルールを課している。

(し……シュウ、でいいか)

同盟軍正軍師を勝手にモンスターに分類すると、シードは再び木炭を動かし始めた。
仮に、同僚が傍にいたならば、「シ」のつくモンスターに関してもう少し適切な助言をしたかもしれなかったが(たとえば、もっと近くにいるのではないかとか)、それはシードの知るところではない。

敵軍師の、いかにもサドっぽい笑みを画面に配置してみれば、余白はもう大分少なくなっていた。次は、う──

「上手いものね」

感心したような声を掛けられ、シードは目線を上げた。
長椅子の背もたれに肘をついて、斜め後ろから女が板切れを覗いている。

女はさらさらとしたオレンジ色の髪を短く顎の辺りで切っていた。特筆しておくべきは肌の白さだ。そして、派手な色の布を縫い合わせた服装をしている。まあ、『冒険者』の類は一般的に大道芸人のような服装をしているため、彼女のセンスは別段浮いているわけではない。

「絵描きなの?」
「いんや。単に暇潰し」
「それ、想像上の動物ね?」
「まあ──そう、なるな」

異世界にもさもさはいないのか、と何となく寂しい気分になりながら頷く。
女は椅子を回り込むと、シードの左隣にぽすんと軽く腰掛けた。

「絵、描いてていいから、話相手になってくれない? ここの受付、待ち時間長過ぎるんだもん」

シードも、若い女と話すのは嫌いではない。というか率直に、性別が雄であれば皆好きだろう。更に、女が魅力的となれば断る理由はひとつもなかった。

と言う訳で、シードは即座に快諾しようとしたのだが。
その瞬間、受付の窓が開き、係の者が顔を出した。

「──えーと……」

何故か受付係は一瞬だけ言い淀んだが、すぐに気を取り直して名前を呼んだ。


「馬鹿赤猿さん? 馬鹿赤猿さぁん、いらっしゃいましたら四番の部屋にどうぞ~」


女が、思わずと言った様子で小さく吹き出す。
同時、誰のことだと、その場の全員が辺りを見回し始めた。まあ、当然の成り行きではある。

ぼき、とシードの手の中で木炭が折れた。




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『呪いを解いてみよう!』 その5

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シードが四番の扉を開けると、そこは七歩四方程の狭い部屋になっていた。

「────」

壁には赤のタペストリが掛かり、大きくカジナルの姿が織られている。その前には、大振りの両手剣が奉られていた。
入って来た扉の向かい側の壁には同じような扉があって、解呪を受けた者はそこから出て行くのだろう。

そして、部屋の中央には赤いローブを着た1人の男が椅子に座っていた。
男は、脇の机の上から素焼きの瓶を取り上げて、木を繰り抜いたコップに赤みの強い液体を注いでいる。

液体の正体は、匂いを嗅ぐまでもなくすぐにわかった。酒だ。

「いらっしゃいませえ~ぇ。ゥヒック。えーとぉ、赤猿さんの解呪を試みさせてぇ頂きます、サトウですヨロシクれす」

即座にこちらも宜しく、と返すべきだったのだろうが、あんまり宜しくしたくなかったのでシードは首を傾げて挨拶するに留めた。
どうみても、ぐでんぐでんになっている酔っ払いである。呂律が怪しいし、椅子から立ち上がれるかも疑問だ。

「えぇと、あれ、馬鹿、の方が名前だったりするんれすかねぇ、でも呼びにくいんでぇ」
「あのさ、俺は──」
「わかってますよ、わかってますってぇ。しかしその顔を見ると、赤猿さんはうちのところの解呪は初めてっぽいれすねぇ。あ、ビックリしましたぁ?」

酒臭い息を吐きながら、サトウは陽気に笑った。赤いフードの奥から、薄茶色の目がキラキラと光っている。

「うーんとねぇ、じゃあ説明しましょうかねぇ。やっぱ、その方が安心でしょうねえ? 私がこうやって酔っ払ってるのはぁ、解呪の成功率を上げるためなんれす。いやねぇ、酔う調整も難しいんれすけどねぇ」
「え、呪いが解けないこともあるワケ?」

