百万回目の告白。






百万回目の告白。







いつもと同じような日。
サンジは閉め終わった店のカウンターを拭いていた。

使い込まれた飴色の木肌は艶やかで、サンジは自分で綺麗に磨き上げたそれを見るといつもキスしたくなる。
いや、店を開けたばかりの頃は思いつくたびに実行していたのだが、今は我慢することにしていた。

原因は、店のフロアに、これまた丹念にモップをかけている少年の存在である。
十四、五歳だろうか。サンジは少年の年齢を知らない。自分のほうが年上であることははっきりしているので、とりあえずはそれで良かった。

少年の名はディフェンという。二年と七ヶ月前にサンジが拾った。
そのあたりの事情はややこしいので省くが、ディフェンは現在サンジの店の雑用だ。フロアにモップをかける手際だけは自分も敵わないと認めている。

せかせかとすばやく、しかし心地よいリズムで響く少年の所作を背後に捉えつつ、サンジはカウンターから身を放した。
途端に、ぴたりとディフェンの動作が止まった。全く唐突だ。

「?」

怪訝に思いサンジが振り向く。
ディフェンは肩を震わせ、顔をこわばらせてフロアを睨んでいた。
その視線の先をたどる。

「あー……」

思わずサンジは唸り声のような溜め息を漏らした。
客の誰かが乱暴に椅子を引いたのだろう、かすかな傷が付いている。

「………今日はヤな予感がしてたんだ」

ぶすっとした表情でディフェンが呟く。
ディフェンはサンジと同じくらいこの店に愛着を持っている。今日の夜はこの傷を塗料で埋めるのに睡眠時間を削るのだろう。

塗料を取りに行こうとディフェンが身を翻した瞬間に。
ふ、と何かがサンジの鼻に臭った。

「ヤな予感」

先程のディフェンの言葉をなぞると、サンジは店の入り口に向き直る。
丁度、その上部につるされたベルを鳴らしながら、曇りガラスをはめられた店の扉が開くところで。

「……………………」

その隙間から顔を出したゴミ屑とも生き物とも付かぬ物体に、サンジは目を細めた。
まだらに茶色に染まった緑色。それだけを一瞬で確認する。

もう三年ぶりだかになるその男は、新聞配達員に送るような気の抜けた挨拶をサンジに寄越した。
喉に何かが詰まったようにしわがれて擦れた声が、小さな差異を生む。

「……………よぉ」
「……雑巾貸してやるから血は拭け」

再会後交わした初めての会話はそんなものだった。挨拶があっただけ快挙だ、とサンジは思った。こんな時間にそんな格好で、一応ゾロも悪いと思ってはいるのだろう。
只、サンジが言い終わる前にゾロは足を踏み出してしまっていたので、小さな雫が早速フロアに染みをつくっている。

「……………………」

ディフェンは何も言わなかった。ただ、その足をタン、と慣らして侵入者をじっと見た。
ゾロは眉を片方上げて、ディフェンを見返した。

それは多分、三年ぶりだったと思うのだけど、サンジには男と会えない日々を数える趣味はなかったので断言は出来ない。





+++ +++ +++





ディフェンはゾロを4回雑巾掛けした時点で、血糊を完璧に落とすのは断念した。
じゃばじゃばと赤黒く濁った水の中で雑巾をすすぎ、そのバケツを持ち上げる。

ゾロはカウンターに腰掛けた。肘を付くと、まだふさがっていない傷口でもあるのかカウンターに濁った水と同じ色が付着する。

酷い顔だ。
右目の上が切れていて、瞼が腫れているので目が半分潰れている。
こめかみから頬にかけてひきつれたようになっている傷は、確かGM号に乗っているときは付いていなかったように思うのだが。

生臭い血の臭いが店内に立ち込めているが、もともとゾロはこういう物体であるのだ、サンジはそう思うことにした。自分も大概丸くなっている。
年月の重みという奴だろうか、この分でいけば来年には家庭内害虫にでさえ優しくなれるかもしれない。

「さ」

け。と言い終わる前に、どん、とサンジは瓶ごと叩きつけてやった。
勿論通常は怪我人の分際で一丁前に飲酒など言語道断であるのだが、ゾロにそんな気遣いをしてやる義理はなかった。思う存分反吐でも血反吐でも吐け。

「けど吐くときは外だ」
「善処する」

ゾロは酒瓶を掴むと、直接口をつけた。洗い物はもう済ませてしまった、勿論サンジには夜中の闖入者の為にグラスを洗いなおす気はない。
ぐびり、とゾロは喉を鳴らすと、一瞬目を瞬かせた。すぐに立ち上がる。

フロアに新しく汚れを増やしながら、ゾロは店の外に出て行った。
観察するまでもなく、ゾロの怪我は刃物による裂傷と鈍器による打撲である。サンジはわかってはいたが知覚はしていない。
いちいち気にすることではない。

なにやらびちゃびちゃと水音が聞こえてくるので、何をやっているかは考えなくてもわかる。
しばらくすると戻ってきた。

サンジは一瞬にしてカウンターを飛び越えて、もう一度椅子に腰掛けようとするゾロの足を背後から蹴った。というより突付いた。
がたん、がしゃん、と盛大な音を立て、抵抗なくゾロが尻餅を付く。

薄汚れた血と泥の塊のような緑色を見下ろして、サンジは呆れたように言った。

「…………ナニソレ。病気?」
「どうだろうな、筋肉がうまく動かねぇ」

ふうん、とサンジは鼻を鳴らすと、ちらりと視線を流した。
物音に興味を示したのか、ディフェンが顔を出しているところだった。

「いつも?」
「起きてる時間の三分の二」
「程度は」
「たまに呼吸もうまく出来ねぇな。肺に筋肉ってあるのか?」
「他には?」
「血を吐く」
「トナカイには」
「見せてねぇ」
「命日は?」
「未定」

ゾロは懲りずにまた酒を口に含んだ。
サンジが止めるわけはない。ようやく飲み終えたのを次の酒に手を伸ばす。

だが今度はディフェンに止められた。




確かに、ゾロには傷が増えているのだろうと思う。というよりは、傷にゾロが引っ付いている感じだ。
一つ一つに、十分恨みのこもった傷だ。


いつか来るだろうと思っていた限界が。

早すぎたのか遅すぎたのか、判断が付かない。



大体、いつだって構わないのかもしれない。