『恋愛小説:結』







「き、き、き、貴様ぁっ!!」

声を上げてクルガンに殴りかかったのは、驚いた事にアシャズの方が早かった。逆上しているのだろう、とても行儀がいいとはいえない言葉遣いだ。

シードも感心するような速度で、アシャズは右拳を突き出した。勿論狙いは振り向いたクルガンの顔だろう。

がっ

「──っ!」

クルガンは避けず、僅かに頬に拳を掠めさせた。
動きにあわせて首を捻りはしたが、流石に完全に衝撃は殺せない。アシャズに向き直り、片手で柔らかくサンディーナを背後へ押しやると、クルガンはくらくらする頭で考えた。
まあ、一発食らえば正当防衛が成立するに十分だろう。

「よくも、サンディーナにっ!」

先程の行動に至るにあたって、クルガンが考慮していた事情は次の三つである。

アシャズに男色の性癖があるとは聞いた事がない。
アシャズより強い者はシードだけというわけではない。
アシャズはシードに告白した癖、彼がクルガンと幸せになる事をむしろ望んでいる。

そして先程、もうひとつ注目に値するべき点が追加された。
普通、余程親しくなければ女中の名前などわからない。

「きゃああああああっ!!」

サンディーナの悲鳴が上がり、アシャズはそちらに目線を向けた。
きっと、彼女が転んだとでも思ったのだろう。

「止めて、アシャズ様っ!」

懇願の声。アシャズの意識が完全にそちらにうつる。
その隙に、クルガンは有難く報復する事にした。

ひょいっ

「うわっ!?」

おろそかになっていたアシャズの足元を、つま先で軽く掬い上げる。
勢い付いていたアシャズは簡単に転倒した。
体全体が浮いた状態から、一回転するような勢いにより顔面でべしゃりと廊下に落下する。

「「「「…………」」」」

たまたまクルガンの足がそこにあっただけだ。アシャズが勝手に転んだ分には全く問題がない。
クルガン以外の三人中二人はそう納得した。彼らはとても純粋だった。

「アシャズ様っ!」

サンディーナが倒れたアシャズに駆け寄る。
それにより、アシャズの気が削がれるのを見計らって、クルガンは決定的な一言を投下した。

「──彼女が好きなら、素直にそう伝えれば宜しい」





+++ +++ +++





「……俺、全っ然、納得いってねぇんだけど」

目を据わらせたままの同僚の心境はわからなくもないので、クルガンは説明してやる事にした。
アシャズは廊下の真ん中に正座させられている。その前に並んで立つ三人。
サンディーナを傍聴人に、クルガンが裁判官、シードは審問官だ。
別にアシャズは正座を強制されているわけではいないが、今のシードを目の前にしてそうせずに居られる人物はかなり少ないと断言できる。

「つまり、准将がシードを好きだという一連は、狂言だったという事です」
「すみません……」

アシャズは殊勝に謝った。
だが、シードも、勿論クルガンも、そんな事では済ませられそうにもない。
シードは中腰になるとアシャズと顔を見合わせた。

「……なんでンな事したんだよ」
「それは──クルガン殿と、付き合っているのかどうなのか、もしそうであれば堂々と宣言していただきたいと思って」
「だから、なんでだ!?」

その問いに答えたのはクルガンだった。

「多分、彼女がシードのファンなのでしょう」
「……はい」

アシャズはサンディーナを一度見上げると、視線をそらし、切ない調子でこうのたまった。

「サンディーナがシード殿のことを好ましいと言っていたのを聞きまして、男色家だとわかれば彼女も諦めるかと……卑怯な真似だと思いましたが、ほかに手立てを思いつかず」

シードは口を閉じ、目を閉じて三秒数えた。
怒りが収まらなかったので思い切り息を吸い込む。

「阿呆かあっ!」

どごっ

シードが放った蹴りは、アシャズの耳の横を掠めて柱に突き立った。
ぴしりとひびが入ったその柱を見て、サンディーナが蒼白になる。

「好きな女が居るなら普通に告白しろよっ!?」
「そんな事──」

アシャズは赤面すると、口元に手を当てて俯いた。

「……は、恥ずかしいじゃないですかっ!」
「てめーの羞恥の基準は何処にあるんだ……!」

シードはアシャズの頭を掴むと、乱暴にシェイクした。
勿論クルガンが止めるわけはない。

「俺とクルガンが可哀想とは思わなかったのかっ!」
「もしも本当に付き合ってるなら吹っ切れて幸せ、そうでなくても周りの目は今とそんなに変わらないかと思いまして──」

