ぼうっとしていた。
それにも気付かない程、レフトはその、遠くを行く後姿に見蕩れていた。

彼が歩く度、空気それ自体が動く。
兵が道を空け、敬礼を返し、一挙一動を見守る。畏敬と共に。

それが指揮官だ。

高貴な青い血、最先端の戦略を学ぶべき知性。
生まれながらにして、レフトとは馬と鼠ほどの差がある。歳の差だとて、倍以上あるだろう。
わが身と比べるのもおこがましい、その断絶。

それでも少年の純粋さで、レフトはその背中を目で追った。

位階は少佐と聞いている。
少佐──佐官など、レフトが直接に口を利く機会はおそらくこの先一生ないだろう。個別認識される機会すら。
大事であれば千人の、あるいは数千人の部下を持ち、それを支配する人間。

千人!
レフトの村の規模は、その十分の一にも満たない──というのは、計算したわけではなくただ漠然とした把握である。
大体、千と言われてもレフトには想像もつかない。水溜りを見て、海を描けといわれるようなもの。
いつか皇都へ行けば、それも実感できるだろうか。
この部隊の全貌でさえ、いまだ把握できないレフトでも?

広い背中、颯爽とした、けれど優雅な足取りが遠くなる。
栄えある皇国の、純白に青を染めた旗が翻る。そしてその、権威と栄光を彩る背から、目が離せない。

近くに寄ったこともないけれど、彼の命令なら何でも出来そうな気がレフトにはした。
吐くほどの訓練も、折った骨も、全て、皇国の剣の一振りとなって突撃するためのもの。
誇らしい気持ちで胸が一杯になった。

見習いとはいえ、まだ剣も持たせて貰えない──兵士の鎧の装着や、武器の手入れをするためだけの存在とはいえ。レフトは選ばれて、部隊の末席に加えてもらっているのだ。
レフトの属する練兵所から選ばれた少年は、片手の指ほどしかいない。他の場所から来た者を加えて三十名ほどだろうか、野営地の様々な場所でこき使われている筈だ。
初日にして疲労は既にかなりのものになっていたけれど、むくむくとやる気が湧いてきて、レフトは小型の荷車を再び押し始めた。

「…………」

ふと、すぐ先に赤毛の頭が見えた。反射的に顔を顰め、それからまた表情を作り直す。
シードも勿論ここにいて──残念なことに、見習いの人数が少ない分顔を合わせる時間も増えた──雑事をこなしている。
彼も荷車の手すりを掴んでいた。中に入っているのは、幕舎を立てるための金属の部品で、車輪が深く土にめり込んでいる。

シードも立ち止まり、あの背中を見ていた。
通り過ぎる際、自分のことは棚に上げて、レフトは皮肉を言った。

「憧れ見てんのも良いけどな、仕事もちゃんとやれよ」
「────」

シードはゆっくりと眼球を動かして、レフトを見た。
腕を振り回して怒る代わりに、シードはレフトを冷たい目で見る。

「あこがれ?」

シードはわざと拙い口調で言ったようだった。
それから、冗談を匂わす笑いも浮かべないまま、一言で切り捨てる。

「ねえよ」

そつなく整った顔を、歪めもせずに。

「俺とお前とは違うんだ」










『少年兵』











「なんだ、やり方教わってないのか?」
「……すみませんっ!」

レフトは慌てて指を動かしたが、結び目は上手く解けなかった。
鎧を着るには手間が多い。だからこうやって手伝うのだが、学んだ通りにやろうとすればするほど汗で指が滑る。

「早くしろ」

慣れるまでゆっくりやれよ、などという言葉はありえない。
そんな悠長な気遣いが通じる世界ではない。ここでレフトが甘えて誰が得をするのか?同盟兵だろうか。
殴られる恐怖を抑えながら、レフトは出来る限り急いで鎧を着付けていった。

ハイランド国内の治安の維持も、皇国兵の仕事の一面ではある。
モンスターなら小隊を数個出して駆りに掛かればそれで良いが、盗賊団の討伐となると、相手に知能がある分それなりの人数が必要になる。網を張らねば逃してしまう。

