船を下りて数年、ゾロは順調に強くなっていた。

焦りや飢えがない分、効率的に鍛錬を積む事が出来、足手まといがいない分身が軽い。戦いに次ぐ戦いの日々を潜り抜けても、心に疲労を感じることもない。常に精神が安定していて、己を刀として研ぎ澄ませるための障害もない。

全く、ゾロは頭の怪我に感謝してもよかった。
余計なものが削れたおかげで、順調に夢を叶える事が出来る。

海賊狩りに戻り、賞金首を斬ることで全く生活には困らなかった。
むしろ、強い敵を狩る分桁の多い金を受け取り過ぎて邪魔だった。当座の酒と宿、そして女と食い物を得れば後はそのあたりにばら撒いていた。そんな事をしていれば金を目当てに寄ってくる人間も増え、ゾロの周りには人が絶えなかった。色々な街を歩き、色々な山を越えた。

ただし、どんな人間もその街限りだ。

旅に連れ立つ相手など邪魔なだけで、ゾロは完璧に一人で生きることが出来た。旅の途中で野宿をしても危険はなく、火を熾して簡単な料理も作れる。
話し相手は特に必要がない。大体、言葉というのは必要なことを伝える為にあるもので、ゾロは何でも一人で出来るのに何を話す事がある?

以前の仲間の全員に心配され、その為にやや危惧していた方向感覚だが、実際のところまったく上手く機能している。大体、地図さえあれば、目的地に辿り着くなんて誰にでも出来る簡単なことだ。

「あんたはいつも自信満々なのね」
「お前はいつも冷静で、頼れる男だよ」
「ねぇゾロ、貴方の目、寂しそうよ」

陸を歩くうち、幾つもの言葉と評価がゾロの上を通り過ぎていった。
だが、ゾロはそのどれにも頷いた事はない。

自信満々?冷静?寂しそう?それは全て、見る側がゾロを勝手に空想しているだけだ。ゾロの内面はいつも同じなのだから、違うのはゾロを見ている相手の受け取り方のほうだ。

ゾロ自身はそんな事を思っていないのに、考え方を押し付けてくる。一人でいたら寂しいでしょう、理解してくれる人が欲しいでしょう、と──それはゾロの望みではない。
ゾロを見ている誰かの願望だ。

孤独な人間には、本心では愛する者を求めていて欲しいのだ。
だが、ゾロはそんな恋愛小説は読まない。

「あんたはもうちょっと、周りを見なきゃ駄目」
「冷静過ぎて、冷たいと思わないか?」
「ねぇゾロ、貴方、このままじゃ幸せになれないわ」

『幸せ』になることに、一体どんな価値がある?

ゾロには何もかも手に入る。捨てたものより得たものが多過ぎて、いちいち覚えていられないくらいだ。
過信をするつもりはないが、鷹の目と再戦しても今のゾロが負けるとは思えない。世界一の座を手に入れるのも遠くなかった。

上り坂を過ぎれば、次の街が見える筈だ。
雑草に侵食されかけた道を、ブーツの底で一歩一歩踏みしめる。

「────」

ゾロが持たないものは、ゾロが持ちたくないから持っていないのだ。深い理由はない。
愛だの情だので説得しなくても、ゾロはそれが必要ならば何でもしてやるのに。

丁度ひとつ前の街で縋ってきた腕と涙を思い出して、ゾロは溜息を吐いた。
無駄だと言っているのに、何にもならないのに、わざわざ傷付く愚かさ──

「──虫みてぇだ」

気持ち悪い。

ゾロの中で、面倒さは不快さに直結した。逆に快楽と言えば、睡眠が主だった。睡眠は煩わしくない。ゾロは夢も見ない。

そういえば、ゾロの頭は随分と記憶力が良くなって、あれから出会った人間の顔と名前は嫌でも覚えておくようになっている。不要なものまで整理されてきちんと取り出せるようになっている。だから、ゾロに下された評価もいちいち並べる事が出来てしまう。

ぷるぷるぷるぷる

「?」

ふと、担いだ風呂敷の中から妙な音がした。
何かとゾロは一瞬考えて、すぐ思い当たった。

船を下りるとき、航海士から押し付けられたものだ。何かあったときに、連絡出来るようにと。

要らないと言った筈だが、いつの間にか荷物の中にあった。邪魔にならない為、捨てることはないと考え、まだ持っていたのだ。

小さな電伝虫はずっと眠っていて、あれから一度も鳴らなかった。
けれど、ゾロはその存在をすぐに思い出す事が出来る。昨日の街の人間と同じに、一年前の国と同じに、鮮明に。

そう、ゾロはきちんと把握している。
夢を叶えるには、後どれくらいの経験と鍛錬が必要か。後どれくらいで次の街に辿り着き、後どれくらいでこの国を出るか。
誰と何処で出会ったか、何を話したか。どんな風に利用し、利用されたか。

「────」

──ゾロはきちんと認識している。
だから、今まで受けた全ての評価が相手の勘違いであるように、あの船の人間が言っていた言葉も的外れだったと覚えている。


思い返しても、話をする理由はない。
それならば、受話器をとる必要もないように思った。








「テメェ……俺の名前、知ってるか」
「サンジだろ」

それ以外に、一体どんな答があったというのだろう。
ゾロはちゃんと相手の名前を知っていたのに、どうして褒められなかったのだろう。

それだけ、今も疑問だけれど。






















『一億光年の光。』





















お前には、わかんねェだろうがな。

世の中は『お前』と『それ以外』じゃねェんだ。
お前のほかに、一億人だっているんだよ。

当たり前だって言うのか。
その当たり前のことを、テメェはどれ程考えてる?

この世の全員が……一人も残らず、全員が。全部ちっぽけで、お前には全然理解出来ない一人一人が。

何かしたくて出来なかったり、馬鹿みてェに足掻いたり、なるべく優位な地位にいたかったり、楽をしようと思ったり、借金抱えたり酒に溺れたり、大事なものを失ったり、自分勝手な生き方をしたり、人を傷付けたり傷付けられたり、悩んで手首を切ったり、不安を飲み込んだり、恐ろしいくらいに、どうしようもないくらいに……誰かを想ったり、してるって事を。

どれ程、考えてるんだ。
何も、見てねェだろう。

『お前』と『それ以外』だけじゃねェんだよ。
お前が自分だけを見てても、お前が理解出来なくても、お前にとっちゃ煩わしくても──他が消えるわけじゃねェんだよ。

お前が見てねェだけだ。
『それ以外』を別の虫けらだと思ってるだけだ。『お前』じゃねェなら、どうなっても関係ねェと思ってるだけだ。どれでも同じだと思ってるだけだ。


お前はいるさ。
でも、俺だっているんだ。

それで、一億だって、俺とお前が居るんだ。この世界には。





見えねェのか。