「敵襲ーー!敵襲ー!!」

興奮した叫び声がキッチンを貫く。
うきうきとした気分で、愛する航海士に供するデザートのための皿を取り出そうとしていたサンジは、がっくりと肩を落とした。

「ったく煩ェったらありゃしねェ」
「いくつになってもはしゃげるんだから、男ってのは」

ナミはさらりと椅子から立ち上がり、サンジはキッチンの扉を開けた。
人員の少ないGM号の小さな船体は、打ち込まれた砲弾による波により、派手に揺れていた。
転覆はしないが、激しい振動にバランスを崩しかけた航海士の肩をサンジが支える。

「ルフィ!砲弾を跳ね返して!ウソップ!撃ち返して!」

ナミの的確な指示を後ろに聞きながら、サンジは甲板に降り立った。
一番まずいのは、船をやられることだ。沈んでしまえば流石のルフィも海の底に眠るしかない。相手の狙いは財宝ではなく(当たり前だ、こんな小さな船を)、麦わらのマークを見て向かっているとすれば名声欲しさだろう。
速やかに接舷し、相手の船に乗り込まなければならない。近接戦闘役の本領発揮はそれからだ──戦意喪失させるか追い払うか全滅させるか。

「!!」

ルフィが弾けなかった砲弾がこちらへ向かってくる。サンジは回避行動を取らず、その場で右足を上げた。
左脇をすり抜けようとする砲弾に、体をひねりざま斜め後ろから撫でるように足を添える。そして、柔らかく回転をかける。
流れに逆らわず少しだけ力を掛けていく。軸足の回転にあわせ、滑っていく弾を引っ掛けるようにして、いつの間にか方向を変える。

それだけの作業を、瞬間を細切れにして行う。
サンジの体が一回転したときには、砲弾は敵船の方へと帰っていった。

こんなことも出来る──昔は出来なかった技だ。少し間違えれば足が吹き飛ぶ。
いつからかそんな危険にも慣れてしまった。
サンジは煙草を取り出し、いつものように火をつける。噛み締めるものがあった方が、蹴りに力を込めやすい。

「…………」

そして、大小二つの船が横に並ぶ。

こちらにロープを引っ掛け、渡ってこようとする敵を、ロビンの手が阻害する。ある時は元からロープを落とし、ある時は直接払い落として。
圧倒的に大きい人数差を埋めるには、こちらの能力をフル活用するしかない。

どんっ

破壊音と共に、ルフィの拳が相手の船体横に大きな穴を開ける。
これでその修復のために相手の手数が減る──まあそんな事まで考えてはいないだろう。
サンジはロビンの手を掻い潜ってこちらにまで辿り着いた海賊達を、雑草でも抜くようにぽんぽんと蹴り飛ばして行った。
チョッパーも後甲板で活躍しているのか、海賊達の悲鳴が途絶えることがない。

そろそろ向こうの船に移って暴れるか──誰かが責めなければ元は断てぬ。

しゅっ

「……っ!?」

サンジは半身に体を捌いて同時に首を伏せた。
一瞬前まで頭があった場所を、白銀の煌きが通り過ぎる。

「……へえ、やるねぇ」

振り返る。
そこには刀を構えた若い男。サンジの目がすぅ、と細められた。

「蹴り技ってのは珍しい。俺の相手をしちゃくんねぇか」
「……舐めた口ィ利いてんじゃねェぞ。ガキが」

ポケットに両腕を突っ込み、ざっ、と肩幅に足を開いて立つ。
男は、獣のような荒々しい笑みを浮かべた。

「舐めちゃいねぇよ。海賊王の船のクルーだ。飛び切り上等な腕前だろう?俺も──腕の揮いがいがあるってモンだ」

男は、腰に履いていたもう一振りの刀を、空いていた腕で抜いた。
日本刀は直ぐ切れ味が鈍る。てっきりそのための予備かと思っていたが──

「……二刀流か」

ぢりっ、と頭のどこかが焦げる。
気に食わなかった。

「良いぜェ、相手してやるよ……暇じゃねェから、二分くらいならな」
「二分で負けてくれるのか?」
「もうちょっと頭を使って喋れ」
「おいおい、それはこっちの台詞だ。二分で素手に負けちゃあ剣士の立つ瀬がねえだろう」
「じゃあ二分と一秒だ」

言い終わらないうちに、黒い影は床を蹴った。
頭を割る気満々の一撃を、男はかろうじてかわす。

「あっぶねぇ……」
「危なくねェ殺し合いがあるかよ」

サンジは歯を剥いて笑った。
白刃が煌いて、何故かそれに無性に腹が立つ。





+++ +++ +++





(……ふーん)

サンジは片目を眇めて二刀をクロスさせた一撃をかわした。
太刀筋は悪くない。確かに、二分と一秒相手をしてやっても良い位には。
しゃがんだ体勢から両手を床に着き、足を蹴り上げる。顎を掠める一撃を、男は避けた。

刃に生身を晒すのには、覚悟が居る。
自分の武器でさえ、それに掠らせてはいけないのだから。

(だけど……甘ェなァ)

があん!

