『職を手に入れよう!』 その1

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腕を伸ばし、右の人差し指で、反時計回りに三角形を描く。

すると、『ステータス』が出現する。
おそらく、『状態』、もしくは『様態』、あるいは『性質』といったことを表示するものだろうとクルガンは推察していた。
誰が勝手に調べたのかは知らないが──ここは未知の世界だ、理解出来ないものでもそのまま受け入れるより他にあるまい。

村を出た後、二人が各々自分の眼前に出現させてみた『ステータス』は随分とシンプルだった。問題点を間違いようもない程に。

まずは己の名前と年齢。
そして、その下に浩々と表示される──不必要に大きい、とクルガンは思った──『無職』の烙印。

「…………」
「……なんでだろ、何か胸にぐさっと来るな……」

勿論、彼らが悪いわけではないが、自慢出来るような身分ではないのも確かだった。

これが、『ジョブを剥奪された』という状態なのだろう。
少年の発言から推理するに、この世界では『無職』という状態は一般的ではなく、全員何らかの『ジョブ』を持っていてしかるべきなのだろう。そして、そのジョブを剥奪されるには相応の理由があるということで、犯罪者と見なされておかしくないのだ。

この世界で活動するに、おそらく『ジョブ』は必要不可欠な要素だろう。
よって、現在彼らの目的地は、リリス街道の先にある筈の『ブラッデンブルー』の『裏神殿』である。出来るなら、ハイランドに戻る為の情報収集もしたいところだ。

ぎゅるぎゅるぎゅる。

(……しかし、何の対価もなしに『ジョブ』を取得出来るのか?)

ぐるぐるぐるぐるぐる。

(一番有り得るのは金だろうが……換金出来そうなものは何もない。労働という手段もあるが、身分証明が必要だと困る)

きゅるきゅるきゅるきゅる。

(そもそも大都市の場合、不審者は出入りを制限されるということも──)

ぐーきゅるるる。

「……シード」
「しょーがねえだろ腹減ってんだから!」
「これ位の絶食で根を上げるな。お前は燃費が悪過ぎる」
「俺はね、訓練後だったの!しかも昨日の昼から食ってねぇんだよ」

シードは普段から、よく動きよく食べる男である。
外見からは想像し難いが、成人男性の平均摂取熱量よりも大幅に大量の食物をぺろりと納めてしまうのだ。

筋肉の質が人とは違うのだろう、とクルガンは考えていた。馬力はあるが、エネルギー消費も比例して早い。
熊と格闘したせいもあり、燃料が足りなくなっているのだろう。
ならば大声など出さずに大人しくしていればいいのにと思うのだが。

何か動物でも飼っているのかというくらいに鳴っているシードの腹を一瞥してから、クルガンは提案した。

「もう一度『ステータス』を出してみろ」
「え?……はい」

ぷうん、と出現した『ステータス』を一瞥する。
職業の次には、『体力』の表示があった。シードの現在の体力数値は、『4155/4200』。

先程は『4179/4200』だったことを考えると──あれから二刻ばかりは経過したか?
クルガンはざっと計算した。

「……お前が餓死するまで一ヶ月はかかる。問題なかろう」
「いや、死ぬから。普通に死ぬから」

二人のステータスは至ってシンプルである。
『体力』の下に『呪力』──恐らく、精神にかかわりのある力だと思われる──の数値があり、それだけだ。
もっとも、その下に空白がかなりあることからして、まだ何か表示される余地はあるのだろうが。

クルガンは右腕を動かし、己のステータスを出現させた。
眺める。

体力が『3775/3800』。呪力が『30』。
先程は体力の値が『3785/3800』だった事からして──約二ヶ月は水だけで生き延びられる計算だった。流石にクルガンも、それは遠慮したいところだが。

「紋章が使えりゃなぁ……見知らぬ川魚を生で食べる気にゃなれねぇし」

シードは腹をさすりながら、ぶつくさと呟いた。

「まあ、街道なら途中に茶屋町くらいあるよな……?」
「無銭飲食はしてくれるなよ」
「違ぇって、料理屋で皿洗いくらいすれば、まかないとか食わしてくれるんじゃねえかなぁと」
「街道沿いの茶屋町の飯屋が、手伝いを必要とする程繁盛しているとは思えん」
「あーのーなー、まだ見ぬ街への夢をぷちぷち潰すんじゃねえよサド根暗!」

がっ

「──まあ、お前の人徳とやらを発揮して、行き倒れの振りでもしていれば何か恵んで貰えるだろう」
「……人徳っつーならせめて、不良に絡まれた町娘を助けてお礼に云々とか、それ位は言え」