それでも、たかが盗賊ごときに皇国兵が遅れを取るわけもない。
剣も持たせて貰えない、歩兵以下の見習いは勿論作戦に加えて貰える筈がなかったけれど、その見習いを後方にでも連れてこられるだけ余裕のある戦いという事だろう。
盗賊と軍とでは、装備も実力も比べ物にはならない。

ようやく作業を終え、次の一人の着付けを手伝う。
晴天に太陽はびかびかと光り、幕舎の外に出れば鎧が焦げ付きそうだ。日よけの布を着せ掛けながら、自分がこの鎧を着て走り回れるようになるのはいつかと思う。

馬に乗るのは上位の兵のみだ。
大半のものは歩く。荷車を引く驢馬のくつわをとるのも兵で、見習達は荷袋を担ぐ。
開けた野営地から出て、今度は森を目指して移動する。

盗賊共は見つかりにくいところ──農耕も出来ない森や山の中が多い──に巣をつくり、必要なものは周りから奪ってくるからだ。
逃げ出されてしまったときは、その村落を潰してから後を追う。根城が残っていては、また良くないものが棲み付く。

熱い大気の中、遠くに見える森はいかにも涼しげに見えた。
ここに来て知り合った隣の友人と軽口を叩く元気もなく、水分を干上がらせないようにフードを深く被って俯き、下を見て歩く。
ハイランドの夏は短いが、その分鮮烈だ。

驢馬が黒めがちの大きな目で前を見据えている。
お前の方が大変だな、と、レフトは横を通り過ぎるそれの背を撫でた。熱く湿っていた。

木々の陰が段々と増えてくる。けれど、むっとするような緑の臭いはむしろ不快だった。
それでもレフトの胸にはまだ高揚し、全てのものが新鮮に思えている。前を行く騎馬の、ゆっくりとした足並み。涼しげに揺らめく旗。

危なげない足取りで歩いているだろう赤毛の頭に追い抜かされないように、緩めかけたスピードを上げた。








+++ +++ +++







「え」

射掛けられた矢に、いや、それよりも、急に倒れこんできた大木、茶色く雪崩落ちる斜面に、状況把握をすることが出来なかった。
馬鹿のように棒立ちになりながら、驢馬がいななく声を聞く。
それより数瞬遅れて、怒号。誰かが何かを命じる声。

けれど、それは深い森に遮られてわからなかった。
森の細い道では、軍はどうしても細長い隊列を組むことになる。姿も確認出来ず、ただ、緩やかな傾斜を登っていたはずの前の兵士達が、崩れるように転げてくるのを視界に認める。

「!?」

何をするべきなのか、一瞬ではとても判断がつかず、レフトは混乱した。

横を歩いていた驢馬が隊列を離れようとするのを、反射的に手綱に取り付いて引き止める。とっさの行動であり、頭を使っていたわけではなかった。それよりも先にすることがあるとも、気付いていない。

「うあっ」

驢馬が道をはずれ、木の根に足を取られた。荷車ががくりと傾き、レフトの方に倒れこむ。
足を挟まれては敵わない。

大慌てでレフトは飛びのいた。手綱を放そうとして手袋もそのまま脱げたが、間一髪で荷物のなだれには巻き込まれずに済む。

「!」
「……!!」
「!!」

誰かが何か──というよりも、周囲の全ての人間が何か叫んでいたが、レフトには聞き取れなかった。煩すぎた。
非現実的な展開だった。
先程まで、虫の音しか響かなかった筈の森が、瞬く間に変貌し何か怪物のようなものに変わっている。

どす、と足元に矢が刺さって、ようやく背筋が冷えた。

「え──」

響く剣戟の音が、どうにも聞き慣れず、レフトは左右を見回した。
襲い掛かってくる粗末な身なりの男が目に入り、必死で身を伏せる。振り下ろされる剣を、何か別のものが食い止めた。
がきん、と音がして、ぱらぱらと泥が舞う。

