人だとすれば。
















転移の術の金色の光は床を揺らしながら消え、部屋には静謐が戻った。

「……………………」

ユーバーは、デスクに向かいなにやら書き物をしている男に向かい、呆れた溜め息を吐いた。
前に見たのは何時だったろう、最後に口を利いてから少なくとも二年は経過している筈である。
たまの気まぐれに覗いてみたのだが、この男はいつも代わり映えがしない。やっていることの方針が寸分も変わらないからだろう。

「毎日毎日、よくもまあ飽きもせず謀略に励む事だ。感心するぞ」
「お前に言われたくはない。その身から血臭が薄れることがあるのならば、俺を揶揄しても構わないがな」

アルベルトはこちらに視線もくれずに言った。それはまあ、いつもの事なので気にも留めないが。
突然の来訪に対する驚きも、再会を懐かしむ響きもない。そんなものは期待もしていない事を承知しているからだろう。

「ユーバー、丁度良い所に来た」

その言葉に、ユーバーは片眉を上げた。

「これから北鈴砦補修工事の進み具合を視察しに行かねばならない。送ってくれ」

この大陸に来てからも、アルベルトは着実に、迅速に成果を上げた。殆どの時を別れて過ごしたが、その位の噂は嫌でも耳に入る。
アルベルト・シルバーバーグ。その血筋の名は、きっとこの地でも伝説を作るだろうと思わせる程に。

「………再会早々この俺を足にするとは、相変わらずいい面の皮だな」
「生憎、軍師の必須条件の一つでな」

ピ、と羽ペンを鳴らして流暢なサインを書き上げ、アルベルトは席を立った。
ようやくこちらに視線を合わせる。その暗緑色と、葡萄酒の髪。
変わらないな、とユーバーは思った。アルベルトには、加齢に因る肉体的変化も、精神的変化ですら見受けられない。
思えば、この男は出会った時もう既に完成されていたのだろう。
それ以上の成長が望めない程に精密に。

「行くぞ」
「………………」

反論を諦め、ユーバーは光の波を足元から広げた。
別に殊更何か用事があるわけでもない。ここに現れたのは気まぐれだが、アルベルトに付き合ってもなんら問題はなかった。

北鈴砦、と思い浮かべる。あそこもやられたのかと。
この国は軍備に熱心だ。ゲリラによるテロ、蜂起も頻繁に起こる。不安定な国状、それだからこそこの男のようなものが取り分け必要とされるのだろうが。

「この国はこれからどうなる?」

気まぐれに口をついた質問。アルベルトはあっさりと答えた。

「百年のうちには滅びるだろう」

城の者に聞かれればきつい冗談だと思われるか、激昂されるかどちらかの台詞。
しかし、アルベルトが軽く口にしたそれが真実だとユーバーは知っている。この男がそう言うならこの国は、そういった宿命なのだ。どれ程に、手を尽くしたとしても逃れ得ない歴史の定め。

「それをいつにするかはまだ推敲中だがな」

この国に雇われている筈の軍師は、崩壊のシナリオすら書く気でいる。
それくらいでいい、とユーバーは思わず微笑んだ。

自分の手を取った人間だ。それくらいでなくては。

しばらくアルベルトの傍に居ようと、ユーバーはその瞬間に決めた。
ユーバーが望むのは混沌で、アルベルトの望みはそれとはまた違うものだが、過程で現れるものはユーバーの好みである。それでいいのだ。

「今にしろ」

ユーバーはうきうきとした気分で傲慢にそう言い放った。光の波に足元から吸い込まれながら。
アルベルトは肩をすくめながら、同じ様に光の中に沈んでいった。

「………お前も相変わらず、我が侭な事だ」





+++ +++ +++





近くの林に転移を済ませ、アルベルトとユーバーは北鈴砦に向かった。
先触れを出していないにもかかわらず、砦の前に立った時には既に工事監督官がアルベルトを出迎えに走って来るところだった。

「ず、随分とお早い御着きで!」

ぺこぺこと頭を下げながら走る監督官を一目見ただけで、ユーバーは断定した。無能だ。
お決まりの追従を聞く前に、アルベルトは用件だけ切り出した。

「工事が遅れているとか」
「は!え、いやそれはですね、思ったよりも人足の働きが悪くて、あの、兵士と平民を使っているんですがどうも手際が」
「結構。現場を見させて貰います」