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『職を手に入れよう!』 その2

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勿論、二人は餓死する前に目的地に辿り着いた。

餓死などという前に、特に苦労もしなかった。日が暮れる前に、『ブラッデンブルー』があっさりとその姿を現したからである。
茶屋町の夢は叶わなかったが、それどころではなく順調だった。

リリス川の河口を左右から挟むようにして扇状に広がる街を、彼らは小高い丘から一望していた。
荷車を引いた商隊が、ごろごろと車輪の音を響かせて坂を下っていく。

「……結構大きな街だな。それに、良く整備されてる」
「人口は三、四万と言った所か。主要都市の一つだろう」

しかし、彼らは商人達と同じように丘を降りていくわけには行かなかった。
目の前に、見逃しようもなく堂々と立っている看板がその理由である。

『<アルファータ裏神殿> ←  ・  ↑ <ブラッデンブルー>』

仮にも裏と名付けられたものが、こんなにおおっぴらに存在しているとは思わなかった。
よくよく考えれば、鄙びた村の少年が知っているくらいなのだから、有名でも特に不自然ではないのだが。

しかし、こっそり日陰者が集まるような場所の表示の仕方ではないだろう。

「もしかして、観光名所?」
「……犯罪者にジョブを授けるというのは、主要な役割ではないのかも知れんな。ならば説明もつく」

けどさ、とシードは言って、左方向を向いた。
クルガンも目線を巡らせる。

リリス街道から分かれた小道、やや上り坂になっているその先には──両脇の林は大人しく、大分遠くまで見渡せるのだが──神殿らしきものは見当たらない。
道の終点には、切り立った崖がそびえているばかりである。
リリス街道にはそれなりに人通りもあるのだが、その道を選ぶ者は誰もいない。

「神殿なんか、あるか?」
「……あると書いてあるからには、あるのだろう」
「ガキの悪戯かなんかの、偽看板だったりしてなー」
「その場合は──」
「ガキは苛めるなよ?」
「……お前は俺を何だと思っているんだ」
「冗談だって」

にやにやとするシードに、クルガンは限りなく真面目な口調で言った。

「大人げなく子供に怒るくらいならお前を殴る」
「何その不自然な八つ当たり!?」
「冗談だ」

ともあれ、二人は左折して崖の方へ向かっていった。角度の関係で、神殿が影に隠れている可能性もある。それか、崖のふもとに洞窟でもあるのかもしれない。

半刻程進むと、小さな建物が見えてきた。林の背丈より低い、平屋の、こじんまりとした牧場小屋だ。

「えーと……」

右を見ても、左を見ても、他に建築物らしきものはない。
小屋の直ぐ後ろは、例の崖になっている。この距離では殆ど垂直の壁にしか見えないが。

つまり、その先はない。

「……アレが神殿?」
「俺に聞くな」

二人は取り合えず、小屋を訪ねることにした。他にあてはない。
戸口は開け放されており、中は薄暗い。シードの感覚は、獣の気配を捉えていた──これは、馬か?

扉の上には、古びた看板が目立つように掲げられている。
だが、『アルファータ裏神殿』とは書かれていない。

「……『渡し場』?」

ここがリリス川の岸辺だというのなら、話はわかるのだが、小屋の周りには、崖と林と道しかない。
何を何処に渡すのか?

ひょい、とシードは戸口を覗き込んだ。
入ってすぐ左脇にぼろぼろのカウンター、その中に小さな人影がある。

狡猾そうな目をした老人は、シードと目が合うとにかりと笑った。シードも、同じように笑う。

「やあ坊主。今日は何の用だい?」
「よう、爺さん。俺達、裏神殿を訪ねて来たんだけど」

うしゃしゃしゃしゃしゃ、と老人は笑った。
皺だらけの手をこすり合わせて、訊いて来る。

「お前さんらは、探求者かい?それとも罪人かい?」

シードは一拍置いてから訊き返した。

「探求者って言ったら?」
「渡してあげるよ」
「罪人って言ったら?」
「それなりの御代は頂くよ」





.『職を手に入れよう!』 その3

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「さ、ステータスを出しな」

う、とシードは一瞬躊躇ったが、どうやっても偽れるものではない。
瞬きする間に決断すると、右腕を伸ばして三角形を描く。すると老人はカウンターを回りこんできて、無遠慮に、シードの『ステータス』を覗き込んだ。

