山中訓練。







『山中訓練』





ごがんっっ!!!!



叩きつけられる衝撃に、シードは自分の手首が折れたように錯覚した。
手首を内側に締め、力を殺す。流れに逆らわず一旦身を沈め──

まずい。

反動で跳び退ろうと、そう思うか思わないか、その一瞬でシードはその案を却下した。足首に力を込め、膝を軽く曲げて踏みとどまる。
圧力は瞬間だけではなかった。少しでも妥協したならば瞬時に押し切られる。
ぶつけて弾く事を目的としたものではなく、明らかに全てをこのまま叩き潰そうという一撃。

もぞり。
体中の毛穴が一斉に開く感触。

冷や汗が流れる暇はない。シードは眼を見開いて、耐えようとした。
それも一瞬の判断。

無理。

「!!」

シードは颯爽と、とはお世辞にもいえない動きで、しかし出来うる限りの素早さで横に体を捌いた。
剣を支える腕だけを残す。ぎしりと厭な音が骨から伝わってくる。折れるなよ、と自分の体に語りかける。並みの兵士ならば確実に剣が握れなくなるダメージだ。
そうやって稼いだタイムラグで、シードは降りかかる圧倒的な質量からぎりぎりで身をかわした。

無理な体勢での急激な動きに、足首の力が足りなかったのかバランスを崩す。
地面へと押された腕につられるように、シードの体は転倒しようとしている。
シードは眼を更に開いて、瞬時に決断した。

斬り合う時の、この本能ともいえる状況判断能力、そして行動展開能力。
それを見れば、シードの頭の回転が遅いなどという事はありえないことがわかる。

此処までで、一秒。

くん、と手首を返し、今まで殆ど水平にして受けていた剣の切っ先を、地面に向ける。

ずっ

押されながらも岩に素早く斜めに突き刺し、刃を支えた。自然剣を担いで尻餅をついたような無様な体勢になるがその事は一時保留。
腰で地面を擦りながら、シードは柄を離さず耐えた。喉から潰れたような呼気が漏れる。

「く」

耳障りな音を立てながら、アジャ・カティの鞘が斜めに渡された冷たい金属の上を滑っていく──と思われたが。

きん

甲高い音と共に急激に腕に掛かる負荷が消える。
込めていた力を咄嗟に殺せず、シードの腕は肩の上から頭の上へと跳ね上がった。

(………!!!)

柄は離さなかったのに。
圧力から解放された腕、その疑問をシードの頭はすぐに解決した。

(折りやがった……!)

剣は確かに平を打てば案外簡単に折れる。
だが、シードは剣の刃の部分を当て、摩擦が少ないようように斜めにしておいた。尚且つ最初の衝撃の大部分はこの二本の腕が吸収していた筈で、更に言えばウィルドの腕は振り切られる寸前、当然次の攻撃の準備──制動の為のブレーキが掛かっていたものと考えられる。

化け物め。シードは内心悪態を吐きながら、思い切り格好悪く地面を転がった。
その勢いで立ち上がる。あの重いアジャ・カティを次に攻撃態勢までセットするにはそれなりのタイムラグがあるに違いない。

──違いない。

が、振り返らずにシードは立ち上がった勢いで前に跳んだ。ウィルドから少しでも離れようと。
何故かは自分でもわからない。
それが多分、クルガンにはない、勘というものなのだ。

びゅ

息が止まる。
靡いた後ろ髪を掠めた恐ろしく質量の有る何か。

「げ」

喉から濁音が漏れる。それの正体など別に特別な想像力がなくとも判った。
ど、と冷や汗がようやく体から噴出してくる。再び地を蹴り、跳ぶ。
どくりと大きく胸が鳴った。

「……………」

そしてようやく振り返る。
目が合う。既にウィルドは肩にアジャ・カティを乗せ、普通の顔をして立っていた。右腕をぶらりと垂らして。

思わずシードは呻いた。

「左鳴り……!」

有り得ない引き戻しの速さ。しかも片腕だ。
手に持っているのが単なる小枝の切れ端だというならこの事態も理解は出来る──しかし実際、それは巨大な質量の鋼だ。

(──しかも鞘付きのな)

