『ピクニックに行こう!』 その1

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一巡、殆ど何にも金を使わず貯蓄に励んでいたために、二人の総所持金は700G程になっていた。

それだけ有ればまあ、探検に際して多少の準備は出来る。二人のノリとしては、探検というよりはハイキング程度のものなのだが。

その日の午前中、二人が購入したのは以下のものである。
まず、採集した素材を運ぶための大きなリュックサックがひとつ。
破損しやすい物、細かな物を選り分けて保存するための小物入れがひとつ。
厚めの長袖服をふたつ。
皮手袋をふたつ。
タオル、包帯代わりになる布を一尺ほど。
大きめの水筒をひとつ。
火に掛けられる大きめのマグカップをふたつ。
塩を少し。
そして、カンテラをふたつとその燃料油。

シードのバイトが非常に役だったことが知れたのはその時で、店を効率良く回って比較的安価にものを購入できた。
ついでに言えばシードは買い物の途中、小さなハンカチと、質は悪いが蝋燭を二本、ただで手に入れている。
出来るなら小ぶりでも刃物、鋏の類が欲しい所だったが、流石に高過ぎる為諦めた。

以上を揃えた時点で二人の所持金は再びゼロに近くなったが、二人は金自体を惜しむ性質ではない。全て必要なものである。

長袖服と皮手袋を着用する。
少しの金を払って水筒を清浄な井戸水で一杯にし、それをシードの腰に括り付ける。
リュックサックに小物入れとマグカップ、布、塩、カンテラと燃料、それに持っていた火打石と毛布その他を詰めて、シードに背負わせる。
食べ物は現地調達である。

「……良し」
「良しじゃねえ」

シードは目を細めてとうとう突っ込んだ。

「何でアンタは持たねぇんだよ……!」
「荷が一つしかないし、力はお前の方があるだろう」
「この水筒は!?」
「森の中ではぐれた時に、自力で水を調達できないのはどちらかと言えばお前だな」
「うわあ……一応筋は通ってるけど本心が違う所にあるのが見え過ぎて全然納得出来ねぇ……」

溜息を吐いたが、シードは大人しくリュックサックを背負いなおした。

シードは勿論、これくらいの重量など全く苦にならないので、荷物を持つこと自体に本来依存は無い。だが──現在本心を言えば、このリュックサックはあまり担ぎたくなかった。

ピンクとベージュの中間色、活用できない無駄なポケットがごちゃごちゃと付き、何やら動物の刺繍がしてあるのは、ぎりぎり──許容範囲内と解釈できるかもしれない。
だが、リュックの上部を塞ぐ蓋部分がウサギの頭を模しており、そこから長い耳が二つ垂れているとなれば、それは大人の男が持ってはアウトな類だろう。
財政上の理由で他に選択肢が無かった為、仕方が無いことなのだが。

「まあ……良いけどさ」

多分、というよりは明らかに、クルガンよりはきっと、自分の方がまだ似合う。
そう己を慰めて、シードは足を進めた。
買ったときは耳を切ってしまえばいいと思ったのだが、意外に愛嬌のある顔をみているとそれもためらわれてきてしまうのだ。

「んじゃ、行きますか」

買い物をしてもまだ昼前だ、探索の時間は充分にある。

まず最初の目的地は、ブラッデンブルーの二十一の橋の内、最大のひとつ──『コーラルブリッジ』だ。
初心者が、あるいは基本に立ち返った中級者が利用する、攻略難易度最低レベルのエリアに通じる橋である。冒険者内での通称は、『ピンキー』。

そこまで考えて、シードはふと気付き振り返った。

「……っつーか微妙に距離取るんじゃねーよ!」
「気のせいだ。うがった見方をするな」




.『ピクニックに行こう!』 その2

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『ピンキー』は、名前の通りにピンク色をしているわけではない。
街を構成するレンガの色に似た、白っぽい石造りの橋である。幅は、大の大人が五、六人腕を広げた程度。長さはもっとある。何せ、リリス川の河口を横断しているのだから。