何故サトウが酔っている方がいいのかという謎は後回しにし、シードは単刀直入に訊いた。
サトウは悪びれずに答えた。

「そりゃーありますねぇ。呪いにも色々、神官にも色々、相性にも色々ありますからねぇ。金のコースで司祭様に相手して貰えりゃあ、大抵の呪いはパチっとこう、パチパチっとなりますけろ、それだって絶対ってわけじゃあないんですよ。ヒッ」
「じゃあ、運ってコトか?」
「運っていえば何でも運れすけどねぇ。私共はカジナル様に祈って、貴方の呪いを解いて頂けるように頼むわけですがぁ……神官の力が強いほど、祈りはカーッと通じやすいですし、貴方がカジナル様に気に入られれば、その分スパァっとカジナル様のお力が届きやすいれすねぇ。そして勿論、呪いが強力だと、解くのはゴンっと難しくなるんれす」

酔っ払ってはいるが、サトウの頭には理性が残っているらしい。話は支離滅裂という程ではなかった。

「お酒を頂いてるのはぁ、気を大きくするためれす。お酒はねぇ、躊躇う心を無くしてくれますんれ……もっと修行を積めばぁ、素面でも火の海を渡る心を持てるんれしょうが、私なんかはまだまだねぇ。お酒はぁ、カジナル様の御心に触れるための手助けをしてくれるんれす」

酔いながら祈るのが不敬という訳ではないらしい。
とにかくどんな手段を使っても力と勇気を得ることが尊いのだろう。この世界における信仰はやはり、ハイランドとは大分違うようだった。

「『カトンボののろい』ですかぁ──聞いたことありませんけど、まあ頑張りましょうねぇ。赤猿さんはぁ、カジナル様の戦歌、何か知ってます?」
「いや、知らないけど」
「じゃあねぇ、この楽譜を貸しますんれ、好きな歌をね、歌って」
「え、歌? 何で?」

サトウが祈る間大人しく待っていればいいのだろうと思っていたシードは、赤い革張りの本を受け取って当惑した。

「カジナル様に気に入られるためですよ。そんれね、祈るときにね、私がちょっとこの剣で何度も何度も斬りかかりますからねぇ。避けたり、目を瞑ったりしないれくらさいねぇ。痛かったら、ちょっとごめんなさいねぇ」
「当てるワケ!? というか何その祈り方?!」
「紙一重なほろいいんれ、たまに当たりますけろ……まあ、そういうのも神官の腕の見せ所れすかね? 剣が持てるくらいに酔うっていうのが、また難しくって……」
「いや、お前手が震えて──」
「ほら、勇敢に!」

ぶんっ




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『呪いを解いてみよう!』 その6

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クルガンは、カジナル神殿を探索──という程大層なものではないし、見物──という程興味があるわけでもないが、とにかく歩いて回っていた。
サレ神殿での経験上、50Gでシードの解呪が済むという期待はあまりしていなかった。

それでも、どうにかしなければならないのは確かである。

サレ神殿で重要視されるのが『金』であるなら、カジナル神殿では『力』だろう。
『力』で片付く方法があるに違いない、と、クルガンはそう踏んでいるのだが──

カジナル神殿で一番大きな建築物は、聖堂ではなく、『闘技場』である。
闘技場はやはり白茶けたレンガ造りで、巨大な三角形をしていた。明らかに無駄な間取りの出る形だが、何かそれなりの理由はあるのだろう。

闘技場の入り口脇には、施設の意義を説明する碑文があり、クルガンはそれを読むことが出来た。

それにしても、何故、このような碑文を設置する必要があるのだろうか?この大きさの石版に文字を刻むのは相当な手間だろうに、書かれている内容といえばカジナル神殿を利用する者には自明であろう情報だけだ。──確かに、クルガンには便利なのだが。

碑文を要約すれば、闘技場では普段、名誉や誓いをかけて戦う『決闘式』が行われているらしい。そして、季節に一度は『奉納戦獣祭』が開かれる。
戦獣祭は勝ち抜き形式のトーナメントのようなもので、優勝者にはそれなりの栄誉と褒賞が下されるようだ。

