『恋愛小説:起』







また妙ににこたらにこたらした笑顔でクルガンの部屋の扉を開けた(というよりはどかした)赤毛は、クルガンに向かって突拍子もない提案をしてきた。

「……体力測定?」
「おう」

春の体力測定は一般兵が一律に受けるものだ。
部隊編成の参考資料にもなるし、その成績が酷いと特別訓練も課されてしまう。

クルガンは眉根を寄せた。どうせくだらないと思っていたら、予想通りだった。むしろ外れてくれたほうがクルガンとしては嬉しいのだが。

「何故俺が今更そんなものに参加せねばならん」
「いーじゃんやろーぜ、反復横とびとか背筋とか短距離走とか!ついでに成績競おうぜ!」
「嫌だ」

クルガンは三文字で切って捨てた。
大体にしてクルガンは疲れる事が嫌いだった。それでなくとも運動不足とは程遠い職業である、無駄な労力は使いたくない。

「ヤダじゃねーよサービスだと思ってやろーぜ」
「誰に対するサービスだ……」

苦々しい顔を作ってクルガンは吐き捨てた。
シードの相手をしていると頭痛が酷くなる。一番の原因は、この何の為か全く不明な大声だ。

「皆だよ」
「皆?」
「将軍が一緒に体力測定してくれたらテンション上がるじゃん。ハイスコアとか出してたら感心するじゃん!」
「……握力測定で林檎でも握り潰しておけ。お前がな」

ぐしゃぐしゃと己の後頭部をかき混ぜ、シードは唇を尖らせた。

「それじゃ意味ねえんだよ」

シードは軽く地団太を踏むと(クルガンから見れば明らかに無駄な動作だが、彼は視線をやってもいなかったのでどちらにしろ無駄だった)のたまった。

「だってさー、アンタ丸っきり頭でっかちの文官参謀軍師小細工背後からばっさりタイプだと思われてんぜ?剣技もあんま披露しねーしさー」

体力的に優秀である事を示せば回ってくる書類の数が減るというのなら、クルガンとてシードの提案に乗るのもやぶさかではない。
だが、どう考えても結論はひとつ、面倒事が増えるだけ、だ。シードと組まされて御前試合に引っ張り出されるのはクルガンとしては相当遠慮したい。

「別に、俺の評価がどうだろうがお前には関係ないだろう」
「そりゃーそうなんだけどな……ちょっとな……」

言い渋るシードに、クルガンはようやく胡乱な目線を向けた。どうやら、自分がただ楽しいからという理由で言い出した思いつきではないらしい。
クルガンは一年に三度あるかないかの親切心で、シードを部屋から叩き出さずに続きを促す事にした。勿論、すぐに後悔する事になるのだが。

「アンタが強いってわかればアイツも決闘とか諦めるんじゃないかと思って」
「……何の話だ」

嫌な予感に眉をひそめた同僚を、シードは気の毒げに見遣った。
それから肩を落として、大きな溜息を吐く。

「実は、三軍の『三本爪』に告白されたんだ」





+++ +++ +++





『三本爪』というのは、第三軍准将、アシャズ・ラウディの異名である。

アシャズは大まかに言って一軍の将、クルガンやシードと同格だった。年齢はシードの一つ下だったように記憶している。
装備している武器は東洋の「爪」。篭手の先に鋭い刃を並べたもので、それが三本だから三本爪。非常に安直であるがわかりやすい。
本人は、亜麻色の髪と精悍な顔つきの、かなり正統派の男前である。

一瞬の後、事態を理解した後のクルガンの判断は迅速だった。

「振るか付き合うかしろ」
「付き合うか!」

シードは非常に嫌そうな顔で毒吐いた。
シードにしてみてもあの告白はまさしく晴天の霹靂だった。あんまり意表をつかれたもので取り合えず咄嗟に逃げ出す事しか出来なかったくらいである。

「まあポジティヴに受け止めれば、お前の魅力が異性どころか同性にまで評価されたという事だろう」
「全然前向きじゃねえだろ!男に評価されんのは漢気だけで充分だっての」

クルガンが嫌味を言わなければ生きていけないのは知っていたが、短くもない付き合いの同僚に対して流石に薄情過ぎやしないかとシードは眼差しを尖らせる。

「あのなァ……アンタが同じ立場だったらどうするよ」
「埋める」

殺すを通り越していきなりそこなのか、とシードは思った。
クルガンはやや眇めた眼差しで同僚の赤毛を眺めた。それを受け止めてシードは内心暗澹とした気分になる。クルガンのそれはこう言っているのだ──「お前の不幸は非常に面白いが、俺が巻き込まれるとなれば別だ」。

「それで、どうしてそれが決闘云々という話になる?俺は全く関係ないだろう」

予想通りだった。
シードは半眼になって温度の低い視線を迎えうつ。

「まあ聞けよ。俺も一旦冷静になってだな、後で断りに行ったんだ」
「……お前の豪胆さは時折賞賛に値する」

全くそんな事は思っていない顔で言われても嬉しくもなんともない。
シードはソファにどっかりと腰を下ろし、両手を頭の後ろで組んで背中を預けた。

「気持ちは嬉しいけど受け取れねぇって」
「余計な一言が付いているな」

アシャズの性格を思い出し、クルガンは冷静に判断した。
シードも大人しく頷いた。

「ああ。なんつーか話が全く通じなかった。お友達からでもダメですかって事になりかけて」

クルガンはこめかみに片手を当てた。非常に想像したくない場面を思い描いてしまった。
大の大人がお手手を繋いで交換日記だ。それくらいならいっそのこと普通に付き合ってくれた方がまだ良い。勿論、クルガンから国一つ分くらいは距離を取ってくれることが前提だが。