「ほ、罪人だな」
「悪かったな」

シードは憮然として呟いた。好き好んで無職なのではない。

「この数値じゃ前は余程のレベルまでいっとったろうに、また何をやらかしたんだい」
「それは──」
「あ、いや、余計な詮索はしないが吉だな」

老人はまた、しゃしゃしゃ、と笑うと、小屋の奥、衝立の向こうへ視線をやった。

「そちらの御仁も罪人かい?」
「ええ」

そう淡々と返事をしたクルガンは、いつの間にやら小屋の中に入り込んでいる。

坊主と御仁の違いは一体何処なのかとシードは思ったが、老人と同じように衝立に隠されたその向こうを覗き込めば、そんな些細なことなど空のかなたまで吹き飛んだ。

「うわ……」

──そう、気配は察していたのだが。

獣が居る。

クルガンはその獣の前に立っていた。
獣は、前足を鉄の鎖でつながれている。獰猛な雰囲気はないが、力を秘めた瞳だ。

シードは、その獣をまじまじと眺めて、感嘆の溜息を吐いた。

「綺麗だ」

引き寄せられるようにふらふらと近寄ると、シードは獣を見上げてまたうっとりとした。
優美な羽と、しなやかな首筋に触れたくて堪らない。

「それに、スゲェ格好良い」
「しゃしゃしゃ!そうだろう?俺の言う事を良く聞く可愛い奴だ。盗もうとする奴らが居るんで繋いじゃいるがね」
「名前は?」
「マリーン。御代を頂ければ、裏神殿までお前さんらを乗せてやるよ」

マリーンは、薄いこげ茶色をした馬だった。額に、細長く白い模様が入っている。
胴体は馬のものだが、マリーンは只の馬ではない。その両肩から伸びているのは、巨大な鷲の翼。片翼でも、シードをすっぽりと包み込めるくらいだ。

シードは物語の中でしか知らなかった獣──ペガススである。

つまり、裏神殿のある場所まで、空を渡してくれるのだ、この渡し場は!

「クルガン」
「何だ」
「乗りたい。いや乗ろう。乗るべきだ」

目をきらきらとさせて心を飛ばしかけているシードを横目に、クルガンは現実的だった。
老人を振り返ると、一番の問題を尋ねる。

「御代というのは、金ですか?」
「……腕一本。あるいは足を一本」

その言葉に、シードは宙に浮いていた魂を急いで身のうちに引き戻した。

クルガンの目を下から覗き込みながら、老人は続ける。

「目玉をひとつでも良いがね」

シードは一呼吸も躊躇せず、掴みかかる勢いで老人に食って掛かった。

「ざっけんな!」
「嫌か?」
「ったり前だ、何で神殿行くのにそんな代償が必要なんだよ」
「だよなぁ。俺もそんな腕や足を貰っても困るしなぁ。マリーンは草食だしなぁ」
「て、てめ──」

老人は首をすくめると、シードの視線を遮るように両手を掲げて見せた。
若者のように目を輝かせて、楽しげに笑う。

「嘘嘘。ホントに腕なんか切断させるわけないだろうがよ、冗談じゃ冗談。しゃっしゃっしゃ」
「!!」

シードの肩を引いて後ろに押しやると、クルガンは──多分シード以外には先程と同じように聞こえるだろう声で──言った。

「とても面白い冗談ですね」
「……」

流石、伊達に年は食っていないらしい。老人は何かを感じ取ったのか、それ以上は笑わなかった。
カウンターの後ろに回りこむと、伏せてあったボードをぱたんと立てる。

「まあやっぱり、俺は普通に金が好きだ。地獄の沙汰も金次第」

『 渡し賃・・・1,000,000G 』

「…………」
「…………」

二人はあまり衝撃は受けなかった。
Gと言うのがどれ程の価値かは知らないが、百万だろうが一億だろうが──金をとる時点で彼らにとってはアウトなのだからして。




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『職を手に入れよう!』 その4

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「……他に、裏神殿に渡る手段はないのですか?」
「あるぞ」

クルガンの問いに、こともなげに老人は頷いた。
支えていたボードをぱたんと倒して、目を細める。

「渡し場は本来、更なる高みを求める探求者しか利用出来ん施設さ。罪人用のルートは他にある」
「……じゃ何だよ、そのいかにも暴利っぽい渡し賃は」
「老い先短い老人の小遣い稼ぎよ。大抵皆さん、渋々払ってくれるなぁ」

悪びれない老人に、シードは肩を落として忠告した。

「爺さん、あんまアコギな商売してっと、その内後ろから刺されるぜ」
「阿漕なもんかい、感謝されても良いくらいだ」

そう言うと、老人は再びカウンターから出て来た。
二人を促して、小屋の外へと連れて行く。

「道を示した途端、みんな納得して金策に走るからな。だからここ何年も、正しい手段で裏神殿に渡った者はいない」
「……道?」

どこへ案内されるかと思ったが、老人は小屋を出たところで直ぐ立ち止まった。十歩と歩いていない。
シードはきょろきょろと辺りを見回すが、やはり特別なものは何も見当たらなかった。

