『スキルを覚えよう!』 その1

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「聞いたかよ?大広間で『オチミズ』が見つかったって」
「ああ、聞いた。盲点だったよなぁ、隅までチェック済んだと思ってたし」
「時間が関係してたんじゃねーの?だって神像の前に勝手に宝箱出てたってよ」
「じゃ運って事かよ!畜生、昨日雑魚刈りに行ってりゃ俺が、」
「ヤ、別にそんな悔しがるこたねーと思うぜ?」
「何でだよ」
「だってアレ、ある意味ボス攻略に必須じゃん?」
「はあ?」
「わっかんねー奴だな。どうせ持ってたって、『夜騎士』やら『堕星』やらに巻き上げられるってんだよ」

勿論シードにはそんな雑音は関係なく、彼は『一石二鳥亭』のテーブルにつっぷすようにして、ボロボロに黄ばんだ冊子を読んでいた。タイトルは『盗賊七つ道具』。
時折頭をかきむしりながら、それでもシードは果敢にその読み物に挑んでいたが、目の前で優雅にアフタヌーン・ティーなど嗜まれてしまってはなけなしのやる気がごそりと減退する。

「あーもうわっかんねぇ……!」

数頁しかない冊子を半分も読み進められないまま、シードは両手を投げ出して椅子の背もたれに寄りかかった。

クルガンが司書を誑し込んで(とシードは解釈している)持ち出して来たこの教本は、『対象年齢/10~12歳』らしいのだが、それでもシードには難しい。
これはシードの理解力が幼児レベルと、そう言ったことではなかった。純粋に『読みにくい』のである。
一文につき数十秒、酷い時は数百秒掛けて注視、解釈し、やっと意味が掴める。と思ったら次のセンテンスによってまた内容が変わる。

クルガンに至っては、表紙のタイトル以外全く『読めない』。
一般書籍に分類されるものは問題なく頭に入るのだから、これは冊子が盗賊の『専門書』である事が原因だろう。

平易である筈の書物にここまで苦労するのは、おそらくシードに『盗賊の基礎』が全く備わっていないからだ。

「コレでホントにスキルとか身につくのかよ……」

クルガンは冊子をシードの手元に押し戻した。

「これさえ理解出来ないというのは、盗賊としてはスキル以前の問題だろうな」
「アンタだって神官以前の問題の癖に……」

口の中で呟きながら、シードは再び冊子を開いた。
頭痛を堪えて文意を探る。けれど途切れた集中力は返ってこない。

「コレ、誰かに教えて貰わなきゃ絶対わかんねーと思うんだけど……」
「だろうな」

クルガンは机の上にことりとカップを置いた。

「結局、同じ『盗賊』に手ほどきを受けるのが近道だろう」
「ギルドで紹介して貰うと金掛かるぜ」
「自分で探しても良い」
「手当たり次第ナンパでもすんのか?」

冷え冷えとした視線をシードは冊子に没頭するふりをすることでブロックした。

「……盗賊が己の技を磨くには、盗賊ギルドで師を見つけると言うが」
「盗賊ギルドぉ?」

シードは溜息を吐いた。

「話聞いてるうちに俺乱闘騒ぎ起こしそうだ……」
「犯罪者ばかりという訳でもあるまい」
「だとしても、ヤだ」
「我侭を言うな」

自分でも往生際が悪いとは思うが、シードは一応食い下がってみた。

盗賊が実態はシードもそれなりに理解して来ていた。確かに、『冒険者』として、真っ当に働く『盗賊』も居ないではない。
けれど、その真っ当に働く盗賊さえ、だからと言って人格者かといえばその反対だ。

揉め事の原因はまず大抵盗賊だ。窃盗、詐欺、報酬や宝の持ち逃げ、裏切り、等々。次が戦士系で、これは武人の誇りやら何やらでシードも理解できる分野なのだけれど、盗賊は一般的に『セコくて卑劣な卑怯者』だとしか思えない。