恐ろしい。

尋常でない膂力だった。
ウィルド自身、見たところ対して大柄ではない。やや童顔の面差しは、貴族的な育ちの良さも醸し出しており、下町にでも出ようものならチンピラの格好のカモだ。
シードも腕力には自身があった。だがこの男には確実に負ける。
一、二秒程度とは言え酷使した腕の筋肉が痙攣しようとするのを、意識的に押さえ込む。もう一度耐える自信があるかと問われれば、消極的な答えを返すしかないだろう。

左鳴りのウィルド。
三合切り結べる人間がいないと言う訳が、肌で実感出来た。

シードは考える。
アジャ・カティの鞘があろうがなかろうが、ウィルドの強さに変わりは全くない。
むしろ、質量が有る分だけ叩き潰すという攻撃においては威力を増す。
無論鞘から抜いたら抜いたでその速さが増し、斬撃に適するようになるのだろう。

恐ろしい。

「嘘だろ……」

思わず漏れた独白に、ウィルドは困ったように笑った。

「嘘とは?」
「……だって、今」

そんな力、そんな技が有り得るのか。
シードの足りない言葉を正確に汲み取って、ウィルドは答えた。

「鍛えたのだ」
「──そんなレベルじゃ」
「其方にもいずれ身につくかも知れぬ。研鑽次第だ」
「そんな……」
「納得出来ぬか……良かろう、言い方を変える」

幼子に言うのと同じ調子で、ウィルドは囁く。
当然の事だと、少し照れたような顔を作りながら。

片腕で剛剣を扱う事など造作もない。
岩すら叩き潰し、鋼すら切り刻んで見せよう。

「私は将軍だ」

それで通じぬか?
ウィルドは優しく微笑みながら言った。

「──機会があればルカ様にお尋きするが良い。将軍とは何ぞやと」

ぞくり、とシードは背筋を震わせた。
穏やかな筈の、いや間違いなく穏やかなウィルドの笑みを見て。

(そうか……)

クルガンの態度がようやく腑に落ちた。
だが──シードは唇を吊り上げて、笑った。

ウィルドがゆっくりと優雅に言葉を続けようとする。
絶対的強者の慈悲。

「さて──」
「厭です」

シードはそれをきっぱりと遮った。
気を悪くした風も無く、ウィルドが苦笑して言い直す。

「……そうだな」


折れた剣は離していない。


強き者。怖き者。
皆が屈服するべき、恐るべき者。

ウィルドは正しく将軍だ。
圧倒的な、その存在と質量。彼が持つ剣と同じ。

その前に膝を折るか。
身を翻し逃げ去るか。
見抜き近寄らぬか。

否。



「「No Quatrter(降伏しない)」」



違う選択肢が悪いわけではない。
只、自分が選ばないだけだ。

噛み付いて砕いてやろう。
彼我の差は明白。だが、それすら背筋を奮わせる要因。

挑戦こそ自分が望むもの。


傲慢とも言える表情で、シードは地を蹴った。






+++ +++ +++






(……問題ないな)

風の流れと共に限りなく密やかに呼吸をしながら、クルガンはその光景を見ていた。
ウィルドがいかに敏感だろうが、シードとの勝負の最中、極限まで静やかなクルガンの接近に気付く事は有り得ない。

(…………………)

有り得ないだろう、と思っておく。

先程から会話は全て聞こえていたが、ウィルドの発言が不遜だとは全く思わなかった。
彼は将軍だ。疑うべくもなく、その強さと恐ろしさを備えている。

その高みに登る事が、果たして自分に可能だろうか、と。そう考えた事など一度として無い。
やると決め、やらねばならぬ事だ。その覚悟を、クルガンはとっくにしている。

仮に、不可能だとしても。
身分不相応だとしても、だから諦めるなどという器用な事が出来る訳もないのだから。

シードは概ね指示通りに動いてくれるだろう。これ以上ないほど簡単な指示なのだから。

まずはウィルドの注意を引き付け、クルガンの接近──気配を隠す事。達成された。
次。出来うる限り粘って戦う事。これはあまり期待していなかった。一撃で倒されなかったらそれだけで表彰ものだろうと。
実際シードは良くやっている。

(そろそろか)

引き付ける事は必要だが、倒されて貰うわけにはいかなかった。
最後の指示。追い詰められたふりをして(ふりをする必要はないだろうが)なるべく──可能な限り絶壁の近くに寄る事。
この時、シードの方が絶壁の側に居る事。でないとウィルドがクルガンに気付いてしまうと説明した。