建造物としては、なかなか大したものだ。

橋に足を乗せた途端、シードの右斜め上にプレートが出現した。『コーラル・ブリッジ』。
それを眺めて、シードはクルガンに尋ねた。

「……そういやこの橋ってさ、通行料とか取られんの?」
「資格も何も、必要ないと聞いている。だが目的のない者は使わない橋だろうな──この先にはあの砦しかない」

その通り、橋の規模に比べて通行量は少ないようだった。
というより、現在二人以外に橋上に人影はない。

さくさくと足を踏み出しながら、シードはようやく「一緒に行動している」ように見える距離まで近寄ってきた同僚を見遣った。

冷静、慎重、知的と言った単語で構成されたような顔をしているこの男には、モットーとしている言葉のうちに外見に似合わないものが多々ある。先手必勝だとか、一撃必殺だとか。

その一つが──『臨機応変』だ。

まさかこの顔で、これからの道行きを殆ど何も決定してないなんて事は想像つかないよな、とシードは思った。

それは勿論、クルガンに(そしてシードに)計画性がない為にそうなったのではない。絶対的な情報不足が原因である。

『カーディナル・ホールド』の中がどうなっており、何処に何があるか──それらの情報は全て、誰かが危険と引き換えにして得た貴重なものだ。
だから勿論、物語の中のように──例えばその辺りの通行人が、こうこうこういけばこうなっていてここでこうすると良いですよ、などと手取り足取り教えてくれるわけはない。

つまり、情報を手に入れるには人脈もしくは単純に金が必要不可欠なのである。

余談であるが、冒険者ギルドではそう言った情報の交換、あるいは売買を主要な業務のひとつに数えている。クルガンとシードの目的は高価な素材の採集だが、当然その入手方法の知識は見合って高額である。

という訳で、基礎的な準備すら実は出来ていないわけだが──食料すら現地調達である──「まあ何とかなるだろう」というのがシードの(そしてあるいはクルガンの)感想だった。
それは、例えばハイキングにだとて多少の危険はあるだろうが──あくまで多少ではないだろうか?

採集の目的物については、それなりに知識をクルガンが暗記しているらしいので、不安はない。
勿論クルガンが知らず高価な素材を見過ごすこともあるのだろうが、それを言い出せば切りがない。そもそもクルガンとシードはこの世界の人間ではなく、基礎知識がゼロに等しいのだから、それを考えればよくやっている方だろう。

取り合えずの目標金額を5000G程と定め、クルガンとシードは『カーディナル・ホールド』に足を踏み入れようとしている。

橋の真中、一番盛り上がっている部分を越えると、橋の先に何があるかが見えてきた。
街の北側部分、川向こうにまず見えるのは高い壁である──シードの身長の3倍はあるそれは、北ブロックをぐるりと囲み、『カーディナル・ホールド』の内部を覆い隠している。砦の上層部分や、高い木の先端などは見えているが、中に入ってみなければ実際の所は判然としない。
勿論、例えば『カルマの壁』に登って見下ろすなどすれば、砦と森の位置関係くらいはわかるのだが、逆に言えばそこまでしてもそれくらいしかわからない。

ピンキーの終点には──そして恐らく他の全ての橋でもそうなのだろうが──鉄の門が設置されていた。
門といってもアーチ型に壁が切り取られているだけで、扉のようなものは一切ない。

その向こうには、舗装された道が見えていた。街と同じ、白茶けたレンガ造りだ。

『カーディナル・ホールド』内部にはモンスターが出現すると聞いている。
ただ、そのモンスターは全て、北ブロックの外には絶対に出てこないらしい。それは、コップの中の水が水平になるのと同じ位の常識で、つまりこの門を境にして危険と安全が区別されているわけだ。

コーラル・ブリッジから続く、コーラル・ゲート。
ここをくぐって初めて──つまり、冒険者としての第1歩を踏み出すことになるのかもしれない。

彼らの意識としては少し面倒臭い散歩の第1歩目、であるのだけれども。
ウサギのリュックサックの耳を揺らしながら、シードは特に感慨無く門を通り抜けた。




.『ピクニックに行こう!』 その3

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アーチを潜った先、すぐ真正面に、巨大な建造物がそびえていた。
勿論これが、『カーディナル・ホールド』の本体部分である。鋼鉄のような色をした、巨大な砦。
視界一杯にのさばってなお足りない規模であるため、全容を把握するのは不可能だろう。