目の前にも一応『セコくて卑劣な卑怯者』にカテゴリ出来る者が座っているのだが、シードはそれについては別段気にしていなかった。贔屓というならば言え。

殆どの盗賊が信仰するのは、自由と死を象徴する海神オロメガだ。
法と正義を支配する太陽神ロメガの対極に位置するこの神の信者は、好んでこの聖句を使う。『好きに生き、好きに死ね』。
この言葉を『自由に』解釈し、盗賊は往々にして笑えない犯罪にも手を染めている。

「盗賊ギルドって、場所も盗賊しか知らないんだろ?伝手もないのに、どうすんだよ」
「盗賊に聞けば良い」

シードとしてはそれがいわゆる『ナンパ』とどう違うのかを問いたい。クルガンに聞いても、「全く違う」としか返答しないだろうが。

「丁度良い時間だ」

そう言うと、クルガンは立ち上がった。
『一石二鳥亭』の窓から見る空は銅色だ。やがて二つの月がその姿を現すだろう。

歓楽街である『喜楽通り』や、それと交差して娼館が並ぶ『白春通り』が目覚める時間だが、目的地はそこではない。
その裏にある、『海鳴通り』へ行くのだ。間違っても一般人は近付かない、犯罪者の根城──いわゆる暗黒街、である。





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『スキルを覚えよう!』 その2

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『海鳴通り』。

分類としては歓楽街なのであろうが、どこかじっとりと淀んだ空気。
角に立つ街娼の姿も見えない、無法の地だ。

夕陽の僅かな色も消え去る頃、シードとクルガンはその中を歩いていた。
けれどその頬は時折茜に照らされる──通りを彩る店から漏れ落ちる、炎の光。それさえも暖かくはなく、揺らめきが人の様相を変えるだけ。

立ち並ぶ店の全てが、オロメガの色を掲げ、成る程、海の波に見えなくもない。

「──ここらで良いんじゃねェの?」
「そうだな」

あまり奥深くに入りすぎても面倒だ。
シードが足を止めたのは、『泡立つ波濤』亭である。酒場だが、ひっそりとした外観を見るに、あまり大手を振って歩けない者が利用する店だろう。
だが、扉が僅か開いているのだから入店は自由という事だ。

シードはす、とノブに手を掛けると、青色の布をくぐるようにして、その中に足を踏み入れた。
途端に──あからさまではないが──様々な視線が身体の上を走り抜けるのを感じる。

値踏みされているのだ。

「…………」

店内は薄暗く、何か香の匂いのようなものが漂っていた。けぶる視界の中で、相手の顔かたちは曖昧になる。
『喜楽通り』の店には必ず居る楽団や踊り子の類も居ない。ただ、酒を飲む男達の雑談の声だけがぼそぼそと響く。
あまり、大っぴらに聞き込み出来る雰囲気ではない。

シードは視線だけ後ろにやって、目でクルガンに行動を問った。
クルガンは静かに店内を見回し──

「────」

何事か納得した様子で、シードにしか聞こえない声で囁いた。

「シード」
「?」
「左隅、奥から二番目の席に、男が見えるな?」
「あの一人で飲んでる奴な」

クルガンは動いていないように見える唇で続けた。

「あの男に、愛想良く話しかけて単純に教えを請え」
「何でアイツ?」

特別親切そうな男には、シードの目からは見えないのだが。確かに、一人である分話しかけやすくはあるが。
その質問は無視して、クルガンは一歩下がった。

「俺は店の外にいる」
「少しはアンタも動けよ……」
「二人だと警戒されるぞ」

成る程、とシードは納得した。
そのシードの背中に、クルガンはもう一言付け加えた。

「シード。知りたいことを教わるまでは、何を言われてもイエスと答えておけよ」
「嫌だね」
「お前の趣味に反することでも、盗賊としては当然かも知れないだろう」
「……まあ、考えとく」

