『お金を稼ごう!』 その1

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『商業都市 ブラッデンブルー』

クルガンとシードが通り抜けた、川沿いの──つまり、半円状の街にとっては正面の位置にある大門は、『東口』というらしい。
日の沈む海は西。
つまり、街はリリス川の河口を挟んで南北に分かれていたが、驚いた事に人が暮らしているのは南の部分だけらしい。

わざわざ高い壁で囲んでおいて、半分は放ったらかしと、勿論そういう訳ではない。
川には幾本も橋が架かり(数えてみれば大小合わせて総数は二十一)、行き来が出来るようにはなっている。

街の北側には何があるのか?

二人は、東口を通り抜けた真正面の広場、立っていた市街地図案内板を前に、唖然としていた。
北側部分の表示が正しいとすれば、それはクルガンとシードの常識の範囲外の状況である。

出来る限り忠実に表記すると、そこにはこう書かれていた。



『カーディナル・ホールド(深紅の砦)』


『世界の謎』第三十三番認定
分類:砦+地下迷宮
現在の開発段階:地上第二層クリア、地下第四層踏破と仮定(真偽調査中)



「……何コレ」

シードの呟きに、クルガンは答えない。
彼の心中も、シードと全く同じだ。街の半分を費やしてこのような物をのさばらせておく事に、何の意味がある?
仮にも商業都市にこんな非生産的な建築物が存在する理由が全くわからない。

しかしクルガンはシードより早く我に返った。
というよりは、疑問を完璧に棚上げする事にした。現在なすべきは、街の構造についての考察ではない。

クルガンは地図の南半分に目を移すと、『職業斡旋所』、あるいは『職業紹介所』、もしくは『職業案内所』、『職業安定所』、『労働組合』──とにかく、何か仕事を貰える場所を探し始めた。出来るなら今日中に、少量でも良いから金を稼ぐ必要がある。
彼の選択肢に『神官として働く』はない為、『神殿』の表示は無視した(図書館には興味を惹かれたが理性を持って視線を引き剥がした)。

しばらくの後、クルガンは案内板の隅々まで検索を終えたが、目的の物は発見出来なかった。庁舎には可能性があるが──

「シード、その辺の誰にでも良いから、日雇い労働者を募集している所はないか聞いて来い」
「平然と人を使い走るなよ……」

そうは言ったが、シードのフットワークは軽かった。そういった事が苦になる性質ではない。
広場の片隅で露店を開いていた男に声をかけると、話し、笑い、ついでに土産に拙いお守りまで貰って帰って来た。

「ギルドに行けってさ。雑用なら、冒険者ギルドで扱ってるって」

クルガンは案内板を見上げた。
まず真っ先に見付かったのは、『商人ギルド』である。流石商業都市というだけあり、南区画のど真ん中に官舎よりも大きく場所を取っている。
次に目立ったのは『職人ギルド』。他にも雑多にギルドは存在したが、『冒険者ギルド』は──川沿いの通りにあった。位置的には貧民層に近い。

察するに、ギルドとは組合といった意味だろう。
シードのジョブが『冒険者』にカテゴリされることは、東口を通るときの検閲で知った。となると、この『冒険者ギルド』はかなり重要な場所になるに違いない。

クルガンは道順を暗記すると歩き出した。シードも続く。
シードの方が歩くペースは上だが、彼はいちいち周りに興味を示して千鳥足なので、結果的に速度は同じ位になる。
左右の商店、飲食店を見渡して、シードは溜息を吐いた。

「最低限の金は稼がないとなぁ……」
「ああ」

その呟きにクルガンも頷く。
一瞬後、同時に言った。

「飯が食えない」「服が買えない」

がやがやがや。
ざわざわざわ。

二人が無言だったのは、大体三秒程だった。

「……先ず第一に食だろ?アンタは王侯貴族かよ、服が無くたって死にゃしねぇだろが」
「……目立っているのがわからないのか?この秋口に、特にお前は色々と暴れたせいで最早浮浪者にしか見えん」

一度口を噤んで、五歩歩く。

「この状況で外面を優先する奴初めて見たぜ」
「食事など、二三日抜いた所で問題あるまい。この格好では、ろくな職に就けん」
「生憎と、俺はアンタみたいに一週間珈琲だけとか、そういう不摂生には慣れてねーの。人間並みに普通に飯食いたいの」
「お得意の『人徳』で、不良に絡まれている街娘でも助けて食事を奢って貰えば良いのだろうが?」
「うわー、その人を馬鹿にした口調スゲェムカつくよ殴っていい?」
「駄目だ」




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『お金を稼ごう!』 その2

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ブラッデンブルーは、その殆どの建物が白茶けたレンガ造りだった。
通りも舗装されている所が多い。一見しただけで、きちんと管理されているという印象を与える。薄汚れた路地裏があっても、何故かそれが計算して配置されているような気分を抱かせた。

けれども、道行く通行人の中には、物々しい格好をした(あるいは随分と奇妙な)者が多く見受けられた。
しかも、クルガンとシード以外はそれを不自然と思っていないらしい。