何故、という問いにクルガンは答える気が無かった。
シードに作戦の全容を説明すれば、必ず顔に出ると踏んだからである。

それ程大した策ではないが、充分だった。
人間というものは足元の草を結んでおくだけで転ぶ生き物なので、大層な仕掛けなど必要ない。

枝の影から覗く細めた両眼で、二人の動きを捉える。
シードは折れた剣で、それでも降伏していなかった。打ち合う事を諦め、紙一重で攻撃をかわしている。
だが、それがそう長く続く筈もない。シードの位置は徐々に後退し、崖に追い詰められていく。
そう、それで良いのだ。

「………………」

クルガンは慎重に一歩足を踏み出した。
精神を集中し、唇を引き結ぶ。一番必要なのは迅速さだった。
距離を測る。なるべく近くに、しかし気付かれてはならない。

クルガンは身を低くし、枝の影から抜け出た。
次の目標は岩の陰。その次は回り込んで死角に。それが接近できる限界だろう。

鼓動を落ち着かせろ。
興奮してはならない。
衣擦れの音すら無く。
可能な限り冷静に。
空気を揺らすな。
呼吸を細く。

遮蔽物の庇護から抜け出、月の光を浴びながらクルガンは影になる自分をイメージする。

滑らかに忍び寄る質量の無いモノ。
轟々と燃え盛る炎の傍らに伏すモノ。

呼吸も鼓動もない無機物を装って、クルガンは歩を進めた。
射程に入る頃には、シードはウィルドを連れて崖の淵に居なければならない。

上手くやるだろう、とクルガンは何故か楽観的に考えた。
理由はない。只、なんとなくそう思う。そうでなければこの策は成功しないのだから、そう信じる他無い。
これを信頼というのか?大雑把にカテゴリすれば、そうなのかもしれない。

クルガンは足を止め、唇を開いた。





+++ +++ +++





眼を見開く。

唸りをあげる剛剣の風圧を体全体で感じながら、ウィルドの金髪を掠めた向こうに人影を確認する。
振り下ろされる超質量。大丈夫、左鳴りはまだ気付いていない。一瞬後己の身に降ろされる刃を気にも留めず、シードはそう思った。
クルガンの行動は聞かされていないが、このまま背後からウィルドを攻撃するのだろうと予想は付いている。

空気が揺らめく。
彼の銀髪が軽く浮き上がると同時、背筋が総毛立つ雷気が場に満ちる。

「っ!?」

瞬間、アジャ・カティの動きが流れるように変化した。
気付かれた。

(──ったり前だっ!何考えてやがるあの野朗、魔法だと?!ヒネリがねえ!!)

クルガンの素早い魔法発動能力は知っている、まず間違いなく一瞬後には完成し、その通り雷光の速度で標的に炸裂するだろう。
だがウィルドは──辛うじて避け切るに違いない、何の変哲も無い魔法攻撃など。シードはコンマ感覚での時の流れの中、そう判断した。

「…………!」

握ったままの折れた剣を救い上げるように持ち上げる。
視線が交錯。シードは柄を握る手のひらから力を抜き、手首を素早く捻った。

至近距離からの投剣。
これでシードは丸腰だが、後はクルガンが何とかするだろう。

ウィルドは眼を見開き、振り向きかけた体の動きを瞬時に切り替えた。
首を傾け、飛来する折れた剣の直線上から抜け出る。拍手喝采したくなる程見事な身体制御。

しかし僅かにバランスを崩す、そのウィルドの背後で、クルガンの唇が発した言葉をシードは正確に読み取った。



『天雷』



眸を灼く痛みを伴った光が迫る。
回避しようとしたウィルドの驚愕に彩られた顔。



がっ



極限まで束ねられたプラズマエネルギーは、正確にコントロールされ、近場の通電物質に引きずられる事も無く、見事に目標に着弾した。

ウィルドの横を問題なく通過、シードの足元に突き刺さる。

岩を砕く雷。天の怒り。崖の淵、一瞬にして無くなった足場。
シードの体が宙に浮く。
口を間抜けにぽかりと開けて、シードは事態を把握しようと努めたのだが。

(………そりゃねぇよ)

それしか出てこなかった。
岩の破片と共に落下する、前途有望な赤毛の若者。どういうことだろう。
いかに優秀な判断能力があろうと、混乱は避けられない。

訳がわからない。

(実はまだ怒ってたのか……!?)

浮遊感になすすべも無く身を任せながら、それならもっとわかりやすくしとけよな、とシードは思った。