「……何だ、貴様はそういうことをする男なのか」
「ああ」

アルベルトは短く返答すると、呼び出した相手に向き直った。
いつの間に現れたかは気付かなかったが、アルベルトの部屋の真ん中に、影のように黒い染みが出来ていた。染みというには、その化け物は美し過ぎたが──本質を表現するならば、それ程的外れでもないだろう。

「そういうことをする男だよ」

そういうこと、と言っても、アルベルトは別に珍しいことをしていたわけではない。
ユーバーのように人を縊り殺していたわけでもないし、ろくでなしのように浴びるほど酒を飲んで酔っ払っていたわけでもない。聖者のように一心に祈っていたわけでも、廃人のように麻薬に耽溺していたわけでも、色狂いのように性行為に耽っていたというわけでもない。

アルベルトは単に、鉢に植えられた花樹の芽を剪定していただけだ。大輪の花を咲かせるために、余計な枝は取り除く──いわゆる、『園芸』という奴だ。

つまりは、普通人の趣味の範囲に入る行いである。

「意外でもないだろう。これで結構、構いたがりなところがある可愛い性格なんだ」
「俺の鎧を取り上げたのもその一環か? 別に可愛くないぞ」

いちいち訂正するのが律儀な奴だ、と思いながら、アルベルトは持っていた鋏をまた動かし、小さな枝をひとつ切り落とした。

──軍師という職業につく者は、何かを愛でる様など見せないし、もっと言えば、『人間らしさ』を極力排除しようとするものである。それが、ユーバーにとっての常識だったのだろう。確かに、間違いではない。

服を着せ替えさせられた腹立ちを多少思い出したか、ユーバーは手の届く場所にあった花瓶に生けられた生花を、果実でももぎ取るようにぶちりとむしった。
それは、アルベルトの行為に対する反発ではない、とアルベルトは判断した。単に、花瓶がユーバーから一番近いところにあった、というだけだろう。子供のような反発心を見せるほど、まだ彼は懐いていない。

「……そんな大した結果も出ん単純作業の何が面白いのか、さっぱりわからん」
「物を育てるというのは、大体そういったことの積み重ねだ」

アルベルトは微笑んだ。

「大げさなことは不要で、ただ、少しずつ手を入れていくだけ。薔薇を美しく咲かせるのも、国を繁栄させるのも──手間が掛かるのは同じだな」

聞いているのかいないのか、ユーバーは愛くるしく邪悪な手つきで、花瓶に生けられた花をまたひとつむしった。手袋には花粉が染み付き、ばらばらに引き裂かれた白や、赤や、クリーム色の花びらの破片がテーブルクロスの上で断末魔の苦しみのように強い芳香を放っている。

褒めるところは何処にもない行動、化け物にはそういうものが似合う。意図してはいないにしろ、ひどく『それらしい』。

ユーバーは美しいものを大切にしない。可憐な花を分解し、躊躇いなく人を殺し、それでなくとも短いものを更に踏み躙って何とも思わない。
彼には、本来砂のように零れ落ちてしまう筈の、貴重な筈の美や生を、必死になって掻き集める必要がない──ユーバーは老いないのだ。

「だが、手が掛かる程……」

そこでアルベルトは言葉を止めた。言うべきではなかった。

花を引き千切り、国を滅ぼすのは一瞬で済む。
人の目を惹く、残酷で享楽的な動きは美しい。また、落ちる陽の、散る花の終焉は美しい。だが、アルベルトの目的はそこにはなかった。永遠の生など持たないアルベルトは、退廃や混沌だけを楽しむ事は出来ない。

アルベルトがそれきり言葉を仕舞いこんでしまったので、数十秒後、飽きるのが早いユーバーの方から口を開いた。

「何の用で俺を呼んだ」

数日待たされることも予想していたのだが、ユーバーはすぐに来た──その事実だけ切り取れば、アルベルトに大人しく従っているようにも思える。
だが実際は、気が向いた、というただそれだけのことだろう。ユーバーを飼い慣らせるとは、アルベルトは思っていなかった。