足を進める度に、武装している人間が増えていくような気がして、クルガンは僅かに眉を寄せた。
単純に、剣を腰に佩いているのならまだ良い方だ。巨大なハルバード(明らかに破壊活動以外の役に立たない)、モーニング・スター(女性が持っていると更に凶悪さが目立つ)、チェーンウィップ(クルガンは今まで書物でしかその存在を知らなかった)など、一般的でない、しかも殺傷能力の高い武器が目立つ。

武器だけではない。
レザー・アーマーはまだ良いとして、総重量は考えたくないフルプレート(頭から足先まで陽光を反射してとにかくまぶしい)や、逆に肌もあらわな踊り子風の鎧(断言するが、胸と腰しか覆っていないのでは防御の役には立たない)を着た者が平然と道を歩いている。

「クルガン、アレ見ろよアレ!」

シードが指差した先には、トカゲの頭をした二本足歩行の生物が──リザードマンだ──呪術的な装身具をじゃらりじゃらりと揺らして歩いていた。
リザードマンと人間が共存しているとは、この都市は余程開かれているらしい。更には耳の尖ったエルフが、子供の身長しかないドワーフが、森ではなく街中に自然に溶け込んでいる。人種の差異は殆ど考えられていない。

「……?」

今来た道の方が、何やら騒がしい。

振り返ったクルガンは、シードが目を輝かせて飛んでいこうとしたのを襟首を掴んで引き止めた。
道の向こうから、銀色の毛並みを持つサーベルタイガーがのしのしとやってきたのだ。その背には、これまた派手を極めたような格好の女戦士が乗っている。

「────」

ブレストメイルと手甲、アイアンブーツは特別注文だろう、目の覚めるような朱色をしている。
そしてそれにも劣らぬ鮮やかさの長い赤毛を頭頂部で一つにくくり、凛と前を見据えている。対照的に、肌の色は黒檀に近かった。
身の丈程のシンプルな槍を携えている。

通行人が、さあっと道を空けた。
クルガンとシードもそれに習った。シードは今にも、虎に乗せてくれと女戦士に頼みに行きたそうな顔をしていたが、クルガンは襟首を離さなかった──周囲の態度からしても、特別な人物ではないのか?

クルガンは、隣に立っていた茶色いローブの男に、小声で尋ねた。

「……彼女は一体?」
「何、知らないのかい、あの人を?」

男は得意げに、ぺらぺらと話し始めた。その目は興奮に輝いている。
握った杖を振り回しかねない勢いだ。

「冒険者の間では有名だよ、『槍の姫』は!何てったってあの若さでレベル15を越えて、『槍士』の他に『ビーストテイマー(獣使い)』のジョブまで持ってる」
「『槍の姫』……?」
「『カーディナル・ホールド』攻略に来たんだ。って事は、新しい階層まで行けるかも知れないな。今、煮詰まってるからなぁ」

その会話で、クルガンは以下の事を推察した。

どうやらジョブは複数の所有も可能であること。
レベルはそうそう上がるものではないこと。
道を行く物騒な格好の者達はおそらく全て『冒険者』にカテゴリされること。
この街に来る冒険者の目的は砦の探索であること。
普通の神経をしていたら、そのような気取った名前で呼ばれることには羞恥心を抱くということ。

「噂じゃ、エルフのお姫様並に高慢でね。認めた奴以外とは口も利かないってさ。パーティーの誘いは引く手あまたらしいが、未だにソロで攻略してるらしい。何にせよ、トップレベルの冒険者だ、」
「──どうも」

男は喋り足りなそうだったが、相手をしている暇はない。
あっさりと切り上げると、クルガンは再び道を歩き出した。シードの襟首は既に手放している。

この人数の冒険者が何の為に砦の攻略をするのかについては、未だわからない。
だが、馴染みたくはないものだと真剣に思った。

クルガンの偏見だと良いのだが──冒険者には、いわゆる変人奇人が多いのではないか?

「あ、あれだな?看板出てるぜ」
「────」

全身黒ずくめの覆面男が、彼らの目的地である『冒険者ギルド』に入って行く。
代わりに出てきたのが大蛇を腕に巻きつけた老人だったのを見て、クルガンは予想を確信に変えた。




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『お金を稼ごう!』 その3

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何故か気の進まないらしい様子のクルガンはさておいて、シードはギルドの扉を潜った。
からんからん、と、軽快なベルの音が迎える。

「…………」

ざっと内部を見回して、シードは思った。そこにいる人種は雑多だが、共通点がある。
明らかに堅気ではないという事だ。

玩具のようなステッキを持った子供が、煙管をふかしている。
縦と横の長さが同じ位の男が、樽の振りをして隅っこに蹲っている。
身の丈程の、鋼鉄製の巨大な筒を背負った女。
髭を七色に染め、同じく七色の色眼鏡を掛けたドワーフの老人。

シードがクルガンを振り返ると、彼は諦めた目をしていた。──多分、自分達は物凄く浮いている。

だが、幸いな事に二人に気を払った人間はいなかったようだ。
皆の注目は、ギルドのロビーの真ん中に向いていた。

そこでは二人の人間が、一触即発の空気で睨み合っていた。

一人は、先程の『槍の姫』。脇に控えるサーベルタイガーも唸り声を上げている。
対峙しているのは、黒いプレートメイルに黒い剣を携えた長身の若い騎士。一見して、かなりの手練れ。