クルガンとシードの目的は、回り込んで少々脇に逸れた森ではあるのだが──『真紅の砦』自体にも勿論興味はある。
シードはすぐ五十歩ほど向こうに見える砦の、おそらく正面入り口であろう扉を眺めた。
重々しいそれは、どうやら脇についたハンドルを回す事で操作するのだろう。滑車を巻き上げ、扉を上下にスライドさせる方式だ。
しかしどう見ても、大の大人が五人以上で掛からなければハンドル操作は困難である。少人数パーティーはどうすればいいのか──

シードの疑問を引き取るように、クルガンが答えた。

「橋が複数あるのだから、入り口も複数あるのだろう。初心者は数を揃えてあの扉から入るのが妥当と、そういう事だな」

ふぅん、と納得しながら、シードは少し近付いてその扉をしげしげと眺めた。
彩色されていないので一見わからないが、巨大な扉一面を使って何かが浮き彫りにされている。

「これ……何だっけ、あの動物」
「半獣神カジナル、だ。守護は第三曜日の赤。お前もしかして、まだ覚えていないのか」
「一巡り七日って事は覚えてる。つかアンタは余計な事まで覚え過ぎだろ……」

シードはがしがしと己の後頭部を掻いた。

アルファータ創造神の他にも、この世界には神々が信仰されている。
その筆頭が、七大神──これは創造神が直接作り出した神々であり、大きな役割を担っている。一巡りにはこれらの神がそれぞれ守護する日が定められている。一巡りの第三番目の日を象徴するのが、半獣神カジナルだ。

勿論、クルガンのジョブは『神官』であるので、本来ならば大抵はこの七大神のうちの一つを信仰し、役割にあった作業をするべきなのだが──本人はそんな常識は何処吹く風だ。

シードが考え考え思い出した、七大神の構成は以下の通りである。


法と正義を支配する太陽神ロメガ

安らぎと休息を与える月の双子姉妹神エス=レス

力と勇気を尊ぶ半獣神カジナル

愛と結婚を祝福する女神ラッラ・フェ

豊饒と安定をもたらす大地母神ナジェリイア

商売と円環を司る老神サレ

自由と死を象徴する海神オロメガ


曜日は神の名で呼ばれるのが一般的だ。ロメガの日といえばそれは第一曜日であり、オロメガの日と言えば第七曜日。ちなみに休息日は第二曜日と決まっている。
この世界の住人は九割以上、七大神のいずれかを信仰している。役人にはロメガの信者が多いし、商人は大事な取引の前には勿論サレの神官を呼んで祝福を授けてもらう。思春期の少女は流行病のようにラッラ・フェ信者になる。戦士はやはりカジナルを好むし、農村ではナジェリイアがアルファータ創造神と同じ扱いを受ける。

「────」

クルガンは巨大な神の似姿を見上げた。

「カジナルの司る領域──つまり、力と勇気か」
「まあ、砦っつーんだから妥当だな」

はたから見れば呑気な様子で、クルガンとシードは砦を見物していたが、いつまでもこうしていても仕方がない。
本来の目的を思い出し、砦の壁面に沿って東に迂回する事にした。

舗装された道を外れれば、そこはもう膝丈以上の草が生い茂る野原である。
ぱらぱらとまばらに花が咲き、すぐ近くに森も見えている。

「しかし何でこう、いちいち区切るんだろうな……」

シードはぼんやりと一人ごちた。
この世界には、あいまいな部分がない。街は街、砦は砦、川は川。そして森は森として、領域を守ってそこからはみ出すことはないのだ。

「……表示の問題だろう」

クルガンはそう答えると、考え込むように言った。

「この世界に合わせて位置表示のシステムが出来たと言うより、システムに合わせて世界が構築されたような感を覚える」
「そんなん、どっちが先でも今は一緒だろ」

シードはあっさりとそう片付けた。

がさがさと草を掻き分け、歩く。
クルガンはどうやっているのかは知らないが、シードと同じ道を歩いている癖に殆ど音を立てない。風が草原を渡っていく時に立てる葉鳴りと全く同化している。
その分の騒音をシードが引き受けているのではないかとも思える。