ユーバーはその会話の間にさっさと先行していた。
それを追うように、アルベルトも歩を進める。監督官は忙しなくばたばたと小走りでついてきた。

まずは砦の外周を回り、一度全景を眺める。ユーバーは砦のつくりなどには全くといって良い程興味がなかったので、只の散歩に近い。

「…………………」

石垣を築いている人足達の緊張した面持ちが一目で見て取れる。
監督官は怒鳴ったりおべっかを使ったりと忙しく、ユーバーにまでは気が回らないようだ。勿論、相手をするなどこちらから願い下げなのではあるが。

ユーバーは欠伸ついでに空を見上げた。
石垣の上で作業をしていた人間と、ふと目が合う。何気なく、ユーバーは唇を吊り上げた。勿論挨拶のつもりではない。

赤と金のオッドアイ、その珍しさに心を奪われたか。それとも──浮かべた禍々しい笑みに怯えたか。

「あ───」

石積みの最上段で、今まさに石を置こうとしていた者の手が滑った。
ぐらり、と巨石が傾ぐ。人足達が慌ててロープを引いて留めようとするが、一呼吸遅い。

手抜き工事だったのか、それとも運が悪かったのか。それをきっかけにして壁の半ばが崩れ落ちた。

「!!!」

轟音と土煙が空間を覆う。
それが退いたあとには、完成しかけていた石垣の片隅が見るも無残な姿になっている。

監督官の顔からざあっと血の気が退いた。
王宮からの視察、その目の前でこんな失態とは。

「す……済みませぬ!只でさえ工事が遅れているというのに」

貴様らふざけているのか、と人足達を怒鳴りつける。監督官の額には青筋が浮いていた。
重大なミスだという事はわかっているのだろう、彼らはびくりと肩を震わせ、怯えたように身を縮こまらせる。
監督官は取り繕うような笑みを浮かべ、アルベルトに向き直った。

「大丈夫です、あの者達には後で充分な処罰を───」
「そんな事より」

アルベルトは監督官の言葉を鋭く遮り、崩れた石垣の傍に駆け寄った。
ユーバーは帽子の影からちらりとそれを見遣る。ふう、と呆れた溜め息もついでの様に吐いて。

アルベルトは驚く人足達を掻き分け、大きな切り出し石に手をかけた。
その下には半ばまで体を挟まれた青年が居る。数瞬空気が止まり、思い出したように数人がばらばらと駆け寄った。

「手伝ってください!」

アルベルトが叫ぶ。五人がかりで石を持ち上げ、その間に丸太を挟む。
梃子の要領で石を持ち上げ、手を差し伸べて青年を引き出した。

「…………………」

しかし、人足の青年は引き出されると同時に、よろよろと這いずってアルベルトの前に平伏した。
息も絶え絶えになりながら、地面に両手をつく。

「すみません軍師殿。お召し物が汚れて───」
「くだらない」

冷たいその一言に、青年と周りの者が一瞬絶望の表情を見せる。
アルベルトは土の上に膝をついた。うろたえる青年の姿勢を楽にさせ、石に挟まれた下半身を見遣る。

「担架を」

短く告げてから、アルベルトは青年を見て微笑んだ。
唖然とする青年の肩を支えて安心させるように優しく言う。

「つまらない事を気にする前に、怪我の手当てが先でしょう」
「あ………」

青年を他の人足の手にゆだねると、アルベルトは立ち上がった。
まだ崩れていない石垣へと向かう。人足達が前進を邪魔しないようにと速やかに割れる。

「………………………」

石垣の前に立つと、アルベルトはそれに手を触れた。
加工した石を積んでいる。しかし、正方形や長方形ではない。表面が凸凹しているところから見て、積んだ後からノミで削って仕上げている石だ。
問題はそこではない。これは打ち込みはぎ石垣の作り方であり、高く築く場合は石を綺麗に整形して積む切り込みはぎ石垣よりも頑丈である。
アルベルトは低く呟いた。

