『暗殺者』






部下が扉を開ける。

その後に続いて、まるで賓客のような顔をして広間に入って来た男を、エイアスはじっと見つめた。
エイアスが知っているのは彼の名前だけだ。エイアスの手の届かないところで全ては起こってしまったのだから。

がちゃり、と施錠の音が響く。

「──まさか、真正面から正々堂々といらっしゃるとは思いませんでした」

エイアスは努めて冷静な声を心がけた。
目の前の男は想像していたよりも若く、想像していたよりも鋭い眼差しをしていた。
銀色の髪が、貴族的な冷たさを窺わせる。

ボディチェックは既に済ませてある筈だった。完全に一人で、刃物や暗器の類は持っておらず、紋章も外しているとの報告を受けていた。
エイアスはその怜悧な容貌をつくづく眺める。唇の端が切れているのは、誰か我慢が出来ずに手を出したものだろう──無理もない、と思う。

「クルガン大尉ですね」

男は応えなかった。灰色の瞳が、じっとエイアスを見ている。
まだ、殺してはいけない。エイアスはじっと自制しながら、軽く目を細めた。入り口と窓辺、そしてエイアスの脇を固めている部下達も、彼の意図がわかっているためか直立不動の姿勢だ。

「私はエイアス・ウィスディズと申します」
「──第四軍第二師団所属、クルガン大尉です」

無機な声。
宜しい、とエイアスは思った。この男には、容赦ない態度でいられる。

距離を詰める必要はない。エイアスは、片手を上げた。
無論、部下達にも十分機会を与えてやらなければならなかったからだ。
待ち望んだ合図に、クルガンの左斜め後ろに立っていた男の唇が曲がる。

「──」

棍棒が振り上げられ、気合とともに振り下ろされる。
ごきん、とエイアスの耳にまでその音は響いた。
可愛げのないことに、クルガンは悲鳴を上げなかった。エイアスから目を逸らすことすらしなかった。
この場の誰もが、その表情が歪むことを望んでいるのにも関わらず。

鎖骨が折れては、もう左腕は動かせない筈だ。
エイアスは手を下げた。ひとまずはこれでいい。

「──何故このような目に合うのか、わかりますか?」
「心当たりがあり過ぎて確信は持てませんが、ノードシュ砦の関係ですか」

動揺も無く、あまりにさらりと正解を答えたので、部下が先に何か言ったのかと思う。
クルガンはエイアスの疑問を嗅ぎ取ったのか、簡単な説明をした。

「訛りで大体の出身はわかる」

そうのたまうクルガンの方は、母国語である皇国語ではなく、完璧に近い発音の共通語を使っており、何処の生まれと言っても通用しそうだった。
気に入らず、エイアスの眉が僅かに寄る。
けれど大丈夫だ、まだ抑えられる。

「そうですか……では、私の正体は?」
「憶測ですが、ノードシュ砦に駐屯していた同盟軍の大隊長クラスかと」
「呼び出された理由は?」
「復讐でしょう」

断言して、クルガンは口を閉じた。
エイアスは軽く頷く。

「その通り。人質などと無粋な真似をしましたが、あなたに来て頂ければ私も部下もそれで良い」

クルガンを苦しめる。
軍を抜け、敵国にまで潜入し、危険を冒して皇宮に潜り込んだ目的は、ただそれだけだ。
息の根を止めるならばいつでも簡単に出来たが、エイアスは自分の行動に十分納得したかった。

「ここであなたを殺すのは簡単です。だが、私はその前に知りたいことがある──」

一息ついて、エイアスは続けた。
行為は見る側面によって様々な顔を見せる。一面での判断で、罪状を決定してはいけない。
そう思いながら、クルガンにどんな理由があったら彼を許せるのだろうかと考えていた。可能性は殆ど無い。