「んで、森は結局どうやって攻略すんの?」
「東に歩く。目的を達成したら、西に歩く」
「……そりゃまた単純明快で、結構だな」

シードは鬱蒼として黒々と見える森を見据えてそう言った。




. 『ピクニックに行こう!』 その4

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「……俺もうどっちが西とか東とかわかんなくなってんだけど……」
「俺が歩いている方向が東だ」
「どっから出て来んのかねその自信……」

シードのぼやきを無視し、クルガンは歩を進めた。

この森は険しくもなく、やや鬱蒼としてはいるが視界の確保には困らないほどの日差しもあるのでカンテラを点ける必要はない。クルガンには全く何の障害にもならない地だ。
平地用の靴でも固い木の根の上を選んで歩けば泥に困る事はない。シードについては知ったことではないが。

方角は──例えいきなり見知らぬ場所に放り出されたとしても、植物の様子で何となくわかるだろう自信がクルガンにはあった。
そしてそもそもクルガンは方向感覚が発達している為、迷子になる危険は全く考えていない。
先ほど東といったのは実は嘘で、進み易いルートを採っている為に正しくはやや東北東に近い。勿論寄り道や回り道を繰り返していれば精度も落ちてくるだろうが、今のところ全く問題はない。

「なあクルガン」
「……」
「何か、妙な匂いしねぇ?」
「……妙?」

クルガンは足を止めて聞き返した。
視覚聴覚嗅覚に関して、クルガンはシードに『動物並』という称号を与えている。
その彼が妙だと言うのであれば、確かに何か妙な匂いがするのだろう。

「イヤ、ガスとかそういう臭いじゃねえな……花程甘ったるくもない。何というか、林檎と薄荷と火薬と塩を混ぜたような匂い?」
「刺激臭なのか」
「うーん、そこまで尖った感じはしない。つーか結構良い匂いだと思うけど」
「香草の類なら、確認するべきだが……」

クルガンはこの森に分布する植物(主に売り飛ばすと高値がつく珍種)について多少の知識は得ている。
しかし大部分は挿絵すらない文章での記述によるものであるから、見て確認しない事にはどうしようもない。大体クルガンは『林檎と薄荷と火薬と塩を混ぜたような匂い』すら想像出来なかった。

匂いを発しているのが植物ですらない可能性はあるが──毒ガスの類でなければどうにでもなる。シードが危険を感じないというのなら、取り合えず近寄ってみる位はしても構わない。勿論、彼を先に立たせて。

表情を変えずに外道な事を考えながら、クルガンはシードの言葉にしたがって進行方向を変えた。南東。

少々進むと、クルガンもその匂いを感じ取れるようになった。
彼が表現すると、これは『林檎と薄荷と火薬と塩』ではなく──『清涼感を伴う弱刺激臭』等といった、間違っては居ないが全く分類の役に立たないものになってしまうのだが、経験上予測するなら、南国系の植物の表皮の匂いだと思われた。
勿論、シードが特別に反応するくらいには珍しい匂いではある。

「……コレか」

がさがさと茂みを掻き分けたシードが立ち止まる。

そこには人一人がすっぽりと落ちてしまうくらいの亀裂が走っていた。
その中、大体シードの身長の二倍程の深さに張り出した岩の上にだけ、角度の問題か僅かに日光が当たっている。

「コケ?」
「……おそらく」

クルガンにはシード相手に、隠花植物、菌類と地衣類の違いについて講釈を始めるつもりはなかったので、取り合えず同意しておいた。
苔で通じるなら苔で良いのだ。

だがクルガンの思い浮かべる苔は並べて緑あるいは茶色、珍しくても青色赤色黄色というのが普通であり、記憶保管庫で苔植物→蘚類項目を順に選択しても一向に『薄ピンクの発光体』というものは出てこない。
クルガンは最近覚えた知識の中から該当物を発見しようと試みた。

