「御前試合? ……誰が考え付いたんだ、迷惑な話だな」
「何だ、お前は反対なのか?」
「こんなモンがなくたって、皆訓練はちゃんとやってる。無駄だろ」
「無駄だと思うなら、出場しなけりゃいいじゃないか」
「するわけないだろ」
「じゃあいいだろ」
「御前試合をやると決めれば、明日なぜかそうできるってわけならな! 冗談じゃない、魔法じゃないんだ、おれ達が全部段取りを考えて、場所を用意して、物資を整えて、クソ、何万もいる兵に周知して選抜して日程を調整して──ああ、本当、イヤになってくる」
「副官部の奴は大変だなぁ。オレ、筋肉バカで良かった」
「そうだ、大変なんだよ知性派は。だから阿呆貴族どもは迷惑なんだ、思いつきだけで物事を進めやがる。あいつらが『そう』と決めるだけで、そうできるんだと思ってやがる」
「はあ。ちなみに、その、誰が考え付いたんだって話だけど」
「あん?」
「ルカ皇子だから」

「申し訳ない、御前試合の適切な開催に向けた準備をしなければならないので、これにて失礼させていただく。ここの酒代は私が持とう。店中の酒を全て飲み干してもいい、是非ともここ数分間の私の発言を忘れ去ってほしい」











『名誉闘争』











「クールガーン。居るかー?」

結果的に、ノックは一度になった。シードの拳と戸板が触れ合ってガン、と音を立てた瞬間、扉の蝶番が片方外れたからだ。
斜めに傾いた戸板の隙間から、尋ね人が机に向かっている光景が確認できる。シードは、どうしようかな、と一応考えてみたが、相手の出方を待つことに決めた。もうどうでもいい、何を言ってもどうせ怒られる。

クルガンは、手にした書物を片手で捲り、怜悧な横顔しかシードに見せずに口を開いた。

「──シード。私の言いたいことがわかりますか?」
「あー。えー、っと……」

シードはがしがしと後頭部を掻きながら、クルガンの言いたいだろうことを考えてみた。

妙なイントネーションで人の名を呼ぶな。扉を壊すな。ノックは扉ではなく壁に対して行え。むしろノック自体するな。しかしノックをしないまま入室するな。つまりクルガンを訪ねるな。訪ねる気を起こすな。扉の修繕の発注書を書いて出せ。うざい。煩い。鬱陶しい──というわけで、結論として。

「……『消え失せろ』?」
「Positive」

よし、正解。
そこでシードは邪魔な戸板を持ち上げると、その隙間を潜り抜け、クルガンの部屋に入室した。狭い部屋を大股三歩で横切ると、窓際の、風が通って気持ちの良い空間にドスンと腰を下す。

ちなみに、クルガンの言いたいことを理解するのと、そのとおりに行動するのとは別問題である。

「なあ、クルガン、アンタ御前試合の区は何番目になった? 俺は十八区」

シードは、クルガンが御前試合の出場権を得ているということを既に決定事項としていた。公衆の面前でこの男を叩きのめすのは素晴らしく気分がよいだろう──そんな空想を満足げに弄びながら、ゴロゴロと喉を鳴らしかねない様子でいたシードの上機嫌を、クルガンは即座に真っ二つにした。

「何区にもなっていません」
「は?」
「出場しませんので」
「はアア!? 何で!」
「煩い」

静かにしろ、との意を込めて投げ付けられた文鎮を、シードは両手で挟んで受け止めた。
少しだけ声量を落とし、再び問いかける。何故、何故、クルガンはシードの計画をいつも台無しにするのだ?

「何で!」
「出場する理由がない」

クルガンの顔面にははっきりと、「面倒臭い」と記入してあった。シードには信じられなかった。
男と生まれたからには、強者と力を競い合い、名誉を得ることに何の理由が要るのか! クルガンの言いぐさは、シードにとっては「物を食べるのが面倒臭い」と言っているのとほとんど同じことだった。
シードは余程、「お前は雄として不能だ」と言ってやろうかと思ったが、その結果がどうなるかが読みきれなかったので止めておくことにした。もし、そんなことで死んだら悔いが残るに違いない。

シードは脳味噌を回転させ、第二案を提出した。もう、それ以外に、クルガンが罪を償う方法はない。

「じゃ、俺の稽古に付き合え」
「Negative」
「ヤダじゃねぇよそれくら、──いっ!」

尻餅を付いた体勢のまま、シードはぶつかってきた椅子を肘を使って跳ね返した。だが、その動作を行いながらシードが見たものは、己の視界の半分以上を覆う手袋だった。鋭く立てられた親指だけがさらに近く、シードの眼球の表面に生地の繊維が触れ、