「まいったと思って『好きな人が居る』っつったら、『もしかしてクルガンと付き合ってるのか』とか誤解して」

ごん、と硬い物同士が衝突する音。

「なんで俺を蹴る!?」
「いや、つい」

クルガンは深々とした溜息を吐くと、ソファの肘掛に腕を乗せた。そしてその呪わしい発想を様々な角度から検証するが、全く根拠が見つからなかった。強いて言えば、アシャズより軍団が一緒な分近しいくらいだ。もう少し言えば、直属の上司が同じだ。他には何がある?どんなに精密に検討しても──

クルガンは潔く諦めた。物の見方が根本的に違うのだろう。

「あの男の思考回路はどうなっているんだ。選択肢が非常に偏っている」
「思い付くのがまず男ってのがスゲェよな」
「軍隊の弊害か……」

考え込みかけて、クルガンは問題はそこではない事に気付いた。

「それで、きっちり誤解は解いたんだろうな」
「解けてたら決闘とかいう話になるワケねえだろ。あ、あ、待て、もう少しだけ聞けって」

シードは警戒しながらじりじりとソファの上を移動した。
クルガンは面の皮は異常に丈夫だが、忍耐力はそれ程強固ではない。

「どうやらアイツ、強い男が好きらしくてさー」
「それならルカ様でも推薦しておけ」
「……時折スゲェ爆弾発言だよねアンタ……」

がっくりと肩を落としてシードはうめいた。
ルカ本人の耳に入ったらその場で御手打ちだろう。

「……もしかして、あれか」

一拍置いて、思いついたようにクルガンが切り出した。

「腕相撲でお前が奴を負かしたからか」
「多分そーだと思うんだよね……」

思い切り精神を削られた様子でシードが肩を落とした。
それは、酒の席での余興とも言えるものだった。シードのその外見に似合わない怪力を試したいと誰かが言い出し、場の勢いで十人斬りを果たした。その中に確かアシャズもいた筈だ。

「『強い貴方に相応しい男はもっと他にいます』っつーから、思わず『イヤいねーだろ』っつったら」
「……馬鹿者が」

クルガンは心底呆れた。
アシャズのような男には、言葉を省略してはいけないのだ。余さず論理立てて話しても時には通じないと言うのに、不正確な言い方では──狂った思考回路で処理されるその過程で、事実が漏れなく妄想に変質する。

「お前が、自分に相応しい『男』はいない、と言う意味で言ったとしても」
「……わかってるよ……クルガン以外の男は要らねぇって恐ろしいらぶらぶ発言に取られたよ」

何か痛烈な嫌味を言おうとクルガンは口を開きかけたが、シードはクルガンが手を下さなくとも勝手に死にそうである為、慈悲を持って猶予した。

「『報われない貴方を見ていられません私がなんとかします』って言って猛然と走り去ったから」
「……」
「まあ暗殺やリンチはしねぇまでもあの調子じゃ決闘くらいは申し込んでくるんじゃねぇかなあと」

クルガンはこの酷い頭痛の原因はなんなのだろうと考えた。
別に──クルガンとて、真剣に同性愛を否定する気はない、様な気がする、と思う(確実なのは『三本爪』の性的嗜好など一ヶ月前の昼食の内容よりどうでもいいという事だが)。
考えられる要因はふたつしかない。
馬鹿げた馬鹿者に対するシードの馬鹿のような対応が悪いのか、それとも『三本爪』の、将校という立場にあるにも関わらず、クルガンの認識では時代錯誤も甚だしい決闘(しかも理由は痴情の縺れ!)などという馬鹿げたイベントを発生させる事をも厭わないだろう直情的な性質が悪いのか。おそらく両方だ。

クルガンとしては、公衆の面前でシードを賭けて決闘など申し込まれるよりは(他人事ならばとてつもなく面白いので推奨するが)、まだ闇討ちの方をお願いしたかった。少なくとも、それならクルガンは好き勝手出来るし事態を闇に葬り去る事も不可能ではない。

「困んだろ?」
「……確かに困るが、それを元凶のお前に言われると殺意が沸くな」
「俺じゃねえだろアシャズのせいだろ!」

確かに、シードもかなりの精神的ダメージを受けているようだった。
同情しないでもないが、もう少しやりようがあったのではないかとクルガンは思う。シードは巻き込まれるべくして巻き込まれたが、クルガンは完全にとばっちりだ。可哀想と言うならこちらだろう。

「だから取り合えず、アシャズが戦意喪失するか俺に相応しいぐらいの強さをアンタが見せ付けるのがいいかと思ったんだよ」
「その言い草には非常に引っ掛かるものを感じるが、お前は一体何様なんだ」
「ああもうそれくらいで拗ねるな今問題なのはそこじゃねえだろ!アンタだって皆の晒し者になるのがヤならこういう時くらい協力姿勢を見せろよな」

晒し者で済めばまだいいが、とクルガンは思った。
決闘騒ぎになればアシャズは確実に降格だ。軍部の評判はガタ落ち、ルカの機嫌は急降下、ソロンが胃を痛めて血を吐く。

しかし、クルガンはシードの提案にはどうにも気が乗らなかった。
体力測定くらいで強さが測れるか疑問だし、それが『三本爪』への抑止力となるかは更に疑い深かった。そして、もし仮に、シードの思い通りにアシャズがクルガンの強さを認めたとしても──

「……それで、俺が惚れられるという下らないオチがついたらどうしてくれる」
「イヤそれはない」

シードは非常に呆れた顔を作って即答した。

「いくらアイツでも好みってモンがあんだろ」
「……」

勿論男に気に入られてもいいことは全くないのだが、複雑にムカつく発言だった。