山中訓練。







『山中訓練』






「有り得ねぇよ」
「私に言われても困る」

ぐしゃぐしゃと乱暴に髪をかき回し、シードはこの世の不条理に歯噛みした。
すっかり勘違いしていたのである。シードの思い込みの強さにも多分に責任はあるが、絶対にこの男は、わざとやっている。その外見と雰囲気が他人に与えるであろうイメージを、利用してさえいるだろう。

憤懣やるかたなく、シードはがちがちと歯を鳴らした。

「騙されるっての」
「勝手な思い込みです」

飄々と言うクルガンに、潔く反論を諦める事にする。多分、何処の世界にも言葉の通じない相手というのは居るのだ。
シードは今までの目前の男の素行を思い出し、自身を納得させようと努力した。

「………まあ、貴族じゃねぇってってんなら、だ」

幼い頃から英才教育を施され。上品で丁寧なしつけをされ。
泥に塗れることもなく、スラングを覚えることもなく、卑猥なジョークも通じない。
傅かれ尽くされる事を当然と受け取る典雅な人種──クルガンがそうではないというならば。

「後ろから知り合いを奇襲したり真顔で追いはぎしたり当然みたく上官殺してもおかしくは───」

ある。人間的におかしい。

シードは精神的に疲労して、がくりと肩を落とした。
律儀にその台詞を聞いていたクルガンが、やや眉を顰める。

「人を捕まえてまるで異常者のように言うのは止めていただきたい」
「いや『ように』っつーか」

ぽん、とクルガンは、鞘で軽く自身の足を叩いただけなのだが。
冷えた視線が体感温度を下げ、シードは聡明にも台詞の続きを飲み込んだ。

クルガンは首を横に一度振り、赤毛に問いを投げつけた。
出世して自分を殴ると、確かそう派手に宣言した筈だ。それはもう、自信たっぷりに。
しかし初めて会ったときからずっと勘違いを続けていたのなら。

「それでどうやって私の上官になるつもりだったのですか?」
「………………頑張って、だ!」

考えていなかったのだな。クルガンは軽く溜め息を吐いた。もう何度目になるかは数えていなかった。

「………まあ程々に、勝手になさい」

あんまり阿呆な所ばかりを見せられるので、やはりどうも狩る気が起きない。
まあ、他にも獲物は沢山居る。もっと扱い易いものが。
クルガンはそう結論を出して、木の幹に足を掛けようとした。その姿に、咎めるような声が掛かる。

「アンタ何やってんの」
「見たままの事がわからないなら、多分口で言ってもわからないと思いますが」

その口から皮肉以外の台詞は出てこないんだろうかと、シードは本気で考えた。
皮肉ではなく本気だと言われても、信じられそうな気がするのも問題なのだが。

「ずっとそんな事してるつもりなのかよ」
「野生に帰るのは趣味ではないのでね。貴方のように泥まみれになって山をうろつきたくはない」
「イヤ違くて。そうじゃあねぇだろよ」

こちらに向き直ったクルガンに、シードはびしりと指を突きつける。
ずっとこんな事を繰り返すつもりか?漁師が地引網を引くような、効率的だが単調な作業を?

「アンタだって、別にこんな姑息な事しなくても十分腕は立つじゃねぇか」
「護身程度です」

軽く放られたその言葉は、謙遜ではないのだろう。
皮肉か、本気。

「わざわざリスクの高い行為を選ぶ理由にはならない」
「試したいとは思わねぇのかよ?」

自分が。己の刃が。
何処まで行けるのか、何処まで届くのか。
走って、行き着く先を。

試したいとは思わないのか?

「試す?」

クルガンは鸚鵡返しに言った。
それは問い返すというよりは、やはり多分に皮肉らしき成分が含まれていたのだが、シードはもうそんな事は気にしなかった。
緩やかに、しかし曖昧ではなく振られる銀髪。そして断定。

「試す必要などない」

生憎、命はひとつしか持ち合わせが無いのでね。

「実験に費やす暇がある程ゆとりのある人生は選びたくない。出来ると信じるならば、否、しようと思ったならば、それを確実に達成する以外の選択肢は無いと同じです」

美学だとか、夢や名誉や誇り高き自尊、可能性。一種賭けに近い無謀には興味は無い。
クルガンは過程を気にしない類の人間だった。意味があるのは結果だけである。
辿り着くまでの道のりは徹底して無味乾燥、そう形容して差し支えない。

シードは、三秒だけ黙った後、ぽつりと言った。

「………アンタ、すげぇ面倒臭がり屋じゃねえ?」

それは、クルガンも知らない真実かもしれなかったのだが、それを認めるには彼はやはりまだ未熟であった。

「斬新な解釈だ」
「怒んなよ」
「そう見えますか」
「イヤわかんねぇけど」

シードは顎に手を当て、首を捻りながら唸った。
どうも口では勝てない事はわかっているが、諦めは悪い方なのだ。

「こりゃ山中『訓練』だろ?自分を鍛えるチャンスでもあるんじゃねぇの」
「珍しく真っ当な事を言っている振りをしているようですが、目的が純粋にそれだったと言えますか?」
「………まあ、そりゃルカ様に取り立てて貰おうってのが主眼だけど」