「ガキは逃げろ!」

やっと、そんなような意味のある吼え声が聞こえて、レフトはようやくそれに思い至った。
これは予想外の交戦──罠と、奇襲にあったのだ。足手まといは計算外だ。

どうしたら良いのかわからないまま、レフトは本能的に人の薄いほうへと駆け出した。
駆け出したのはつもりだけで、崩れた地面に足を取られ、ままならない。

「ひっ」

目の前に刃が突き出され、レフトはのけぞった。
剣を持ち、粗野な皮鎧を纏った賊が、行く手を阻むように立ちふさがっている。

剣は習っていた。素振りも毎日していた。それなりに使えると自負していた。
だが、それが今なんの役に立つ?

すぐに触れられるところに凶器と殺意。
そして、身を守るものは、布一枚と皮膚一枚。棒切れすら手にはない。

「うわあっ」

迷っている暇もなく、レフトは慌てて背負っていた荷袋を投げつけた。
それを片手で跳ね除け、賊が剣を振る。

ぶしっ

そんな音がして、レフトの人差し指の、第一関節と第二関節の間が、半ばまで切れた。一瞬覗く、赤い肉と白い骨。
驚くほどの血がぼとぼとと零れ、自分の存在が、水の詰まった皮袋と同じものだと認識する。

悲鳴をあげ、レフトは後ろを向いて反対方向に逃げ出した。
脳内麻薬のためか、痛みは襲ってこない。ただ、藁くずのように傷つけられた自分の体の脆さが恐ろしかった。

「っ!!!」

踏み込んだ藪の先には、固い地面はない。
よろけ、手を突いたまま、レフトは斜面を滑り降りた。
不運なことに、同じようにして賊も滑り落ちた。追って来るな、と思ったが、そう都合よくはいかないようだった。

レフトは死に物狂いで逃げた。
木の間を潜り抜け、四足で這うようにして転がる。
自身のみっともなさに思い至る余裕はなかった。とにかく、この場から一刻も早く逃げ出したいと思った。
そして、レフトは知った。想像ではなく、実感で。

殺し合いなんてものは気狂い沙汰だ、と。







+++ +++ +++







日の暮れた森の中、レフトは切れた指の根元を押さえながらよたよたと歩いていた。
少しでも下るほうへと足を進めている筈なのに、森の切れ目はいつまで経っても見えない。
このまま日が沈んでしまえば──夜の闇の中には、レフトを食おうとするもので満ち溢れるだろう。夜になれば、大抵のモンスターが動き出す。
ましてやこの血の臭いだ。

ぜひゅぜひゅという呼吸の音が内側から鼓膜にへばりつき、内臓が腐るように苦しい。
首を、足首を、握られて引き絞られている心地で、レフトはよろめいた。

口の中に飛び込んできた何か、おそらく虫、を何の感慨もなく吐き出す。

「う……」

死ぬんだろうな。
冷静な頭の片隅で無意識のうちにそう思いながら、それでもレフトは教わった知識にしたがって動いていた。
戦いの喧騒から逃れた代わり、レフトは隊からはぐれてしまった。庇護はない。見習い歩兵一人の不存在など、気付いているものすら居るかどうか。
あるいは、気付かれていたとしても、とっくに死亡扱いだろう。

日が落ちるまでの僅かな時間を、歩くことに使うのが賢いのだろうか。
座って休んだ方が、まだましなひとときを作れるのでは。

けれどレフトは生き延びたかったので、歩き続けた。
これまでの全てがこんな事で奪われるのは理不尽だと、そう思っていた。

「…………」

ぴー、と。
指笛の音が聞こえた。
甲高く、清涼な音。

幻聴かと思う。けれど必死に耳を澄ませる。

ぴー
ぴー……

確かに聞こえた。
人がいる。指笛は合図にも使われる。

息せき切って、レフトは茂みを突っ切った。
脳髄は麻痺していた。ただ、人がいる、助かる、と思った。

「あのっ……!」

がさりと茂みを掻き分けて駆け寄った時──振り返った男と目が合った。
汚らしい上着に、粗野に見せたがる髭。みすぼらしく欠けた兜。そこに居たのは、間違っても皇国兵ではない。
敵だ。
致命的な失態だった。もう、レフトには駆ける体力も残っていないのに。