「あの時、あなたがしたことの全てだ」
「釈明の時間は不要」
「私が、そうして欲しいと言っても?」
「貴方を納得させられる理由など私は持っていない」

クルガンは言葉を区切ると、広間に視線を巡らせた。
そしてまたエイアスに視線を戻す。

「その前に、曹長はどうしました?人質としてはもう十分に役割は果たしたと思いますが」
「もしもあなたが手紙を無視するようなら、首でも送りつけて差し上げようかと思いましたが──今は監視をつけてあるだけですよ」
「賢明な判断だ。……私事に他人を巻き込むのはいただけない」

ぐ、と、エイアスは内側から噴出しようとするものを堪えた。
まだ。まだだ。
エイアスも、部下も、クルガンを殺したいというより、自分のしたことを後悔させ、出来るなら懺悔の叫びを聞きたいのだ。
まずは、揶揄の言葉を。

「意外と情に厚いようですね。私は、あなたのような人間が馬鹿正直にいらっしゃるとは思っていませんでした」
「情に厚い?」

クルガンは僅かに顔をしかめた。勿論、それはその場の誰も気付かないほどに微細な変化だったが。

「それはそちらの方でしょう。何故、曹長を殺さなかったのですか?」
「人質は仕方なく行ったことです。私が憎んでいるのはあなた個人で、その他は関係がない」

クルガンはため息を吐いた。
目的のためにきちんと手段を選ぶ、それは。

「ご立派だ」

クルガンは一歩踏み出しかけた。
その動きに反応して、反射的にまた棍棒が振り下ろされる。
狙ったのかそうでないのか、先程と同じところを強打され、クルガンは床にひざをついた。
だが、顔は下げない。
エイアスを見たままだ。

唇が開く。舌が動く。
弁解を聞こうと、皆が耳を澄ませた。

「──あの砦には、貴方のような人が多かった。戦いはするが一定のルールは常に守り、降伏したものをみだりに殺さず、宣戦布告はきちんと行う」

クルガンはまだ、視線をそらさない。

「だが、貴方達がそうして必死に自制をし向かい合っている私は──」

クルガンという、人間は。


「まず、戦場で重傷を負い降伏」
「捕虜になり、傷の深さからノードシュ砦内で厚い手当てを受けた」
「適度に動ける程に回復するまで、演技を続けながら世話になり」
「ある夜、従軍看護婦を人質に取り見張り番の兵士を斬殺」
「更に彼女から場所を聞き出した食料庫の扉を打ち破り油に放火」
「混乱の中を走る伝令の後をつけ、起きだしたばかりの君主の腕を背後から斬り落とし拘束」
「彼を盾に人の密集地帯を抜け、武器火薬庫へ行きまた火を放った」
「爆発により砦は損害を受け、砲弾兵器も使用不可能」
「必要がなくなった時点で人質に止めを刺し」
「途中邪魔する者は全て殺害」
「流石に脱出は不可能で同盟人に紛れていたが──次の週には砦は陥落」
「同盟には多数の死者」

