予想通りの結末。













びちゃり、と。
頬にかかった液体に、シーザーの目が見開かれる。

雑草のように。
石ころのように。
塵芥のように。
よく使われる形容詞が、まるで過小表現に思える程、その殺戮には容赦がなかった。

楽しんですらいない。

只、屠殺者が手際よく鶏の首を順に切るように、只。
作業としての、それもとても単調で単純な作業としての動作。

全ての感情が排斥されている。
冷酷ですら、ない。
気の狂った殺人鬼でさえ、此処まで感慨なく刃を振るえるだろうか。

「……」

ぴしゃりぴしゃりと、自分の体を染める血。
仲間の、仲間であったものが散らばる地面。錆と、排泄物の臭い。

「……」

シーザーはぬめる頬に手を当て、それをまじまじと見詰めた。

悲鳴すら上げぬまま、事切れるさま。
人の死が多すぎる。
わかっていたことだ。わかっていることだ。忘れたことなどないことだ。
戦場というものを、嫌というほど把握している筈なのに。

なのに何故、今更この足は震える?



赤い世界。
夕日に染められたように、一面に赤い世界に、黒衣の男が立っている。
己の作り出した情景の中で、まるで一個の彫像のように、ただ立っている。

「やはり人間は嫌いだ。すぐ死ぬ」

帽子のつばに隠れて、彼の表情は見えなかった。






「お前は──」

別人のように擦れた声が、喉の奥から染み出た。
握りしめていた短刀が、地面に落ちる。

「何故、此処に居る……!」

ゆるり、と。
己の存在など視線だけで消し飛ばせるかもしれない悪鬼がこちらに顔を向けた。

殆ど麻痺した本能が、それでも最大限に警鐘を鳴らす。
完璧にそれを無視して、シーザーは怒りに震えた。機嫌を伺う気などなかった。

何故、お前が此処に居るのだ。

「どうしてアルベルトの傍に居ない」

憤りが食道を這い上がってきて、シーザーは声を張り上げた。
不安を不満に摩り替えている、その事実に気付かないふりで。

シーザーは突き動かされるように足を踏み出すと、ユーバーに殴りかかった。
それは衝動だった。

何故。何故。何故。
離れたりしたんだ。

「何故だ何故此処に居る、お前にそんな暇は」



かみさま。助けて。


後数秒で終わるかもしれない自分の命の為でなく、シーザーは祈った。



「……………」

驚くべき事に、ユーバーは避けなかった。
けれど、シーザーの拳は途中で力を失い落ちた。

悪鬼が、優しい仕草で汚れた頬を拭ったから。
そして。

「お前の頬を染めるその血が誰の物か、知らないのか」

怒りではない口調で、こう言ったから。

シーザーは思った。
許せないのは、一体誰なのだろう。






+++ +++ +++






幕舎の厚い布をばさりと巻くり上げ、ユーバーは無造作に歩を進めた。
薄暗いが、見えないほどではない。布に開けられた明り取りの為の四角から、僅かに日の光が差し込んでいる。

置かれた寝台に近寄って、ユーバーは眼を眇めた。
この場で出来る限りは清められた頬は、日差しにも青白い。そして冷たいのだろう。

苦痛の表情はない。

だが、安らかとも言えない。
アルベルトはいつも、こんな顔で眠っていた。それは、夢を見るためではない深い深い眠り。
アルベルトは起きている時に夢を見るような人間だった。不可能を、不可能と言って終わらせなかった。
夢想を現実にしようとした人間だったのだ。夢を見せ、夢に踊らせ、夢と知りながら信じて縋っていた。

アルベルト・シルバーバーグ。
世界を思い通りにする事になど、別に喜びがあったわけではないだろうに。

けれどそれが、彼が世界に見出した意味だったのだ。


何の為に、と。


けれど、本当はもっと単純な事だった。ユーバーにですらわかる。

「馬鹿な男だ。自分が人間だというなら――」

死に理由を求め、理由がなければ生きても居られない脆弱な存在。
些細な事で揺らぎ、迷い、不合理な事もする不完全な鋳型。

「幸せになりたいと。只、そう願えば良かったのに」

お前は、数式になりたかったのか。




「アル…ベルト……」

ユーバーは振り返った。
赤毛の青年が、頑是無い子どものような表情で立ちつくしている。

若葉の色の双眸は、現実を映してはいるが焦点を結んでいない。
シーザー・シルバーバーグ。そうだ、此処に連れてきた。

「あ──」

よろり、と青年の足が一歩踏み出される。
その唇から吐き出される、意味のない音。

ユーバーの行動は迅速だった。

袖のうちから目にも留まらぬ速度で剣を抜き出し、振り上げ、降ろす。
何の感慨もなく、ユーバーは屍に刃を突き刺した。

ぶつり。

生理的に厭な音がした。
血は吹き出しもせず、只赤黒いものが刃に纏わり付き、ぬめるだけ。

ユーバーはつまらなそうに剣を引き、言った。

「死んでいる」

清められた肉体から、色褪せた汚濁が染み出るのを、他人事のように。
ずるり、とその首から剣を抜き出す。いつも、そうしたらどれ程楽しいだろうと思っていたが、それ程でもない。

この感情に、名前は付けぬ。
此処にはもういないものだから。

悪鬼は、くつりと笑った。

抜け殻に、興味などない。

だからいくらあの男の頼みであろうと、腑抜けた子どもをあやす事など御免だ。
その名に恥じぬ働きを見せてみろ。

呪われた子か。祝われた子か。
お前に、その価値があるのかどうか。

「貴様の兄は俺の手を取った」

さあ、とユーバーは無造作に手を差し出した。

「貴様は、どうするのだ?」

───硬直は、数瞬だった。

シーザーは、じっとユーバーの色違いの瞳を見つめた。
不信と畏怖の色が少しだけ混じっているのは、仕方ないと言えよう。ユーバーの視線を真正面から受け止めて、最初から何の動揺もない人間など、片手で数えるほどもいなかった。
アルベルトは怯えたのだろうか?

怯えていた。きっと。
確信に近い強さで、ユーバーはそう思った。死んでも表には出さず、あの男もきっと最初は、怯えていた筈なのだ。

燃え立つ焔のような、橙の混ざった赤の髪。
萌えいずる若葉の新緑の瞳。

ユーバーが差し出した手に、重なる──手袋越しではない、体温。


ああ、策は成った。
予想通りの結末に、ユーバーは緩く笑った。




見ろ、世界の果てを。

あの男が望んだままに。