息を止めて、一歩後ずさる。この距離では、向きを変えた途端に斬られる。

「──」

枝葉の間から零れる西日が、世界を赤く染めていた。
男が歯の間からしゅうと息を吹き出した。それが合図だった。

ひゅっ

密集した木々を避け、男はぼろぼろに錆びた剣を突き出した。
レフトは──もうそうするしかなく──仰向けに倒れこんだ。後頭部を木の幹にぶつけ、間抜けにずるずると滑る。
がつりと、その木の幹に食い込んだ剣先を眺め、レフトはこれしか生き延びる機会がないことを悟った。

剣がひき抜かれる前に、それを握った男の手を蹴り上げるのだ。そして、抜けた剣を男より先に拾う。

レフトは渾身の力を込めて、足を動かした。

がっ

「っ」

男が低くうなった。
それから、空いていた片手でレフトの足首を掴むと、木の幹から剣を抜いた──レフトの攻撃は、男から剣を手放させるには至らなかった。

ひゅう、と息が詰まる。
レフトは足をつかまれたまま、相手を蹴たぐった。

「うわあああ」

じたばたと動いて、逃れようとした。何も考えられず、ただ恐怖だけがあった。土が舞い散り、茂みが派手な音を立ててざわめく。
けれどそれだけだった。

「あ」

足首は固定されたまま動かず、剣が振り上げられる。
地面の上に背が着いた状態で、避けようがない。
同じく、相手も外しようがないだろう。
はあはあという荒い呼吸の音。

興奮に、近付いてくる剣先がゆっくりと見える。
それはただ単に──生きている時間を引き延ばすというよりも、精神の苦痛を増やすだけでしかなかった。

皇国の剣。
自分にはなれない。

こんなときだというのに、そんな事を思った。
何の為にここに来たのか、こんな状態で考えてしまえば辛くなるだけなのに。
誉れなど全くなかった。
それどころか惨め過ぎた。
もう沢山だった。痛いし苦しいし怖い。辛い訓練も何もかも、役には立たなかったのだ。

──憧れる資格もなかった。

自分には無理だったのだ。
土を耕していれば良かったのだ。
それも出来ずに口減らしというなら、どちらかといえばない方が良いなら。
いっそ死んでしまえば。
ああ──

──これで、良かったのか。

そんな事まで考えたとき、やっとレフトの目の奥が熱くなった。
自分が可哀想だと、そんな情けないことまで考えて、今の己はこの世で百番目くらいには惨めな存在だと思った。

ゆっくりと剣の切っ先がレフトの胸板を貫く。
その瞬間、それはやって来た。


ぎゃしゃごっ!


尋常でない音を立てて、男の被っていた兜が側頭部から変形した。
ついでのように首が横向きに折れ、肩に耳を擦りつけながら男が人形のように跳ねて近くの木に激突した。
びっ、と軽く血飛沫が飛んだ。
近くの葉や枝の上に少量降りかかる。

「────」

息も出来ずに、呆然と土の上に伸びたままでレフトはそれを見上げていた。
掴まれていた足首は僅かに引き摺られただけで、残りは自由になっていた。

確実に折れている手首と、ぐしゃぐしゃに潰れた拳から血が滴っている。
獣のように荒い呼吸のまま、そいつはもう一度はねると、男の体の上で更に腕を振り上げた。
その時響いた音を、レフトは二度と聞きたくないと思った。そして、そいつの拳の今の有様を見たくは絶対になかった。

男の体を踏んだまま、そいつはしばらく動かず──勿論、レフトも動けなかった。男の指の痙攣が消えた。
赤い西日の差していた世界が、どんどんと黒色を増していく。

凍りついたようにそれを眺めるレフトの眼球は、その肩が僅かに上下したことに気付いた。
うっすらと震えているように見えた。
そして、そのままやや前傾姿勢になり──崩れると思ったが、持ち直した。