周囲の人間の気圧されたような表情、真剣な眼差しからして、多分騎士の方も槍の姫と張るほどの実力者なのだろう。
唾を飲むのも差し控えた方が良さそうな、緊迫した雰囲気の中、その二人の一挙手一投足から目を離す者は皆無。

だが、そんなことはクルガンとシードにはさらさら関係なかった。

これ幸いと人垣を迂回し、がらがらすかすかの受付に辿り着く。
ご多分に漏れずロビーの中央を注視していた受付係に、シードはずばりと尋ねた。

「仕事が欲しいんだけど?」

最初の呼びかけは無視された。だがシードがめげる訳がなかった。
四度目の呼びかけで、ようやく受付係はシードの方を向いた。ざっとシードの格好を眺め、馬鹿にしたような調子で鼻を鳴らす。
彼はシードに、指を一本示すだけの労力しか提供しなかった。

「サンキュ」

シードは怒らず、くるりと方向転換した。
樽のような男の後ろを通り、ベンチの脇を抜け、巨大な伝言板らしきものの前に立つ。

シードとクルガンは、そこに残された膨大な量のメモを眺めた。ぴんとしたまっさらな用紙から、今にも崩れそうな黄ばんだ紙片。
定型があるのか、書かれている内容は大体決まっていた。労務、条件、給料、そして裏面には連絡先。ピンからキリまで雑多な『仕事』の群れだ。

・『港の荷下ろし作業 昼飯付 日当80G 女子ども病人、エルフお断り』
・『小間物屋店番を昼から夕方までお願いします 仕事は簡単です 10日で350G』
・『急募ウエイトレス! 14~25までの女の子 面接アリ 1日当たり75G』
・『ウェルギースまで品物を届けてください──』
・『夜間下水工事手伝 ドワーフ大歓迎──』
・『家政婦──』

ざっと眺めているだけで、この世界の通貨の大体の価値がわかってくる。
シードは脳裏に浮かんだ渡し守の老人の頭に拳骨を食らわせた。百万G稼ぐのに、例えばこの港の荷下ろし作業に従事したとして一万三千三百三十三日かかる。

「うーん……」
「────」

これだけあると、一通り確認するだけで一苦労だ。

その間に、後ろではとうとう騒ぎが起こったようだったが、それも二人には全く気にする必要のないことだった。
一挙に騒々しくなったギルド内で、歓声と罵声、ついでに物までが飛び交う。後頭部に当たりそうになった酒瓶を、シードは片手で受け止めると壁に立てかけた。酒に罪はない。

「シード、お前はこれにしろ」
「え、どれ?」

クルガンが指差したのは、メールボーイの募集である。
日の出から日暮れまで一日中街を走り回って80G。比較的高給だが、比例してきつい仕事だった。

「街の地理がすぐ覚えられる。多様な人間と接触する分、入る情報も多い」
「アンタはどうすんの?」
「俺は此処で働く」

クルガンが示したのは、図書館の書物整理、修理の仕事だった。司書の手伝いである。
昼食、午後の休憩付で、一日40G。

「おい……」
「何だ」
「物凄い不公平感が感じられるんだが気のせいか?」
「まずはこの世界の基礎知識を仕入れなければ話になるまい。適材適所だ」

シードは反論しようとした。
言っている事がどんなに正鵠を射ていようが、クルガンの本心はわかっている。単に本が読みたいだけだ。

「あのなぁ、」
「シード」

クルガンは、視線をシードの顔に移した。
その表情を見た途端、「あ、これは説得されるな俺」とシードは思った。

その通りになった。




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『お金を稼ごう!』 その4

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果物屋は親切で、世間話のついでに商品を放り投げてくれたし、パン屋のお嬢さんには手土産を貰った。
リリス川の河口はあまり綺麗ではないが、街を出て半刻も遡れば十分食べられる魚が取れる。

さらさらと流れる水を見ながら、シードは遠い目で呟いた。

「……何で俺、こんな事してるかな」

その後を、クルガンが冷静に引き取った。

「金がないからだ」

クルガンは火打石を器用に操り、小枝の先に簡単に火をつけた。生木は煙が酷いが、そんな贅沢が言える状況ではない。
草原の草を丸く毟り取ったその上で焚き火をする。

「んな事わかってんだよ。でもなぁ、悲しいだろうが街があるのに野宿って」
「大丈夫だ。馬鹿は風邪を引かないし、俺もこんな気温は苦にならん。大体お前が煩いから毛布は買っただろう」
「俺だけ水に入らせといて何だよその言い草」
「動物性蛋白が欲しいと言ったのはお前だ。俺が一緒に川遊びをして誰が得をする」
「遊びって言うな。俺の気分が良くなるだろ」

