『ビギナー・アンド・ダンジョン2』 その1
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「小さな~は~こに~いつでも~♪」
「…………」
「し~あわせは~あふれ~てる~♪」
「…………」
「命~と金な~ら金を~とれ~♪」
「…………」
「どんな~宝~も~お前~のもの~♪」
「……何だその歌は」
「ん?いや……」
シードは我に返ると、がくりと肩を落とした。
「何か、盗賊ソングだってさ……」
知らず知らず口ずさんでいたらしい。
どうにも、頭にこびりついて離れないのだ。これは一種の悪質な洗脳ではないか?
情けないことだが、こちらの世界に来てからいつでも金のことに悩まされている気がする。
ああ、空から金が降ってこないものか──あまり威張れた空想ではないが、それでも必要なものは必要なのだった。
──と言うわけで、二人はまた『深紅の砦』に挑戦している。
目的は、『帰る道を発見する』というよりはもっと目先にあった。『とにかく金目の物を発見する』である。
『ピンキー』を渡った最初、初心者中の初心者エリアにめぼしいものなど残っている筈もないのだが、二人は何処をどうひっくり返しても初心者中の初心者なのだから、その選択はあながち間違っているとはいえない。
最初の大広間、七大神と、アルファータ創造神の像の横を今度は通り過ぎ、真っ直ぐに奥へと進む。
冒険者達がこの二人のこの有様を見れば、口を酸っぱくして冒険の基本を叩き込んでやっただろう。歌声がモンスターを呼び寄せたらどうする、踏み出す床に落とし穴があったらどうする、そもそもマッピングをせず、目印も付けずに進むなど愚の骨頂──等等、等等。そもそも基本的な事が出来ていないので、改善点は幾らでもあった。
一瞬の気の緩みが死につながるといわれる迷宮探索なのだが、クルガンとシードにはあまりそのような認識がない。『冒険』というものに関して、全くの素人なのである。
カンテラの光量は広間全体を満たすには到底足りない。広間を支える巨大な柱が、微妙な陰影を見せている。
「この砦──地上二層クリア、地下四層踏破、とか書いてあったよな、案内図にさ」
「そうだな」
外から見て、『カーディナル・ホールド』はとても二階建てには見えなかった。
つまり何年も──あるいは数十年も、冒険者達が探索を続けてまだその程度、という事だ。全容把握にはどれ程の労力が必要か。
「上の方がまだ探索されてねぇっぽいけど」
「否、下だ」
あっさりと言い切ったクルガンに、シードは疑問の視線を向けた。
「何で?」
「裏神殿で、石の魔人が言っていただろう」
──『世界を切り開くが定めの開発者なら、地の底の蓋を開けられる可能性もある』、と。
その言葉に記憶が刺激され、シードも思い出した。その通り、あの巨人は半分眠りながらそんな事を言っていた。
「……地の底の蓋、か。大分大層な表現だ」
「世界を渡るのだから、簡単な訳がない」
「来るときは随分簡単だったんだけどな……っと、行き止まりだぜ」
真っ直ぐに広間を横断して、反対の壁に突き当たったのだ。何の気はなしにシードは目の前の壁を蹴った。
そして、壁に沿って歩こうと、方向を変える。
「どうしたよ、行こうぜ」
「……いや」
クルガンは、巨大な柱に手を突いていた。それから、シードを見る。そしてまた、柱を見る。ろくでもない予感がしたが、シードは一応聞いてみた。
「何だよ」
「上か下かという話をしていて思った。……この広間は、随分と天井が高いだろう?何層か、貫いている可能性がある」
「そうだな」
「それに、柱にも微妙に凹凸がある」
「……で?」
にこ、と笑みを浮かべながら、シードは一応答を待った。既に、半ば理解してはいたが。
「猿も顔負けなお前なら、この柱を登って上の階まで行けるのではないかと」
「カンテラ持ってか?」
