『呪われた生き物。』








人を斬る、ということは、何も特別なことではなかった。

ユーバーが化け物だからではない。生き延びるために、人も人を斬る。当たり前のように生存競争をする。だから、生涯人を殺すことなく終える者達は幸運なのだと、何処かの戦争屋はいう。

(そうだろうか?)

ばつん、と筋を断ち切って、残った部分は蹴飛ばしながら、ユーバーは己が笑っていることに気付いている。ケタケタと哄笑をあげることもある。

(人を斬ることは悪いこと──そうだろうか?)

ユーバーは、恐怖の視線を浴びることには慣れている。
怒る男も、嘆く女も、笑う子供も、優しい人間でも、最後はユーバーを恐れる。
人にとって、ユーバーは死そのものであることが多い。ユーバーが殺そうと思えば、大抵の人間はあっという間に死ぬのだ──抗うことはできない。

血飛沫の中、ユーバーは踊るように踏み込んだ。剣を振るった。殺した。
腕を斬った。足を斬った。首を斬り、胴体を斬った。どこだって斬れる。何の抵抗もない。ユーバーはもう、鼻歌混じりに人が斬れる。
殺す。殺す。そう思う前に、もう殺している。

「ひっ……!」

ユーバーに対する恐怖が限界を超えると、大抵、その場は総崩れになる。
戦士達は後ろに向かって駆け出し、生存本能に任せて隊列を崩す。確かに、生き延びたいのならそうすべきだった。ばらばらになってしまえば、ユーバーもいくらかは見逃さざるを得ない。

だが、殺せるだけは殺す。

「────」

盾を放り出し、後ろを向いて逃げようとする背中を、ユーバーは斜めに斬った。真横に薙いだ。縦に断ち割った。何回、何万回──思えばユーバーは、人を斬ることに躊躇いなどなかった。正しい、正しくない、と判断する前に、ユーバーはそうしたいのだった。おそらくそれは、安心を得るためでもあった。

人を殺すことに、ユーバーは喜びと安堵を覚える。
それは、人がシロアリを見つけたときの反応と、おそらく似たようなものだろう。無限に増殖する気持ちの悪い生き物を、ユーバーは焼き払わずにはいられない。

「どうしてッ……!」

そう。
人間は疑問に思うらしい。何故、自分が、殺されなくてはならないのかと。

「何故、」

それこそ、「何故」とユーバーが問いかけたいことだった。
何故、人間は、自分が生きていていいと思えるのだろう。生きていたい、と思うことなら本能だからまだ分かる。だが、何故、殺されることを疑問に思う?

ユーバーは神を信じてはいないが、もし、人間用の神などというものがいるのなら、こう祈るだろう。
「どうか、こいつらを許さないでくれ」と。自分自身の姿をまだ理解していないこいつらを、許さないでくれ。

(死ぬ「べき」生き物だろう)

ユーバーは既に、人という種を一切信用していなかった。
その救われなさを経験的に理解していた。ユーバーは実際に見てきたのだ──長い永い時を掛けて、見たくもないものを見せつけられてきたのだ。人というのは、自らのために、一体どういうことをするのか。

あるところに、金持ちの男がいた。彼は慈善家で、持っている金を世の中のために使い、幼馴染の妻と三人のむすめ、人々の尊敬を得て、大きな家で暮らしていた。心優しい男だった。
地震があり、男の家は崩れてしまった。妻とむすめたちの命は絶望的だった。男は泣き喚いて、村人達に助けを求めた──彼らは絶望のふちにいる男を見た。そして、彼の家の残骸から次々に財を盗み出すと、己の幸運を金に替えに村に戻っていった。
男はひとりで妻とむすめのなきがらを全て掘り出すと、腐りかけたその死体と一緒に己の身を焼いた。

あるところに、戦場荒らしの子ども達がいた。子ども達は大人に飼われており、兵士の屍骸から金目のものを剥ぎ取ってくればパンが貰え、何も手に入れられなければ殴り殺されるのだった。
子ども達は蟻のように勤勉に、臭いにおいのする死体の指から指輪を抜き取り、血溜まりから剣の欠片を拾い上げた。宝石を見つけた子どもの首を絞め、別の子どもがそれを奪った。奪われた子どもは動かなくなったが、誰も気にしなかった。
戦場荒らしを飼っている男は、暖かい寝台でいびきをかいて眠っていた。