仮に勝利できれば解呪くらいは何とかなるだろうが、非常に大事になるし、目立つし、時間もかかる。そして面倒だ。
もっと効率のいい他の手段を検討することにし、クルガンは闘技場を後にした。

「────」

石畳を外れ、神殿の林の中に入ったのは、休憩しようと思ったからである。待合室に戻ってシードを待つのは、医師にかかる子供の付き添いをしている親のようで据わりが悪い。

手頃な木を見繕い、適当な高さまで登ると、クルガンは幹に背を預けて目を閉じた。
言い争う声が近づいてきたのはそのときだった。クルガンは一度閉じた目を開け(結果として瞬きに近くなった)、視線だけ動かして騒ぎの原因を見落ろした。

(あれは……)

本名は知らないが、確か『槍の姫』と呼ばれていた女だ。そして、険しい口調で彼女に後ろから呼びかけている男は、『夜騎士』と呼ばれていた筈である。どちらにせよ大層な二つ名で、有名な冒険者である、と、それだけの情報をクルガンはすぐに思い出した。
冒険者ギルドでは、険悪な風に睨みあっていたが、今も──

ぱんっ

女が鋭い平手で男の頬を叩いた。
男は避けるそぶりも見せず、それを受けた。衝撃で横にずれた顔を、ゆっくりと元の位置に戻す。

しん、と落ちる沈黙。

「────」

張り詰めた空気に、クルガンは、己が他人の非常にプライベートな空間に入り込んでいることを知った。

有り体に言えば、これでは覗きである。

何を揉めているのか知らないが、互いを見る目付きと女のヒステリックな口調からクルガンが推察するところ──これは痴話喧嘩に違いない。犬と猿を一緒の囲いに投入したところで、間違ってもこんな雰囲気にはならない。
仲が悪いというのがカモフラージュなのかどうかは知らないが、それだけではないのだろう。

予想通り、『騎士』が『姫』の腕を掴み、ぐいと引き寄せて口付けを落とそうとした。
クルガンは目を閉じた。

「────」

居心地はよろしくないが、今この木を降りていくわけには行かない。気配を消して、彼らが立ち去るのを待つのが得策だ──そんなつもりではなかったと言っても通用しないだろうから。

『彼ら2人のほかにはこの場には居ない』し、『何も見ていない』。必要があれば耳を塞いでも良いから、さっさと何処へでもいけ。




「何をしている!」




叱責の声を上げたのは、『槍の姫』でも『夜騎士』でもなかった。
そして、言われた相手もクルガンではない。

新しい登場人物に向かって、『夜騎士』はにこりともせずに言った。

「説明する必要はない」
「なんだと?」
「私が何をしているか見てわからないというのであれば、『堕星』、貴様の首から上についている飾りには深刻な問題があるのではないかな」

勿論、クルガンはその名も記憶していた。
確か、『堕星』とはシードがうっかり投げ飛ばしてしまったと言っていた弓使いの名だ。

(…………)

問題は、人数が増えたという次元の話ではない。
痴話喧嘩から三角関係に発展しては、話の複雑さが段違いである。その分、クルガンが樹上に拘束される時間も長くなることは間違いないだろう。




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『呪いを解いてみよう!』 その7

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無駄な罵倒や皮肉、当てこすりを省略して話を要約すれば三十秒で終わったように思うが──クルガンが整理したところ、木の下の三人の争いは痴話喧嘩を下敷きにしているものの、痴話喧嘩そのものではなかった。

具体的なテーマは、カーディナル・ホールド攻略パーティーの編成についてらしい。

彼らとその他数名は、力を合わせて砦を攻略することを合意した。
ところが、攻略直前になって、『堕星』だけがメンバーから外された──平たく言えば除け者にされた。それが、この険悪さの原因である(表面上は)。

「ふざけるな」

『堕星』が『夜騎士』に食って掛かっているのは専ら、「その件」についてである(繰り返すが、少なくとも表面上は)。
口論する男達を尻目に、女の方は眼差しを尖らせて立っているだけで一言も発言しない。

「何故俺を外す? 俺以上のレンジャーが見付かったなんて与太話、この辺りで聞いた覚えは無いがな。正当な理由があるなら言ってみろ」
「こちらの気遣いを無にするのは貴様の勝手だが──本当に聞きたいのか、理由を」
「当たり前だ」