「大丈夫だ、ロープがある。腰の辺りから充分な長さを持たせて吊るせば熱くはない」
「上まで辿り着いたら、拳で壁をぶち破るのか?」
「普通天井に扉はないから、そうだろうな」
「アンタはここでただ待ってるわけか?」
「どうしても必要だと言うなら、声援を送るが」
シードはにこにこ、と笑って、もう一言だけ言った。
「冗談だよな?」
クルガンはあっさりと返した。
「いちいち確認しなければわからないのか?」
「……アンタは本当にそういうチームワークを乱す冗談が上手くて、俺は尊敬しちゃうよ。逆に」
『ビギナー・アンド・ダンジョン2』 その2
壁を左手にして更に百数十歩歩くと、大きな扉が見えてきた。クルガンの感覚で言うと、広間の入り口である『夕暮れの扉』を南にして広間の北北東にあたることになる。
クルガンは扉に触れたが、地名表示プレートは出現しなかった。
ただ、扉の上に、白い塗料で落書きがしてある──『七』。勿論これはずっと前の先行者の残した情報で、それを信用するならつまり、この広間には七つ以上の扉があるという事だろう。
なるべく速やかに先に進みたい二人は、さっさと扉を通り抜けることにした。この辺りの選択姿勢も、冒険者からしてみれば不届きな程に軽率である──だが、そんな事を注意してくれる者はいない。
「よいしょっと」
両開きの扉は重たげなつくりだったが、シードが押すと簡単に開いた。鍵は掛かっていない。
そのことに微妙に安心している同僚を観察しつつ、クルガンも扉をくぐった。その先は、通路──大人四人が並んで通れる程の広さで真っ直ぐに数十歩ほど続き、T字に突き当たっていた。左右の先は、まだ見えない。
「うわー」
シードが、扉の裏側に突き立っていた鉄の矢に触れると、しげしげと眺めている。そこには他にも十本ほどの矢が深々と突き立っていた。ついでに言えば、どうしても取れなかったのだろう──風化した左の肩甲骨だけが矢に貫かれて扉の裏に張り付いている。
鏃がここまで深く食い込んでいるところを見ると、これは機巧を使った結果だろう。
人間が普通に弓を引いただけでは、ここまでの威力は出ない。
「コレ、罠だな?」
「俺よりも、お前の専門分野だろう」
「鍵開けの最初齧っただけだって」
呑気なことを言いながら、シードは後頭部を掻いた。
おそらく、扉を開けて中に入ったタイミングを狙って、暗がりから矢が飛び出てくる仕掛けだったのだろう。一番最初に入室した者は不運だったとしか言いようがないが、そのお陰でシードとクルガンは問題なくここに立てている訳だ。
クルガンも矢を観察したが、既に大分錆びている。途中で折れている矢も少なくない。ここまで劣化していては、わざわざ抜いて持って帰っても金にはならないか。
矢の突き刺さっている角度からして、射出装置は天井だろう。カンテラを掲げて見上げれば何列かの切れ目が伺えたが、それは何か砦の素材とは違うもので埋められていた──やはり先人が細工したのだろう。
天井は、跳躍すれば指先が届くだろう高さだが、この暗さでは、そこにあると意識して見なければ罠がそこにあるとはわからないだろう。
勿論、シードはまだ罠発見のスキルなど持っていないし、期待はしていないのだが──罠と言うのは面倒なものだな、とクルガンは考えた。
この辺りの浅い階層では、殆どの罠は既に発動しているか対処がされていると思うが、うっかりと新しい罠に引っかかる可能性も否定出来ない。
まあ、そう理解していても、精々注意するしか対処の方法はないのだが。
と言う訳で、二人は相変わらずあっさりと進んだ。
突き当たりの左も右も、同じように延びている。その先は、暗くて見えない。
だが、左の道は選択から外すべきだった──その通路は途中から、床を綺麗さっぱりとなくしていたので。
シードがその縁にしゃがみ込んで、カンテラを低く翳す。
底は見えない。
「落とし穴、か……?」