「更に、その手柄で次の季節には出世する」


クルガンの灰色の目。
そこに、エイアスの求めていたものはなかった。
恩を仇で返し、道義を破った──その後悔も、呵責も、躊躇いすらない。

「貴方達が知りたかったことは、これで全てか」

淡々とした、その目。
逆にエイアスは動けなかった。
唇が震える。

「何故だ……あの方は、皇国の捕虜を説得していた。争いの無い道を用意していた筈だ!だからお前の命も救った──それなのに!」

エイアスがこの憤りを表すすべを探す間に、事態は進行した。

がつん、と。
凍り付いていた空間に打撃音が響く、

三度目の攻撃を額で受けたクルガンは、やはり目を伏せなかった。
ただ、皇国語でこう言った。エイアスも部下も、皇国語の意味くらいはわかる。

「……何故、答えを待つ?」

流れ落ちた血が目に入っても、クルガンは瞼を閉じない。

「卑怯な手段で君主を討たれた、その恨みはわからないでもない」
「だから俺を殺そうとするのはいい」

クルガンにはわからない。
自分の卑劣さはわかる。ただ、相手の正しさがわからない。

「だが、何故俺に弁明を求める」

きっと、エイアス達の方が正しい。
正しさが必要とされる世界で生きているならば、だ。
けれど、軍人など少し狂わねば出来ない。

「さっさと殺せたのに殺さず、何かと思えば言い訳を聞くのだと?そうしてから俺を断罪すると?」

その余裕が不愉快だった。彼らの命取りになるそれ。クルガンにとってはメリットである、それ。

「そのご立派なマナーの為に、お前達は何を犠牲にしたんだ」

その為に、守るべきものを一度失い、何故なおもそうやっていられる?
それが、目的よりも大切な信念だというのか。

それとも自分達が圧倒的優位だと、余裕を見せても平気なのだと、本当にそう信じているのだろうか。
あの砦と、同じように──これから、クルガンが彼らを殺すとしても?






+++ +++ +++






シードはまず、こそりと武器庫に忍び込むと、予備の備品を盗み出した。一振りの軍刀。
勿論武器庫の扉の前には見張りが立ち、これらの本数はかなり厳重に管理されているのだが、砦の構造を熟知しているシードはロッククライミングの要領で死角から窓を利用して侵入した。後で返しておけば問題ないと勝手に判断する。

次にしなければいけないのはアリバイ工作だった。
シードが懲罰房を抜け出したことが発覚してはまずい。犯人と対面する機会も少なくなる。
そのためには、夜の分の食事を届けに来るであろう厨房の下っ端給仕を黙らせる必要があった。

ちょっと悪いなぁ、と思いながら(だが微塵の躊躇もなく)、シードは自分の懲罰房の格子の前に座っていた。
懲罰房は砦の外れの地下にある為、万一叫ばれても逃がさない限りは大丈夫だ。

痛い目に合わせる気はない。そもそも、給仕には恩がある。
説得してみても良いが、それでは多分見逃しては貰えないだろうから少しばかり眠ってもらう。

調理場はいつも戦場だ。給仕一人消えたところで然程問題視はされないように思えた。
彼がサボタージュの汚名を着せられるのは心苦しいのだが、他に仕方がない。

ぐうう、と腹が鳴った。

シードの腹時計はかなり正確なので、もうすぐ給仕が食事のトレイを持って現れるだろう。
そう思った途端、階段を下りてくる音がした。

相手を出来るだけ驚かせない第一声は何か、シードは考えながら立ち上がった。
が、思いつく前に、戸口をくぐった給仕と目が合う。

一瞬の停滞。
紅茶色の髪をした青年が、首をかしげる。

「?」
「あれ、結構静かな反応」

床を蹴ってみぞおちに拳を突き出そうとしていたシードは行動を停止した。

「……もう出てもいいんですか?じゃあ食事は必要ないのかな」
「あ、そか、そうカンチガイする可能性もあったのか」

シードは距離をつめ、トレイを受け取った。
素直に手渡してくる給仕に、さてどう説明しようか、もう面倒臭いから気絶させた方がいいのかと外道なことを考える。
その間になにやら気付いたのか、給仕がシードの背後を指差してこう言った。

「……ていうかあれ、何ですか?」
「え、何?」

軽くシードは振り向いた。

ずぷり

「?」

先程の給仕と同じようにシードは顔に疑問を乗せた。
片手でトレイを保持したまま、背中に回した手で腰のあたりを探ろうとする。
すると再び、なにか粘着質な音とともに体に衝撃が走った。

そこで、痛みが認識された。

シードはそこで、よろよろと一歩踏み出した。
がちゃんとトレイが落ちる。木製の皿が跳ね、スープがブーツに染みを作る。
踏み出す動きで、シードは給仕に向き直った。

その男はまだ、きちんと下っ端の給仕らしい朴訥な表情を作っていたが、その彼の手に握られているのは明らかに料理用ではない小ぶりのナイフだった。

ぱたぱたぱた、と、刃を伝った血液が床に落ちた。
つまり、零れるほどにそれは鮮血で濡れていた。