なにかの為の夕陽。
血潮に濡れた荒野を眺めて、ユーバーは満ち足りた吐息を漏らした。
見事に混沌としている。
別に、人間の手足がそこらに散乱しているからといって、それを混沌とは捉えない。
ユーバーが好きなのは、戦によってヒトが禁忌をなくす瞬間だった。
そして、自分の手によってヒトから理性と血液の流れを剥奪する瞬間。
だから、戦場は好きだ。
ぶん、と剣の血糊を払う。
振り返れば、夕陽が落ちかかっていた。ユーバーは少し目を眇める。
逆光。アルベルトの姿は影絵のようだ。縁だけがいつものように赤い。
広がるこの光景のお膳立てをし、さらに始末を計画した男は、珍しく自分のほうからユーバーに歩み寄ってきた。
「どうだ?今回のは」
「まあ、悪くはない」
「どんどん贅沢になってくるな、お前は」
少し呆れを滲ませてアルベルトは呟いた。
広がる地獄絵を眺めながら。足元には、血に塗れた折れた剣が、地面に突き立つでもなく転がっている。
錆の臭いが服や髪や膚にまとわりつく。
兵士たちは、もう連れて帰れはしないものたちの埋葬を早々と始めたようだった。
のろのろと、虫の行列のように動く彼らのシルエット。
いつものように表情を動かさないアルベルトを横目で見遣り、ユーバーは鼻を鳴らした。
「貴様に問うのは愚かかもしれんが。一度確認しておきたかった」
「確認?」
さらり、と葡萄酒色の髪が揺れる。
たまに、引き抜きたくなる衝動に駆られるのだが、ユーバーはそれを押さえた。全て引き抜いてしまったらもう二度と引き抜けない。
「───計画性というものが、あるのか?」
その言葉に、アルベルトはほんの少しだけ目の直径を大きくして見せた。勿論わざとだ。
「まさか、お前に言われるとは思わなかった台詞だ」
「茶化すな」
それもだな、とアルベルトは微かに眉を緩ませる。
ユーバーは気まぐれに、足元の死体を蹴転がした。固まってよどんだ血の塊が少し跳ねる。
「まるでふらふらと、気が向いた時、気が向いた者に味方しているように見える」
アルベルトは戦場から視線を外し、ユーバーを見据えた。
少しだけ道化たように肩をすくめて見せる。
「なかなか鋭いじゃないか。隠す気もなかったがな」
まさか、そんな筈は無いのだ。
この男が、何の計算もなしに行動するなどということは。
信頼とはかなり違うが、ユーバーはそれを確信している。
「───お前は何がしたいのかと、時々そう思うことがある」
「したい?」
「ああ」
「…………考えたことがないな」
本気で言っているのかと、ユーバーはいぶかしんだ。
「……おい、貴様は無目的に戦を起こしているのか?」
「そうではない。俺は気まぐれや遊びでは戦を起こさん」
「………胡散臭い」
じろりとこちらを見るユーバーに、アルベルトは声にだけ笑いを含ませて答えた。
「空々しいか?だが俺は楽しみを求めて戦はしない。戦に楽しみを付与することはあってもな」
「ならやはり目的があるんじゃないか」
「あるな。流石に趣味に人生は賭けられないだろう」
「先程は無いと言った筈だが………貴様は言葉を翻しすぎるぞ」
「嘘など何処にもない。したい事など、俺は多分考えたことがない………少し、急ぎすぎているのかもしれんな」
アルベルトは自身の葡萄酒色の昏い髪を掻き揚げた。血腥い風がまたそれを弄る。
「目的とは、願望のみではないよ。それは大抵の場合、使命だ」
夕陽はどんどんと落ちていく。
光は赤さを増していく。
「願望よりも使命のほうが、人を縛る」
「縛る?」
「誰もがお前のように自由ではないからな」
多少羨ましい。
珍しくアルベルトは真情を吐露した。それが真実かは、やはり判断がつかないのだが。
す、とアルベルトが一歩踏み出した。
血を吸って黒く濡れた地面。
「だから幾千の骸を作り出そうと、俺は省みない。歴史は………動いていく」
「お前も大概非情な男だな」
「ん………誉め言葉か?」
そんなときに柔らかい声を出さなくとも良いと思う。