シードは魚を木の枝で串刺しにすると、焚き火の傍に移動させた。
同様にパンも温める。

シードはその誠意で(そして多分クルガンはその面の皮で)、今日のうちに何とか半日分仕事を貰う事に成功したが、それでも稼いだ金額は総計50G。
宿屋は探したが、一部屋20~30Gはしたのであっさりと選択肢から外れた。火打石と毛布、そしてクルガンが頑固に言い張ったシードのシャツを買った所、所持金はゼロに近くなった。結果、草原と森の境目で野宿と相成っている。

「……しかし効率が悪い。装備を整える事も出来ん」
「マジでやんの?」
「仕方あるまい。一刻も早くハイランドに帰還せねば──」
「そりゃまあ、そうだよな……」

将軍二人が一夜にして失踪したのだ、軍の機能はそれなりに阻害されているだろう。
長引けば除籍すら考えられるが──その前に、どんなゴシップになっているかの方が気がかりだ。将軍位は取り返す努力をすれば良いが、風評はどうにもしがたい。

クルガンは溜息を吐いた。

「……あんな馬鹿馬鹿しい集団の一員に加わらねばならないとはな」
「確かに、他人にゃ知られたくねぇな」

シードは林檎に似た果物を齧った。
中から驚く程の果汁が溢れて、襟元が汚れた。それをクルガンは非常に非難がましい目つきで眺めたが、シードとしては不可抗力だと言いたい。
シードは果汁が零れないよう、瞬く間にその果物を三口で完食した。クルガンの視線は呆れたものに変わったが、良しとする。

「何にしろ、取り合えず金だよな……必要なのは」

クルガンが図書館の老館長から聞き出した話というのは、以下の通りである。
クルガンは、帰還の手がかりを円盤に求めた。館長はそんな道具は知らないと答えたが、この世にあるもので自分が知らないものは殆どないとも言った。この世のものならば、どんな道具もすぐさま王都の大図書館に登録され、その記録は各地の図書館に下りて来る。
出た答えがこれだった。

つまりそんな円盤があるとしたら、この世のものではない。

しかし、館長の話は終わらなかった。
この世にあらざるものを手に入れるには、二つ方法があるという。

一つは、世界を拡張して、それを「この世のもの」にする事だ──つまり、『世界の謎』では、稀に「新しいもの」が見付かる。それを持ち帰れば、それは人々に新たな利便をもたらす。例えば永遠に燃え続ける灯、あるいはものを凍らせる箱。稲妻を封じた円筒。
それを目指して、冒険者達は『謎』を探索している。

もう一つは、自らの手で創造する事。
『錬金術師』はその能力を持つ。ものを掛け合わせ、あるいはエーテルから世界の構成要素を取り出して変形させる。
惜しむらくは、『錬金術師』が少ない事だ。幾つかの職を限界まで修練して辿り着く極みだと言う。

「じゃあそいつらに頼めば──」
「最後に『錬金術師』のジョブが確認されたのは二百年前だそうだ」
「…………」

つまり、現実的な手段としては、だ。

1.自ら『謎』に身を投じる。
2.ジョブのレベルを上げ、『錬金術師』を目指す。
3.他の冒険者がいつか円盤を探し出すのを待ち、それを買い上げる為の大金を貯める。

全て非現実的だ、と言ってはいけない。

ただし二人は悩まなかった。クルガンに己のジョブを磨く気はないし、シードが人に運命を任せるなどもっと有り得ない。

食事を終えると、彼らは明日に備えて就寝した。
そして勿論、これは言うまでも無い事ではあるが──クルガンは木の上で寝た。




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『お金を稼ごう!』 その5

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『深紅の砦』への挑戦を決意したのはいいが、その前に二人にはまだまだやるべき事があった。
問題はひとつひとつクリアしていかなければならない。二人の前に現在立ちふさがっている壁は、壮大な英雄詩であれば普通は省略されるのだろうところの、『経済力不足』というものであった。

何せ、衣食住の殆どを事欠いていて、完璧に無一文に近い。僅かに日銭を稼いでも、何やかやとすぐに消費する羽目になるだろう。
クルガンが効率が悪いというのも無理も無い事で、このままでは剣一本手に入れるにも何ヶ月掛かるかわからない。

しかし、一朝一夕に大金が稼げるならば、貧乏人という階級はとっくに消滅している。
更に言えば、クルガンとシードは『金儲け』という言葉から縁遠い生活しかしてこなかった為、その辺りの技術は素人に等しい。一攫千金など、夢のまた夢である。

皇国兵であれば、最低限の食事、寝床、そして安物だろうが武器も支給された。よって、それらを得る為に特に金策するなどという事は要求されなかった。
シードなどは、掛け試合に参加して荒稼ぎしたこともあるが、それも生活に困ったという理由からではない。大体、皇国兵には給金が与えられている──軍人として生活していれば金を使う場面など殆どないので、仕送りに回す者が多かったが。
クルガンは、皇国兵になる以前は傭兵だったけれども、食と住はともかくとして装備に事欠いた覚えは無かった。やはり、質さえ気にしなければ、の話ではあるものの。

人生の殆どの場面において、彼らは剣を振るって戦う事がイコール生きる事、そして目的の達成に直結していたと言って良い。

何よりも、彼らには体以外の資本が無い事が致命的だった。

資産運用の仕方など、クルガンは知らないわけではなかったが、何をするにもそれなりの元手というものが必要である。
ブラッデン・ブルーにも金貸しは居たけれども、無名の冒険者レベル1ども(しかも質草すらない)には縁がない。