「、」

──瞼を閉じなかったのは、単なる意地だ。

こういったとき、シードはクルガンと自分の、拠って立つものの違いを再確認させられる。シードは、己の力を誇りとする。クルガンの場合は、単なる手段だ。それを忘れるなと、クルガンはこうやってシードに知らせる。

シードは、勝ちたいと思う相手に毒を盛って勝つなどということは想像もしたくないが、クルガンは、邪魔だと思う相手に対し、常に考えているだろう。だから、シードはクルガンの前でも床に腰を下してみせるが、その逆はない。
──クルガンはどんなときだって、背中から切りかかられても対処できるような体勢でいるのだ。この男が、何も考えずに、肩の力を抜いて窓辺に座る姿など、シードは想像できない。

クルガンは、人の眼球を抉り出すのに丁度いい親指をシードの顔面からゆっくりと退かした。
彼の指は戦士の指ではない。暗殺者の指だ。

「私は、稽古や練習の相手は出来ません」
「……喧嘩は?」
「しません」

シードは溜息を吐くと、ぽんぽんと腰を叩いて立ち上がった。

「つまらねぇな」
「喧嘩相手はいくらでもいるでしょう」
「──いねぇよ」

シードは低い声で言った。
御前試合の出場権のために十人抜きをしてきたばかりだったが、シードは、汗も掻かずに全員倒してしまったその顔も思い出せない。彼らも二度と、シードの前に立とうとは思わないだろう。

つまらない。
また、胸中でそう呟くと、シードはそのままクルガンの部屋を出ていった。







+++ +++ +++ 







「剣を抜け」
「……何故?」
「俺はお前に出場権を『譲ってもらう』なんて真っ平御免だ。強いほうが出場する、それが道理だろう」

くだらない、と口にするのも無駄だと思い、クルガンは背を向けた。
それでなくとも、鍛錬を終えた後で疲れているのだ。明日のために、自室に戻って速やかに眠りたい。

「クルガン! 俺に負けるのが怖いのか……!」

悲痛な、縋るような叫びが鼓膜に痛い。
随分前を歩いていた歩哨兵が振り返るのが見えて、クルガンは眉を寄せた。下手な噂話は迷惑だ。

クルガンは振り返ると、視線で相手を黙らせた。
それから、必要最低限、相手に届く程度の声量でいう。

「私は、貴方に負けることが怖くはありません」
「それなら俺と勝負、」
「──貴方が、私に負けることが怖くないのと同じようにね」
「!」

クルガンは一歩踏み込むと、動揺した相手に接近した。反射的に後ろに下がろうとする足を軽く払い、転ばせる。

どすん、と男が尻餅をつく音。

その後、しばらく静寂が続いた──青褪めた顔を、クルガンは黙って見下ろす。まったく、こんな『愁嘆場』に、何故クルガンが巻き込まれなければならないのだろう? 主役はここにはいないというのに、理不尽なことだった。


「……『本気でやれ』、というのが、部下に対する貴方の訓示だったかと思いますが。私に勝とうとも思わないで、勝負を求めるとはおかしなことだ」

彼は、クルガンの所属する大隊でも指折りの腕利きであり、大隊の皆が名を知っている程度には有名で、だからこそ、御前試合の出場権も得ている。そんな男が、地面に座り込んだまま、泥を握っているのを見るのは、少なくとも愉快な気持ちではなかった。

男は子供のように首を振ってみせた。もう、取り繕うプライドなどは残っていないらしい。

「お前が……お前が出ればいいんだ、クルガン……」
「お断りします」
「俺が出たって仕方ないだろう!」


「──貴方の出場が決まったのが、十八区だからですか?」


投げ付けられた土を、クルガンは別に避けなかった。どうせ、訓練後の衣服は洗濯場行きである。

「……皆が見詰める前で、公式の場で、怪物に藁のように踏み潰されるより。卑怯者に、誰も知らない闇の中で敗北するほうが、貴方の『名誉』とやらは守られるというわけだ」
「俺は……」
「そんなつまらない企てに、私が喜んで協力するとは思わないように」

煩い、と男は叫び、クルガンの台詞を自分の声で掻き消した。苛立ちのまま、早口で、彼は不満を続けた。

「ああ、お前の言う通りだ。俺はお前に負けるのは怖くないが、あの怪物には負けたくない! でも、俺は負ける、負けるに決まってる、あんなのに勝てるわけがないだろう──普通の人間が……俺は藁のように負ける! 一合斬り結んだだけで膝を突く!」
「────」
「あんな若造に、俺よりもずっと若いやつに……あいつは笑いながら、俺に手を差し伸べさえするさ! そして俺は、見物客にも、部隊の者にも、失笑されて、見苦しいさまを取り繕おうとして、どうにもならない愛想笑いを浮かべながら、その手を借りる……惨めじゃないか……」
「────」
「お前が出ればいい。どうせ、本当に試合をしたら、俺じゃなくてお前が勝つと皆が言ってるのも知ってるんだ……!」