あるところに、神を信じる者たちがいた。彼らの神は他の神の存在を認めなかったので、信徒達は邪教の徒を滅ぼすために命を賭けた。
槍の穂を磨き、剣を磨き、盾を磨き、愛する家族にキスをすると、彼らは長い旅をして邪教徒の下へいき、大変苦労して彼らを殺しつくした。悪魔の痕跡が全て火で清められた後、戦士達は家族を呼び寄せ、その地に住まわせた。悪魔の国は無事に神の国となり、神から与えられた豊富な水と食料が彼らを潤した。
違う悪魔の国に向けて、彼らは再び出発した。

あるところに、三つの国があった。三つの国はそれぞれ戦争していたが、それぞれが常に漁夫の利を狙っていたため、決着がつくことはなかった。
戦争を止めることは、今までの犠牲を無駄にすることであり、誰もその決断ができなかった。国民の復讐の叫びと共に、三国は勝ちを求めない戦争を定期的に行った。その馬鹿馬鹿しさに王達は気付いていたが、一番最初に引きさがったものが滅ぼされるようになっていた。
三つの国の間では常に「程ほどに」血が流され、得るものは何もなかった。若者は無駄に死ぬことを目的に送り込まれた。

(何故、許されると、思えるんだ)

──鬼ではない。化け物でもない。
そこに居たのは全て、人だった。それだって、悪人がいたわけでもないのだ。何も特別なことはない。強い弱いの区別もない。その地に生まれ、そのように育ち、その場面に立ち会えば──人は誰だって、同じようにするのだ。構造的に、そうなのだ。芯から呪われている。


「悪人」だから汚れるわけではない。
手を汚さなかった者は、たまたま、そうしなかっただけだ。


これは昔々の話ではないのに、どうしてそう、臆面もなく救いを求める? 運命に従い続け、自分だけを都合よく生かそうとする?
少なくとも、己は絶対に許さん。










「────」

叫ぶような声を、ユーバーは遠くに聞いた。ユーバーは耳がいいのだ。

取り合えず手近の塵を全て殺すと、振り返る。遠く、敵陣に攻め入った本隊が、敵の幕僚を捕虜にしているのが見えた。その中で一際目だつ、赤い髪。ユーバーは目もいいので、遠くにあっても全てを確認することができた。

鬱陶しい餓鬼を、ようやく捕まえたか。
殺してしまえばいいのに、とユーバーは思ったが、アルベルトはまだあの餓鬼を使うつもりなのだろう。よくやるものだ。
ユーバーは溜息を吐いて、剣の血ぶるいをした。

「アルベルト! お前はいつまでこんなことを続ける……!」

弟の問いかけにアルベルトは答えなかったが、ユーバーは知っていた。
命がある限り、アルベルトは続けるだろう。彼の弟の糾弾は、いつまで太陽が輝くのかと聞いているようなものだ。

正直なところ、アルベルトを止めようとするシーザーの思考を、ユーバーは理解することはできない。

(奴は、神の代わりをやってやろうとしているのだろうに。それは愛じゃないのか?)

アルベルトはユーバーほど長生きしているわけではないが、彼はある意味、ユーバーよりも人間の救われなさを理解している。血で血を洗う歴史、共食いする醜さ、蝿のように潰しあう命を、直視している。
だから救わない、というのがユーバーで、けれど救う、というのがアルベルトだ。狂った男だ。アルベルトは本気で、完全世界を目指している。

──悲劇は必然ではなく、誤りだと言おうとしている。……理想を持っている。

「…………」

ふとアルベルトを不快に感じたような気がして、ユーバーは顔を歪めた。
けれど、ユーバーはどうして、アルベルトと共にいるのだろう?





隣の国で同族の殺し合いがあっても、笑って日々を過ごせるのは誰だ。
隣の家で家族が殺し合っていても、そのまま目を瞑るのは誰だ。
それは、異常な生き物といわないのか。

アルベルトだって、どうせ同じだ。そうに決まっている。嘘吐きを信じてはいけない。芯から理解しているはずなのに、どうして迷うことがある。全て見てきたのだ。誰が何をしたところで、どう足掻いたところで、呪いは解けなかった!
わからない。

少なくとも、己は絶対に──許しては。










でも、あるところに、おれもいたんだ。