日の、燦々と降る。














日の、燦々と降る






「今日は、とても良い天気だな」

急拵えの幕舎から一足出て、アルベルトはそう呟いた。
眼の上に片手を当てて、上を向く。

「……とても遠くまで見えると、錯覚しそうな日だ」

無造作に地べたに足を投げ出していたユーバーは、眉を寄せてアルベルトを見上げた。
視線に気付いてアルベルトが顔を向けてくる。逆光の為に表情はわからない。

「何を気色の悪い事を」
「随分な台詞だな」
「寝惚け軍師め。貴様の職業は三流詩人か」

アルベルトは顎に手を当て、くつくつと笑った。
上機嫌に見える。

「詩人で食べていくのは大変だ。残念だが諦めるよ」

アルベルトは歩き出した。鈍くはなく優雅と言える歩調で。
ユーバーは鼻を鳴らし、足を一度持ち上げその反動だけで立ち上がる。

正規軍四万五千。反乱軍三万二千。
何度となく繰り返された小衝突を遥かに凌駕する規模の一戦。

革命組織『射光』の呼びかけにより膨れ上がった反乱軍。
流石に軽視出来なくなった政府による大規模出兵。
殲滅戦は必至。

いまだ王都には程遠い地での戦では有るが、一方的な掃討とは違う。
これに勝てば勢いが付く、煽られた炎は消すに難しい。

重要な一戦だという事は誰の寝惚けた頭でもわかるようだ。
これを任せるに、アルベルトを選ぶのは間違った選択ではない。

ユーバーは白いコートの背について歩き出そうとした。
多分、今日はアルベルトが待ち侘びていた日で、だからこんなにも清々しい顔で居るのだろう。

納得して近づこうとした黒い影を、穏やかな口調が押し留める。

「ユーバー、今日はお前とは別行動だ」
「何?」
「第二部隊に話は通して有る、其処で隊の動きを邪魔しない程度に好き勝手すれば良い」
「──珍しいな。貴様の監視も無しに、俺を自由に振舞わせるか?」

くすりとアルベルトは笑って、肩越しに振り返った。
柔らかに見える眼差しで微笑む。

「下手な冗談だ。盤の上で、俺の目の届かぬ所などない筈だがな」

ユーバーは暫くの沈黙の後、静かな声で訊ねた。

「一人で平気か?」
「護衛は居るさ。それでなくとも、俺の居る場所まで兵を踏み込ませるなどという愚策は取らぬ」
「俺が言っているのは囲みを破って正直に突撃してくる奴等の事ではない」

当たり前の事だが、アルベルトには敵が多い。
呼吸をするのと同じに人を陥れるものだから、背後から刺されても不思議はないのだ。

「わかっている。だが平気だ、今日は無粋な駒は連れていないからな」
「そうか」

あっさりとユーバーは納得した。
アルベルトがそうと言うならそうなのだろう。

完成度に対する信頼というべきか。
それこそが何かを決定的に傷つけているのだと、ユーバーは気付かないふりをしている。

危ういものがユーバーは好きだ。だから、溢れる寸前のグラスに静かにコインを落としていく。
表面張力の楽しみ方とはそういうものだ。それと意識しているわけではないが、ユーバーは本能でそれを嗅ぎ取っている。

メッキを見抜いてしまえばグラスが割れてしまう。それは悪鬼の本意ではない。
致死量に満たない毒を体中に満たして、アルベルトは微笑っているのが良いのだ。

それを残酷と取るか慈愛と取るかは相手の勝手で、ユーバーの知ったことではない。






+++ +++ +++






「今日が正念場だな」
「ああ。俺が考え得る最善の策だ」

シーザーはがしがしと髪を掻いて答えた。
燦々と降る日差しは、明るい色の髪を一層煌かせている。

ハドクは腕を組んで彼の背後に立つ。

「出来れば『ハードフレア』も作戦に使って欲しかったが」
「仕方ないさ。折角急いで開発したのに悪ィけど、量が足りない」

お披露目するにはまだ早いな、と眠たげな声音で言う軍師の表情は、ハドクからは見えない。

『射光』が極秘裏に開発した新型兵器『ハードフレア』は、長距離狙撃用の大型固定ガンである。
片手でなど扱える範囲のものではない。分厚く長い筒を土台に据えつけた、ガンというよりは砲台に近い形。
極限まで鍛えた鋼で整形した親指ほどの長さの弾を詰め、密閉した内部で膨大な量の火薬を破裂させる。