ちなみに、詐欺、恐喝、窃盗という選択肢はない。

シードの脳はそれを思い描く機能すらそなえていななかったし、目的の為に手段を選ばない筈のクルガンも実は同様だった。彼の場合はモラルではなく、比較考量して「するべき理由が無い」からであったが──おそらくクルガンという男は、自分が困るという理由では動けないのではないかとシードは考えている。

とにかく、彼らが金を稼ぐ手段と言うのはそれ程多くは無かった。

高レベルの冒険者ほど、高収入の依頼が受けられるらしいが、ビギナーの最高峰に位置する彼らには、文字通り「素人にも出来る」日雇いの仕事(つまり、掲示板の『アルバイト』)しか斡旋してもらえない。
取り合えず、シードは昨日と同じくメールボーイを務めていた。ある程度情報を集めたら、一度カーディナル・ホールドを覗いて見るつもりではあったが。

事業所で扱っているのは手紙だけではなく、小包もある。
たまに非常に重いものも混じっていたりするが、中身についてはシードが推察するものではない。それでも、小包が自力でうごめいたときは、思わずまじまじと見詰めてしまったが。

大まかに仕分けされたそれらを鞄一杯に持って、シードは南ブロックの道具屋横丁のあたりを、大通りから路地裏まで走り回っていた。シードはどんなものでも仕事には全力で取り組む事にしている。

と、通りの十字路に差し掛かった時だった。

「!」

脇の道から驚愕の声と悲鳴が聞こえて来た。
シードは視線をそちらに向けたが、騒ぎの原因は明白だった。

荷車を後ろにくっつけたロウラット(四足で立ってシードの腰程の高さになる、ネズミに似た生物)が、驚くべき速度でこちらに駆けてくる。

荷台は無人だ。
通行人は多くはなかったが、ある者は転び、ある者は動転してしりもちをついている。放っておけば怪我人が出るだろう。

ロウラット車は珍しくなかったが、暴走しているとなれば話は別だ。
射程距離に入るまで七秒、とシードは予想し、慌てた様子で避難する周囲の者とは逆に、ロウラットに向き直った。

「おいアンタ、危ないよっ!」
「ああ、うん」

と言いつつ、シードは動かなかった。動きの邪魔になる鞄を降ろそうかとはちらりと思ったが、そんな暇はない。
正面に迫るロウラット。四秒後にはシードにぶつかるだろう。

シードは荷台に飛び乗るか、あるいは直接またがるかして、ロウラットの足を止めるつもりだった。
自信という程大層なものではないが、上手くやれるだろうと思っていた。

だが──残念ながらその一件は、シードの目論見通りにはいかなかった。




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『お金を稼ごう!』 その6

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ひゅうっ

「っ!!」

ロウラットの暴走を、シードは止める事が出来なかった。

何故なら、シードの手前七歩の距離で、ロウラットの体が突然びくりと跳ね上がり、どう、と横倒しになったからである。

原因は、その胸に深々と突き立った矢だ。

ロウラットがぴくぴくと痙攣し、前足をばたつかせる。だが、まもなく絶命するだろうとシードは予想した。
即死の傷ではないが、破壊されれば助からない箇所を矢が貫いている。石畳の上に広がる血溜りは小さいが、体内での出血量はかなりのものだろう。

「…………」

シードはロウラットを楽にしてやる事も出来たが、そうはしなかった。そういった事を優しさと、あるいは最善と考えられるほどシードは単純ではなかったし、甘くもない。
ただ、ロウラットの傍にしゃがみ込むと、背を撫でた。神経の回路に違う種類の情報を伝達させる事により、痛みを紛らわすのだ。

ロウラットの感情というものをシードは想像することしか出来ないので、きっとシードがロウラットだったらそうして欲しい事をしてやるしかない。シードであれば、死の間際まで、色々な事を考え、生を望んでいたい──例えどれ程苦しくとも、だ。

それがロウラットにとってどれ程余計なお世話だったとしても、シードは自分がしたい事をする。
シードが傍にいた事が不運だったと思って貰う他なかった。

ざわざわと人々はさざめいていたが、その視線はシードにもロウラットにも向けられていなかった。
彼らが見ていたのは、シードの後方の、ずっと先。

「アレ……もしかして、 狩人 ( レンジャー ) の『堕星』じゃないか?」
「そうだよ、見ろ、あの緑の矢羽!槍の姫と言い、夜騎士と言い、もしかして協力してボス攻略でもするのかね」
「へえ、そんなに有名な奴?俺は知らないけど……」
「馬鹿、アイツもうすぐ『神弓手』にクラスチェンジ出来るんじゃないかっていう噂だぜ」
「本当かよ!」