ひらひらと肩越しに手を振って、シードは足を進めた。

「愛想を忘れるな」
「アンタじゃあるまいし」

そして、その背後でそっと扉が閉まる音がした。
その時──シードは何か、嫌な予感がしていたのだ。けれど、離れたくないと縋れる歳でも、性別でもなかった。

後から思えば、そんなプライドは犬の餌にでもしてしまえばよかったのだけれど。





がしゃだだーん、と、店内から外にも聞こえる騒ぎが起こる段になって、クルガンは壁から背を離すと歩き始めた。
予想通りの展開である。

どばたーん、と店の扉が大きく開け放たれ、憤怒の形相がそこから覗く光景などわざわざ見なくても良い。

「くるがーーん!!!!!!」

爆音を立てて近付いてくる物体の襲撃を予想して、クルガンは半歩横に避けた。
おそらく置く余裕もないまま持ち出してしまったのだろうグラスが、クルガンの脇を通過した後石畳に落ちてぱりんと砕ける。

「煩い、シード」
「テメェ、俺を生贄にしたな!?そうなんだな!?」
「お前なら少々の危機は切り抜けられると信頼──」
「しゃあしゃあと嘘吐くな人非人!」

今度は何処ぞの店先から持ち上げたのだろう植木鉢が飛来し、跳ねる土を避ける為にクルガンは二歩横に動かなければならなかった。

ごがっ ばしゃん!

観葉植物の哀れな末路を見もしないまま、クルガンは呟いた。

「何事も経験だろう」
「け、経験だぁ!?ホントに経験させられたらどうしてくれる、」
「俺は責任はとらん」

クルガンは堂々と言い放った。
大体、幾らなんでも給仕の娘すら居ない不自然に気付けと言うのだ。

「──あの店を選んだのはお前だ、八つ当たるな」
「このっ……この気色悪さがテメェにわかってたまるかぁ!」
「それ位撫でさせておけ」
「何が起きたか正確にわかってるところがまたムカつくよ……!!」

今度はむしりとった扉でも飛んで来そうだったので、クルガンは溜息を吐いて足を止め、振り返った。
『海鳴通り』の雰囲気を、これ以上壊すのも忍びない。





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『スキルを覚えよう!』 その3

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身をもって代償を支払ったシードは、それでも盗賊ギルドの場所は聞き当てていた。
けれど、その拠点をクルガンに告げるわけにはいかなかった──どうやらそれが、この世界の『掟』であるらしい。

なのでシードは翌朝、建設的な提案をした。
シードがギルドでスキルを学ぶ間──

「アンタもどっか神殿に行って、何か教わってくれば?」
「…………」

朝食を摂る手を休めず、クルガンは何事か思案しているようだった。

盗賊ギルドでスキルを学ぶには、それなりの代金がかかるが──神殿は、神官にはおおむね好意的である。信仰勢力拡大の為だ。勿論神官は信者に教えを広めるのが役割であるのだから、同門の神官が増えれば入信者も増えるという訳だ。

「まさかラッラ・フェ神殿に行けとは言わねぇからさ」
「…………」

当たり前のようにクルガンはその言葉を黙殺した。
けれども、彼としてもスキルの必要性はわかっている筈だ。神官ならば、役に立つ祈りが覚えられる可能性もある。

まあその、祈り、という部分が問題なのだけれど。
シードはクルガンに信仰心など欠片も期待していない。しかし、この世にはもしもという言葉がある。

卵料理を口に頬張りつつ、シードは真摯な口調を作った。

「やるだけやってみるってのも良いと思うぜ?」
「確かにな」

クルガンは静かにそう言うと、フォークを置いて食事を終えた。
勘定を払って出て行く後姿を見ながら、グッドラック、と内心で声を掛ける。何処までやれるかわからないが、失敗しても失うものは無い筈だ。