鍛冶精錬加工技術が高度に発達したこの大陸でこそ作る事が出来たもの。
自信を持って世界の最先端といえる戦術兵器。

銃身が発射の衝撃で歪まぬよう、指の太さほどの直径の穴を形作る鉄の厚みは手の平ほどもある。
小質量に膨大な圧力を掛け、長距離を直線で飛ばせるのだ。砲弾ではこうはいかない。
内側に螺旋状に溝を掘る事で弾に回転が加わり、更に精密な狙いが期待出来るだろう。
衝撃で変形しないレベルの超密度の銃弾はおいそれと作れるものではないが、やっと量産にこぎつけた。

威力は凄まじい。そして『ハードフレア』から発射された銃弾は信じられないほどの距離を直進することが可能だ。
実験で撃った一発の弾は、二百メートル先の鉄板を易々とぶち抜いた。

欠点といえば、撃つごとに衝撃で銃身が歪み、約五回も使用すれば技術者付きっ切りでの再調整が必要になる事。
そして機動力の無さ。『ハードフレア』の重さは量るのも馬鹿馬鹿しい。地形によっては使用不可能。

長距離狙撃。
弓兵部隊の射程など軽く二倍は凌駕する。

台数が用意出来れば、殆ど無敵に近い攻撃力を持つだろう。
どんな勇猛な将も優秀な兵も有能な軍師も、問題にならない。
この時代の戦のセオリー全てを覆すかもしれない。

質、量共に革命軍はどうしても正規軍に劣る。
しかし『ハードフレア』の実戦配備が整えば、力のバランスは一気にひっくり返る筈だ。

──本当はそれを待って正面衝突に移りたかったのだが。

これ以上の士気の低下を防ぐ為には開戦を急がねばならなかった。
ハドクは眼を閉じた。シーザーを正軍師の位置から外す気は毛頭ない。
彼以上に自分の右腕が務まるものはいないと信じている。政府を倒した後の新体制、そこには当然シーザーの席が用意してあるのだから。

(……惜しむらくは)

呪い。
それさえなければきっと、シーザーは自分の才を存分にふるえるのだ。

ハドクは眼を眇めた。
もうすぐ戦いの火蓋が切って落とされる。

「……シーザー」
「なんだよ」

くるりと振り返る顔に、焦燥の影は無い。
無い、ように見える。

「この一戦、重要か」
「はあ?何を今更」
「──勝てる自信はあるか?」

正直に言ってくれ。

長い時間を、ハドクは待つつもりだった。
若葉の色の眸を見詰め、その奥を探ろうとする。
シーザーは一瞬だけ息をのみ、しかしそれ以上は待たせなかった。

「………勝つ、つもりだよ」

それだけ言うと、シーザーはまたこれからの戦場に向けて前に向き直った。
だからハドクの表情はシーザーからは見えなかったのだろう。






+++ +++ +++






「う、わ、ああああああああああ!!!」

ぶんぶんと、思い切り剣を振り回す。
がじゅり、と厭な手ごたえがあって、何かが空を飛ぶ。

降りかかる生暖かい液体。
眼球に染みる粘性の赤。しかしなお視界は明るかった。目の前の光景から逃げられないくらいには。

肩のプロテクターは片方なくしてしまった。
何処かから飛んできた流れ矢が、頬に浅い傷を作り、抜けて。
それに冷や汗をかく神経はとうに切れている。

「死ねええ」

何を口走っているのかわからない。
わかってはいけない。

血脂で滑った剣は、棒のようで。
切るというよりは殴る為の道具に成り果てた。

腐臭がする。
日差しに照らされて、足元の肉片が溶けているのか。
それとも自分が内側から腐っているのだろうか。

「どけよ、どいてくれよぉ。死んでくれよお──!!」

雑音が酷い。
目の前の敵が何か喚いている。しかし聞こえない。剣戟。嘶き。悲鳴。号令。

耳の中にも多分血が詰まっているのだ。
だから相手の言葉が伝わらない。

「お、ぐあ」

聞いてしまってはいけない。
これから叩き潰すものの意思など。

怖い。怖い。想像していたよりずっと怖い。
死にたくない。叫んでいなければ動けない。

脇を狙って剣を突き出した。
固いものを突き通す感触が手首から一瞬で肩、脳まで這い上がる。
後押しするように一瞬だけ遅れて、腰の辺りから衝撃が伝わってきた。

「が」

腰骨を砕かれたか。
上手く理解は出来ない。只、体が震える。

くるん、と一瞬だけ眼球が回転した。

死にたくない。死にたくない。死にたくない。
自分は何で此処にいるのだろう。
国の行く末なんてどうでもいいじゃないか。
相手は何で其処にいるのだろう。
国の行く末なんてどうでもいいじゃないか。