「隙間にぐり石は?」

打ち込みはぎ石垣の場合は、石と石との間に隙間が残るためにそこをしっかりと埋めるのが基本だ。
しかし、この石垣にはところどころ穴が見られる。

「これでは崩れるのは道理だ」
「そ、それは───」
「こちらの方はしっかりと作られている様だが」

アルベルトはつかつかと歩いていき、堀の端の方の石垣を眺めた。石垣の下には雑草の茂みが出来ており、石垣を積んだのがだいぶ前である事を示している。
つまり、崩れたのはここ最近築いた塀だ。
アルベルトは振り返り、一番近くに居た人足を見つめた。

「正直に言いなさい」
「あ、貴方様がいらっしゃるので──監督はここ数日、手間より早さを重視されて」

最後まで聞き終わらずに、アルベルトは監督官を見据えた。
びくり、とたるんだ頬が痙攣するのに構わずアルベルトは冷酷に言葉を続ける。

「貴方の監督方針は『取り繕い』ですか?彼らの信頼も勝ち得ていないようだ。工事が進む訳もない」
「そ、そんな」
「数日後には辞令が下されるでしょう」
「アルベルト様───」

絶望の表情で監督官がよろよろと手を伸ばしてくる。
それを見届けもせずアルベルトは背を向けた。

背後で歓声が上がった。余程人徳のない監督だったようだ。





+++ +++ +++





「花丸をやろうか?『正義感の強いお優しい軍師殿』」
「面白い冗談だ」

アルベルトは汚れたコートの裾や手袋を軽く叩きながら切り返した。
ユーバーは足を止めると、その腕を掴んで引き寄せる。

一瞬だけ眉を顰めたアルベルトは放って置いて、ユーバーは彼の手袋を奪い取った。
少しだけ目を細め、現れたその手を見詰める。

「俺の前で血の臭いをひけらかすな」

人足を助ける為に石を持ち上げた時にでも切ったのか、薄い手袋は破れ白い手から血が滲んでいる。

「気になるか」

舐めとられる前に、アルベルトは手を取り返した。見せ付けるように、という訳ではなく自分で口付ける。

「こんな掠り傷にも反応するとは、余程飢えているらしい」
「別に飲みたい訳ではない。浴びたいんだ、沁みる程にな」

そこまで言うと、ユーバーは揶揄うように笑った。

「しかし貴様が肉体労働をするとは思わなかった。それに、失敗を許す事もな」
「あそこで詰って何の意味がある?崩れたものが元通りになるわけでは無い」

アルベルトは再び歩き出しながら、細く息を吐いた。

「士気を上げたほうが余程効果的だ。兵の信頼も得られる」

アルベルト・シルバーバーグ。
その策なら信用できると、そう思わせる事が重要。兵には命を懸けさせなければならぬのだから、当然軍師に対する感情も策に影響する。
たまにはパフォーマンスも必要だろう、アルベルトは肩をすくめた。

「それに───」
「それに?」
「あの兵一人とて、俺の大事な駒だ。失くすわけにはいかないだろう」

それを聞き、ユーバーは堪えきれない笑いを漏らした。
成る程成る程、全く持ってアルベルトらしい考え方。

「後で、使い潰すためにか?」
「当然」

傲慢過ぎていっそ見事な台詞を何の気負いもなく言い放つ、その不遜さをユーバーは気に入っている。
自分自身さえ駒と言い切るのだから、一般兵一人を人として見ることなどあるまい。
くすくす笑いを噛み殺しながら、ユーバーは戦乱の火種となるだろう一言を、葡萄酒色の髪に向かって投げかけた。

この男が唯一気にかけるのは。

「貴様の弟、ようやく準備を整えた様だぞ」

予想に反し、アルベルトは足を止めなかった。
どんな表情を浮かべているのか、振り返らない彼の肩だけでは判断できない。

「ああ───」

只、その声だけにはやや歓喜が混じっている様に思えるのは、気のせいだろうか。
ぞくりと、背筋を震わせるような。滴るような昏い喜び。


「その言葉を待ち侘びていたよ、ユーバー」


人だとすれば哀れな生だ。
歪んだ赤い色に対して、ユーバーはたまにそう思うのだ。