『夜騎士』は一呼吸も挟まずに続けた。猫は鼠を甚振らず、あっさりと叩き潰すこともある。

「私が聞いた『与太話』はこうだ。何処かの自信過剰なレンジャー殿は、弓の勝負でなければ大層弱いそうで──無様に投げ飛ばされて気絶するのに三秒も掛からなかった、と」
「!!」
「──それも、ただのメールボーイ相手にだ」

『堕星』は不意を突かれて絶句したようだったが、クルガンは別に同情する気は起きなかった。
完全に対岸の火事だと思っていた分、こちらの方が同情して欲しいくらいだ。

(……面倒なことにならなければいいが)

勿論、クルガンはその『ただのメールボーイ』の正体を知っている。現在蚊蜻蛉並みに無力な赤猿だ。揉め事の火種をそこかしこにばら撒くことを習性のひとつとする動物である。

「そ、それは……」

『堕星』は、嘘を吐くつもりはないようだった。潔い性格なのか、あるいはもしや、意外と広範囲に知れてしまっている情報なのかも知れない。

「勿論、私達は、メールボーイを連れて『カーディナル・ホールド』奥部を探索するほど愚かではない。となれば、メールボーイ以下の人間の処遇をどうすべきか猿でもわかるだろうな」
「あれは単なるメールボーイではなかった!」
「それはそれは。さぞかし特別な人間だったのだろうな?たとえば、一日でブラッデン・ブルー百ヶ所に配達が出来るとか」

『夜騎士』は軽蔑したような声音で言った。
ちらりとも笑う気配を見せないまま、『槍の姫』の方は無言を貫いている。

「貴様が雑魚にこっぴどくやられたのは事実だ」
「だから、あれは──!」
「言い訳は無用。いまや、この街のそこかしこで貴様の虚名は失墜し始めている。そのうち、『堕落』とでも呼ばれるようになるのではないか」


「そんな人間とパーティを組むなど、私達の恥にもなる。理解したなら、何処へなりとも立ち去るがいい」


これで話は終わりだ、と、『夜騎士』は宣告した。
次の瞬間、『堕星』が拳を握って殴りかかるのを、剣を抜かずにカウンターで殴り返す。ただし、『夜騎士』は全身黒い甲冑に身を固めているため、拳の硬さは鋼鉄と同じだ。

ごっ

「────」

剣士と弓使いが近接戦闘をすれば、剣士の方に分があるのは自明だ。しかも、片方の頭にあれだけ血が昇っていれば、結果は目に見えていた。

草の上に転がった『堕星』を振り返りもせず、『夜騎士』と『槍の姫』は身を翻した。
ようやくこの一幕劇が終わる、と、それはクルガンにとって喜ばしいことだったのだが──

立ち去る背中に向かって(おそらく、『槍の姫』に向かって)、『堕星』は悲鳴のように叫んだ。

「──汚名をそそげば良いのだろう!?」

汚名をそそぐ──その為の方法として誰にでも思いつく簡単なやり方を、勿論クルガンは推察することが出来た。

『堕星』がよろよろと立ち上がり、血の混じった唾を吐いてからその場を立ち去った数秒後には、クルガンは地に降り立っていた。大きく迂回しつつ、『堕星』を追い越して聖堂地下へと向かう。

とにかく、あのトラブルは巻き起こすくせに妙に運は悪い男(しかも派手に目立つ男)に麻袋でも何でも被せ、川に沈めるなどしてほとぼりが冷めるまで大人しくさせている必要があった。




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『呪いを解いてみよう!』 その8

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林を抜け、道に出たところでクルガンは歩調を通常に戻した。
目立つ必要はない。シードがふらふら出歩く前に、この場から撤退すればひとまずは危機を回避できるだろう。その後は──まあ、例の堕星とやらに『黙って』もらえばいいことではある。