唾を吐く音。
何かを飲み込む音。
何かを──堪える音。

そしてそいつは無表情に振り返り、赤茶色の瞳でレフトを見下ろした。
崩れてしまえばよかったのに、ざくりと土を踏んで距離を詰めてくる。

そして、静かな声で言った。

「──立てるか」

こいつにだけは助けられたくなんてない。
レフトの右手が動いた。掴んでいた泥をシードの顔面に投げつける。
シードが思わず目を潰り、顔を背けたことだけ確認してまた泥を握る。

「バッカじゃねーの!?」

気合で立ち上がると、レフトは後ろの幹に背を預けて虚勢を張った。
近付いてくるなら、もう一度、今度は石でも投げつけてやる。

「なんだってこんなトコ来てんだよ」

乾いた痛みが口元に走る。
切った唇を拭って、レフトは答えないシードをにらみつけた。

「部隊は!任務は!?もしかして俺を探しに来ちゃったとか言うわけ、どうせそんな命令出てねーだろ勝手なことすんなよ!それともお前にとっちゃこんなん簡単なことか?だったら俺が感謝するなんて思ってるのかよ──ふざっけんな!」
「──」
「意味わかんねぇよ!お前だって戻れねぇよ、敵ばっかりなのに、こんなトコまで来やがって……!」

がく、と膝が崩れそうになって、レフトは慌てて足に力を込めた。
どんどん暗くなる視界の中、それでも見たくないものがあった。

「人、殺して、……」

血に染まった手。
吐いて、泣いてしまえば良いのに、何故そうしない。

「馬鹿じゃねぇの、気色悪ぃよ!お前、俺のことなんか嫌いなくせに何でそんな、そんな──」

苦労をしたことなんてわかっている。
命をかける、それ程の重みだとわかっている。
敵にまみれた森の中に、一人で来るなんて、自殺行為だ。後方支援もない、単独行動だろう?

その同情が気に食わない。
なんでそんな事が出来る。余裕で微笑む聖人なんて、近くにいたら耐えられないのに。

「なんで」
「うるせぇよ」

シードは眉根を寄せて不機嫌な表情をしていた。
青褪めた顔色が一層迫力だった。

「ガキみたいにぎゃあぎゃあ喚くな、お前ヒステリーの気でもあんのかよ」
「な、お前だってガキ、」

レフトの反論は無視し、シードは苛々した声で続けた。

「ああ、テメェみてぇなの助けに来るんじゃなかったって後悔してる、死ぬほど苦労して探してやったのに逆に怒鳴られるし、意味わかんねぇし、妙に噛み付いてくるし鬱陶しいよ、正直な!大体普段からお前ウザいんだよ、俺が嫌なら遠くに行けよ、俺の視界に入るんじゃねえ」
「──だから」

ぐ、と下唇を噛んで、レフトは叫んだ。

「だから放っとけって言ってんだ!俺が死のうが、お前にとっちゃ万々歳だろ、馬鹿!俺だってお前見てると気分悪ぃんだよ、恩着せがましく追っかけてくんな!!そういう英雄気取りが気に障んだよ、自惚れんな、それが嬉しいだなんて思わない奴がいるってわかれよ」

何で助けたりするんだ。

しん、と森の中に静寂が落ちる。
完璧に日は落ちていた。シードの表情は伺えない。
レフトはもう、シードがこの場から去るだろうと思った。それでも良かった、こんな屈辱に耐える必要など、思い返してもない。
今言い放った台詞を、レフトは少しも後悔していなかった。
本音だ。
シードだって、あの台詞が正直な感想だろう?
それでいい、今更傷付かない。むしろ傷付けてやりたい、お前がどうにもならないことがあるんだと。