「道なんかねーじゃん」

老人はまた特徴的な笑い声を立てた。

「見逃しようもない程でっかいよ。ほらそこに見えてるじゃないかい?」

そして、途切れた小道の先を指差す。

「…………」
「…………」

二人は、老人が指差した先にあるものをじっと見詰めた。沈黙がしばらく落ちた。頬を撫でる風が心地よい。
しかし、このままずっと同じポーズで居れば、首が痛くなってしまうだろう。

「アルファータ裏神殿はこの上にある」
「…………」
「つまりこれが罪人の道──『カルマの壁』さ」

クルガンは無言で崖に近寄ると、片手を当てた。
途端に、『カルマの壁』と書かれた標識が出現する。シードはその隣に立って、しみじみと呟いた。

「これさ、よく見たら垂直っつーより上の方なんかこっちに倒れ込んでねぇ?」
「……シード。きっとお前なら、」
「いや流石に俺も重力を無視する自信はない……」

ふう、とクルガンは溜息を吐くと、老人に視線を向けた。

「……登頂に成功した者は居るのですね?」
「いるよ」
「え、マジで……?」

シードはカルマの崖を再び眺めたが、どう見ても登れそうには思えない。
高く、角度があるばかりではない。壁の表面は凹凸が少なく、切り立った一枚岩のようになっている。

「そいつホントに人間か……?」

愕然とするシードの後姿に、もうそろそろ聞きなれて来た笑い声が幾度目か浴びせられた。

「まさか、本当に素手で登る気かい?」
「え?」
「ほら、こっちにおいで」

老人はうしゃうしゃと笑いながら、崖に沿って三十歩程歩いた。
シードとクルガンは半ば呆れた心境で後を追う。

「ここから登るのさ」

岩壁に垂直に突き刺さっているのは、ぼろぼろに錆びた鉄の杭。
一本だけではない。初めの杭の左斜め上に二本目、そのまた左上に三本目。延々と──

杭の連続は、無数に続いているように見えた。その先が霞むほどの高さまで。

「…………」

成る程、人一人がようやく立っていられる程の足場ではあった。
ただ、杭と杭の間にはそれなりに距離があり、一歩一歩跳んで渡る必要がある。

他に手がかりや、綱のようなものはない。助けは純粋に、いつから刺さっているのかわからない、風雨に朽ちた杭のみだ。
勿論、途中で杭が折れたり、足を滑らせたりすれば、末路ははっきりしている。彼らは羽を備えてはいない。

「罪深ければ渡れない、裁きの道」
「…………」
「命運は、アルファータ創造神に任せるしかないのさ」

シードは、取り合えず、一番下に位置する鉄杭を踏んで、強度を確かめた。
微妙にたわむ。だが一応、体重は支えられるようだ──少なくとも、この杭に関しては。

「……つまり、罪が重いと落ちるって訳か?」
「って事になってるがね。よくわからんよ、なんせ統計をとれる程挑戦者がおらんからな」

まともな神経じゃ登れんよ、と老人は笑った。

「じゃあまあ、頑張れよ」




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『職を手に入れよう!』 その5

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百万G、ツケは受け付けてないからね、と不親切な言葉を残して、老人は小屋に引っ込んでしまった。
どうせ登れないのだろうと、高を括っているのが見え見えの態度だ。

「ったく、絶対ェ金なんか払わねぇかんな」

登れた人間がいるというのなら、シードにだって出来ない筈はない。
問題は、この絶壁に本当に何か不思議な力が働いていたらどうするかということだった。ここが自分たちの世界であれば、気軽に挑戦も出来るのだけれど。
罪の重さなど他人に判断されたくはないが、胸を張って自分が善人だと言えるほどシードは無神経ではない。