現在のアルベルトの機嫌はよく読めない。そんなことに多大な執着もないから気にはしないが。
嘲笑うようにユーバーは片頬を吊り上げた。
何度も思うことだが、この男は人間にしては不遜で、傲慢すぎる。高々二十数年しか生きていない若造の癖に。
「世界はお前の意のまま………とでも?」
「そこまで自惚れるつもりはないが」
「どうだかな」
まったく信じていない口調で、ユーバーは言った。
心底、呆れたように。
「そのままずっと、歴史の裏に居座り操り続けるつもりか。それも、その使命とやらのためだけに?」
アルベルトは笑いの気配を含ませてゆるゆると首を振った。
「………さて、どうだろうな」
おしゃべりの時間は終わりだ、そう言うとアルベルトはユーバーの手を取った。
その行動に、金髪の悪魔が片眉を上げる。今度はどんな気まぐれだろうか。
アルベルトは血に濡れた手のひらを無造作に掴み、それを引いてゆっくりと歩き出した。
馬鹿馬鹿しい、永の年月を生きてきたこの俺が、何故子供のように手を引かれなければならん。しかも、俺から見れば脆い砂の様な、ちっぽけな存在に。
そうも思うのだが、振り払うことはしなかった。これもまた気まぐれだろう。
数歩先を進む男の背を、ユーバーは何とはなしに見つめた。十年、二十年、そんなものは自分にとっては一瞬に過ぎない。
ふと、これもまた気まぐれに呟いた。今日は気まぐれが多い日だ。
「貴様はきっと、長くは生きんな」
「何故だ?」
「俺の手を取るから」
ふ、とアルベルトはまた笑ったようだった。だが振り返りはしない。
「お前の手を取るから………か。お前、ヒトの生気でも吸うのか?」
「いや、そんな不味そうなものは摂取しないが」
手袋と血糊越しに繋がれた手のひらからは、温度が伝わってこない。
ユーバーはゆっくり、ゆっくり歩いた。引かれるままに。
そんなことではこの流れを止めることなど出来ないとわかってはいた。
断定するように呟く。
「………こんなに簡単に俺の手を取るような人間は、長くは生きられん」
「ああ………」
そうかもな、とアルベルトは言った。
お前はずっと生と死の狭間で生きてきたのだから。
「お前の手を取ることで死ぬのも一興かもしれん」
「その言い草で、貴様のやっていることに目的があり遊びじゃないと言い張るのは無理があるぞ」
少し前まで悲鳴と怒号と怨嗟を大量に含んでいた空気を掻き分け。
打ち捨てられた屍を無造作に踏みしだき。
進む、道。
落ちる夕陽に向かい、二人は進んだ。
全てが赤く照らし出される、この景色。
夕陽、この夕日に足りないものは、わかっているのだ。
それは白い───
アルベルトは手の感触を確かめる。
細く長い節くれだった指先。
「───そんな簡単な理由で、この俺が終焉に向かう。馬鹿馬鹿しくて良いじゃないか」
アルベルトは少しだけ、握る手に力を込めた。
幼い頃も、よくこうやって歩いていた。
その時は、まるで握りつぶしそうに小さな、熱い柔らかい手だった。
その感触は、もう遠く過ぎ去り掘り起こされもしない。
しかしその時の気持ちは、何故か今も覚えている。アルベルトは、もう少しだけ力を込めてみた。
「だが、そうはならないよ」
吐息に混じり、言葉が零れる。
自身の感情が一番把握し難いとは、まるで皮肉な物だ。
「そうはならないんだ、ユーバー」
そんなものは、ただの戯言で。気まぐれに過ぎなくて。
自分の道は既に決定している。
アルベルトは手のひらから力を抜いた。
そのまま、ぽつり、と風に台詞を流す。
お前のために俺が死ぬ予定は、ないんだ。
「………………」
その響き。
ユーバーは帽子を深くかぶりなおした。
やるせなさ、というものをユーバーは理解しない。
だが、アルベルトの顔が見えないことには少しだけ安堵したかもしれない。
暗緑色の双眸。それは少し気に入っているのだ。
そこに静かな諦念など、ましてや穏やかな悲哀など。
見出したくはない。
だが、とユーバーは考えた。
こんな声でもう一度名前を呼ばれたら、自分はどうすれば良いだろうか。