シードはロウラットの息が絶えたのを確認すると、立ち上がった。

「だって見ろ、あそこから此処まで百歩はあるぜ、よっぽど腕と自信のある奴じゃなきゃ、中てられないね──ほら、あの兄さんを間違って射っちゃう可能性もあったんだ」

確かに、弓というものは非常に扱い難い武器である。

温度、湿度、風、道具の癖、弦の張り具合、羽の角度、精神状態──狙いを狂わせる要素を数え上げればきりがない。

例えばシードも、弓は扱えないわけではないけれど、二十歩ほどの近距離で人間を狙った場合であれば、体のどこかに中てる事が出来るか出来ないかというレベルである。動く的を狙えば、難易度は更に跳ね上がる。なおかつ、本当に実戦で使用するのであれば、集中する時間も殆ど取る事が出来ない。

皇国兵としてはそれでいいのだ。戦場では、一群を塊として捉えるから、威力があれば十分『誰か』に命中する。
狩りに必要とされる腕とは違う。

「神業って訳か。しかしまあ、『堕星』がいなきゃ惨事になってたよなぁ、全く、運が良かったぜ」

シードは鞄を担ぎなおし、振り返った。
人は道の左右に割れたままである。その中で、弓を携えた男がひとり、まっすぐにこちらに歩いて来ていた。

身長はシードと同じ位。軽めの皮鎧が胸を覆っているが、他に防具らしきものは身に着けていない。動きやすさを重視した装備だ。
矢筒を背負い、左の腰にダガーを吊るしている。
輝く金の短髪が陽光を反射し、薄い緑の瞳は感情を伺わせなかった。年の頃はシードより二つ三つ上だろう。

シードは軽く会釈して、彼に礼を言った。
勿論、『堕星』はシードを助けようとして、ロウラットを射ったに違いないのだから。

『堕星』はシードに軽く笑みを返すと、ロウラットに近寄って、その体に突き刺さった矢を抜いた。
矢の尾羽は緑。鏃は今は血に濡れているが、拭えばさぞ光るのだろうと思わせる。特注品なのは間違いないだろう。

シードはそのまま、自分の仕事に戻ろうとした。
けれどその背に、声が掛かった──

「もしかして、余計な真似だったかな?」




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『お金を稼ごう!』 その7

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シードは三秒かけて、それが本当に自分に向けて掛けられた声かどうかを検討した。

もし勘違いだったらかなり恥かしい上、絡まれるのは遠慮したいと消極的心理からの行動だ。けれど、周囲の者の目線が全て自分に集まっていたので、どうやらやはり呼び止められたのはシードらしい。

シードは振りかえった。

「いや、別に?助けてくれてサンキュって、言ったろ」

シードならロウラットを助けられたとしても──それはただの仮定であり、もっと言えば通り掛った事すら偶然である。善意(であるに違いない)『堕星』を責めるのは筋違いだ。

しかし『堕星』は、酷薄さの垣間見える薄い緑の瞳で続けた。

「そうか?それなら良いんだが……どうも、非難がましい態度に思えてね」
「何か俺が失礼を?」
「ロウラットを撫でた。自分が助かって嬉しい、といった風には見えなかったな」

つまり──『堕星』は、シードにもっと喜んで欲しいと、そう言う事だろうか?
シードの様子はそれ程あてつけがましく見えただろうか。

そう思ったが口には出さず、シードは首を振った。

「いや、別に……あんたを責めてた訳じゃない。だって、急所を外して足を狙うなんて事は出来なかったんだろ?」

そう言った途端、シードはしまった、と思った。
『堕星』の眼差しが尖ったのだ。別にシードには他意はなく、嫌味でなく、本気で思ったままを言っただけだが──逆にその方が気に障るという可能性もあるか。

「……いや、俺が言いたいのは、あんたが殺したいから殺した訳じゃないんだろって事で、」
「お前になら、上手く足に中てられたとでも?」
「いや、俺には出来ないけどよ」
「そうだろう。俺の『遠当て』スキルのレベルは11、『狙い射ち』スキルは9だ。だからお前には当たらなかったんだ。それ以上が出来る奴がいるなら連れて来い」

凄い自信だな、とシードは思ったが、流石に口に出すのは止めておいた。喧嘩を売りたいわけではない。
というより、これはやはりシードは絡まれているのだろうか?それとも『堕星』自身がロウラットを殺してしまったことを深く気にしているのか?あるいは、シードが気付かなかっただけでシードが実際に責めているような態度をとってしまっていたのか?

シードは少しの間考えたが、面倒になったので、結局ずばりと聞いてみた。

「誤解させるような態度だったなら謝るさ。その他に、俺に何か用事があるのかい?」
「──お前、レベルはいくつだ?」
「は……?」

唐突な質問に、シードは困った。
質問の意図がわからない。

「俺には、お前が迷い無くロウラットの前に飛び出したように見えた。どうにかする自信があったんじゃないか」
「仮にそうだとしたら──」

シードは唇を舐めた。

「じゃああんたは、『そうだとわかっていて射た』って事か?」
「どうかな。俺は一番安全だと思う方法を採っただけだ。お前がロウラットに弾き飛ばされる可能性はゼロじゃなかった──けれどその言い草じゃ、やっぱり自信があったみたいだな」

はあ、と溜息を吐いて、シードはがしがしと後ろ頭を掻いた。

はっきり言って、シードにはもう関係無いことだ。いまさら何を言った所で、ロウラットは死んだわけだし、『堕星』に悪気がなかったのならそれで良い。
シードには仕事があったし、『堕星』からの評価がどうだろうが全く気にならない。