クルガンは、シードと同じく初めの杭を踏んでつくりを確認すると、あっさりと言った。

「試して見ればいい」

無駄の無い動作で歩を進め、彼はすたすたと登っていった。
足取りに危なげはないのだが、杭から杭へ跳び移る瞬間に足場が軋む為、見ている方が心臓に悪い。

瞬く間に、軽く身長の三倍の高さまで到達すると、クルガンはシードを見下ろした。

「問題あるまい。業の深さが杭の脆さに作用するなら、この時点で落ちているだろう」
「……普通さ、極悪人ほど助からない高さから落っことすんじゃねえの?」

安全な段階で簡単に罪の軽重が判断出来るなら、この絶壁は賭けにも何もならないと思うのだが。

「……一理ある」

クルガンは珍しくシードに賛同した。
と思ったら、余韻も残さず可愛くない提案を口にしたのではあるが。

「先に行け、シード」
「へ?」
「お前が落ちたら引き返す」
「良くもまあそんな酷ぇ事平然と言えるよなアンタは……!」

飛び降りて来たクルガンを半眼で睨み、シードはぶちぶちと非難した。
しかしちっとも堪えないようで、クルガンはやはり淡々と言った。

「お前は大丈夫だ」
「何を根拠に言ってんだよ!」

食って掛かるシードに、クルガンは毛程も表情を変えず、

「落ちても掴んでやる」
「え」
「だから、大丈夫だ」

と続けた。
シードは口をぱくぱくと動かしたが、クルガンは真顔で絶壁を眺めているだけで、憎らしいくらいいつものクルガンである。

「どうした?」

……わかって言っているのかそうでないのかはっきりさせて欲しい、とシードは思った。
どちらにしろ乗せられてしまうのに代わりは無いのだが。

「──じゃ、まあ。行きますか」

シードは杭を踏むと、ひょいひょいと渡っていった。
危険な場所に誰かを先に行かせるなどと、元々自分の望むところではない。

こういうものは、調子を崩さずにいくのがコツである。一段一段立ち止まっていては余計に危ない。

「う、わ」

ある程度の高さまで到達すると、風が強くなってきた。
岩壁も斜めに迫り出して来ており、圧迫感が高まる。ひやりとする瞬間も幾度かあった。

「……コレ、落ちたらマジでぐっちゃぐちゃだよな……原型留めるかな……」

三分の二ほど攻略したところで足を止め、シードは下を見下ろした。
心臓の弱いものなら気絶してもおかしくない高さではあるが、シードは根性には自信がある。

豆粒ほどの大きさになった小屋。多分、下からシードを見上げれば、空に浮いているように見えるだろう。
一瞬、浮遊感とめまいが襲うが、それで足を踏み外す程間抜けではない。

仮に落ちたところで──後ろにさえ倒れれば──シードは大丈夫──

「…………」

ふと気付き、シードは足を乗せていた杭にまたがって腰を下ろした。
後を追っていたクルガンが、岩壁に手をついて足を止める。

「……やっぱ、先行って」

怪訝な顔をするクルガンに、シードは頑固に先を促した。
岩肌に背をつけ、場所を空ける。

よくよく考えてみれば、だ。

この状況、先と後で、本当に危険なのはどちらなのか?

「馬ー鹿、馬ー鹿格好付け野郎、恥かしいっつーの」
「……意味がわからんが、蹴って良いか?」
「駄目。いーから先行けって、馬鹿」

『お前は大丈夫だ』なんて。

自分だけ渡れないという可能性を考えずにはいられないアンタの方が、この杭に足を乗せるのは怖いだろうに。




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『職を手に入れよう!』 その6

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ある線のこちらとあちらは全く別のエリアという訳なのだろう。地面の色が塗り分けられている。
赤茶けた岩肌から、緑の草地へと一歩踏み出した途端──そこはもう、『アルファータ裏神殿』だ。

神殿にしては小さい、とクルガンは思った。百五十歩程の幅しかない建築物だ。
乗せる地盤が巨大な割に、こじんまりとしたつくりである。それでも、荘厳さは十分に備えていたが。

石造りの神殿。

大きく切り出された白色の石が、規則正しく積み上げられていた。
遠目には子供の積み木細工にも見える、装飾とは無縁のシンプルな箱型の造形。しかしそれでも、石の大きさからしてかなりの労力を費やして建造されたものだろう。

大体、どのようにしてここに建材を運んできたというのか。この場を構成する岩は、白い石とは質が違う。
神殿の後ろにはこじんまりした森が見えたが、その後ろにはまた絶壁がそそり立っていた。いわば此処は岩棚だ。

「ったく、苦労させやがって……」

シードがぼやきながら、無造作に裏神殿の建物にぽてぽてと向かって行く。
クルガンは静かに草を踏んでその後ろに続いた。

『カルマの壁』の審判はどうやら虚仮脅しだったようだが、それでも十分に消耗した。
長らく、食事も休養もとっていない。シードの背中にもやはり疲労の色が濃いが、ジョブの取得にはどの程度かかるのだろうか。

神殿に扉はない。
アーチを潜り内部に歩を進める──そもそも、人の存在が感じ取れないのだがどうしたことか?