確か……光る黴、という記述があった気がする。特徴は「光る、良い香りがする、他の植物と混じらず単独で発育する」──だったか。当て嵌まらなくはない。

「採んの?」
「断言は出来ないが──老化防止成分が含まれ、薬剤師ギルド等に需要がある植物だ。『エタピリト』と言ったか」

ふうん、と言いながら、シードは亀裂の強度を確かめると、リュックサックを降ろすと小物入れを取り出し口にくわえ、手足を使って両側の壁を押しながらひょいひょいと下っていった。

その間にクルガンはエタピリトの情報を大体思い出していた。
エタピリトが何故単独で発育するかと言えば、植物だけに通じる僅かな毒性を含むからであり──これは問題ない。そもそもシードは手袋をしている。
胞子を飛ばすような形状もしていない。

亀裂の底まで光は届かないが、シードの作業場所くらいまでなら充分視認出来た。
勿論、シードがこれくらいのことで足を滑らすとは思っていないが──

しかしクルガンは、今まさにエタピリトに触れようとしたシードに向かって制止の声を掛けた。

「待て」




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『ピクニックに行こう!』 その5

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「……?」

小物入れを口に咥えたままだったシードは、視線だけをクルガンに投げ上げてから手を引っ込めた。

クルガンは屈み込み、シードが足を掛けている壁面を凝視する。
露出している岩に付着した細かい汚れが、何か硬いもので削られた跡があった。新しくはないが、足跡だと思われる。勿論シードが今つけた物ではない。
その足跡はクルガンの見る限り、往復しては居なかった。下りの分しかない。クルガンが不信に思ったのはそれである。
以前、エタピリトの前まで降りた者がいたとして──その後彼は?ピンク色の発光体は採集された跡もなく、残っているのに。

勿論、不運にも足を滑らせただけである可能性もある。
だが、身体能力に自信のない者が、安全策も採らずにこの亀裂を降りるだろうか?

「……一度戻って来い」

シードは足を離して壁に突きなおし、次は手を離して壁に突きなおししながら、瞬く間に登って来た。
地面の上に戻ると、咥えていた小物入れを右手に持ち直す。

「何かあんのか?」
「あるかも知れない」

クルガンとシードはこの世界には不慣れだ。用心はしてもし過ぎることはないだろう。
クルガンは辺りを見回すと、細長い枯れた木の枝を見つけて拾い上げた。シードに渡す。

「……?」

疑問の視線には答えないまま、今度はクルガンは手近の木にするすると登ると、枝に絡み付いていた太い蔓科の植物を採取した。
束ねてニ三度引っ張ってみる。──強度に難があるか。使えない。ロープを買ってくるべきだった。

潔く諦めると、クルガンは木から飛び降りた。
もう一度亀裂の中を確認してから辺りを見回し──成人男性の腕より一回り大きいくらいの太さの幹に目をつける。

「シード」
「何?」
「あれを抜いて来てくれ」
「あれって……あの木?つかアンタ何がしたいんだよ……」

ぶつぶつと呟きながら、シードは大人しく指示された目標に向かった。ニ三度揺さぶると、木の根元を軽く蹴ってからクルガンを振り返る。

「折るんでも良いか」
「ああ」

シードは先程のクルガンと同様に辺りを見回すと、もさもさ程の大きさの──しかしおそらく大人二人分くらいの重さはある──半ば地面に埋もれた岩に近寄りそれを持ち上げた。
木の根元に岩を据え、息を溜めると気合を込めて蹴りつける。がつん、と鈍い音がして、岩の角が木の幹に僅かにめり込み、岩の尻は地面に潜り込んだ。
シードは今度は木の裏側に回り込み、逆側から蹴りつけた。一度で木は斜めになり、二度目で完全に折れた。

「剣がありゃこんな面倒な事しなくて済むのによ……」

シードは木の幹を掴むと、ずるずると引き摺ってクルガンの元に戻って来た。

「んで、コレ何に使うんだ?」
「安全確保だ」

クルガンは亀裂の中の、エタピリトが生えている張り出した岩棚を指差した。

「この木の端をあの岩棚に置いて、逆を俺がここで動かないように支えている。それならお前は、これに跨って作業をするだけで良い」
「うーん……そりゃ壁から手は離せるし作業もやり易くなるけど、俺は何か逆に不安だわ。……そんな慎重になる必要あんのか?」