少し先にはまた床が復活しているのだが──背中に翼でも生えているならまだしも、気軽に飛び越せる幅ではなかった。おそらく、シードが助走をつけて全力で跳躍しても、向こう側の縁に手が届かない確率の方が高い。
「うーん……」
「無理をする必要はないと思うが」
「でもよ、このまま楽な方行っても収穫ねぇ気がしねぇ?この辺大分調査済みみたいだしさ」
「一理あるが、跳べるのか?」
シードは腕を組んで首を捻った。
「微妙」
クルガンは溜息を吐いた。
「……まあ、挑戦したいと言うなら止めはしない。腰に命綱くらいはつけてやる」
「なんかそれ結構間抜けな絵面だな……」
『ビギナー・アンド・ダンジョン2』 その3
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腰にしっかりと巻いたロープの結び目を確認してから、シードは二、三度屈伸をした。
剣は邪魔になるので外し、カンテラは落とし穴の縁の手前に置いている。助走距離は充分だ。
「っしゃ!」
気合を入れる。
気乗りしなさそうなのはどちらかと言えばクルガンで、それは何故かと言えば、この通路にはロープを結んでおけるような取っ掛かりが見当たらなかったからだろう。
つまり──シードが向こう岸に渡り損なった場合、彼の体重を支えるのはクルガンの力のみという事だ。腕にロープを絡ませて立っている彼は非常に嫌そうな気配を漂わせているが、シードは意図的にそれを無視した。たまには力仕事をしろ。
本当は、楔でもあればそれを壁や床にでも打ち込んで固定点が作れるのだが、用意がない。出来れば揃えておきたかったのは山々なれど──意外に高価な代物なのだ。何せ、消費アイテムの癖に金属製である。
鉄製品を思うがままに消費する戦争などというものは、物凄い贅沢だったんだなぁ、と再確認しながら、シードは走り出した。
「────」
見る見るうちに縁が近付く。
最後の五歩程度で歩幅を調節し、シードは踏み切った。黒い深淵の上を飛ぶように、イメージを飛翔させる。
こういうものは、思い切りが大切である。やると決めたら、躊躇わない。
落ちればどうなるだとかそう言ったことを考えないのは前提だ。むしろ、落ちれば、などという仮定など挟まる余地がある方がおかしい。
必ず渡り切るからだ。それ以外はない。
何かに挑戦するときは、傲慢に信じていて丁度良い。
「どうせ無理だろう」とか「駄目で元々」、「出来なくても大した問題はない」と考えるのは簡単だし、失敗したときのことを考えておくのがまるで賢いやり方だと主張する人間も居るが、シードは賛成出来ない。
そんな諦めた思考は、どうしたって足を引っ張るからだ。
だって、落ちても平気なら──落ちてしまっても良いだろう?そんな保険や言い訳があれば、結局は妥協してしまう。いつか、どこかで、甘えてしまう。言い訳をして、心だけを楽にしてしまう。
出来ると信じる、ただそれだけを据えて走る。それはシードの好む姿勢だ──どんな場面でも、最善を、全力を、尽くすための。
楽をしたがる自我を、意思の力で捻り潰す。そう出来なければ、背に敵を背負っているのと同じこと。
決めたのならば、迷わない。
それが──己に克つという事だ。限界という言葉以上を、目指して走ること。走り続けること。転びながら、また立ち上がるということ。
それが、挑戦ということだ。
「──っ!」
シードは空を掻いて指先を最大限に伸ばした。
遮二無二何かを掴もうとするその中指の先端が、向かい側の縁に触れ──
すかっ
──る、というイメージを、シードは抱いていたのだが。
無理なものはどう転んでも無理であるというのも、また真理だった。
まあ、思い込んだだけで何でも出来るというのなら、人類はとっくに月に到達しているだろう。自分の襟首を掴んで上に引っ張ることで、だ。