「……意外と才能あるかも知れねぇじゃん?」

追加注文を片付けた後、シードも己の技を磨くために立ち上がった。









壁登りや聞き耳、忍び歩きなどは、シードは特に学ぶ気はなかった。大抵の壁は登れる自信があるし、聞き耳も得意だ。忍び歩きは──まあ、人並みだと思うのだけれど。

重要なのは『解錠スキル』である。これは、身体能力ではどう転んでも補えない。
残りの全財産を殆ど盗賊ギルドに寄付することにより、シードは鍵開けの基本を学んでいた。

教室──と言うらしいが、程ほどの広さの一室に通され、その場に腰掛けているのはシードを含め五人。シード以外は、全て十代になったばかりだろう少年である。
まさかそれで居心地の悪さを感じる可愛げはシードにはないけれど、自分が盗賊として相当出遅れている事は理解出来た。

「…………」

入ってきた教官は、浅黒く小柄な男だった。
少年達が交わしていた会話もぴたりと止まる。挨拶も無いまま、男はどん、と大きな錠前の模型を机の上に置いた。

ふたつにかぱりと開かれたそれの中身は、意外と単純な構造になっている。
興味を引かれ、シードはしげしげとその内部を見詰めた。
錠前屋で働いたことはないし、錠を壊した事はあっても解体した事はないので、シードには初めて目にするものなのだ。

「さて」

男は意外に陽気な声で解釈を始めた。

「コレが普通のカギって奴だ。錠前でも埋め込み式の奴でも、大抵、中はこうなってる。コレがどんどん複雑になったりすんだが、絶対にある部品は変わらねーから良く覚えとけ」

男は、生徒達の視線がきちんと中身を辿ったことをチェックしてからまた口を開いた。

「カギを閉めっと何故開かないかっていうと──」

短く細い指が、錠前内部の、丸く細長い棒を示す。

「この、『シリンダー』っつーのがつっかえ棒になってるからだ。つまり、コレがココに引っかかってっと扉でも箱でもつっかかって動かない。でも邪魔なコレを回転さして退かせれれば、つっかえ棒が外れて、カギ開け達成って訳だな?逆に言やよ、ここが簡単に動いちゃカギはカギの役割を果たさねー。でも、カギを持ってる奴は簡単に開けれなきゃ意味がねー。そこが錠前師の腕の見せ所って奴なんだが」

シリンダーを撫で摩りながら、男は今度は金属製の耳かきを取り出した。

「穴にカギ以外の物を突っ込んでコレを回すのが、俺達の腕の見せ所って奴だ。あ、でもベッドの上で難しいカギ思い出すと萎えっから止めとけよ」







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『スキルを覚えよう!』 ~その4

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痺れてきた指先が震える。
かたっ、と錠前を揺らしてしまい、やっとひとつ上げていた部品が落ちた。

「……………」

肩を震わせながら、シードは持っている金属製の耳かき──盗賊七つ道具のひとつ、『針金』をぶち折りたい衝動を抑えた。
シードは別に、特に不器用な方ではない。ないのだけれど──

「……っあああああああ!!!」

ぐにゃり、と、シードの親指と人差し指の間でまた針金が曲がった。

一番苦手なのがこの、力の加減、という奴なのである。現に、針金のもち手は何度も曲がりは戻し、曲がりは戻しを繰り返したために芸術的に変形してしまっていて、シードの腕の方はぷるぷると震えて攣りそうだ。
剣先でカードタワーを建設するようなもの、といえば、少しはこの苦労を察して貰えるだろうか?

狭い部屋に閉じ込められ、シードの体感時間では約二刻経過している。
出る扉には当然、鍵がかかっており──他に出口は無い。獣油の角灯はとっくに炎を絶やしていたし、暗闇の中、何やら息苦しい気もしている。

シードは手の中の針金を思い切り床に叩き付けたい衝動を必死に耐えていた。
やらないのは、単に、探すのが面倒だからだ(既に一度暗闇の中を虫のように這い回ってシードは後悔していた)。余計な鬱屈をこれ以上溜めるわけにはいかない。
汗ばんだ指先、手のひらの感覚が気持ち悪くて、シードは右手を膝にこすりつけた。今更中腰で二刻、という訓練は辛くないが、磨り減っているのは神経の方である。

