山中訓練。







『山中訓練』






「………あれ、ウィルド将軍?」

恐る恐る、と言った風にシードが声を掛けてくる。

「失礼ですが、髪が──」
「うん?ああ、そうであったな」

岩肌の上に短く散らばった金髪。
女性ではない、どうという事はないのだが。

「少尉の剣で少しな。──否、違うのだ。私が少々無茶をした」

ウィルドはぱたぱたと手を振り、誤解が生まれる前に言葉を付け足した。
少し釈然としない様子で、シードが頷く。

「尤もです」

さく、っと空気を裂いて、短い同意がとんだ。シードが首をすくめて固まる。
はっきりと無礼だったが、ウィルドは咎めなかった。
何か言いたいことがあるのだろう。

クルガンは乾いた唇を潤してから、丁寧に問いかけた。

「閣下──貴方は、死を恐れないのですか?」
「否」

答えは素早かった。
クルガンの灰色の視線がきつくなる。

「そうは思えませんでしたが」

死を恐れていて、何故あんな事が出来る。刃に向かって首を突きこむなどと。
十中八九、死んでいた。そうでなくとも大怪我をしていたはずだ。
ウィルドの豪胆さは、クルガンには無鉄砲としか捉えられなかった。

苛烈といって良いまなざし。それをウィルドは軽く受け止めて分析した。
──どうも、少々柔軟性に欠けるか。

「避けてくれるだろうとな。甘えていたのだ」
「──何故」
「其方が言った事だろう」

少し意地悪い気持ちで、ウィルドは言った。

「私とて、其方の敵ではないぞ」

そうだろう?と少し肩をすくめて見せる。

クルガンが敵だったなら、ウィルドは殺されていた。容赦なく首を掻き切られて。
しかしそうはなっていない。
ウィルド自身には毛程の傷も付かず、そこにある。

「其方も私を殺せないということになるな」

一瞬。
一瞬だけクルガンは眼を閉じた。

「ルカ様は私の首を落としたところで責めまい。むしろ不甲斐無い私を罵倒するであろうよ」
「……ルカ様が赦したとて、貴方の信奉者から恨みを買う事は避けられない」

声に負け惜しみに近い成分が混じっている事にクルガンは自分でも気付いていた。
もう少し勝算はあると思っていたが、とんだ見込み違いだった。
意趣返しのように、こんな事を言われるとは。

「……では、彼を放り出したのも?」
「助けただろう」

ウィルドは当然のようにさらりと言った。
クルガンは諦めたように息を吐き、沈黙する。

それを見て、ウィルドは頷いた。微笑を絶やさぬまま。
この程度、彼にとっては何ほどのことでもない。

(見殺せはしまい?皇国兵ならば)

殆ど確信に近く、ウィルドはそう読んでいた。
しかし胸中でこっそりと付け加える。声には出さずに。

(けれども。もしも其方が勝ち負けを優先し、手を伸ばさぬようだったら……)

──突き落としていたがな。

『左鳴り』はうっそりと笑った。
幸いにも彼等はその笑みを見る事はなく、その場で他愛のない会話を交わしながら夜が明けるのを待った。






+++ +++ +++






「──整列(Dress)!」

晴れ渡った空の下、汚れきった兵士達は整然と背筋を伸ばす。
びしりと響く号令は、全ての兵の足並みを揃えさせる。条件反射の域であるのは当然、少しの乱れもない。

クルガンは溜息を吐いて、ちらりと横に眼をやった。
ぎりぎり届くか届かないかという声音で、唇を動かさず呟く。

「……懐かないでください」
「誰がだよ」

メットの下から不機嫌な声を上げるシード。
はっきりと間違ったところに並んでいるのだが、今更誰も言い出さない。既に整列は済んでいるのだ。

「第三軍第九師団第一部隊曹長ダウンフェル、前へ」

颯爽と背筋を伸ばした、二十代後半ほどの男が、壇上へと呼ばれて登っていく。
その足取りは確かで、後姿には英気が満ちていた。

「貴様がトップか」

勿論、彼が向かう先にはこの訓練の主催者が居る。
ダウンフェルはうやうやしくその前に跪いた。深々と頭をたれ、服従の姿勢をとる。

「成績は?」

ルカの隣に居た文官が流麗に答える。

「97枚です。二位に倍以上の差をつけています」

97、とシードは並外れた聴力でその言葉を聞き取り、しかめ面で繰り返した。
ひそひそと隣に囁く。

「不眠不休で一刻に2人か3人!?」
「馬鹿正直に計算しないで下さい」
「じゃあどうしろって」
「部下を上手く使ってネットワークを張ったんでしょう」
「それズルじゃねぇか!」
「黙りなさい。貴方には出来ない事に変わりはない」