「何、簡単なことだ。小さな砦をひとつ潰して来てくれ。出来るだけ迅速に、お前の姿を見せないように」
「何故だ?」

アルベルトは鉢植えの葉を撫で、秘密めかして囁いた。

「謎があった方が、もっともらしいだろう。俺の出世のためには、ある程度の底知れなさと有用さを見せておかなければならないからな──若いというだけでこちらを侮る、ハルモニアのお偉方に向けたアピールだ」
「何だ、そんな事か」

ユーバーは馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「下らんな。下らん挙句に、つまらん理由だ」
「そう言うな。頼む」

そんな言葉ひとつでは、ユーバーは動かされないようだった。

「大体、俺の力に頼って意味のあることではなかろう。俺がいつでも、あるいはこれから先ずっと、貴様の頼みを聞くとでも思っているのか? あり得ん。現に、今もそんな下らんことをする気にはなれん。つまり、そんなものは貴様の実力には少しもならない──有事に使えない方法を、当てにする馬鹿がいるものか」
「ユーバー。確かにお前の力は俺のものにはならないし、それどころかお前は明日には呼び出しにも応じないかも知れない。だから、お前が砦をひとつ潰したところでそれは俺に『出来ること』の範疇には数えられないが」

アルベルトは溜息を吐いた。



「何故、俺がそんな事情を神官共に親切丁寧に教えてやらなければならないんだ?」



出来る、出来ない、そんな事が何だというのだろう?
重要なのは、出来ると思わせること、そして、出来ないと思わせることだ。それで結果は同じになる。

軍師のやり方とは、大抵そういうものだ。








「……性格の悪い狐め。貴様の言う事は全て、疑ってかかった方が良さそうだな」
「今、褒めたか?」
「煩い」

それでも納得はしたのだろう。
砦の場所を地図上で示すと、ユーバーはそれを目線で確認した。


















ユーバーが部屋から姿を消した後、アルベルトは誰にも邪魔されずに剪定を終えた。
鉢植えを窓辺に並べ、落とした枝葉の方は暖炉に放り込む。

「────」

この品種の花は、咲かせるのにかなりの手間が必要になる。その割に、美しく咲く期間は短い。
だが、花を咲かせることだけを目的としているわけではないアルベルトにとっては、それは問題にならないことだ。

アルベルトが欲しいのは、一瞬ではない。

物を育てようというとき、変化は少しずつでいい。破壊とは違い、もとより一瞬では済まない。
そして破壊とは違い、一瞬では見破れないのだ。

長くは生きられないアルベルトだからこそ、永遠に価値を見出すことが出来る。

アルベルトは、ユーバーを飼い慣らそうとしているわけではない。逆らえない力、そんな服従を手に入れることはきっと、アルベルトには出来ない。だが、出来ないからと言って──結果がついてこないわけではない。
少しずつでいいのだ。少しずつ囁き、少しずつ撫で、少しずつ痛みを与える。それは見えないものだから、力ずくで止めることも出来ない。そして誰も夢には抗えないし、優しい嘘を信じたくなる。

花ならば、水を与えて枝葉を整えるのと同じこと。
ひとつ頼み事をし、ひとつ言うことを聞かせ──ひとつ、錯覚させる。


ぞっとするようなことが出来るのは、何も化け物ばかりではない。
普通の人間でいいのだ。出来なくとも、出来ることがあるのだから。

「手間が嫌いな者は気付かないだろうが──」

アルベルトにとっては、夢を見せるのも、人を騙すのも、得意なことだ。
愛情、信頼、執着、共感、哀れみ、欲望、絶望──そして、野望も理想も。


「いつの間にか育っているんだ、ユーバー。お前の中にも」



それは、刃では壊せない。
軍師の出す結果とは、大抵そういうものだ。