やるべき事はわかっていた。
シードは再び、ドアノブの下に空いた鍵穴の位置を指で確かめた。

この一番単純な構造の鍵──『二歯』は、シリンダーの通り道を、二本の『シャフト』が邪魔している。
要は、鍵穴から針金を差し入れて、それを退かしてやれば良いのだ。

シャフトというのはシリンダーの通り道を貫いて上下に可動する細長い棒で、途中の一部分だけが抉られたように凹んでいる。その抉れた部分がシリンダーの通り道と合わさるように高さを調節してやれば、鍵は回る。
鍵穴に鍵を差し込めば、鍵の凹凸がばらばらのシャフトをそれぞれ丁度いい高さまで押し上げてくれるのだが──鍵があれば、そもそも鍵開けスキルも要らない訳で。
シードは覗きこめもしない細い鍵穴の奥に針金を突っ込み、その切っ先で内部を探り、シャフトを見つけて持ち上げ、丁度良い高さにし、シャフトが落ちてこないように支えつつ、その奥のもうひとつのシャフトも持ち上げて同じ作業を繰り返さなければならない。

言うだけならば途轍もなく簡単だが──そもそもシャフトの高さをどれくらいにすれば良いかは、微細な手ごたえのみが頼りである。
ここだと思ったときに、シャフトの周りの外枠を僅かに、ほんの僅かに回す。そうすればシリンダーと外枠の間に出来たずれに、シャフトが僅かに引っかかって降りてこなくなるのだ。

これを確かめることもまた難しい。上手く引っかかっていることを確認しようと針金で探る度、せっかく持ち上がっていたシャフトをつついてしまってまた落ちてくるという事をシードは馬鹿のように繰り返している。
これなら大丈夫だろうと確信を持って二つ目に取り掛かっても、二つ目のシャフトを持ち上げている間に一つ目が落ちてしまったりする。

「…………」

せめて針金が二つあれば、とも思うのだが、鍵穴はそこまで広くないし──今ここでしのげたとしても、複雑な鍵になればなるほどシャフトの数も増えていくのだからとても追いつかない。

「…………」

今度は一つ目のシャフトも上手く持ち上がらずに苦戦する。明らかに、集中力が低下して来ているのだ。
ぬるり、と汗で親指が滑る。
大体暑い。空気の篭ったこの部屋自体が暑く、酸素も薄い。

ずるりと指が滑って、針金がかちんと床に落ちた。

「…………」

シードは必死に、奇声を上げてドアノブ自体をぶち折りたい衝動を堪えていた。
絶対に、その方が、早いと思うのだが。

大体、この部屋、満足に寝そべれもしないこの部屋で──
生理現象を催したとき、シードは一体何処へ行けば良いのだ?





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『スキルを覚えよう!』 ~その5

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再び這い蹲って針金を捜索し──それから更に半刻後、シードは必死に己の欲求と戦っていた。
今すぐこのノブを破壊して外に飛び出したい。そして厠を探したい。

ふるふると震える指先でシャフトの位置を確かめつつ、シードは息を殺して作業を進めていた。体中じっとりと湿っているのに、喉の奥はからからに乾いている。

全神経を針金の先に集中させ、そ、とシャフトの尻から放す。
耳を澄ます──己の呼吸の音と心臓の音を擦り抜けて、シャフトが落ちるかすかな音は──していない?

一度針金を鍵穴から抜いてしまうと、辿って差し込み直す振動でシャフトが落ちてしまう。
シードは必死に呼吸を止めながら、爪の厚みの半分ほど先に針金を進めた。
腕の痙攣が大きくなっていることが一番の懸案事項だった──余計なところに触れさせてはいけない。奥に突き当たってもその接触が命取りだ。

けれど、リラックスをしようしようと思うほど、腕は力んでしまう。こり、と針金の先が横の壁を擦り、シードは危うく肩を揺らすところだった。

「…………」

ふうう、と深い溜息を、細く長く吐く。
空気の振動でもシャフトが落ちる気がして、シードはそうしている。

指を針金から離して一度汗を拭きたかったが、そんな危険は冒せない。
集中を切らさないようにして、内部を探る。

二本目のシャフトは、一本目のシャフトを落とさないように怯えながらの作業であるので、当然神経にかかる負担は重くなる。
しかもまだ、これくらいだろう、という高さの感覚も掴んでいない。