クルガンはシードを置いてきた聖堂地下に足を向けた。それから数十秒歩いたところで、後ろから声がかかった。

「おい」

今頃はシードの呪いが解けているだろう、というような希望的観測を、クルガンは採用しない。準備とは、より悪い事態を想定して行うものだからだ。いや、むしろ──解呪の過程で何らかの新たな問題が発生していてもおかしくなかった。
何か事態が悪い方向に転がりかけているのは確かなことだ。回避しなければならないが、とにかく、クルガンが持っている情報は十分ではないし、シードはさらに、身を守る配慮まで足りていない。なるべく慎重な選択をしなければならない。

「おい、そこの男」

防衛意識に欠けているのみならず、自ら危険に飛び込む性質も備えているのがシードの厄介なところのひとつだ。理由を言い聞かせても、大人しく静かにするとは限らない。やはり、問答無用で首根を押さえた方がいいだろう。

「……そこの背の高い銀髪の男」

首根を押さえて噛み付かれるのはクルガンだというのも理不尽な話ではあったが、彼が災難に巻き込まれるとクルガンまで道連れだ。
何より、いくら猿だろうとトラブルメーカーだろうと、シードは仮にも一応名目上はハイランドの将軍である。無事に連れ帰るためにクルガンが動く理由ならいくらでもあった。

「…………そこの背が高くて銀髪で黒の木刀を持って一度も振り返らずに耳の聞こえない演技をしている不届き極まりない愚か者!」

当然、そんな呼びかけだけではクルガンは反応する必要性を感じない。
だが、腕を掴んで引き止められるというのも嬉しくない話だった。クルガンは足を止め、軽く振り返った。

振り返る前から、声の主の正体は理解していた。それなりの時間、クルガンの足下で彼らは悲喜劇を演じていたわけだから嫌でも覚える。
振り返った先には、予想通り、黒で統一した鎧で身を固めた騎士が立っていた。髪も黒、瞳の色も黒──クルガンを見つめる眼差しは鋭く威圧的だった。
『夜騎士』。

「っ」

向き合うか向き合わないか、そんなタイミングで、剣の切っ先が下から跳ね上がってくる。鞘からはまだ抜かれていなかったが、だからと言って、鉄の棒で殴られる義理もない。クルガンは避けることにした──と思った瞬間には、もう回避はしていなければいけないわけだが。

左の足で軽く地を蹴り、右斜め後ろに移動する。
クルガンの左耳の脇を風が通り抜けた。まだ安全地帯とは言えなかったので、クルガンは着地した右足を使ってさらに後方へ移動した。逃げの一手である。

大体が、クルガンは隙間なく鎧を着込んだこの手の敵に対して自ら仕掛けるのが得意ではない。理由は単純で、攻撃が通らないからだ。
よって選択肢は、逃げるか、足を引っかけて転ばせるか、ということになる。重装備の相手は基本的に動きが遅いため、本来転ばせるのも楽な筈なのだが──

「っ」

『夜騎士』の動きは、明らかに、フルプレートを身につけた者のものではなかった。
まず、フルプレートを着て『飛び跳ねる』などということは、常識的に言ってあり得ない。歩くだけでも大層な重労働の筈だった。フルプレートとは基本的に、自力で移動して戦うことを想定していない装備だからだ──ただし、シードは除く。

シードのように異常に力が強いのか、と一瞬思いかけたが、それにしては挙動に不自然な点がない。
鎧自体が軽いのだ、とクルガンは結論づけた。鉄や銅ではないのかもしれない。この世界には、クルガンの知らない金属などいくらでもあるだろう。あるいは魔法か。

クルガンが二度避けると、『夜騎士』は足を止め、鞘を下ろした。
四歩の距離の向こう側から声だけが投げつけられる。

「──怪しい奴だな」

辻斬りに不審者呼ばわりされる気持ちというのは、何とも表現しがたいものがあった。反論しなければいけないような気もするが、藪を突く意味もない。しかも、面倒臭い。
受け答えをする必要があるだろうか? 目潰しでも食らわせて逃げてはいけないだろうか?

