シードは諦めるということを知らない。


自身の力を信じているというのもあったが、それだけではない。
シードは幼少時から、己と他者との違いを理解していた。
それは、別にシードが他に比べて特別であるとか、選ばれたものであるとか、そう言った類の驕りではなく──ただ単に、人はひとりひとり全て、得意なもの不得意なもの、出来る事と出来ない事があるという事を漠然と捉えていただけの話だ。

例えばシードは中身の一杯に詰まった葡萄酒樽を持ち上げる事が出来たが、他の子どもには出来なかった。
子どもでも、熟しきった杏の実を、小さな卵を、上手に摘み取る事が出来たが、シードには出来なかった。

人の力には自ずから限界がある。

そう知っていれば、普通ならば随分と冷めた目の子どもが出来上がりそうなものだったが、シードは見事にその反対をいった。

シードには可能な事と不可能な事がある──だが、シードに不可能な事を、こなせる者が居る。
ならば、誰かが出来ない事も、けれどシードになら出来るかもしれない。

誰にも背負えない荷物というものがあるならば、それは少しずつ分担するしかないのだ。
例えば自分を守ること、例えば親を守ること、友人を、恋人を、村を、町を、国を──守ること。

シードは自分ひとりで全てをまかなえるとは思っていない。それは自然に捉えれば、見切りや諦念の境地に近いものになる筈だった。
けれど、シードはそこでは止まらない。シードはこう考える。

だからこそ、自分に出来ることくらいは、自分に出来る限りやらねばならないのだと。

そして、己の行動の限界は、やってみなければわかるまい。明確なラインなど見えないのだからそれを超えるまで進むしかないのだ。
この力で、何処までやれるのか。この力で何が出来るのか。シードがここにいる意味は、走り続ける事でしか見出せない。

挑戦こそ、シードの本質だった。








『慟哭』








「……っか、は」

連れ立っていた者達とは、見事に散り散りになった。そして五人のうち、二人は死亡を確認した。心は痛んだが、感傷に浸っているときではなかった。
けれどもはぐれたというその行動は、良かったのかもしれない。追手も標的が分散した方が追跡しにくかろう。さらには夜間にこの山道では、途中で追跡を諦める可能性もある。

山道に入るときに、馬は捨てていた。
道を通っていては間に合わない。腕の矢傷が痛むが、足ではないので進むスピードに支障が出にくく、つまりそれは幸運だ。

シードはいつも、希望に向かって走っているつもりだった。
一縷でも望みがあるなら、その方向に。出来るか出来ないかは判断するべき事ではなく、やるべきかそうでないかがシードの基準だった。

そうやって生きてきたし、そのことを恥じるつもりもない。

たったひとりで──あるいは三人で、何が出来る?そんな問いにはシードは答えられない。

だが、山賊のひとりやふたり、あるいは十人や二十人は斬り捨てられるかもしれない。
そのことによって、村人のひとりやふたり、あるいは十人や二十人は守れるかもしれないし、彼らが逃げる時間を稼ぐ事も、突破口を開く事も出来るかもしれない。

命と引き換えに何程のことが出来る?
その大小はシードには関係ない。ただ、進むべき方向に一歩でも前進する事、それがシードの望みだ。

そうやって、生きてきた──

「────」

──筈だったのに。

「──!!」

枝葉を掻き分け、道なき道を進み、そしてその一歩を踏み出したとき。
シードはそのとき、悲劇の臭いというものを知った。





+++ +++ +++





御伽噺で、姫を騎士が救うように。
悪いドラゴンに襲われている旅人を助けるように。

間一髪で致命的な危機を逃れさせる、誰かの力になれる、そんな事は。

──やっぱり、出来ない事の方が多いのだ。
万人にとって都合の良いように世界は出来ていないのだから。

物語としては不出来でも、確かに、そうなのだ。

笑える事、生きている事、そこにある事。
それは、奇跡に近い。
誰かを、何かを、守ろうなんて、それが実現できるなんて、それは本当に幸運な事。

呪いのような囁きを後頭部に聞きながら、シードの足はそれでも走った。生存者を探して。ついこの間まで、いや、今朝まで、いや、昼過ぎまではきっと、誰かが笑っていて、誰かが喋っていた場所を駆けた。