そんな事を考えつつ、シードはすぱっと意識を切り替えると落下に備えた。腹にロープが食い込むと痛いので、腕で掴んでおく。
ざざ、と手袋が少し擦れた。
「!」
落とし穴の縁を支点に、振り子のように振り回される。
迫る壁に足を向け、側面に着地するようにしてシードは衝撃を吸収した。
「っ、と」
反動で、二、三度揺れる。
その瞬間、負荷がかかりすぎたか──ずず、とロープごと少し落下した。
ちゃんと支えておけ、と思ったが、機嫌を損ねると手を離しかねない相手なので黙っておく。その代わり、シードは明るい上方に向けて声を飛ばした。
「おーい、クルガーン?大丈夫かー?」
「…………」
返答なし。
無駄口を叩いている間に登った方が良いらしい、と冷静に判断して、シードはするするとロープを手繰っていった。
『ビギナー・アンド・ダンジョン2』その4
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大丈夫かと声を掛けてやったのに、不機嫌な目つきで睨み返された。余程疲れたのだろう。
腕に巻いていた縄を解き、クルガンは縄の端を今度はシードに放ってくる。
「何?アンタも跳ぶの」
それはないだろうな、と思いながら一応問いかけてみたシードだが、クルガンが己の腰に縄を巻きつけ始めたのを見て、瞼を一度開閉させる。
「え、マジで?」
「違う。下りるんだ。今度はお前が支えろ」
「そりゃいいけど……下りる、ってこの穴、かなり深いみたいだぜ?」
「だからこそだ。下の階に繋がっているかもしれないだろう」
「そりゃ発想の転換だな……」
しかし、普通は落とし穴の下には針山というのがセオリーだと思うのだが。
そんなシードの思考を読んだように、クルガンはこうも言った。
「それに、罠に掛かった死体のひとつやふたつでもあれば、その所持品を回収出来る」
死者に対する敬意を全く持ち合わせていない発言だが、シードに異論はなかった。祟りや呪い、残留思念を怖がっていては軍人は出来ない。
今度は勢いをつける必要もないので、負荷はクルガン自身の体重だけである。だが念のため落とし穴の縁から離れ、シードは腕に巻きつけた縄を引いて腰を落とした。
しゅるしゅると手袋と縄の表面が擦れ合う音と共に、天井に反射する光が弱まっていく。クルガンの持つカンテラが遠ざかっているのだ。
「おーい、どんなモンだ?」
「───」
「おい?」
急に縄が軽くなる。ということは、クルガンが体重をどこかに移したのだ。
シードは落とし穴の縁に歩み寄ると、下を覗き込んだ。とっぷりと暗い闇の奥から届く光によって、クルガンが壁際に身を寄せて立っているのが見えた。しかし──その周囲にある筈の床は見えない。どうやら、壁の凹凸に足を引っ掛けているらしい。
クルガンは己の足の下を覗き込んでいたようだったが、首を持ち上げると、シードに指示をした。
「……今から登るから、確り支えておけ」
「引き上げてやってもいいけど?」
「ならそうしてくれ」
遠慮という言葉はクルガンの辞書にはないらしい。言ってしまった言葉を取り消す事は出来ず、シードはずるずると縄を手繰って引き寄せた。
クルガンは落とし穴から出ると、さっさと腰の縄を解いた。てきぱきとまとめ始めたところをみると、もう使わないという事か。
「なんで途中で戻って来たんだよ」
「ロープの長さが全く足りない。想像以上に深い」
「地下二階どころか、もっと奥まで続いてるって事か……壁でも壊せりゃ、なんかショートカット出来そうだな」
「現段階の装備では無理だ。考慮しておく価値はあるがな」
そう言いながら、クルガンはカンテラを持ち直した。出来ないことに拘るつもりは、清々しいまでにないらしい。
無駄足を踏んだ、と言ってしまえばそれだけであるが、その積み重ねこそが探索というものだ。
T字路の左にあった落とし穴を越えられなかったということは、必然的に進む道は右になる。