「俺に何の用だ?」

台詞を取られ放題だな、とクルガンは思った。
何の用だと言われても、クルガンの方には用件は全くない。むしろ、接触を回避したいというのが本音である。強いて言っても、「帰ってもいいか」と尋ねるくらいしか思いつかない。
そこで、クルガンは素直に言った。

「特に何も」


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『呪いを解いてみよう!』 その9

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クルガンの真っ正直な回答に、『夜騎士』は納得しなかったらしい。

確かに、これで見逃すくらいならいきなり殴りかかってきたりはしないだろう。しかし、この男は白昼堂々通行人を殴り倒しても許されると思っているのだろうか? 思っていそうだった。

そんなクルガンの判断を知るはずもない『夜騎士』は、不機嫌そうに言葉を重ねた。やはり、相手が答えないことなど想定していないような態度である。

「では何故、俺達の話を盗み聞きしていた?」
「知りません」

理由を問われても答えようがないというのは本当である。意図的な行動ではないからだ。

ただ──こう問われるということは、クルガンが彼らの会話を聞いていたことに、『夜騎士』は気づいていたのだろう。気づいてなお続行する心理は測りがたいものがあるけれども。
やはり、冒険者などというものには羞恥心が欠落しているのだと、クルガンは再確認した。

「惚けても無駄だ。俺は『索敵(サーチ・エネミー)』のスキルを持っている。半径二百歩以内の空間で、俺が敵の存在を見逃すはずがない……貴様が何故か『突然』木の上に現れたことも、俺達を避けて移動したことも、手に取るようにわかったぞ」
「────」

それは技術というより魔法だろうとクルガンは思ったが、理不尽だと文句を言っても意味がない。
『夜騎士』は己の剣の先を少し持ち上げた。射るような視線は、クルガンを虫けらのように見ていた。

「怨恨か? それとも誰かに依頼でもされたか? 偶然だとは言うなよ」
「────」

言うなといわれたからには口に出してやる義理はないが、完全に偶然である。
沈黙するクルガンの代わりに、『夜騎士』は当然のような口調で言った。

俺のパーティーに敵意を持っていなければ、『索敵』に引っかかるわけがないんだからな」
「…………」
「白状しないならそれでもいい。──この場で足腰立たなくしてやるだけだ」

クルガンが彼らに──正確には『夜騎士』に──対する『敵意』を意識したとするなら、この瞬間だった。
余計なことを言ってくれた。自分でも気付いていなかったことを、言い訳しようのないやり方で指摘されると腹が立つ。

自分の足腰などはどうでもいいが、クルガンが突然彼らの『敵』になった理由など、あえて明白にしてくれなくても結構だ。

「おーい、クルガーン!」
「…………」

クルガンはかなり遠くから大音量で投げつけられた声を無視した。
意図的に、というよりは、呆れ果てたために反応できなかった、という方が正しい。

この絶望的な間の悪さは一体何だというのだ? 奴は疫病神の一族でもまとめて面倒を見ているのか? それとも、不運の星を一ダース背負って歩いているのか?

『夜騎士』は、クルガンの背後に視線を送っている。このまま麻袋をかぶせて存在を無かったことにするプランは捨てざるを得ない。
悠々と歩み寄ってくる気配。この場の緊迫感に気付いていないのだろう、まるで警戒心というものがなかった。

「クルガン? そいつ知り合いか? ……何かどっかで見たことあるな」

まずは名を呼ばれてしまっている。とにかくこの猿は一秒でも早く黙らせるべきだ、とクルガンは直感した。
断言してもいい。シードは、数十秒もあれば簡単に墓穴に落っこちる。要らない行動をし、要らない発言をし、要らない騒動を起こす。

ふ、と、何かに気付いたように、『夜騎士』の目が僅か開かれた。
近づいてくるシードの顔をじっと見つめ、半信半疑という口調でつぶやく。

「まさか──あの男……ラッラ・フェ司祭殺しの賞金首、ザーナ村のロイか!」

違う。



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『呪いを解いてみよう!』 その10

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不釣合いだ、と『夜騎士』は思った。

パーティーの会話を『盗み聞きしていた』銀髪の男のほうは、表情が殆どない上、口数も少なく陰気である。赤毛の賞金首のほうは、声も挙動も大ぶりで見るからに陽性だ。
しかし、雰囲気が正反対だから釣り合わないというわけではない。