「ぅ……!」

普通なら、奪略者は、相手の命を根こそぎ絶つような事はしない。
生かさず殺さずとは誰が言ったか、吐き気のするような言葉だ。
けれどもそれは本当のことで、ここまでの惨状を引き起こしたのは、つまり相手が後先のことなど考えておらず、この地を捨てて逃げる決意をしたと──もっと言えばそれは、シードに追い詰められたからだと、そんな事くらいはわかっている。
最後ならば、奪いつくしても構わないというわけだ。

「ぁあああぁっ……!!」

火のように心が燃える。
それは敵への憎しみだったり、己への苛立ちだったり、もっと他にも──何に対してかはわからないが、おそらく世界の殆どに向けての憤懣だったりした。
周りの全てが、この惨状が、シードを最も効果的に糾弾する。

もっと、他に何かあったのではないのかと。

例えば、クルガンの制止を振り切り、彼を殺して無理やりにでも部隊を動かせば、賊は危険を察知して逃げていたのではないのか。
例えば、もっとなりふり構わずに駒を進めていれば、シードが死んでも、他の者が死んでも、一人くらいは間に合うようにここにたどり着けたのではないのか。
例えば、シードが大人しく諦めていれば、無駄に命を落とす者はいなかったのではないのか──

考えたくはない。けれどシードは考えずには居られなかった。
僅かな可能性でも追求する分、シードは現実に対して傲慢だった。もっと言えば、限界以上のことを己に課する傾向があり、理想を追求する分自分を甘やかす事はなかった。
つまり──この結果に対して、シードが思うことはただひとつだった。

もっと、何か、他に、するべきではなかったのかと。

諦めないなんて美辞麗句を掲げるなら、それならばもっと、全てを吹っ切って進むべきではなかったのか。

自分が守ると、言ったものだったのに。
それより惜しい何が、あるのだ。

もっと獣のように、自らの目的だけを追及していれば。
そうしていれば、もしかしたらシードは、間に合ったかもしれないのに。

「──!」

ふ、と、鋭敏なシードの聴覚が、か細い呼吸音を捉えた。
頭で考えるより先に、体がそれに向かって駆け寄る。

打ち壊された垣根を飛び越え、こげた壁を避けて、死体を乗り越えて、シードは進んだ。
そして──死に切れずに苦しみ、今なお意識を残したままの少年を発見した。

こんなことが許されて良い筈がないのに。
けれど、シードが許さずとも、誰が許さずとも、世界は勝手に動いていく。

「ジャスティンっ……!」

触れた少年の体は、既に冷たかった。
シードの体温が上がっている事を考慮に入れても、なお冷えていた。

シードがその体を抱え起こすと、少年は火傷でもしたかのように身を振るわせた。
そしてぼんやりと開いたままだった眼球をのろのろと動かし、シードを見据えた。
多分、彼にとっては最早、その色彩すら見分ける事が困難だったとしても、確かに少年はシードを見た。

こほこほ、と少年は血を吐きながら、それでもシードに何か伝えようとした。
シードは急いでその口元に耳を近づける。

誰より懐いてくれた子どもだった。
向けられる純粋な憧憬が面映かった。
シードみたいになれるかと、そんな言葉を贈ってくれた。
生きる意味を与えてくれる言葉だ。

戦場で、敵を食い散らかして笑う軍人に、なお笑いかけてくれる者。
例えそれが、その裏側を知らなかったからこそ向けられたものだとしても、それでも。
──シードには嬉しかった。

少年は、断末魔の痙攣に苦しみながら、最後の息でこう言った。








シードの、嘘吐き

お前のせいで、この村は。










獣の鳴き声がした。
それが人間の喉元から上がっているとは、どうにも信じられそうにない声だった。