右の通路の幅は、どんどんと細くなっていく。しばらく進むと左斜め前に折れており、その先には人一人が通れる幅の、小さな階段があった。
「……登る?罠があっても俺わかんねぇけど」
「期待していない」
ただの階段なのだが、追い詰められるようにどんどんと空間が狭くなっているのが気に掛かる。
しかし、先人は勿論探索済みだろう通路であるから、特に危険だという事は無いだろう。そう楽観的に考えながら、シードは階段の一段目に足を乗せた。
『ビギナー・アンド・ダンジョン2』 その5
階段の幅がとうとう人一人分よりも狭くなって来たので、もしや行き止まりかと懸念したが、そうではなかった。
斜めに体を傾けて、狭い入り口から取り合えずカンテラだけを突っ込んで確認してみる。シードが見たところ、小さな部屋のようになっていた。特に危険なものは見えない。
「よいしょっと」
無意味な掛け声を掛けながら、体を畳んで部屋に潜り込む。そのついでに肘を壁に擦ったが、長袖の服を着ているので問題は全くなかった。
シードに続き、クルガンも小部屋に上がりこむ。
「んー?」
シードはきょろきょろと視線を振った。
部屋は大体、階段と合わせてTの字を形成するように、左右に細長い長方形をしていた。つまり、通路と表現しても間違いだとまでは言えない形で、部屋と通路の合いの子のようなもの、ということになるだろうか。
部屋の左の隅(つまりT字の左上地点)には、扉が見えている。その真正面に位置する反対側、右の隅はここから見る限り単なる壁で、つまり行き止まりだ。
「なんかあからさまにアヤシイよな。お宝のにおいがしねぇ?」
「……あからさまな不自然がこれ見よがしに存在したら、それは逆に罠だと思うが」
期待に水をさす同僚は黙殺し、シードは無意識にふんふんと『盗賊ソング』を口ずさみながら右の隅へと足を向けた。左の扉の方は後回し。
行き止まりの壁にカンテラを近づけて、しげしげと眺める。
見たところ、異常はなかった。
『カーディナル・ホールド』は何処も彼処も鉄の色をしているが、材質は金属ではない。石のようなざらざらした表面を、シードは軽く殴りつけた。どす、と気の抜けた音。
「うーん……」
この先に空間が設置されているとシードは予想しているのだが。材質のせいか、みっしりと壁が詰まっているからか、どちらにしろ反響音を確かめることは出来なかった。
シードはカンテラを床に置くと、ごそごそと荷物を探って、薄いカードを取り出した。
カードと言っても、特に何か特別なものではない。本の栞に丁度いいくらいの、銅を四角く延ばした金属片である。
ただし、これは一応、盗賊ギルドで貰ったものだ。
講座参加者全員サービスという気安さで、多分、金銭に換算したら1G程度のものではあるが。
「…………」
すちゃ、とそのカードを構えると、シードはしゃがみ込んだ。
壁と床の境界線にそのカードを当て、押してみる。ずるずる、と耳障りに擦れる音はしたが、カードはその隙間に潜り込んでいった。
「……やっぱりな」
シードはカードを引き抜くと、くるりと振り返ってクルガンに向かって偉そうに言った。
「切れ目があるぜ」
「……それで?」
「それで、って。だからここは多分壁が動くようになってて、この先に行けんだよ」
「それは了解した」
クルガンは無感動に、視線で壁を示した。
「それで、どうやったらその壁が動くんだ」
どうやらこの同僚に、『積み重ねの第一歩』という喜びをわかって貰おうとしたのが間違いだったらしい。結果にしか興味が無い散文的な男なのだ。
放っておいて次の段階に進むべく、シードはまたくるりと振り返って壁に向かった。
「…………」
さて。
「…………………」
さぁて。
「…………………………」
聞こえよがしに、後ろで陰険男が溜息を吐く。
「……それで、どうやったらその壁が動くんだ」
「すみませんねぇわかりませんで!」