シードの心情はわかる。
身体能力に自信のあるものからして見れば、他人や道具に頼るよりも自分の力で自身を支えている方が安心なのだ。

「俺の杞憂ならそれで良い。おそらく、見知らぬ異様なものに触れる事に対して神経が過敏になっているだけだろう。だが──」
「だが?」
「例えばあの苔が、触れた途端に奇声を発し、その声を聴いた者全てを呪い殺す植物だったらどうする」
「……あれがそういうマンドラゴラ的トラップだったら、どっちにしろ俺死ぬよな?」
「例え話だ。だが、俺の常識では極彩色は警戒色だ。触れたらいきなり動物化して毒針を吹き出してくるという可能性も、皆無という訳ではない」
「……アンタって本当は頭悪いんじゃねえかと俺はたまに思う」




. 『ピクニックに行こう!』 その6

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結局クルガンの意見を容れ、シードは即席の木材に腰掛けて作業をする事になった。
先に渡された細い木の枝で、離れた地点からピンク色に発光した苔をつついてみる。異変はなし。

「……コレって遠慮なく毟っちゃって良いんだよな?」

岩棚に近寄り左手を突き、右手で苔に触れる。特に異変はなし。
シードは苔をわし掴むと思い切り良く引き抜いた。

やはり異変は──

「───!?」

ずし、と、右手がいきなり重くなった。
いや右手だけではない。体全体が重い。
重いものを持っているという感覚ではなく──例えて言うなら、体そのものが金属に変わったような重さ。

バランスを崩し、シードは左手で木を掴もうとした。だが遅い。腕の動き自体が遅い。
ぐらりと右に体が傾いている。これは銅像が倒れるのと同じだ。体重移動が出来ない。
その瞬間の自分の判断は素晴らしかった、とシードは後で思った。

シードは左手に拘泥せず、右手を開くことに力を傾けた。同時に太ももに力を入れて木を挟む。
ざりざりざり、と音がして、シードは幹に跨ったまま上下に180度回転した。ピンク色の発光体がシードの手から離れ、亀裂の底に落下していく。
ぶらん、と蝙蝠のようにぶら下がったまま、シードはそれを見送った。同時、重さが消えている事に気付く。

「……び、びびった……」

おそらくシードの寿命は二秒ほどは縮んだと思うのだが、それに対する同僚の感想は冷たかった。

「何をしているんだ?」
「……見ての通り、遊んでんだよ……!」

シードはぶら下がった体勢から腹筋を使って木の幹にしがみつくと、今度は足を離した。岩壁に両足を開いて突いて、体重を支える。
両手も壁にかけ、一呼吸。それからシードはさっさと崖を登った。亀裂のふちに腰掛けると、額の汗を拭う。

「ええと……」

疑問の視線に答えるべく、シードは出来る限り正確に事態を説明した。
だが、クルガンの反応は芳しくなかった。

「だから、重くなったんだって!」
「お前の体が、お前が重いと感じるような重量に突然変化したのなら、この程度の木は瞬時に折れている。だが現実には、たわみもしなかった」
「嘘なんかついてどうすんだよ」
「嘘とは言っていない。錯覚しただけだろう、と言っているんだ」
「どう違うんだよ。いっとくけどアレだぞ、錯覚だとしても根性でどうにかなるようなモンじゃねえぞ」
「わかっていればどうという事はない。実際、動けない程ではなかったのだろう?」
「まあ、事前に覚悟があれば……何とか」
「少し見てくる」

クルガンは枝を手に取ると、先程のシードと同じように渡された木を使って岩棚の前まで降りた。
触りはせずに、何やらごそごそとやっている。見れば、枝を使って苔をこそぎとっているようだ。そして、現れた岩を観察している。