「………ぁ」

か、と閃光が視界を白く染める。
自分と相手がもろともに巻き込まれ吹き飛ばされていく。

痛い。何処かが千切れた気がする。
割れた鎧がわき腹に刺さって、食道から血が逆流してきた。

熱い塊を口の中の泥と一緒に吐き出して、地面に頭をこすり付ける。
焼け爛れた顔面に砂が染みた。

「…………!!」

ふと顔を上げる。

最後に見たのは馬の蹄。
鈍い音が聞こえたかもしれない。


死にたくなかったのにな。





+++ +++ +++





ぎぃん

甲高い音を立てて相手の剣が折れる。
粗悪なものを使っている。

大降りの一撃を半歩でかわし無造作に剣を突き出す。
狙い違わず頚動脈をかすり、勢いよく吹き出る血。目に入らないように腕で庇う。

「ちっ」

その隙に背後から斬ろうとして来る卑怯な敵と、振り向き様に剣を交える。
不利な体勢を、一度力を抜いてからの瞬時の切り返しで捌く。

迷いは無い。
充実感が有る。目標に向かい一歩一歩確実に進む、その道のり。

自分は生きている。
生きてこの苦難に塗れた世界を変えてやる。

くぐもった悲鳴を上げて、どさりと倒れ伏す肉塊。
その向こうには、まだまだ、沢山ある。この剣で斬らねばならぬ人型の、もの。

息を整える間もなく、襲い掛かってくる影。
鈍い銀の光。太陽の反射。それを掻い潜り、惰性のように一撃を叩き込む。

がしゅり、と異音。

鎖帷子か。
舌打ちをして、曲がった剣を捨てる。予備の一本を抜きざま、今度は突く一撃。
貫通。
引き抜いて、避ける。
地面に膝をつき、崩れる肉。敵が一つ減った。

「………は、は」

斬る。突く。薙ぐ。……それを楽しむ。
赦される行いではないか?

(構わねえ)

命が尽きるその瞬間まで、自分は目的の為に動こう。
勝つ為に狂おう。

復讐だ。

「………はははははは!!」

血を浴び、肉にまみれて自分は鬼になる。
楽しい。これほど楽しい事はない。目標に一歩一歩近づく。邪魔なものは斬ればいい。

泣きはしない。

泣いているものなどこの地獄には吐いて捨てるほど居る。
そんな奴等と一緒にされたくなどない。

頬に流れるものは血と汗だけで良い。





+++ +++ +++





分刻みで変わる戦況を、ひっきりなしに伝令を走らせる事でシーザーは把握していた。
目まぐるしい動きを見せるチェス盤。相手の先の先を読み、駒を滑らせる。

「………」

ぐしゃり、と前髪を掴み、歯を食いしばった。
敵味方の損害、それはシーザーの元へは只の程度として報告される。
シーザーは、その立場上武器を取って最前面で戦う事はない。その癖、数千単位の命を簡単に切り捨てたり拾ったり出来るのだ。
笑ったり泣いたり、苦しんだり喜んだりしている、一人一人の、人というもの。彼らの運命を。

伝令に告げる言葉一つが、左右するのだ。

その重圧。
失敗は出来ない。そうすれば全て無駄になる──

「………!」

ぞくり、と悪寒が走った。

今、自分は何を考えただろう。無駄になる?
──  ル  ル  ?

得体の知れない恐怖が吐き気を促し、シーザーは口元を抑えた。
不審そうにこちらを見る伝令を目線と手だけで制し、呼吸を整える。

額を濡らす汗を拭い、シーザーは両足に力を込めた。
今無駄にした十数秒で、あの男はまた数手先を読んだに違いない。

強迫観念に近い思いを自覚せず、シーザーは前を見据えた。
その口元には笑みを貼り付け、冷静で流暢な口調で命令を下す。

今の自分の姿を客観視してはいけないと、心の奥底で誰かが囁く。
心の葛藤を外には出さず、全てを把握できるという顔をして、冷静に誰かを殺す指示を下す──

──それは、あの赤い髪の


(………考えるな)


軍師として長年鍛えた自制。
それを最大限に活用し、シーザーは自分を取り繕う。

瞬間、後ろから掛かった声に、何故か僅かに体が震えた。

「シーザー」
「なんだよ」

平素の声が出せているだろうか。
肩に当たる暖かい日差しは、この場の空気を和ませてはくれない。

「悩むな。いつも通りにやれば良い事じゃないか」
「いつも通りだって──?」

あいつが相手なのに?
シーザーは振り返らなかった。凍ったように背筋を伸ばし、前だけを見詰める。

「……やはり」

少しだけ憂いを含んだ溜め息が聞こえた。

「駄目なのか」

何が、とシーザーは聞き返さなかった。苛立ちが募った。
何故混乱させる。何故時間をとらせる。一秒すら大切なのだ、あの男と対峙するには!

