『恋愛小説:承』







具体的な解決策を何も見出せないまま、クルガンはそう言えばと思い立ち仕官食堂に向かう事にした。
部屋を出て二分後、斜め後ろに向かって声を投げる。

「何故ついてくる」
「だって俺も飯食いたいし」

クルガンはひたりと足を止めるとシードに向き直った。

「……取り合えず、この件が一段落するまで俺とお前は別行動だ」
「何で?」

そんな事までいちいち順番に説明しなければならないのだろうか。
クルガンは溜息を吐いた。躾ける時間が惜しいので今はさっさと理解させることにする。

「何故なら──」
「クルガン殿!」

けして聞きたくなかった、暑苦しいまでに爽やかな声に、肩越しに呼びかけられる。
クルガンは、ゆっくりと、あくまで優雅に振り向いた。

「……こういう事になった時果てしなく面倒だからだ」

ただし、シードにだけ聞こえるような大きさで呟かれた後半の台詞は出しうる限りの低音で構成されていたが。





+++ +++ +++





「……アシャズ准将」

クルガンは視線を合わせて軽く会釈した。
アシャズも丁寧に朝の挨拶をする。クルガンはアシャズよりも年上であり、階級も一応上だ。所属が違うといえど、アシャズが敬意を払うべきには変わりない。
その後、アシャズは表情を変え、ややはにかんでシードに笑いかけた。どんな女でも胸がときめくに違いない、明るい笑顔だ。

「シード殿、お早うございます!」
「ああお早う……」

軽く頬を引き攣らせながらシードも取り合えず挨拶を返した。

「──ってちょっと待てクルガン!」

さりげなくフェードアウトしようとしていたクルガンの服の裾をがっしと捕らえてシードは怒鳴った。
一番初めに声を掛けられたのはクルガンであるというのに良い度胸だ。

「何か」
「何かじゃねーよなんで逃げんだよ」
「逃げる?」

クルガンは心底不思議そうな表情を作って見せた。

「いえ、私はただ単にお邪魔をしてはいけないと──」
「邪魔って何だ邪魔って!むしろ邪魔しろよ!」
「……だからお前は何でそう考えのない発言をするんだ」

クルガンは小さな声でぼやくと、ちらりとアシャズの方を見た。大体において、恋をしている人間というのは盲目であり情緒が不安定であり思考回路にどこか狂いが生じ、何より──冷静でなくなる。
クルガンは、極自然にさらりとシードの腕を払った。
アシャズは真面目腐った顔でクルガンを見詰めている。このままさりげなく立ち去るのは不可能だった。

「……クルガン殿!」
「──何か」

思わず一歩退きそうになる足をクルガンはすんでの所でコントロールした。

「貴方を頼りにするシード殿の手を振り払うなんてあんまりです!」

そこなのか……。
クルガンの足は一歩退いた。誰も自分を責められない、とクルガンは思った。

「お、おーい」

あまりのことにシードも二の句が継げないようだ。
一言で将軍二人の動きを数秒間停止させた恐るべき人間は、猛然とこちらに向かってきた。その途中、通路に立っていた鎧飾りに蹴躓いて、物凄い騒音を立てたが本人は気付きもしないようだった。

「おいアシャズ、それ」
「シード殿、貴方は黙っていてください」
「え?」
「貴方の気持ちが何処にあろうが、俺は最善を尽くすだけです!見ていてくださいね!」
「黙って見てろって言われても俺は」
「ええ、クルガン殿のお味方をすると言うのでしょう……構いませんとも、それは貴方の自由だ!」

アシャズはとても良い表情でのたまった。

「俺は、こんな事で貴方が振り向いてくれるとは思っていません」
「……」
「俺が、貴方の為に自分で出来ることをしたいだけなんです」
「……」
「見返りが欲しい訳ではありません。俺が、こんな状態の貴方を放っておくのがイヤなだけですから!」