シードは必死に、目を瞑って針に糸を通すよりも難しい作業を続行した。
脳内麻薬でも分泌されているのか、最低な状況なのに妙に気分が昂ぶっている。

はっきり言って戦場でもここまでシードをて梃子摺らせた奴は居ない。シードの気分をここまで苛立たせるというのも記録的だ。
なんだ、この錠前の野郎、中々やるじゃないか。褒めてやるよ。いざ尋常に100回目の勝負だ、百回ってのは適当だけどまあそれくらいだろう、切りが良いんだからそろそろ諦めてくれたらキス位してやっても良い──というかこれ以上続ける気ならいっそ殺せ!

いつの間にか弛緩した笑みを浮べている事に気付かないまま、シードは針金を僅かに浮かせた。

「!」

く、と針金が僅かに軽くなったような──第二のシャフトが引っかかったような?
興奮と恐怖を覚えながら、シードはそろそろ、そろそろ、と針金を錠前内部の壁面に当てた。
深呼吸を二回。

これは、思い切り良くやるべきだ。

シードはぐ、と力を込めて、シリンダーを回した。
これで駄目ならシードは最終手段(扉を蹴破る)も辞さない。築いた(筈の)友情も破壊してやる。

「!!」

かちり。

シードは歓喜しながら──扉を開ける、という行為で涙ぐみそうになったのはこれが初めてだ──内開きの扉を開けた。
素晴らしい、全く素晴らしい。引っかかりのない仕組みは美しい。つまり鍵なんてものを開発した人間は呪われろということだ。

そしてシードは久しぶりに自由の世界へと飛び出した。
背に翼が生えたような心地。跳ねる勢いで脚を踏み出し、

がつん。

とても良い表情を浮かべていた顔が、何かとても固いものに衝突する。
脳裏に散る火花が、シードを祝福しているようには──勿論見えない。

「────~~!?」

じんわりとした痛みが脳天を抉るように貫き、数秒シードは踊った。
鼻を押さえつつ、状況を確認する。

「おー、良い音したな。鼻の頭折れてないか?」

壁の──扉を開けたら何故か出現していた壁の──向こう側から、男の声が聞こえてくる。

「おーら、言ったろ?盗賊たるもの、いついかなるときも警戒を解くな、ってな」
「…………」

ぼき、と、役目を終えた針金がシードの手の中で真っ二つに折れ、床に落ちて乾いた音を響かせた。

「おーいどした?気絶しちまったか?その壁は普通に横にずらせば開くぜ」

殴って良いのか。いや駄目だ。そんな自問自答をしながら、シードはぴくぴくと震えるこめかみをそのままに、壁に手を掛けた。
仕返しは良くない。愛と平和は重要だ。だからやるなら取り合えず厠の場所を聞いてからだ。

そう思いながら、涙目を取り繕いつつ──今更無駄なのはわかっているが足掻かせてくれ──シードは今度こそ、自由への一歩を踏み出した。
ああ、明るい世界、新鮮な空気!薄暗い廊下はまるで天国に見える!

がこん

「────」

踏み出した足が床に下りた途端、シードは今度は華麗に落とし穴に落っこちた。






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『スキルを覚えよう!』 ~その6

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疲労困憊して帰ってきたシードを、クルガンはいつもの無表情で迎えた。
そちらの首尾はどうだったのか一番に聞きたかったけれど、どうにも口が重い。明らかに、シードの精神力は尽き果てかけていた。

「…………」

死霊のような顔色のシードに流石に何か思うところがあったのか、クルガンはシードの分も料理を注文してくれた(それは単にメニューの上から順に五品、だった事はシードは気付いていたが)。