クルガンは遮らずに聞いたが、長かったので、要約してやった。

「つまり、諦めるのですか」
「俺のせいじゃない!」

金切り声は鋭く、月まで届かんばかりだった。一瞬、クルガンは鳩尾を蹴って黙らせようかと思ったが、別に後暗いことをしているわけでもないことを思い出した。

「お前にだって分かるはずだ。お前だって、努力してきたんだから分かるはずだ。十も下だ……十も下の若造なんだぞ。俺の方が、十年長く、剣を振ってるんだ。努力すれば強くなれると思った、走り続ければ、それだけ前にいけると思ってやってきた! だが、俺が走って稼いできた距離のずっと先に、あいつは元から居るんじゃないか。……俺ほどの努力もしていないくせに! 俺の方がずっと……頑張ってきたんだ……! 俺だって、腕を磨けば、いつか大隊だって率いることができると信じて! 誰もが名を知る剣士になれると信じて! 栄誉が得られると信じて……! だが、見えてしまった。……俺はごみだ。俺の十年は、ごみだったと、この上吹聴して回れというのか!!」

俺は、あの男のようにはできない。
いくら努力をしても。いくら積み重ねても。
あの男が生まれながらにしてできることを、俺は死ぬまでできない。

「諦めるのは……俺のせいじゃない……」
「────」
「こんなに惨めなのは……俺の、せいじゃ、」

いい加減、長い間付き合ったはずだ。
クルガンはそう判断すると、尻餅を付いたままの男の胸を軽く蹴り飛ばした。彼は避けず、そのまま仰向けに転がった。天から彗星が落ちてきても、そのまま寝転がっていたいかのようだった。

クルガンは小さく溜息を吐いた。

彼が土に還るまでそこに寝そべっていたとしても、クルガンには全く関係がない。なので、クルガンは最後に言いたいことだけ言って、部屋に引き上げることにした。もう、追いかけてはこないだろう。

「……貴方が他より努力していたことは、私も知っている。あんな無神経な奴が目の前に居たら、憎むのも無理はない」
「…………」
「貴方に才能がないのは貴方のせいではない。惨めに負けるのも、貴方のせいではない。悪いというなら、不公平な世の中が悪いのでしょう。ただ、」

名誉とは何か、クルガンには分からないが──知っている者もいるのではないか? 
立ち上がる足があるのに、そのまま這い蹲っている理由は何だ。



「貴方が道を誤ったのが貴方のせいでないとして。貴方が立ち上がらないことは、誰のせいにするつもりなのですか」








+++ +++ +++ 








「クールガーン。居るかー?」

前回に学び、シードは今回はノックを省略することにした。
大きな声で来訪を告げながら、直ったばかりの戸板を機嫌よく開ける。

ばききっ

「…………」
「……シード、」
「わ、悪い……」

シードが勢い良く開けた結果、今度は戸板の蝶番は両方とも外れてしまった。もしかして、外開きの扉だったのだろうか。
「今すぐ消滅しろ」と明白なメッセージを伝えてくる視線をかいくぐり、シードは丁寧に戸板を脇の壁に立て掛けた。これ以上壊してはいけない。

「え、えーと、クルガン。御前試合の予選、観に来てた?」
「Negative」
「だと思ったぜ。結果、聞く?」
「Negative」

クルガンの反応を聞き流し、シードは意気揚々と報告した。

「本選への出場権、勝ち取ったぜ。俺の区は皆弱いのばっかりだったから、あんまり楽しくはなかったけどな」
「……少しも苦労しなかった、というわけですか」
「あー。まあ。印象に残るほど苦労はしなかった」

シードは謙遜を美徳とは考えていないので、事実は事実として率直に言った。
しかし、そう言いながら、シードはふと思い出して付け足した。

「ああでも、一人……面白い反応したのがいたよ」
「面白い?」
「骨折れてんのに、俺の手払って自力で立って、『次はもっといい勝負にしてみせる』って吠えた奴がいた。アンタ知ってる? 確かアンタと一緒の隊の──」
「興味がありません」

クルガンは、発展しかけたシードの話を淡白に切り捨てた。

「──貴方が、覚えておけばいいことだ」










『名誉闘争』:END