俺の勝手な行動ですっ!とアシャズは叫んだ。シードは頷くしかなかった。
この場を丸く収めるべく、恐る恐る提案をしてみる。

「取り合えず全力で消え去ってくれたら俺は凄く嬉しい」
「はいっ、頑張りますっ!」
「うああわかってた事だけど話が通じねえ……!」

シードはがしがしと頭を掻き毟った。

貴族の家柄、華々しい武勲、腕っ節の強さ、まだまだ発展途上の将来性、男らしい精悍な顔つき、スマートな体格、長身、社交的な性格──
字面で並べればおよそ欠点が見つからない第三軍将軍アシャズ・ラウディ。

──その実態は、『陽気な阿呆』である。

「だから逃げるなってそこ!」

シードは散らばった鎧人形のパーツから指の部分を拾い、回廊の先へ向かって投げつけた。
クルガンは軽く首を竦めてそれを避ける。

「そうですよ!何で逃げるんですかクルガン殿!」

アシャズは廊下を全力疾走してクルガンの先に回り込んだ。
うわ速えー、と思わずシードが傍観してしまったくらいだ。

「クルガン殿!これを!!」

アシャズは絹の手袋をするりと片手から抜き取ると、クルガンの目の前に叩きつけた。
絵面だけ見ればあまりに様になっている。ただの手袋なのに、ぱしぃんと鋭い音が聞こえた気さえする。

「…………」
「…………」

クルガンはシードの予想通りあっさりとそれを避けた。

「ちょっとクルガン殿っ!?」
「何か?」
「何かって、手袋ですよ!」
「ああ……」

クルガンは社交辞令用の笑顔を浮かべ、親切に言った。

「落としましたよ」
「いや違うだろ……」

思わず突っ込んだのはシードである。

「貴方って人は!」

まるで駄目亭主をしかりつける女房のような台詞を吐いて、アシャズは手袋を拾い上げた。
そして律儀に再びクルガンの前に回りこみ、もう一度クルガンに向かって叩き付けた。
凄いなぁ、とシードは他人事のように感心した。

「…………」
「…………」

クルガンは今度は足を止めた。堂々巡りになる事がわかったのだろう。
真剣なアシャズの眼差しを受け止めて、彼は──

「だから待ってくださいっ!」
「やっぱそー来るよね……」

くるりと回れ右したクルガンをアシャズは追いかけた。勿論手袋を拾ってから。
相当な根性だ、とシードは傍観者の気分でそれを眺めた。こちらに近づいてくる同僚の忍耐力が何処まで保つだろうか。
アシャズは三度クルガンの前に立ち塞がると、きらきらという効果音が付いてもおかしくない清廉さでクルガンを糾弾した。

「その手袋は何の為にしているんですか?!」

少なくとも投げつける為ではない。
クルガンはそう思ったが、通じそうもないので言葉にするのは止めにした。この男を引き連れて延々と回廊を歩き続けるのは御免だ──もはや推測と言うのも馬鹿らしいが、アシャズはけして諦めないだろう。

三度放り投げられた手袋は、既に純白とはいえない。だが、これが例え真っ黒に汚れたとしてもアシャズはめげないに違いない。綺麗に洗濯してまた明日、となるだけだ。

「今度逃げたら、敵前逃亡と見なしますよ!?」
「──わかりました」

はあ、と溜息を吐いて、クルガンはアシャズの手袋を拾い上げた。
そんな同僚の姿に、シードが驚きの声を上げる。

「え、クルガン!?」
「…………」

クルガンは手袋をぽんぽんとはたいて埃を落とすと、す、と差し出した。
反射的に受け取るアシャズ。

「え?」

クルガンは生粋の庶民なので、貴族的なプライドなどさらさら持ち合わせてはいない。
よって、淡々と宣言した。堂々と、と言ってもいい態度だ。

「『負けを認めましょう。シードは貴方のものだ』」
「クルガン?!」

上がった悲痛な悲鳴をクルガンは完璧に無視した。彼の内心はこの一言に尽きる。

付き合いきれない。