「お前は健全だからな……」

シーザーは言い返さなかった。
お前に何がわかる。お前などに、俺達の何がわかる。

健全だって?

(お前の目は節穴だ)

人の数を足し引きして計算するのが普通な策士が、健全だと。
血の臭いを嗅ぐのが嫌いだったり、誰かの絶叫に涙を流せば、健全だと?
何処を見ているんだ。

(──ああそうか。皆狂ってるのか)

この戦場、この地獄では。
シーザーは額に手を当てた。いつの間にか、酷い頭痛を感じている。

ぽん、と肩に手を置かれた。瞬間的に振り払いそうになるのを、何とかシーザーは抑えた。
これは、酷く良くない状態だ。余裕がない。次の手、次の手、次はきっと──川を挟んで騎馬連隊が機動力を殺され──歩兵部隊の被害は甚大、敵魔法部隊への急襲は少し遅らせよう、まだ相手には晒していないカードがある──右手後方に動きがないのが逆に不気味だ、あそこにはきっと──

「安心しろ。もうすぐ楽になるからな」

何、が?
瞬間、シーザーは振り返った。

ハドクの声音に、言い知れぬ不安が呼び起こされる。
軍師は相手の瞳を睨んだ。言い難そうにハドクは台詞を続けた。

「……大丈夫そうなら最後まで任せようと思ったんだがな」

先程伝令を送ったんだ、と。
何を勝手な事を、とシーザーが激昂するのを待たず、宥める言葉が連なる。

「お前は辛そうだ。呪いを破るのに、そこまで身を削る必要はないと思って」

別にお前の力を信用してないわけじゃない。
只、今回はどうしても勝たなければならないんだろう?

言い訳のようにハドクはそう言った。

「大部隊を攻撃するには量が足りんが、それなら要所を攻めれば良いだけだ」

シーザーは、もうその続きを聞かなくてもわかっていた。
それでも理解したくなくて、頭の中が白くなる。

「そもそも暗殺用に設計したものなのだしな……狙って二、三十発撃ち込めば、どれかは当たるだろう?少なくとも、混乱はさせられる」

何を言ったら良いのかわからない。
数千の言葉が一気に喉元に詰まり、窒息してしまいそうだ。

この男は。この男は。この男は。
何を。

「独断は悪いと思っている。だが、お前の為だ。『ハードフレア』の利用効果が下がるとしても、お前の呪いを解く方が大事だからな」

何を。

「無理するな。お前の価値は俺がわかっている」

頭は白く、混乱して爆発寸前なのに。
──体の何処かが、途轍もなく冷えたのを、シーザーは他人事のように理解した。

硬直した舌は、動かない。

「そうショックを受けた顔を見せるな──皆が不安がる」

ハドクはそういうと、もう片方の手もシーザーの肩に乗せ、動かないように固定した。
傍から見れば、年若い軍師の緊張を、指導者がほぐしているように見えるだろう。

ハドクはシーザーの目を見据えて、そっと微笑んだ。
幼子にするように。導くように。

「……血の繋がりなど、どうでも良いだろう?」

この狂気と、この理想の前には。






シーザーは、強張ったままの頭の何処か片隅で、かたりと音がするのに気付いた。

(知っていたのか、ハドク)






ハドクは、シーザーの肩に置いた手に力を込めた。

「俺はお前を信じたのだから」

もう何も関係のない男なら、排除してしまえば済むだろう?
もう、何の関係もないのだろう……?

「俺を裏切る事は許さない」







(……こんなに、良い天気だから)

シーザーは、護身用にと目の前の男に持たされていた短剣を、そっと抜いた。
要らない要らないと思っていたが、どうやら考えを改めなければならない。

動かない唇の代わりに、この腕はやるべき事を知っているらしい。

(皆馬鹿になっちまうのかな)






暖かく柔らかく照らされた戦場に轟音が響いた。