かちり、と音がした。
途端に、真正面の壁に備え付けられていたトーチに、緑色の火が灯る。

「!」

広い空間を隅々まで照らすには光はやや足りなかったが、そこに安置されていたものの輪郭をはっきりさせるには十分だった。
あるといえば良いのか、いると言った方が正確なのか。

視界を塞ぐのは──頭を右腕で支え、ごろりと床に寝そべっている、青銅の肌をした禿頭の巨人だった。

「────」

そう──巨きい。

足を僅かに縮めて横たわるこの体を丁度収める分しか、神殿は存在していないのだ。
シンプルな箱型は、風雨から男を守る為だけに作られた証。男が上半身を起こせばその頭は天井を突き破ってしまうだろうが、彼はおおらかに不便を享受しているように見えた。

巨人の目が、ゆっくりと見開かれる。
黒目の部分はなく、その眼球もまた青銅色。

「ストーンゴーレム(石の魔人)か……」
ようこそ、罪人よ

乾いたクルガンの呟きに応えるように、巨人が唇を開く。腹にずしりと来る、石のように重い声だ。
代わりに、シードの口がようやく閉じられた。

ハイランドにもストーンゴーレムは存在したが、それは不恰好な機械に近いもので、これ程滑らかには動かない。そして、これ程の大きさもない。一体、彼を生み出すのにどれ程の技術と魔力が必要か。

クルガンが後で知ったことだが、このゴーレムの姿はアルファータ創造神の姿を模したものらしかった。
──この世は、虚空で眠り続ける巨人の夢。

その身に再び役目を授かりたいと願うならば、叶えよう

その言葉に、シードはすぐさま反応した。
神殿に朗々と響く声で答える。巨人に負けない声量だ。

「願う!」

巨人は僅かに顎を引いて頷くと、彼にとってはスプーンほどの大きさもないだろう小さな人間に向かって笑顔を浮かべた。

よし。では、どのようにして世界に奉仕するかを選べ
「どのように……?」

また、かちり、と音がして、トーチの火が消えた。
入れ替わるように、シードとクルガンの目前、巨人との間の空間に三つの光が浮かぶ。

左に青い灯、中央に白い灯、右に赤い灯。
そして、その後ろに、ぶうんと音を立てて巨大なスクリーンが出現した。映し出されているのは──目まぐるしく移り変わる幾多の文字。
一瞬として留まる事無く、滝のように上から下へと流れていく。

巨人は言った。

選べ、自分の宿業を。光に触れたとき、おのずと道は定まる

二人はじっくりとその装置を見詰めていたが、どう考えても類似するものは一つしかなかった。
恐らく、赤白青の光はスイッチの代わりで、触れればあのスクリーンの文字がどれかに決定されるのだろう。

シードは微妙な笑みを浮かべながら言った。

「これって……スロットだよな……?」

いい加減過ぎる、とクルガンは思ったが、巨人の手前口には出さなかった。




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『職を手に入れよう!』 その7

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シードは、駄目だろうなと半ば予想しながらも、一応尋ねてみた。

「……コレさ、当たったジョブが気に入らなかったら変えられんの?」
許されない
「……じゃ、『きこり』とか、『産婆』とかになったら……」

呻くように言ったシードの言葉を、巨人が引き継いだ。

木を切り、子どもを取り上げるが良い。己の職の経験を積む毎に、また技術も上がる

巨人の口調には茶化す様子はない。冗談で言っているのではないという事だ。
彼にとっては、全ての職業が平等であり、運命に任せるものであり、適性などは考慮の範囲外なのだろう。

しかし、きこりならまだしも、シードは己が産婆になる未来など想像も付かなかった。
子どもは好きだが、それとこれとはまた別問題である。

職を極めればまた更なる高みへの道が開ける可能性もある

ぐるぐるとしているシードをフォローしようとしたのか、それとも予定通りなのかは知らないが、巨人は説明を付け加えた。
しかしシードはその時、産婆技能を極めるとどんな道が開けるのかなぁと逃避していた。

さあ選べ

巨人は、だらりと脱力していた左手を持ち上げた。
もしやひねり潰されるかと、思わずシードは腰を退きかけたが、そうではなかった。巨人は人差し指を伸ばした。

青い光を指差し、

生産の為に働くか

次に、白い光を示し、

循環の為に働くか

最後に赤い光を。

開発の為に働くかだ

巨人の左手が元の位置に戻る。

「…………」
「…………」

シードはちらりと傍らの同僚を見上げた。
クルガンは腕組みしたまま、目にも留まらぬ速さで流れ続けるスクリーンをじっと見詰めている。無視されたかと思ったが、彼は口を開いて小さく呟いた。

「青い文字の職種は、『猟師』、『農夫』、『機織』、『薬剤師』、『鉱夫』、『羊飼い』、『粉引き』──『料理人』や『鍛冶屋』というのもあったが──概ね、物を産出する役だな。大半を占めている」
「読めてんのかよ……アンタの認識能力には負ける」