それからクルガンは、苔は採らずに地上に帰ってきた。

「どうだった?」
「やはり重くなった」

シードの位置からは良くわからなかったが、どうやら一度触れてはみたらしい。諦めるしかないかな、とシードは思ったが、クルガンの台詞はまだ終わっていなかった。

「エタピリトの下の岩に、文字が刻んであった」
「文字?」
「注意書きだ」

明らかに不自然な単語を聞いたシードが反応を返す前に、クルガンはその『注意書き』を再現して見せた。

「──『このアイテムには『鉄人形の呪』が掛かっています。取得の際はご注意下さい』」
「…………は?」

シードは間抜けな声しか上げられなかった。
三秒後、猛然と早送りで動き出す。

「ちょっと待てちょっと待てちょっと待て!」
「何を待つんだ」

最もな疑問には答えず、シードは叫んだ。

「おかしいだろソレ!苔に呪いってのもおかしいけど、そうじゃなくて、何でそんな事になるんだよ?苔の下に書いてあったって事は、誰かがたまたま気付いて、後から注意を促したんじゃねぇって事だろ。──つーかだったら普通そんな危険なモンは除去してる!つまりアレは、誰かがそんな文字を刻んで、誰かがわざわざ苔を──」

クルガンがその先を引き取る。

「──そうだな。まるで、『誰かが用意した』としか思えん」
「誰かって、誰だよ……物凄い根性悪か?」
「知るか」

クルガンはしばらく置いてから、思いなおしたように口を開いた。

「……だが、この世界は──この世界そのものが、俺には『誰かに用意された』ように思える」




.『ピクニックに行こう!』 その7

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「それは──」
「区画された森に区画された草原、極めつけはこの砦だ。『カーディナル・ホールド』はあの街の住人が作ったものではない。『世界の謎』は──世界の初めからあったというのが常識なんだ。その成り立ちを誰も知らないし、疑問にも思わない。『ブラッデン・ブルー』も同じだ。あの街を誰がいつ作ったか、あるいは元からあった街に今の住民達がいつ移り住んできたのか、誰一人答えられなくとも俺は驚かない」
「……えーと、ちょっと待て、それって凄く──」

凄く、の後がシードには続けられなかった。
迷った挙句、無難な言葉を選ぶ。

「凄く、変じゃねえ?」
「異世界だからな」
「だからそれで片付けるな!」

地団駄を踏んで頭を掻き毟ったシードに、クルガンは冷静な目を向けた。

「何が悪い?……この世界が全て『用意されたもの』だったとしても、すべき事は変わらん」

仮定を積み上げて、動揺しても意味はないのか。
確かにそうかも知れない、と、シードは口を閉じた。問題があったならそれを処理する、そんな単純さで良いのかも知れない。そう、大抵の事なら──二人で、切り抜けられる自信はある。あるいはどんな事でも。

「生産性のない事を考えてどうする。生憎、俺には潰す程の暇はない」
「クルガン──」

クルガンは亀裂の底を示すと、厳かにのたまった。

「まずは、エタピリトの回収法が先決だろう」
「ああホント、アンタは地に足着いてるよ……」

良くそんなみみっちい事を格好良く言える、とシードは思ったが、口に出すのは止めにした。代わりに肩を落とす。

「でもかなり危険だぜ?別にこれにこだわる必要は──」
「シード」
「な、何だよ?」

クルガンはリュックサックの中から布を取り出すと、明瞭な口調で言った。

「あれは高く売れる」
「────」

そうか、とシードは納得した。一瞬後、そうしてしまった自分に例えようもない虚脱感を覚えた。
同僚の詐欺師としての適格に何度目か思いを巡らせるが、空しくなって来たので止めにする。

「でも、あの重さはちょっと厄介だぜ。物を投げるような機敏な動きは出来ねぇし、崖を登るのもかなり難しいと思う」
「方法はある。──要は、エタピリトを『取得』しなければ良いだけの話だ」
「は?」

クルガンは地面から枝を拾い上げると、説明を始めた。

「これでエタピリトに触れても、こちらには何の影響もなかった」
「ああ」
「だが、掴み上げると呪いが掛かった。手袋をしていたにも関らず」
「ああ」
「俺も幾通りか試してみたが──触れる分には全く問題はない。押す、潰す、生えているものを引っぱる、と言った動作でも同じだ。ただ、摘む、掌に載せる、持ち上げる、木の枝で掬い上げる、は不可」