まだ何事か呟いているシードを無視し、クルガンは壇上へ注意を戻した。
ダウンフェルが項垂れた姿勢から顔を上げる。

「そうか──」

報告を聞いたルカは頷いた。
そして一歩前に出た。
陽光が刃に弾かれ、一瞬だけ煌く。

がぎんっ!!

「「「「!!!!!」」」」

ルカの凶剣が、深々と舞台の木版を貫く。
息を呑む音が数百聞こえ、小さい悲鳴すら何処かで上がる。

「……………」

ダウンフェルは、間一髪で体を捌き、避けていた。二の腕から僅かに血が滴り、肘へと伝う。
額に僅かに汗が滲んでいた。きっかり二秒間、時が凍りつく。

しかしルカは何事もなかったかのように剣を退き、ダウンフェルを見下ろして一言だけのたまった。

「良い。この調子で励め」
「──ありがたき御言葉」

ルカは目の前に並ぶ数百名の雑兵をぐるりと睥睨すると、声を立ててせせら笑った。
その白銀の甲冑の中だけには納まらない、王者の威圧。

「将となりたいか──?」

ことさら張り上げている声ではない。
しかし聞き逃すはずもない。

「ならば人の身以上の事を為せ」

まだ青年の域を抜けきらない相貌。
しかし彼は、紛れもなく生まれながらの王者だ。
ルカは当然のごとく言い放った。

「その腕一本のみで幾千人を斬り伏せろ」

見渡す限りを赤く染め。

「その呪一言のみで地を割り、平野を灰にしろ」

全てを焼き尽くし。踏み越え。

「その策一計のみで一国一城をも陥れろ」

なお不敵に笑う。
ルカの目の前に広がっている光景を、誰もが思い描いた。
並大抵の事ではその影にすがる事も出来ぬだろう。

「その魅力で百万を従わせその運で全てを切り抜けるでも構わぬわ」

ククク、と物騒な笑みが満面に広がる。
乱暴な、しかしけして下品にはならないそのカリスマ。
号令もなく、自然と兵達は頭をたれた。

ルカは言う。別段の気負いもなく、当然の事のように。

「何でも良い。己一人で戦況を左右できるだけの能を、示せ」


神ならずとも、人の身は超えろ。






+++ +++ +++






ゆっくりと、クルガンは問いかけた。

「──彼が将軍の器だと思うか?」
「いいや、全然」

全く当然のように、シードは言い放った。

「副官が良いトコだ」

それだけ聞き終えると、クルガンは身を翻した。
そのまますたすたと歩き去ろうとする肩を、シードが掴む。
ぱしりと叩き落とされる前に、力を込めて。

視線が交錯する。

「アンタ、上に行くんだろ?」

諦めないだろう?
にやり、と悪戯に笑んで、シードはあくどく顔を歪めた。
子どもの悪巧みに共通点のあるその顔を見て、クルガンは微妙に眉根を寄せた。

「やっぱりそれが似合うと思うからさ。俺がアンタに似合う姓をやるよ」

得意げにそう言うシードに、クルガンの眉間のしわが少し深くなった。
別段こだわりもない事だが、この男に付けられるというのでは不安がある。

数瞬だけ沈黙して、クルガンは問い返した。

「どんな?」
「……………まあ、思いついたらで良いだろ。その時までにさ」

クルガンは眼を閉じて眉間に手を当てた。
頭痛がする。
一体この物体はどういう思考回路で動いているのだろう。

「いちいち衝動で発言しないで欲しい。出来ない約束ばかりが増えていくようだ」
「ウルセエよ!アンタだって上行って名無しじゃ格好つかねぇだろが」

そう言ってシードは真顔になり、クルガンの鼻先に指を突きつけた。
反射的にそれを叩き落とさなかったのは、只の気まぐれ。

「それに──出来ねえ約束じゃ、ねえ」

クルガンは溜息をついた。
普通、あれだけの目に合わされたら二度と近づかないようにするのが賢い選択だと思うのだが。
どうやら、そこまでの理性を期待する事も出来ないらしい。