伸び上がる一撃を、そのまま振り下ろす一撃へと流れるように移動。
顔面に踵落としを食らった男は、ふらふらとよろめいた。

そこで崩れ落ちなかったのがまず賞賛に値する。
サンジは宙返りをして着地すると、短くなった煙草を海に吐き捨てた。

「まだやるか?」
「ああァ……!まだ二分は経っちゃいねぇだろう!!」

吼えるようにそう言って、男は構えなおした。
見た事のない独特の構えは、多分必殺の一撃のためのものだろう。

視線が交錯する。
殺気の篭ったその眼差しは、今更忌避すべきものではない。

「うぉおおおおおおおおおおおおおあああああ!!!!」

突進を迎え討つために、サンジのひざに僅かに力が篭った。
どんな動きにでも即座に対応できるように。
くん、と男の右の刀の切っ先が僅かに下がる。

(そういうトコが、甘ェんだよなァ……)

太刀筋を予測し、サンジは体を捌く準備をした。
今気付かせてはならない。相手が軌道修正できなくなった瞬間を狙い、精悍な首筋を折る蹴りを叩き込むのだ。
勿論刃を食らうつもりは毛頭ない。刹那の駆け引きなら、何度でも経験してきた。少しでもずれれば終わりだが、そんなへまはしない──もう何十年も前から、刀の間合いは覚えている。

サンジは右足を僅かに浮かせた。
男の刀が、跳ね上げ、振り下ろされる。それを掻い潜り──

若い声が、叫ぶ。

「負けられねェ!!待ってる奴が居るからなァ……!」

掻い潜り。














……気付けば、視界が赤く染まっていた。
蹴り足で吹き飛ばした男は、衝撃で気絶しているらしい。

「……二分一秒は、過ぎたな」

ぽた、ぽた、と赤い染みが甲板を汚す。

自分の名前を叫んでこちらへ向かってくる、麦藁帽子の黒髪の男が、目に入った。
そんなに急がなくても、逃げやしないのに。

サンジは視線を逸らして太陽を見上げた。目が眩んだ。
だからふらつくのだろう。

「……痛ェ、なァ。斬り傷なんて、久しぶりだ……」

ああ、なんて情けない。
サンジはそう思いながら、駆け寄ってきた年下の海賊王に向かって笑いかけた。
日に焼けた壮年の、四十を過ぎた海賊王に。

がくり、と膝が折れる。支える手を、サンジは払った。

「オイ、船長……ちょっと、頼みがあんだけどよ」

今更になって、まだ残るものがあった。
だからサンジは、馬鹿馬鹿しくって仕方ない。いつまで堂々巡りを繰り返すのだろう。
でもまあ、自分がしたい事はわかった。

まったく、俺がこんなにくだらねェ男だったとは。

こんな自分は情けなさ過ぎて、少し泣きたいくらいだった。
涙の代わりに、血が落ちる。







+++ +++ +++







凄いニュースだ。

ミーツは朝一番で聞いた噂を引っさげて、坂を駆け上った。
激しい運動と、それにも増して興奮で息が荒い。

古びた家が見えてくる。集落から離れて、ぽつんと建っている一軒家。
立て付けの悪い扉に、突き破る勢いでミーツは突進した。

「オイ、爺ー!!」
「爺って呼ぶな」

奥のベッドから投げつけられた不機嫌な声にかまわず、ミーツは窓を開けた。
新鮮な風が流れ込み、淀んだ空気を駆逐する。

「すげぇぞ、聞いて驚くなよ!?心臓発作起こすなよ!」
「金切り声だして喚くな坊主、聞こえてる」

睨みつける視線にもかかわらず、ミーツは少年ゆえの強引さで、部屋の中を暴れまわった。
発狂したのではないかと家主が危惧し始めた頃、大音声が古い家を揺らした。



「すげぇ、すげぇぞ!この島に、大剣豪が来るんだってよ!!」


老人は、言葉を失った。