温い水を飲み干し(勿論これも有料だ)、シードは溜息を吐いた。
片肘を突いて頬を支えたまま、指で三角形を描いてステータスを表示する。スキル欄に『鍵開け』の文字が浮いてはいたが、その横のレベルは0。
曲がりなりにも──玩具といえるレベルだが──『鍵』を開けたことで、スキルを取得する基礎は出来たという事らしい。

ただ、この数字が1とか、あるいは奇跡が起きて2などに変化するなどと言う未来はシードには絶望的だとわかっている。
何せ、遺跡の鍵は最低でも三歯で、それは盗賊なら目を瞑って三秒で開けられるものらしいのだから。それこそ魔法だとシードは思っている。

シードの思考を読んだか、クルガンが口を開いた。

「……修練を続ければ何とかなるだろう」
「────」
「確かお前は、『無理』という言葉を口にするのが嫌いだったな?」

確かにそうだ。シードは渋々認めた──地道に努力するべきなのだろう。
シードは落ちていた肩を無理やり上げると、クルガンに視線を据えた。

「で、そっちはどうだったんだ」
「──」

クルガンは一瞬の沈黙を作ってから言った。

「俺には向いていない」

そんな事はわかっている、とシードは思った。適性でいうならクルガンは確実にマイナスの域だ。けれど、それを理由に途中で諦めていたのなら殴ろうとも思った。
大体、自分にだって向いていないのだ!

「……まず、アンタ何処行ったのよ」
「……サレの神殿だ」

サレ、とシードは繰り返してみた。ぱっとしないというか、クルガンにはあまり似合わない。
けれどその当人の視線は、『他の何に向いている』と雄弁に語っていたので、七大神を順に思い出し、適性を検討してみる。

(法と正義を支配する太陽神ロメガ……)

駄目だ、クルガンは正義を信じていない。シードはあっさりと選択肢を捨てた。

(安らぎと休息を与える月の双子姉妹神エス=レス……)

いや、どう頑張っても安らぎは醸し出せないだろう。納得してシードは先に進んだ。

(力と勇気を尊ぶ半獣神カジナル……)

確か卑怯者は入信不可だ。

(愛と結婚を祝福する女神ラッラ・フェ……)

検討する意味もなかったのでシードはそれを飛ばした。

(豊穣と安定をもたらす大地母神ナジェリイア……)

クルガンを現すには、豊穣という言葉より不毛という文字のほうが似合う。大体、軍人が安定を願うなんて良い冗談だ。

(商売と円環を司る老神サレ……)

向いているともいえないが、まあ、今までに比べれば否定する要素はない。

(自由と死を象徴する海神オロメガ……)

実はクルガンという男が全く自由でないことを知っているシードとしては、彼がこれを選ばないことも頷けた。己の欲望と衝動で動ける男なら、シードはこれほど苦労していない。

結局シードは納得して、頷いた。消去法ではあるが、クルガンは確かにサレ神殿に向かう以外なかっただろう。

「……それで?」
「入信はしなかったが──サレ神官としての能力審査は受けた」
「へえ、面白そうだな。それってどんなん?」
「まず……自己紹介か。問われたのは、今まで商売で幾ら稼いだか、貯金は幾らあるか、人をその気にさせるのは得意か──」

シードはぽかんと口を開けた。
ひたすらに俗っぽさしか感じられない自己紹介だが──

「……何それ?」

クルガンはシードの質問には答えず、そのまま説明を続けた。

「次に、贋金を見分ける試験を受けた。嘘を見破る能力に嘘を吐く能力、後は計算力、暗記力も試されたな」
「……アンタが行ったの本当に神殿……?」

おそらくそれはクルガンの方が答を知りたいだろうな、と思いながら、シードはそう訊いてしまっていた。




『スキルを覚えよう!』 ~その7

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「……で、何か役に立つスキルのひとつでも覚えて来たんだろうな?まさか、神殿まで行っておいて無駄足って事はないよな?」
「────」