シードとて、動体視力には自信があった。実際、気合を入れて集中すれば見えることは見える。
だが、読むことは出来ない。

この場合、見るだけでなく、さらにその一瞬で文字の意味内容を汲み取るという作業が必要とされるのだ。瞬発的な把握、理解能力を備えなければ『何となくこういう模様が見えた』で終わりである。
つまりこの速さでは、シードが意味をすくい上げる前に文字は流れていってしまう。

「白は、『商人』、『芸人』、『役人』、それに『貴族』や『船乗り』、『学芸員』、『医師』、『騎士』──つまり流通や統治、発展に必要な職だろうな」
「赤は?」
「格段に数が少ない。今まで読めたのは、『狩人』と『発明家』のみだ。開発……というには、『狩人』は当て嵌まらない気がするし、『猟師』との違いも良くわからんが」

クルガンはスクリーンから巨人に目を移すと、問いかけた。

「異世界へ渡れるようなジョブというのはありますか?」
──異世界?

巨人は僅かに笑ったようだった。

世界を切り開くが定めの開発者なら、地の底の蓋を開けられる可能性もあるだろう
「…………」
問答は終わりだ。ジョブスロットを現出させておくにも疲れる。願ったのなら心を決めろ

そんな直接的な名前だったのかとか、何か神秘性が薄れたとか、結構気さくだよなこの人とか、色々と思う所はあったが。
選択肢を迷う必要はないようだ。
クルガンとシードは右方向へ向かった。そこにあるのは勿論、赤い光だ。

「……じゃ、ま、なるべく役に立つジョブである事を願って」

シードは右手を伸ばし、それに触れた。




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『職を手に入れよう!』 その8

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ぴこん、と可愛らしい音。
同時に、スクリーンに映る文字が全て赤一色に染まった。

二人が注視する中、文字の流れる速度がだんだんと遅くなる。
最後には、一鼓動の間に一つの職が表示されるまでになり──

とうとう画面が固定され、動かなくなった。

次の瞬間、ファンファーレと共に、シードの頭上からきらきらと輝く燐粉のようなものが降ってくる。
素直に美しいそれは、祝福の光景。

「……おい」

だが、そのような事はシードの目にも耳にも入っていないらしい。彼は表示された文字を見詰めたまま、拳を握り締めている。
クルガンは騒音を予測し、心理的に身構えた。シードの押し殺した声というのはあまり歓迎するべきものではない。それは長さ三ミリの導火線と存在意義は全く同一で、殆どの場合次の瞬間には爆発している。

「ざけんなよ……」

巨人に殴りかかりかねない、とクルガンは思った。

ウェイト差で言うなら、にちりんまおう対ひいらぎこぞう位はある筈だが、その事実は抑止力にはなるまい。シードはもとより可能不可能で動く男ではない。彼我の圧倒的な戦力差など脳裏から吹き飛んでいるだろう。

(──まあ、無理もない)

クルガンはとうにシードを宥める事は諦めている。
巨大なスクリーンに間違えようもなく鮮明に映し出されている、彼に与えられた役職が──『盗賊』だからだ。シードは弱者から金品を奪い、あるいは嬲るこの種の輩を毛嫌いしている。

「こんな職業があるか!例え何処にいようとも俺は皇国兵だ、略奪などするものか……!」
────
「そんなモンになる位なら俺はジョブなんざ要らねぇよ!」

吼えるシードに、巨人の表情は全く変わらなかった。

黙るがいい。無知なる者よ──お前はもう『盗賊』だ
「だっ……!ならさっさと剥奪でも何でもして罪人に戻せ!」
間違えるな。その職は、窃盗を強制するものではない
「……へ?」

クルガンは、シードの頭上に疑問符が浮いたのを幻視した。

勿論、己の道を悪事と定めるのなら、他者から奪い生きる事を咎めはせぬ。だが、お前はそれを望まないのだろう?
「ったり前だ!!って、でも──」
技能をどのように磨くかはお前の自由。その職にあれば、迷宮の罠を解除し、あるいは立ち塞がる扉を開け放ち、世界を切り開く事も可能だぞ
「え……え?」

彼なりに状況を整理する為か、シードはぶつぶつと呟き始めた。

「罠……?罠って何だよ罠って、罠を解除する役目って事か?何かスゲェ限定されてんじゃん活動範囲、つかなんでいきなり罠?」

シードは怒りを空中に固定したまま(このあたりは本当に器用なものだとクルガンは思う)、何やら悩み始めた。
表現するなら、浮いていた疑問符が焦げ付いてぶすぶすと煙を上げ始めているといったところだ。