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『ビギナー・アンド・ダンジョン2』 その6
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結局、左の扉を開けるしかないのだった。
扉はどうやら巻き上げ式の戸で(何故こんな小さな扉にそんな大げさな仕掛けが必要なのかは知らないが)、滑車にかかっている鎖を引けばいいのだろう。
「開けるぞ」
一応そう言ってから、シードはカンテラを下ろしもしないまま片手で鎖に手を掛けた。鎖に触れた瞬間、ひやっと冷たい感触が手袋越しにも痺れを走らせる。
ぐい、と引く。
「…………」
ぐい。
「………………っ」
ぐいぐい。
「……えーと」
シードが手を離すと、一応指の先程浮き上がっていたらしい扉が、かとん、とやけに軽い音を立てた。
シードは重く感じるカンテラを床に置くと、今度は両手で鎖を持って引いた。両腕の筋肉に力が込められ、ぎりぎりとたわむ。
ぐぐっ
「────」
やや動揺しているな、とシードは何故か客観的に己を分析してみた。
動かない、という訳ではない。このまま引けば、扉は持ち上がるだろう──そう、シードが後五人も居れば、上まで戸を引き上げることも可能かも知れない。
しかし──しかしである。
どうやら、シードはこの扉を一人では開けられない。
理由は単純で──
「う、嘘だろ……?」
──力が足りないのである。
プライドの根底にひびを入れられ、シードは諦め悪くもう一度引いてみた。結果は同じ。ぱきぱき、と更に心のどこかにダメージが入る音がした。プライドではなくアイデンティティかも知れない。
疲労が肩に掛かってずっしりと重く、シードはその場に座り込んだ。
「…………」
出来ません、と言うのだけは嫌だったが、既に察されているだろう。
シードはぎぎぃっ、と錆び付いた動きで後ろを振り返りかけた。
不穏な音がしたのはそのときである。
がこん。
がどどどどどどど……
「!」
扉の向こうで何か動く音がして、滝のような水音が聞こえ始めた。
咄嗟に目をやると、シードが気合を入れても殆ど動かなかった扉が勝手に持ち上がりかけている。その隙間から見る見る何か液体が溢れ出、即座にシードのカンテラの炎を消した。
「わ」
ぐいっと襟首を後ろに引かれ、シードはしゃがみ込んだ体勢から一気に三歩程後退したが、それは結局、あまり意味がなかった。
スムーズに上がっている扉の後ろから、爆発的に水流が雪崩れ込んでくる。本当に、わ、と言う暇があったのが奇跡と言うくらいに急激な変化だった。
「!」
真正面から巨大なハンマーで殴られる衝撃。クルガンのカンテラも消えたようで、視界が即座に闇に閉ざされる。反射的に開けかけた口をシードは何とか閉じた──今空気を吸おうとしても、水を飲むだけだ。
「んぐ」
指向性のある水流の圧倒的な質量に押され、シードの足が浮いた。それはクルガンも同じだろうけれど、そのままなすすべもなく流される。一度襟首が締まったのは、クルガンが途中で階段の壁に腕でも引っ掛けたからだろうが、外れたのかまたすぐに楽になった。
激しい水の音しか聞こえない。視界が閉ざされ、体の自由も利かない。原始的な恐怖にぞおっと背筋が凍った。いや、冷たい液体が体の芯を冷やしたのか。
「────」
本来なら、すぐに反対側の壁に背を叩きつけられる筈だが、そんな感触はなかった。おそらく、後ろの壁が開いたのだろう。
先程まではその先にあるものに期待していたが、罠とわかった今となっては腹立たしいだけである。
身動き出来ないまま、せめて酸素の消費だけは抑えようと、シードは思考を空にした。
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『ビギナー・アンド・ダンジョン2』その7