シードは聞かされた情報を噛み砕いた。

「……つまり、『持つ』ってのが駄目なのか?」
「おそらくな」

クルガンは布を広げると、長方形に折り畳んだ。

「これを、岩棚に掛けた木に、ゆとりを持った輪になるようにして結びつける」
「うん」
「その上に、エタピリトを掃き入れる。可能だろう、誰もエタピリトを『持って』いない」
「木が重くなるんじゃねーの?つーか布が破れたり結び目が解けたりは、」
「ない。先程も言ったが、実際に重くなる訳ではない」

そう言いながら、クルガンはさっさと亀裂を下って行った。
布を軽く木に結びつけ、小型のハンモックとでも言うべき状態にする。枝の葉のついた部分を箒に使い、こそぎ取った苔を手際よく移動させている。ピンク色だった発光体は、今は水色に見えた。どうやら地面から剥がされた時点で色を変えるらしい。

作業を終えると、クルガンは手ぶらで地上に戻って来た。

「それで?」
「後はお前がこの木をゆっくりと持ち上げて、引き寄せるだけだ」
「それって……持つ、に入らねぇか?」
「半々だな」
「うーん……」

シードは恐る恐る木に手をかけた。まずは、斜めになった木の持ち上がっている部分に下向きの力をかけ、水平にしなければならない。

「どっかに引っ掛けてあるんだよな?ちょっと位揺らしても平気か……ぅわっ!」




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『ピクニックに行こう!』 その8

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ゆっくりと力を込める筈だったのだが、作業を始めた瞬間に全身が鉛のように重くなり、シードはバランスを崩して地面にしりもちをついた。どうやらこの動作はアウトだったらしい。
だが、根性で木は離していない。大分荒っぽい動きだったが、布包みも落下していないようだ。

そして、今はもう重さはすっかり幻のように消えている。シードは目をぱちぱちと瞬かせた。

苔を吊るした木を持ち上げる、は駄目でも、支える、は大丈夫らしい。木を『持っている』訳ではないからだろうか。

「わっかんねぇ基準……」

ぼやきながらシードはずりずりと地面を擦って木を水平移動させた。これも全く問題がない。幹の大部分を地表に移動させ、シードは手を離した。
苔は手の届くところにぶら下がっている。

「んで、次はどうすんの?」

見上げたシードを見ないまま、クルガンはあっさりと答えた。

「持ち上げて、荷袋に入れる。後は担ぐだけだな」

そうかそれだけか、とシードは危うく頷いてしまうところだった。

「は?」
「街まで運ぶには、どうしたって持たなければ仕方あるまい。蹴るなり押すなりして移動させるのは不可能だ」
「は?」
「大丈夫だ、お前なら歩ける」

そんな保障は、ちっとも嬉しくない。
口をぱくぱくとさせて、有り過ぎる文句のどれを使おうかシードが考えているうちに、クルガンは真面目に言った。

「──それは高く売れる」
「理由になってねーよ!」





なっていないのに、押し切られてしまうのは何故なのか。
重さが精神的な作用であるのなら、体力の違いはこの際全く関係ない──そんな道理をシードが思いついたのは、大分後の事だった。

結果から言うと、シードが牛歩の歩みで脂汗を垂らしている間に、クルガンはゆっくりと周囲の観察をしながら歩き、滋養の成分がある木の皮や薬草や毒茸を採取する事が出来た。触手を備えた猿のようなモンスターが一度襲い掛かってきたが、リュックサックを放り捨てたシードの格好の八つ当たり相手になった。何しろ、素手の人間にひょいと掴まれて振り回された挙句地面に叩きつけられたのは、猿にしては相当の屈辱だろう。

シードが死ぬ思いで運んだ苔は相当貴重なものだったらしく、薬剤師ギルドで高値がついた。
『鉄人形の呪』を解く手間が掛かる分、相場の四分の一程度に買い叩かれはしたが──それでも当初の目標金額には充分である。







『ピクニックに行こう!』:クリア!