陰気なほう──クルゲンとかいうほうは、『夜騎士』の剣を2度までも避けた。勿論、『夜騎士』も本気ではなかったからだが、それでも運だけで2度はない。つまり、並よりかなり使える男である。
それなのに、賞金首ロイのほうは素人だった。歩き方からしてまるでなっていないので、一目でわかった。足運びはふらつき、重心も不安定。

つまり、実力が全く釣り合っていない。

司祭殺しはクルゲンが実行したのかも知れない、と『夜騎士』は推理した。司祭という上級職にある者が、ロイのような雑魚に不覚を取ることはないだろう。

「よお、初めまして」

賞金首の自覚なく、ロイは躊躇いなく声を掛けてきた。
『夜騎士』は不快を覚えた──「よお」だと?

『夜騎士』のジョブは当然『騎士』である。
騎士と言えば、統治職の中枢部を構成する要だ。『夜騎士』は今は国を出ているが、本来、軍にあっては馬に乗り、従卒を従えて歩く身分である。そこらの木っ端役人や、単なる剣士とは格が違う。逮捕権を持ち、簡単な裁判権を持ち、王と貴族と司令官以外には跪く必要がない。

怯えろとまでいうつもりはないが、畏怖を覚えるべきだった。
平民は、騎士と聞けばかしこまって道を譲り、影すら踏まないようにするものだ──この男は、『夜騎士』のナイトソードの意匠に気付かないとでもいうのだろうか? 目というよりも頭がおかしい。

(分を弁えろ)

もとより賞金首である、遠慮する理由は何一つなかった。

『夜騎士』はロイの顎めがけ、剣の鞘を跳ね上げた。斬っても良かったが、生きて引き渡したほうがラッラ・フェ神殿の者も気が晴れよう(ちなみに、ラッラ・フェ神官の愛情の示し方は、『夜騎士』でも少しぞっとする程に激しい)。

「おっ、──っと!?」

『夜騎士』の剣の鞘尻は空を切った。
ロイが避けたのではない。

単純に、何も無いところでバランスを崩し、尻餅をついただけだ。
何故なら、これが避けようとしての行動だったら──つまり、もしも、仮に、例えばの話として、彼に『夜騎士』の剣閃が見えていたらということだが──もっと上手いやり方がある筈だった。足を滑らさなくとも、一歩下がるだけでいい。

それができない訳などどこにもあるまいし。

「おい、いきなり何すんだよお前」

見上げてくるロイが口にした「おい」という呼びかけが『夜騎士』に向けられたものであり、「お前」という言葉が『夜騎士』のことを指しているのであれば、この男の教育は念入りに行うべきだった。
苛立ちとともに、『夜騎士』は、ロイの頭上で大きく剣を振りかぶった。

同時、クルゲンの足が踏み出さ──


「待て!!」


しかし、その場に朗々と響いた声はクルゲンのものではなかった。
そしてロイのものでも、勿論『夜騎士』自身のものでもない。先程もこんなシーンがあったな、と『夜騎士』は厭いた気分で思った。

「────」

『夜騎士』は振り返った。
このみっともない男の声を聞くたび、『夜騎士』は不愉快になる。早く、その顔を世間に晒すことに恥じ入ってどこぞの山奥で自分が入って隠れるための穴でも掘っていれば良い。

予想通り、そこには緑の羽の矢を使うレンジャーがいた。

「何のつもりだ、『夜騎士』」

『堕星』は遠距離から、その強弓に番えた鏃をひたりとこちらに向けている。

「何のつもりとはこちらの台詞だ。貴様──」
「変に道を外れるから、何かと思って見張ってたら案の定だ。……騎士の癖に卑怯な手を使いやがって」
「話が見えん」
「惚けるなよ。俺の汚名を雪ぐ機会を奪うために、そのメールボーイをこっそり始末しようとしていたじゃないか! ふん、いかにもお前が考え付きそうな、陰湿なやり方だな」
「……何だと?」

発言内容にも許しがたいところはあったが、『夜騎士』は思わず、ロイの顔を見直した。
この賞金首が?