なのでシードは躊躇無く暴露した。

「俺のレベルは1。スキルとかもない。ただのメールボーイだ」
「1……?」
「つまり、あんたの勘違いって事。暴走を前に、咄嗟に足が竦んじまっただけだ」
「ちょっと待て、俺は別に因縁をつけようと言う訳じゃない。高レベルならボス攻略組に入ってもらおうかと思っただけだ。嘘をつく必要は──」
「そう、全然ねぇよ。だから、嘘じゃない」

ひらひらと手を振って、これ以上付き合う義理も無いのでシードは身を翻した。
その肩を『堕星』が掴んでくる。

「ステータスを見せてみろ」
「ああもう鬱陶しい!」

思わずシードはその腕を掴み、乱暴に振り払った。
という事は多分、シードもそれなりにフラストレーションが溜まっていたのだろうが──

シードは力の加減を忘れていた。

「!!」

ぶおっ
がこおん! がらがらどしゃん!

向かいの店の脇に積んであった空箱の山に、『堕星』は頭から飛びこんだ。
というよりは多分、シードが投げ込んだと言った方が近いだろう。金髪が崩れ落ちた箱に完璧に埋もれたのをみて、シードは思わず口元を引きつらせた。

「……やべ」




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『お金を稼ごう!』 その8

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「……それで、逃げて来たのか?」
「イヤ逃げたって訳じゃ……でも何かスゲェ絡んでくる奴だったし、這い出して来たらすぐ喧嘩になる気がしてさ、その前に距離を取るのが得策かなぁ、と……」

シードはもごもごと呟いた。
クルガンは焚き火の煙を避けると、毛布を畳み、その上に腰を下ろした。地べたに座るという動作が恐ろしく似合わない男だが、本人は人目の無い所では全く気にしない。

「責めていない。お前にしては的確な判断だ」

クルガンはあっさりとそう言うと、溜息を吐いた。

「冒険者というのは、社会不適合者の別称なのかも知れんな……」
「あのな、淡々と言ってるけど俺らだって一応その『冒険者』だから」

クルガンはシードの台詞を黙殺した。おそらく彼にとっては非常に不本意な事なのだろう。シードもそれは同感だったので、さらりと話題を変える。

「つか、そいつがボス攻略云々って言ってたんだけど……ボスってやっぱり、ボスって意味だよな」

意味の通らない文章を平気で使って、シードはクルガンに同意を求めた。
クルガンは一拍置いて──けれど何か諦めたのか、大人しく頷いた。

「……だろうな」
「きっとスゲェ強ぇモンスターだよなぁ」
「……だから?」

クルガンは片方だけ曲げた膝の上から、飛んできた白い灰を払った。

「だから、っていうか……ちょっと興味?」
「シード」

あ、この雰囲気はイヤだな、とシードは咄嗟に思った。内心で正座する。

「……ハイ」
「いつも暴れていないとお前は死ぬのか?」
「真顔で聞くなよ……いや違うけどさ、何と言うか、例えばでっかいドラゴンとかそういう強いモンスターは男の子のアコガレでございましてですね、」
「剣一本持たない丸腰で、紋章も使えない有り様で、ドラゴンロードクラスの前に出て行って何を?見物で済むか?挨拶して帰って来れると、本気で思っているのか?」
「あーあー、酸の息で黒焦げになるのも前肢で潰されて平たくなるのもご免だよ、でもそんな嫌味言わなくても良いだろ、夢見せろって……」

戦力が落ちている事はシードも自覚していた。特にクルガンにとって、身に馴染んだ雷鳴の紋章が封じられているのは相当なマイナスだろう。

クルガンはシードをちらりと見ると、付け足した。

「……まあ、近い内に橋は渡るつもりだ」
「へ?何、もう砦に挑戦すんの」
「いや」

クルガンは細い木の枝を取り上げると、焚き火の傍の剥き出しの地面に簡易な図を書いた。半円形の街、その北側の──

「あの砦の周囲に森が見えるだろう。今情報を暗記している最中だが、貴重な素材が多いらしい」
「採集しに行くって?ああ……換金すんのか」
「そうだ。お前も、いつまでも日給80Gに甘んじていたくはないだろう」
「確かにな、いつになったら剣が買えるかわかんねーし……あ、でも俺一巡は拘束されてるから、あと四日は今の仕事抜けらんねーよ?」
「ああ、俺もだ」

クルガンが言う。

その様子に、今の仕事をかなり気に入っているのだろうな、とシードは思った。クルガンは実際、出来るなら日がな一日読書でもしていたいタイプの人間なのだろうと思う。戦乱の世に生まれなければ、学者にでもなっていたかも知れない。

自分は何をしていただろう?
ハイランドも同盟も無く、地に平和が満ちていたら──きこり、農夫、羊飼いのあたりは容易に想像出来る。飲食店でも経営するか、それとも船乗りという道もある。

しかし、軍人でなければクルガンと出会うことは無かっただろう。
自分でも、クルガンとは属性が全く違うことは自覚している。こんな特殊な職業にでも就かなければ、まず交わらない道だった。あるいはシードは、別の奴と肩を並べていた可能性が高い。別の?どんな?