「……クルガーン、アイツ何言ってんだかマジでわっかんねーよ、盗賊って盗賊だろ?」
「おそらく、この世界の『盗賊』は俺達の知るものとは役割が違うのだろう。単なる略奪者ではないという事だ」
「うわあ納得出来ねぇ!盗賊は盗賊、それ以外はそれ以外だろ?!」
「……シード、此処は異世界だ」
「アンタずっとソレで押し通すつもりかよ……諦め早いっつーか悟ってるっつーか、俺だけ馬鹿みてぇじゃん……つか、何、ここは常識を捨てる場面なのか……?」

シードがぐだぐだと迷っている間に、再びスロットが回り始めていた。
次はクルガンの番ということだろう。

赤い光の中へ手を差し入れる。やはり、ぴこん、と音がした。
ゆるゆると動きを止める文字の滝、最終的に表示されたのは──

「────」

頭上から降り注ぐファンファーレと金粉を他所に、クルガンは自分のステータスを開いた。逃避行動である事は頭の片隅で自覚していた。
しかし残念ながら、ミスや目の錯覚ではなかったようだ。スクリーンに映し出された文字と、先程は確かに『無職』であったスペースを埋めている文字は同一のもの。

お前の定めはこれで決まった

巨人は無情にも告げた。

『神官』よ
「…………」
お前の役目は、信じる神への信仰を糧にこの世に慈愛を注ぐこと

思わずクルガンは復唱してしまった。

「──信仰?」
「じ、慈愛……?」

その後を、怯えたようにシードが引き取る。
そして彼は沈痛な面持ちで断言した。

「無理だ」

何でお前が言う、とクルガンは思った。




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『職を手に入れよう!』 その9

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彼らが何とか現実を受け入れた頃には、巨人は目を閉じて眠りに就いていた。
こちらとしても他に用事はないため、大人しく神殿を出る。

しかし、クルガンがステータスを開いた際に気付いた事だが、ジョブの表示の他にも変更された点がある。
それは役職の真横と、呪力の下にそれぞれ増えていた。

シードは棒読みで言った。

「『盗賊』……れべるいち、しょしんしゃ」
「────」

クルガンは無視したが、シードはしつこかった。

「れべるいち」
「繰り返すな」
「けいけんちぜろ……!」
「……その通りだろう」

クルガンとて、別に気分の良い評価だとは思っていないが、文句をつけたところで変わらないのも確かだ。
大体、『神官』とやらに関して言うなら、自分のレベルは1どころかマイナスである。やる気すら湧いてこない。

「うーん……」

シードは唸ったかと思うと、ぱっと顔を上げて頷いた。

「だよな。じゃ、ま、これからって事だ」
「────」

どこかに切り替えスイッチでも付いているのかと、クルガンはシードに対してたまにそう思う。
シードは大きく伸びをすると、崖のふちまで歩いていった。

いつの間にやら、日が傾いて来ている。

崖の上からは、下界が一望出来た。
緩やかにカーブを描いているリリス川。点在する林に、大規模な森、丘と草原は綺麗にテリトリーが分かたれている。
そして、河口に存在る街は、川によって左右に切り分けられて。

夕日が、その街が望む海を赤く染めていた。

「『ブラッデンブルー』ねぇ……つまり、見たまんまって事か」

シードがしみじみと呟く。
しかし、そのロマンチックな光景を前に、クルガンには言っておきたい事があった。

「日が落ちる前に確認したいのだが」
「何だよ」
「ここから、下の渡し場に連絡する手段があると思うか?」

これは、疑問というよりはむしろ反語に近かった。
シードはぎしりと固まると、クルガンを振り返った。

しかしどう考えても、ここには、クルガンとシードの他に、草地と森と、神殿とその中で寝ている巨人だけしか存在しない。しかも、例えシードの大声だとて、地面に届く前に風に吹き散らされるだろう高度だ。
シードはまさか、という表情を作った後、とりなすように軽く笑ったが、クルガンは笑う気分にはなれなかった。

シードは不自然な笑顔のまま、乾いた声で呟いた。

「……またここ自力で下りんの?」
「────」
「マ、マリーンは?優雅な空の飛行は!?」
「俺に言うな」
「下る方が百倍危ねぇだろコレ……!」
「だから俺に言うな」

二十秒程経過しても革新的な提案は出てこなかった為、彼らは諦めた目で杭に足をかけた。





余談ではあるが、ジョブを取得してきた彼らに酷く驚いた渡し守の老人に夕食を馳走になった段階で、シードの機嫌はまたころりと上向いた。
やはりスイッチの存在が懸念されたが、クルガンは軽く、便利ではあると言う感想に留めた。断じて羨ましくはない。




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『職を手に入れよう!』:クリア!