どっ

いつの間にか『堕星』が射ていた矢が、音を立てて『夜騎士』とロイの間の地面に刺さる。
腹立たしいことに、この間合いでは圧倒的に『堕星』が有利だ。

「離れろ。そいつは俺が倒す」
「────」

クルゲンが深い溜息を吐いた。ロイは、乾いた笑顔を浮かべながら肩を竦めている。その気持ちはわかるような気がして、『夜騎士』は軽く頷いた。

全く、人の話も聞かずに一方的な決め付けを行う思い込みの強い人間には困らせられる。



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『呪いを解いてみよう!』 その11

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まず、『堕星』と『夜騎士』に武器を収めさせるのに半刻。
シードが、「ザーナ村のロイ」なる賞金首ではないことを納得させるのに一刻。
さらに、シードが『堕星』と木箱で面白いオブジェを作って逃走したメールボーイではないと信じさせるのに──失敗。

「……それは別にいいんだけどよ」
「よくはないが」
「いいんだって」

がりがりと後頭部を掻きつつ、シードは重々しく呟いた。

「問題はだ」

シードはじっと机の上を見つめた。それ程哲学的なものが置いてあるわけではなく、兎肉と野菜の煮込みシチュー、黒パン、そして果物の切れ端が並べてあるだけである。

「同僚と苦楽を共にしようなんて人情は欠片もない男が、空きっ腹抱えた俺の前で平然と飯食ってるっていう──」
「同席を勧めた覚えはないが?」
「──気遣いの言葉ひとつもないっていう」
「好きに食べればいいだろう」
「…………」

シードは答えず、唇を尖らせたまま片手に持った瓶の口からぐびりと一口飲んだ。中身は灯酒──灯草というツル科植物の実から作られ、ほの赤い色をしていることからブラッデン・ブルーでは人気のアルコールだ。

「────」

──カジナル神殿で行われる『決闘式』の前には、闘技者は3日3夜の禊を行うのがしきたりだという。
その間、決闘に臨む者が口にしてよいのは酒と塩だけだ。

食べればいい、と重ねて言う気はなく、クルガンは話の内容を変えた。

「──それで、解呪が上手く行かなかった理由は?」
「鼻を削ぎ落とされそうになった」
「それだけか?」
「それだけに見えたけどな。とにかく、上手く行かなかった。もっと高い金払って腕のいいのにやってもらうか、別の手を探すかだな」

どちらにしろ、3日後にシードの呪いが解けている可能性はかなり低そうだった。そういった事情を度外視して、手袋が投げつけられればとりあえず拾ってしまうあたり、シードは損な性格をした男である。

クルガンは思案してみたが、現在のところ、解呪という目的に至るルートがはっきりしているのは金だった。しかし金は天から降ってくるわけではない。

「そういえば──あえて『決闘式』という形で勝利した場合、神殿から何か報奨でも出るのか」
「名誉」

それは報奨ではなく邪魔物だとクルガンは思った。もしも金品が手に入るのなら、『堕星』のほうを闇討ちするのもやぶさかではなかったのだが。

では、『堕星』と殴りあって何の意味があるのか、という無駄な質問もクルガンは今更しなかった。猿に損得勘定を教えようと努力しても徒労である。

シードは一瓶空けると、それを机の上に置いて注文を重ねた。4本目だ。
どうやら、呪いに掛かっていても燃費は以前と同じらしい。酒だけで必要カロリーを賄うことはできないだろうな、とクルガンは冷静に判断した。シードは酒に強い男だが、それでも限度というものがある。それ以前に──そもそも、財布の方が先に音を上げる。

背もたれに体重を預け、溜息とともに、シードは吐き出した。

「あー、でも明日っから色々忙しくなるな。悪ィな」
「何がだ」
「だって、『決闘式』の前に、カジナル神殿の迷路突破して、指輪かなんか取って来なきゃならないって話だったろ」
「待て、シード」

クルガンは滔々と流れて行きかねない話を冷静に塞き止めた。
そのことについて、シードがクルガンに謝る理由がよくわからない。

「まさか、俺が手伝うとでも思っているのか?」
「……ああ、俺の方が異常だったな。人間だったら普通は同僚の手伝いくらいするだろうと思うなんてな」




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『呪いを解いてみよう!』:未クリア!