「……懲りない男だ」

シードの手を振り切って、クルガンは歩き出した。






+++ +++ +++






廊下の真ん中で帰ってきた上官を迎えた可哀想な男は、絞められた鶏のような声を上げたかと思うと、ひくひくと喉を痙攣させた。

「ウィ、ウィ、ウィ、ウィ………!」
「Oui?ああ、確か異国の言葉でイエスの意味だったな」

ふむ、とウィルドは感心したように頷いた。

「中々博学ではないか」

ぴきぴきと音を立てて、副官の額に隠しようも無い青筋が浮く。
すうっ、と大きく息を吸い込んだ。

「はぐらかさないでくださいウィルド様っ!!」

その声は、廊下の端から端まで響き渡り窓ガラスを軽く揺らすほどに大きかった。

「──何ですかそのお姿は!?」

脳天に響く怒声。
にもかかわらず、ウィルドは満面の笑顔を浮かべると、両手を広げて見せた。

「応、それよ」

得意げに、

「褒めてくれ、怪我などせずに帰っ」
「違います!」

上官の言葉を途中で遮るなどという暴挙に及んだ副官は、そのことにも気付かないほど興奮しているらしい。

「その御髪は何かと申し上げているのですっ!!」
「流石に母上には些か斬新過ぎる髪型だったらしく、呆れられてしまったのだが。お前はどう思う」
「すっとぼけるのもいい加減にしてくださいませっ!」

副官は器用に全身をぶるぶると震わせ、思いのたけをぶちまけた。

「仮にも将軍が、え、え、え、円形脱毛などと!良い笑い者ではないですか!」
「素直に禿と言え」

やや半眼になって呟くウィルド。いぶかしむように髪をかき混ぜる。

「別に天然ではないのだから落ち込む事はあるまい?」
「そういう問題ではありませんっ!」

肩を怒らせて叫び続ける副官。
ウィルドは困ったように腕を組んで、妥協案を提示した。

「わかった、全て剃りあげる事にしよう」

其れならばファッションという事になるだろう。
飄々とした態度に、副官はこめかみの血管が痙攣するという貴重な体験を味わった。基本的にずれている。

「か、かつらを作らせて」
「そのようなものに金を費やすのは厭だ」
「………腐る程持っている癖に」

妙なところで吝嗇だ。その言葉は流石に飲み込んだ。
ウィルドは眉を顰めて不満げな顔を作る。

「しかもそれでは本当に天然禿を隠すようではないか」
「御前会議で帽子を被っているわけにもいきますまい!」
「会議に髪が必要か?髪が物を考えると言うか」

本当に、この上司は何処でこんな屁理屈を覚えてくるのか。

「国策を討議するに必要な物は、頭の内側であって外側ではあるまい」
「──ウィルド様、世には体面というものが御座います」
「異な事よ。負傷でさえ名誉と言うに、何故無傷の私が恥じねばならぬ」

ウィルドは軽くのたまった。

「たかが髪の毛ではないか」
「…………………………」

ニ十年後もその台詞が言えたなら、拍手して差し上げましょう。
副官は拳をぎりりと握りこみ、地獄のそこから這い登るような声でぼそりと呟いた。

「……………『禿将軍』などと言うあだ名がついてから後悔しても遅いですからね」

少しだけ沈黙してから、ウィルドは頷いた。

「───流石に歴史には残らぬよ」
「当たり前です!『禿将軍副官』などと簿記に残されたら末代までの恥……!」











皇国歴二百十九年六月 同年上半期山中訓練
皇国軍第三軍第九師団第一部隊曹長ダウンフェル、三階級異例特進


訓練:END