怖い。
その人を見てジュディスが一番先に思ったのはその一言だった。

元の髪の色、元の肌の色、元の服の色がわからないほどに、その姿は真っ赤だった。ジュディスはそんなに赤いものを生まれて初めて見た。
人一人がその量の血を流すのは不可能なような気がしたので、多分、それは返り血なのだろう。

ごくり、と喉が鳴った。

「────」

ぶうん、とその人が片腕を振ると、べちゃ、と音がして、何か赤いものがそこから振り落とされ、地面に叩きつけられた。
それを見て、自分を包む母親の腕の力が一瞬強くなった。

その人が微笑みでもしていれば、まだジュディスは「彼は別世界の人間なんだ」と思うことが出来ただろう。
だが、その人は凍りついたように無表情だった。何かを必死に抑えているように見えた。

全身真っ赤の、その中でただひとつ、その目だけが違う色だった。

その人は屍の上に立っていた。
それ(もう、それ、としか言いようがない)はジュディスの村を定期的に訪れて、母親と父親、そして友達とその両親、そしてそのまたその両親、とにかくこの村を構成している人々の全てに嫌われていた。

それの部下は沢山居て、皆、刃物を持っていて、村長が領主様に連絡すればそれからしばらくの間だけは姿を消したけれど、すぐさままた沸いて出た。
蓄えれば蓄えただけ奪われた。一番奪われたものは希望だった。働いても、働いても、それが自分のためになるのではないと思い知らされる。
抵抗しなければ殺されはしなかったけれど、それだけだった。
殺されない代わりに、それらが欲しがるものは全て与えなければならなかった。例えば、ジュディスの姉さん。もしかして長ずれば、ジュディス自身。

その我慢の繰り返しを、彼はあっさりと断絶した。
それはもう無慈悲としか言い様のない、傍から見れば悪鬼か羅刹としか現しようのない勢いで、根こそぎ殲滅し尽くした。そう、せんめつ──ジュディスは思った。この前覚えたばかりの言葉だが、きっとこれが一番相応しい形容だ。

これは多分、全ての問題解決ではない。
いつかまた、それと同じような人たちがジュディスから何かを奪いに来る。
けれども、今──ここにいる、この今を、ジュディスは生き延びた。

「────」

母親を殴ったそれ、友達の足を笑いながら斬ったそれに怒りを覚えて、ジュディスは咄嗟に噛み付いてしまったのだ。
勿論何の抵抗にもならずに、ジュディスはさっき、それと同じような『それ』になってしまう所だったのだ。

ジュディスを撫でようとやって来た鈍器を受け止めてくれた腕がなかったら。
怖い、とても恐ろしい、その腕がなかったら。

「────」

がたがたと震える母親の拘束から抜け出して、ジュディスはその赤い人を見上げた。
ジュディス、と小さく悲鳴のように自分の名を呼ぶ母親の声は聞こえてはいたが、ジュディスはその赤い人──ジュディスからして見ればまるで、死神か怪物、そういった何かに見える人間に向かっていった。

ジュディスの接近に、その人は怯えたように少しだけ身を後ろに退いた。
ジュディスの視線から逃げるように、目を逸らし、背を向けようとした。

「────」

最後の二、三歩はだから、小走りになった。
ジュディスはその人の服の裾を掴み、それがジュディスの手をも赤く染めた。
その人が足を止め、ジュディスを見下ろす。
無表情なその顔の、その瞳の奥。

怖い。
ジュディスはそう思ったけれど、口の方が先に動いていた。

「……ありがとう」

その人が何か喋る前、その人が何かする前に誰かが走り寄って来て、ジュディスの軽い体は後ろに攫われた。
それは父親だった。ジュディスは安心した──はっきりいって、この赤い人の傍にいるのはとても怖かったから。

抱き上げられ、かなりのスピードでジュディスはその人から遠ざかった。
距離を詰めるときにはあれ程の思い切りが要ったのに、離れるのは酷く簡単だった。それと共に心も軽くなる──生きている。自分は生きている。

「────」

父親の肩越しに、視線が合った。
その人もジュディスを見ていた。

ジュディスにはわかった。

目はからからに乾いていて、喉からも何も音はしないけれど。
きっとこの人は今、ないている。























神様、と祈った事はない。
けれど──けれどシードにはわからなかった。

空は高く、青い。
空気には血の臭い。
足元には賊の死体が山程。
降る日差しを浴びて、己の体は真っ赤。


「俺は……好きなもの、守ってるつもりだけど」


この奇跡を、誰に感謝すれば良い。


「逆に、守られてんだよなぁ……」

傷を負って、痛みを引きずって、けれどシードはまだ、絶望のふちに立ってはいなかった。
進むたびに何かを失うけれど、シードはまだ生きている。だから走れる。

自分に触れて赤く染まったその小さな手。
離れていくその手が、そこに、何処かに、まだ、あるのなら。

泣き叫んでも。
自分は、走れる。



助かってくれてありがとう。


「ありがとう……」




俺を救ってくれて、ありがとう。


















皇国歴二百二十年十一月 
正式な記録には残らないまま何処かに埋もれた小さな任務




『慟』:END