一億光年の光。









 








「何を企んでいやがる?死にたくなけりゃあ、言え」
「──仲間を裏切るくらいなら死んだ方がましだ」
「そうかよ」

ゾロは拘泥せず、あっさりと頷いた。

ふしゅっ

同時に、刀の切っ先が正確に心臓を突き刺す。──しかし背までは突き破らない。

「────」

血が飛び散らないように、という配慮から──ゾロはそのまま刀の切っ先で肉塊を持ち上げると、船の外に捨てた。
その様を見て、残った海兵が顔を引き攣らせる。こちらはあまり、根性が据わっていないようだった。

「ひっ、た、助け、っ」
「……何を企んでいやがる?」
「言う、言うよォっ!」
「嘘を吐いたら──」
「吐かない!!この先の航路で──」

ぺらぺらと喋り出すその情報が本当に真実かはゾロには判断が付かなかったが、それは言っても詮無いことだった。
若い海兵がひと通り話し終わるのを待って──

「助、」

ゾロはまたその心臓に刀の先を突き刺すと、海に捨てた。

ゾロの担当した右舷の甲板には、一滴の血の染みもない。
ただ、刀の切っ先だけがぬめぬめと光っている。ゾロはそれも海に振り飛ばした。

船の他の場所ではまだ戦闘が続いているらしく、騒がしい──次の行動を考えていたゾロの、その背中に震える声が掛かる。

「ゾロ……?」
「何だ。加勢が必要か?」
「あんた……何、してんのよ……?」

航海士を振り返ってみると、気丈な女らしくなく、その大きな目にはありありと動揺の色が浮かんでいた。
そこで、ゾロは右手で抜いた一本だけの刀を振ってみせる。

「無理な運動はしてねぇ。傷が開くと、治りが遅くなるからな」
「何、言ってんの……?ねぇ、何言ってんのよ、ゾロ!」

こちらに駆け寄り、航海士が肩に手を掛けようとしてくる。
それを嫌って、ゾロは手を跳ね除けた。

「ゾロ!!」
「煩ぇな、金切り声出さなくても聞こえてる」
「誤魔化さないでよ!何をしてるのかって聞いてんのよ!」
「見ての通り、戦闘だ。俺は戦闘要員だろうが」
「戦闘……?こんなの、戦闘って言わないわよ!命乞いしてる人まで、一方的に殺して──」

ぼりぼりと背をかきながら(痒かったのだ)、ゾロは航海士に背を向けた。興奮している女とは話をしないに限る、議論にならない。

「ゾロ!!」

それでも、会話を続けなかったのはゾロの慈悲だった。掃除といわずに、戦闘と言ったのも。

たとえ直接に手を下さなかったとしても、敗北者をこの海原に小船で送り出す、それが死刑の執行でなくてなんだと言うのか、ゾロにはわからない。そんな事をされれば、渇きや飢えを待つまでもなく、溺れ死ぬのは目に見えている。

生き延びる可能性がゼロではない、その言葉に救われるのは、おそらくこの船の乗組員の方だ。
『殺していない』から。たとえ、首に縄をくくりつけ、縄を高い木の枝に結び、彼らの足下から台を取り外しても──ゾロのように直接心臓に刃を差し込んだわけではない。殺すのは重力であり、殺すのは海だ。

しかし、そんな事を説明したところで、無駄に相手を傷付けるだけだ。だから、ゾロは黙っている。

「ゾロ……!」

ゾロのやり方の方がいい、とまではゾロは思わない。溺死の方がマシだという趣味の奴も居るだろう。
だが、客観的に見て、なんらの変わりは無い事は確かだと思う。海に捨てようが、海に流そうが──ゾロは、面倒臭いと思ったので殺して捨てた。航海士が流して捨てたいというのならそうすればいいが、ゾロの方に責められる理由はない。