それから、一秒か一刻か、それくらいの時間がたった後のことだった。

「……だって」

そんな、格好良くない言葉を使ってシードが呻いた。
だって、ともう一度繰り返してから、レフトから少し目を逸らす。がりがりと、無事な方の手が赤い髪をかき回した。



「……戦友ダチだろ、俺ら」




なんでそんなことゆえちゃうわけ。




レフトはやっぱり、シードのことが大嫌いだと思った。

そういう、俺には死んだって真似出来ないところがムカつくんだよ。
お前みたいなヒーロー、傍にいたら息苦しいんだよ。
自分の平凡さが痛いくらいわかっちゃうんだよ。
だってお前みたいになりたいだなんて俺が言ったらおかしいだろ。
そんな夢、みてるほうが馬鹿みたいだろ。笑えるだろ。どんなに滅茶苦茶頑張ったって追いつけなくって。
悔しくて悔しくってお前を見てるのが嫌なんだよ。

なのに何でそんな事言うんだよ。
お前だって、俺のこと嫌いなくせにさあ。何でだよ。

ぼろ、と涙が零れそうになって、レフトは慌てて俯いた。舌を強く噛んで、涙腺を閉める。

指が痛い。シードの拳も痛いだろうか。良い気味だった。
シードが来たからといって、森から抜け出せたわけでもない。傍には死体で、荷物はない。帰れたところできっとねぎらいの言葉もない。こんな最悪な状況。

レフトは俯いたまま、足元の草を眺めていた。
そして、ゆっくりと、言ってみた。


「……そーだった」











「俺、レフトっつーんだけど。これからよろしくな?」
「……ああ」
「何だよ、腹でも痛ーのか?じゃ、食堂行こうぜ」
「食堂?まだ荷解きも終わってな、」
「腹痛は飯食えば治るって。あ、それとお前、名前何?」
「……シード」
「シード。お前、ここでの俺のダチ一号な!」
「はあ?」













暗い闇の中を、シードが布団の中でひそひそと喋るような小ささで語りかけてくる。

「何でお前……ずっと怒ってたんだよ」
「……別に怒ってねーよ」
「嘘だろ」
「うん嘘。だってお前、いっつもスカしてっからムカつく」

シードが唇を引き結んだのがわかる。
レフトは溜息を吐いた。

「いいか、人間関係の基本は笑顔だ!お前みてーに黙って外れてたら近寄り難いんだよ」
「用もないのにへらへら笑えって?馬鹿みてえ」
「は?何格好付けてんのお前。そっちの方が馬鹿じゃねーのって感じ、何様?」
「喧嘩売ってんのか」
「ああ、売ってるね。だってお前、友達いねーじゃん」

ぐ、と言葉に詰まったシードを尻目に、レフトは容赦なく続ける。

「他所他所しいしな。自分から距離置いてりゃ言い訳になんのか知んねーけど、何か怖いことでもあるわけ?」
「…………」
「遠慮、すんなよ」

照れくさくなって、レフトは無理やり前をじっとみて誤魔化した。

「大丈夫だよ、少しくらい、自分の思う通りにしたって、皆逃げてかねーよ」

だってお前は格好良いからな、そんな続きは喉の奥に飲み込む。

「ダチになりたきゃ、遠慮しないで突っ込めよ」

シードが笑うなら、怒るなら、誰だってそれを見るだろう。
そしてその眩しさに、目を細めるだろう。

「大体、俺が怒ってると思ってたなら、ガチで聞いてくりゃ良かったんだ」
「聞けるか」
「んでだよ」

シードはぐちゃぐちゃと頭をかき混ぜて、少し早足になった。
けれど、この話はここで終わったかと、レフトがそう思いかけたタイミングで──ぼそりと声が聞こえてくる。

「……お前は、友達一杯いるし」

俺とは違うから、もういいのかな、って。
顔を背けてそう言うシードに、レフトは口をぱかりとあけた。

「はあ?」




「お前、結構可愛いところあんのなー」

しみじみとレフトは呟いた。すると照れ隠しなのか、ごつんと頭を叩かれた。
その勢いで頭から地面に突っ込んだレフトを見て、シードが慌てる声がした。











年兵』:END.