それが何故なのかは結局わからないままだな、とクルガンは思った。
やはりアシャズの神経が特殊なのだろう。その結論を揺るがす要素は、きっと何処にも見当たらない筈だ。

「反省の色が全く見えねえぞコラ……!」
「むしろ親切のつもりだったんです。一石二鳥というか」
「お前はどんだけ世の中舐めてんだぁっ!しかも実は彼女と両思いかっ!」

シードはテンションを上げすぎておかしな事になっている。
がくがくとアシャズを揺さぶるのに飽きたのか、肩を掴んで持ち上げると、廊下の向こうに放り投げた。

「うおらあああっ」

ぶおんっ

「うわああああっ!?」

流石将軍と言ったところか、アシャズは空中でなんとか体勢を立て直して着地する。だが、勿論初体験だったのだろう、顔が引き攣っていた。
サンディーナは恐怖に硬直している。

「逃げんなっ!」

自分で投げ付けた癖、シードは理不尽な事を言ってアシャズを追いかけた。
命の危険を感じたのか、アシャズが逃げ腰になる。
いくらアシャズでも、シードの怒りをこのまま受け続けては医務室送りは間違いないだろう。

「ちょ、シード殿っ!」
「一度お前は脳みそ入れ替えろ……!」

シードは、アシャズが崩したままだった鎧飾りから頭部を拾い上げると、狙いを定めた。

「そ、それは当たったら死にますっ!落ち着いて!!」
「安心しろお前は死なない。俺が保証する、馬鹿はしぶとい」

その説には信憑性がありそうだな、とクルガンは思った。

しかし、そろそろアシャズに失神してもらうかシードを止めるかしないと、騒ぎが大きくなってしまうだろう。
そう考えてクルガンは制止しようとした。が、それはやはり、いつもの通り少し遅かった。

「食らえっ!」
「うわあっ!?」

びゅっ!!

シードが渾身の力を込めて投げつけた兜を、アシャズは全力で避けた。
結果、それはそのまま廊下を直進し──





くわああああん!



「……」
「…………」
「………………」
「……………………」



丁度廊下の角を曲がってきた人物の顔面に激突した。
とてもいい音だった。





「……………………えーと」

一番最初に動いたのは、サンディーナだった。
やはり土壇場では女性が一番頼りになるものだ。

倒れ付した人影に近寄り、軽く揺さぶる。

「は、ハーン様……?」

次にフリーズから解けたのはやはりクルガンだった。
さっと身を翻そうとしたのを、反射的にシードの手が捕まえる。

「ちょっ……ど、どーすんだよ!?」
「知らん俺は逃げる」

と言っている隙に、アシャズがいつの間にかクルガンの三歩先に居た。

「待てっ!お前が一番残るべきだろーがっ!」
「ハーン殿の事については私には全く責任はないかと!」
「シード、お前が残れ。多分一番頑丈だ」
「無茶言うな絶対ェ死ぬ……!!」

口喧嘩する間も惜しいという事に気付き、三人は一致団結してその場を撤退した。











そして曲がり角で別れる際、アシャズはクルガンを呼び止めた。シードは後ろも見ずに既にはるか彼方だ。

「ご迷惑をおかけして済みませんでした」
「そうですね。もうこんな騒ぎは御免被る」
「でも、あの……クルガン殿が、サンディーナに……その」

恨み言を言っていいものか、戸惑う態度を汲み取ったのだろう──クルガンは笑ってアシャズにこう言った。

「ああ、安心してください──振りだけです」
「振りだけ?」


「私も口付けは、心を捧げた人にしか出来ない」









小説.END