たとえば、箸の持ち方だって人それぞれだろう。口煩くマナーを押し付けてくるのは母親だけでいい。

ゾロは甲板を回りこんで、ラウンジに戻った。今のうちに、隠しておいた酒を自分の荷物の中に戻しておくつもりだ。ついでにコックが皿に盛りかけていたらしい焼き菓子が冷めてしまいそうなところを発見し、ばくばくっと七分の一だけ食べておく。

敵襲はまだ続いていたが、見たところ雑魚ばかりで加勢の必要はない。船長も、コックも、己の担当範囲にゾロの手を借りたいとは思うまい。後甲板の年少組は、考古学者がどうにでもするだろう。

自由に動けるようになるまでせっかく後二週間という診断が出ているのだ、安静にしていた方がいい。
そう考え、ゾロは大人しく男部屋に引っ込んだ。幸いにして、ゾロは騒音の中でも眠れる丈夫な神経の持ち主だった。














『一億光年の光。』















「頭を打ったせいよ、それで──それであんな、」
「ナミ。……ゾロは気が狂ったって訳じゃない」

秘密を打ち明けられたチョッパーは、カルテに落とした視線を動かさないまま、ぽつりと呟いた。

「記憶も言動もしっかりしてる」
「でも……あれは違うわ。絶対に違う……」
「……怪我をしてから、ゾロはずっと大人しかった。サンジと喧嘩もしてない。俺の言う事がやっとわかってくれたのかと思って嬉しかったけど……」
「そうじゃないわ。……私もちょっと、変だと思ってた。そういう目で見てみたら──本当に、全然違うの。前とは」

くしゃりと前髪を握って、ナミは吐き捨てた。
女部屋のバーカウンターのスツールに腰をかけたまま、ヒールのかかとを乱暴に床にぶつける。

「教えてよ……ゾロはどうなっちゃったの?」
「俺にも……正確なところはわからない。人間の頭は、切り開いてみたって解明出来ないから……」
「いいから教えてよ」
「多分……ゾロの脳の、情動系神経が欠損しちゃったんだと思う」

ゾロは、大口を開けて笑わなくなった。
ゾロは、青筋を立てて怒らなくなった。
その代わりに、物分りが良くなった。ルフィの悪戯も流し、サンジの罵倒も流し、ナミが頼めばシャツも羽織るようになった。

「人間の脳は、ずっと長い時間をかけて情動を発達させてきた。快不快だけじゃなくて……嬉しいとか楽しいとか、悲しいとか……同情とか、羞恥とか、嫉妬とか、感じるようになった。そういうのって、凄く特別な感情なんだ。好きだとか、嫌いだとか、そんな事でさえ、動物には持てないんだ」
「──じゃあゾロは、単に頭の良い動物になっちゃったってこと?」

あいつが頭が良いなんて、笑わせるけどね。

ジョークを言いかけた表情で、ナミはいびつに口元だけ吊り上げた。
長い沈黙の後、ナミは低い声でチョッパーに問いかけた。

「……どうしたら治るの」
「────」

今度の沈黙は、先程よりも更に長かった。

「わからない……」

チョッパーのその言葉の意味を、ナミがわからないわけはなかった。
治療の手立てを知っているなら、チョッパーはこんな風には言わないだろう。絶対に治る、治してみせる、と、それがどんなに低い確率でも言うだろう。

万能薬になると誓った夢の為に、彼には使えない言葉がある。

「でも探す……俺は探すよ、次の島で、出来るだけ症例を集めて──」
「それでは遅いわ」

突然扉が開き、静かな声が滑り込んできた。
チョッパーは驚き、ナミは予想していたように振り返る。

この船で、彼女に秘密を隠しておく事は出来ない。

ロビンは扉を閉めると、小脇に抱えていた分厚い本を書棚に戻した。

「彼はもう、船を下りることに決めてるわ。次の島で」
「な、なんで──?」
「さあ、それはわからないけれど」



彼にとって、この船に居る事はもう、意味がないのではないかしら。