表情は変わらないが、クルガンの気配が微妙に嫌がった。
それを楽しみつつ、シードは追及を続ける。最早憂さ晴らしに近いが、返答に窮するクルガンなど、見てみたいにも程があった。

「役に立つかと言われれば立つのだろうが……」
「やっぱり何か教わったんじゃねーか」

机に肘を突いて視線で促すシードに、けれどクルガンは乗って来ない。

「使う気はない」
「……んだよソレ」

クルガンは、非常に効率を重視する男である筈だ。それなのに、使い勝手の良いスキルを腐らせておくなど、意味がわからない。
シードの不満げな視線を軽く流して、クルガンは食事のメニューを手に取った。

追加注文でもするのかと思えば、開いたメニューをこちらに差し出してくる。
それを受け取って、けれど意図はわからない。シードは取り合えず、食い物で誤魔化されはしない決意だけ固めておいた。

「代金は幾らになる?」
「え……幾らって、ちょっと待てよ、1、3、2……」

シードは注文した料理の総額を計算し始めた。料理、飲み物、席代を含めて──

「──18G」
「そうか」

クルガンは頷くと、財布を取り出した。
長い指で硬貨をつまみ出す。5G硬貨を2枚に、1G硬貨を8枚。

「……それで?」
「これで足りるだろう?」

クルガンは硬貨をシードに握らせた。再び確認すれば、5G硬貨を2枚に、1G硬貨を8枚、確かに18Gになる。
けれどシードは顔を顰めた。

「ちょっと待てよ、アンタに奢られても誤魔化されないっつーか、つーか今は財布共同だろ!」
「、待て」

クルガンは財布をしまう前に、何か思いついたような顔をして、シードの手を取った。

「な、何だよ」
「1G硬貨がまだあった」

小銭は少ない方が良いというのだろう、クルガンは1G硬貨を5枚出すと、シードの手の中に落とした。そして代わりに、その中から5G硬貨を攫う。

同僚が人の話を聞かない事は常なので、シードはがくりと肩を落とした。クルガンがついと視線を逸らす。

「そんで、俺に支払い任せてアンタは逃げようってか?」

金を握りながら食事をする気はない。
シードは溜息を吐きながら、自分の財布を取り出した。そしてざらざらと無造作に硬貨を投げ込み──

かけたところで、二度目の制止がかかった。

「待て」
「は?」

訳がわからない。
投げ込まれようとした硬貨を押し留め、クルガンもやはり溜息を吐いた。

「──数えてみろ」

はた、とようやく思い当たり、シードは握っていた手を開いた。
ゆっくりと一枚一枚数えてみる。ちゃりん、ちゃりん、と硬貨を机に並べていく。

5G硬貨が1枚。1G硬貨が──11枚。

がく、とシードは首を落とした。
情けない。あまりに情けない。

「アンタね……」
「……スキルを教えろと言ったのはお前だろうが」
「何を覚えて来てんだよ、馬鹿」

ばつが悪いには違いないのだろう、クルガンは自分の手から1G硬貨を2枚取り出した。

「────」

右手の上でその2枚の硬貨が跳ねたと思うと、あっと言う間に消えた。と思えばいつの間にか机の上にあって、その上をクルガンの手が撫でればまた机の上から消え、開いたクルガンの手のひらにもない。もう一度開けばそこに1枚だけあった。

「どこやったんだよ」
「──こちらだ」

クルガンが左手を開く。

シードは黙ってクルガンの両手から硬貨を回収した。
これ以上詐欺師スキルを鍛えてどうしようと言うのか。

確かに──役には立つが使えない。

「『ダンシング・コイン(踊る硬貨)』は、サレ神官の必須技能だそうだ」
「そーだな、アンタに適性があるのは認めるよ……」

4枚の硬貨を5枚に見せるくらいは朝飯前。
10枚の硬貨を5枚に見せるのも昼飯前。
口も上手いし逃げ足も早い。面の皮も厚い。

天職、というのはやはり存在するんだな、と、シードはやや乾いた気持ちで考えた。





『スキルを覚えよう!』 ちょっとだけクリア!

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