つらつらとそんな事を考えながら、シードはふと思いついた。
端から見れば唐突極まりない様子で発言する。

「大道芸人なら、ありかな」
「……何が?」

異物を見るクルガンの目つきには気付かないまま、シードはぺらぺらと喋った。

「いや、アンタきこりとか農夫とかはイメージじゃねーし、愛想ないから接客無理だろ?船乗って朝から晩まで肉体労働ってのも似合わない。でも大道芸人なら一緒に、」
「…………」
「……いや一緒にってのは深い意味は無い、けど……?」

居心地の悪い沈黙が、数秒。

「お前の頭は、どうにもならんな……」
「あの、諦めた顔で溜息吐かれるのって、どつかれるよりショックなんですけど」




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『お金を稼ごう!』 その9

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「そうだ、大通りで芸でもやりゃ、稼げるんじゃねーの?」
「……挑戦してみるといい」
「投げやりに他人事扱いすんな!アンタもだよ」
「却下だ。芸など出来──」
「るだろ。別にそんな受けとか狙わなくて良いし愛想も振り撒かなくて良いから、弓でも引いとけ。アンタなら何にでも中てられるだろうに」

クルガンは非常に嫌そうな視線をシードに向けた。

「お前は何か、俺を過大評価しているな」
「へ?」
「何にでも中てられる訳がないだろう」
「……アンタでも的を外す事って、あんの?」

それは率直な疑問だった。
取り合えずシードは、この男に「失敗」という可愛げを感じたことが無い。
勿論、的が生き物の場合にかわされる事はあるにせよ、クルガンの放つ矢には正確無比なイメージがあったのだが──

「距離が遠すぎて届かない、ってんならわかるけど……アンタ弓は得意だろ?」
「お前よりはな」

また可愛くない切り捨て方をして、クルガンは続けた。

「だが、俺に限った事ではない。弓で、狙った個所を寸分違わず射抜ける者などいる筈がない。超近距離の接射であればまた話は違ってくるだろうが……」
「……何で?アンタ良く、スゲェ遠い的とか中ててるけど?」
「誤差は消せない」

クルガンは手に持ったままだった枝で、地面に簡易な図を描いた。的と人の記号。

「……例えば、全く同じ動きを再現できる機械に、弓を二度引かせたとする。無風で、気温、湿度など外的要素は全く同一。……ならば、矢は同じ場所に中ると思うか?」
「中らねーの?」
「中らないな」

クルガンの講義はシードにとってはいつも相当に回りくどい。
けれど、それを言っては機嫌を損ねる事が確実なので、シードは大人しく拝聴することにしていた。

「この世に、全く同じ矢は二つと存在しない。当然、同じ力を加えても軌跡は異なってくる」
「そりゃそうだけど……」
「細かく言えば二度目に引いた時は弓の強度も違う。加えて実際は、矢を放った直後に風が吹いたり、湿気によって弓が歪んだり、温度によって矢の軌道が変わったり、的との距離が異なったり、狙いをつける時間がなかったり、精神統一出来ずに指が震えたりする訳だ。的が遠ければ遠い程、不確定要素は高くなる──何億回弓を引こうが、そんなものを読み切る事は出来ない」
「……でも、アンタの方が俺より中てるじゃん」
「自慢出来る基準ではなかろう」

それは事実だろうが、もう少しオブラートに包んだ言い方はないものか?
けれどやはり、そんな気遣いをされても気持悪いだけだな、とシードは思いなおした。

「……勿論、練度によって確率は上げられる。自分自身の癖を自覚し、慣れた弓を使い、何度も矢を引けば、そうでない者より上手く調整が出来るな」

クルガンは地面に大きく円を描いた。

「例えばシード、お前がニ十歩の距離で矢を放てば、大体この程度の円のどこかに矢が中るだろう。不確定要素が加わっても、だ」
「…………」
「俺はその円の直径がお前よりも小さい、それだけの話だ。何にでも中てられる弓の名手など、物語の中にしかいない」
「…………」

シードはじっとクルガンの描いた円を眺めた。
それはおおよそ、腕の長さ程の直径をしている。シードが近距離から矢を射れば、人の体のどこかには中る──だが、腕を狙う、目を狙うなどという事は出来ない。

少し考えた後、シードは問いかけた。

「アンタのその『誤差』は、例えば百歩だとどれくらいの円になるんだ?」

クルガンは沈黙を挟んでから、やはりあっさりと答えた。

「人差し指程度だろうな」
「…………」

シードは口元を引きつらせながら言った。今までの問答の意味と実益を問いたい所だ。

「それを世間一般では普通『何にでも中てられる』って言うんだよ……!回りくどく誤魔化そうとしやがって、」
「見世物になるのはご免だ」
「やっぱりそれが本音じゃねーかこの野郎」
「そもそも、弓を買える金があるならそれで剣を買えば良い事ではないのか?」
「話を逸らすな!」




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『お金を稼ごう!』:ちょっとだけクリア?