何分も暗闇の中に居たわけではない。
窒息していないのだから確かにその筈だ。それでも、周囲が明るくなるまでの時間はとても長く感じた──目の奥が痛むくらいに、光が新鮮に感じる。
「!」
眩しいと思った瞬間には、クルガンは水流ごと宙に投げ出されていた。同時、掴んでいたシードの襟首を放す。
見ることが出来れば、把握は簡単だ。
クルガンは動揺なく判断した。水中から空中、『砦』の外、右斜め下に空、左斜め上に草地、慣性は殆ど真横に働いていて、高度はおよそ建物三階分。
「────」
体の向きを上下に反転させ、濡れた草地に足から着地する。軽い痺れと共に衝撃が這い登ってきたが、数秒で消えた。
激しい水音もまたそれと同じくらいのスピードで弱まった。クルガンが見上げたときには、既に噴出口が閉じていくところだった。
「…………」
浅い階層でも罠は残っているのだな、と学習しながら、クルガンはまず髪の水気を切った。次に厚手の上着を脱ぎ、絞る。ぼたたたた、と雫が草の上に滴り落ちた──今は既に秋口で、水浴びにいい季節は過ぎているのだが。
中の部屋着とズボンは取り合えず置いておき、今度は靴を脱いでひっくり返す。
「…………」
日差しは強いとは言えず、乾燥までには時間がかかりそうだった。これを再び履いて街まで戻ることを考えると溜息が出る。
何歩か向こうに、カンテラが落ちている。どう見ても周囲の硝子が割れているから、買いなおすか修理するかしなければならない。やはり、少々高くても腰に吊るせるタイプの方が便利か。
そのまた向こうで、シードが尻餅を突いていた。それに関しての損害がゼロである事はわかっているので、問題は彼が背負っているリュックサックの方だ──タオル、布は良いとして毛布はすぐには乾くまい。塩は流れただろう。固形の燃料油が入っていた筈だが、溶けているとすれば少し厄介だ。
損害をざっと見て取り、クルガンは結論を出した。
致命的な被害はない。ただし、出直すほかない。収支は完全に赤字。
(大した罠ではなかったのが、不幸中の幸いと言うところか)
地上三階の高度から叩き落されても骨の一本も折らない男は、そう判断した。
この程度の罠の為に、大量の水をひいてくるのはどう考えても効率が悪い。同種の仕掛けが他に多々あると考えて良さそうだった。
「…………」
そろそろ不審に思い、クルガンは座り込んだまま動かない男に近寄って行った。
普通なら、着地した瞬間から煩い筈なのだが──
「シード?」
シードは答えなかった。
しかし、聞こえてはいるらしい。シードは項垂れていた頭をのろのろと持ち上げると、顔の前で右手を握った。握った、だけのようにクルガンには見えたが──
「…………」
数秒後。
シードが開いた拳からは、胡桃ほどの大きさの石が転がり出て来た。それはまあ、それだけの話だ。
転がった石を取り合えず見送った後、クルガンはもう一度呼びかけた。
「シード?」
「…………くルがーん…………」
かなり間違ったイントネーションで人の名前らしきものを呼びながら、シードは振り返り、クルガンを見上げた。まだ立ち上がらない。まるで、背負ったリュックサックが地面に吸い付いて離れないとでも言うように。
────まるで?
「どうしよ……俺……俺……」
シードは意味のわからない半笑いを浮かべている。人間がどうしようもなくなったときに浮かべる類のあの表情だ。泣くより、怒るより、笑う方が力を使わないからという理由だけで表情筋が勝手に形成する微笑。
シードはとうとう言った。
「俺……スゲェ弱くなっちまったみたいなんだけど」
「…………………」
聞き間違いである可能性をクルガンは一応三秒ほども使って検討してみたが、ゼロパーセントに近かった。
『ビギナー・アンド・ダンジョン2』:未クリア!
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