やはり劣勢だ。討論にもならずに終わる可能性が高い。
シードは自分の言葉に苦虫を噛み潰し、クルガンは頷いた。

「ならばそれで良いでしょう。私も同じです。それを簡便に行うだけだ」
「…………俺の行動は全て無駄まみれ、って言ってるように聞こえんだけど」
「似合っていますよ」
「褒めてねぇ!」

クルガンは本気だったのだが、シードは馬鹿にされたと受け取ったようだ。
全てを理路整然とそつなくこなすシードなど、先程クルガンに狩られて終わっていたに違いないのに。

シードはまだ納得出来ない様子で唇を尖らせている。

「『左鳴りのウィルド』だって居るんだぜ?滅多にねぇよ、俺なら、会ったら挑むさ。勿体ねぇよ、アンタこんなトコで木登りしてんの」

似合わねぇよ、と、先程の意趣返しのように吐き捨てる。
クルガンは毛程も表情を動かさず、

「ウィルド将軍に会いたければ、『主命の絶壁』の上に居ますが」

あっさりと言った。

「『絶壁』っ!?」

それに食いついたのはシードである。
先程までの会話を一瞬で忘れ、噛み付くような勢いで迫ってこようとする。それを指先の動きだけで制し、クルガンは頷いた。

「居ますよ」

『主命の絶壁』は、この山で唯一名がついた場所である。
高さ二十数メートル程の、見事な一枚岩の崖。勿論生半な事では登れない。
殆ど垂直といえる角度に、あまり凹凸の無い面。途中で足を滑らせれば即死亡確定。むしろ崖を登っての登頂は不可能といえた。

名の由来については伝説がある。
初代皇王の時代に、ある将軍が酒の席での戯れに『あの崖を登れ』という命を出した。
誰もが、将軍自身でさえも本気にしなかったそれを、命を懸けて果たした兵士が居るという。
命を捨てて主命を取る、軍人の志を褒め称える名前。

「………んでそんな目立つトコに」
「私が通った時は寝ていましたが」

クルガンは溜め息混じりにそう言った。
シードにもその光景は想像がつく。あの張り出した見渡しの良い崖の上、欠伸混じりに挑戦者を待つ『左鳴り』。
場所柄、彼の前を通る者は少なくない筈なのだが。例え眠っていても、彼に斬りかかる度胸と度量はない者が多いのだろう。

「……で、ただ通り過ぎただけかよ」
「ウィルド将軍に真っ向から相対したら、まず勝てませんね」
「いきなり弱気だぞアンタ」
「私は止めませんから、貴方はどうぞ、挑戦すれば宜しい。死なない程度に」

向こうも加減してくれるでしょう。クルガンはあっさりとそう言った。
かちん、と明瞭な音が、シードの頭上で聞こえる。

「あのなぁ……っ!」

シードはクルガンの胸倉を掴もうと、右手を伸ばした。
別に本気で殴ろうとか、締め上げようなどと思ったわけではない。頭に軽く血が上った後の、反射的な行動。

クルガンは特に回避行動に移らなかった。
シードが殴ってくる事は無いと見切っていたからだ。『上官になって』、そう言った筈。まさかわざわざ前言を翻す器用さをシードが持ち得ているとは思わない。
好きなようにさせるという行為が逆に相手の神経に触る事を知っているため、別段実害が無ければ放っておくのがクルガンの流儀だ。

───そこに作為的な意思があったのなら、クルガンには気付けた筈だったのだが。
乱暴に襟の生地を掴んだ指先が、余計なものを巻き込んだ。ぐい、と引き寄せた瞬間。



ぷつり。



軽い、小さな、けれど聞き逃しようのない音。
クルガンの首筋から聞こえたそれは、その時完全に二人の動きをフリーズさせた。

「あ」

一瞬の、それでも途方もない静寂の後、ぽつりと母音だけがその場に残される。

クルガンはゆっくりと優雅な動作で左手を持ち上げ、首筋を撫でた。しかしその指は、皮膚の他には何にも触れず。
しゃらりと微かな音を立てて肌と服の間を滑り落ちていくのは、山中訓練の絶対要素。
クルガンの、出世の為の蜘蛛の糸は、情け容赦なく、綺麗に切れた。


「…………………」
「…………………」

そうしてそのまま二人じっと見詰め合っていたところで、取り返しがつくわけも、無い。

「………………………………ワリ」

ニカリ、と。
だらだらと冷や汗を流しながらも、歯が光るような完璧な笑顔を作ったシードは。

良い度胸だと言えた。





+++ +++ +++





がす!がす!

足を真っ直ぐに伸ばしたまま、上から叩きつけるような蹴り。
シードはぎゃあぎゃあと悲鳴を上げ、土まみれになりながらのた打ち回った。

「アンタその外見とそのキャラでやくざ蹴りはねぇだろよ!」
「勝手な思い込みだと言った筈です」

無表情にそう答えたクルガンは、自然な動作ですらりと剣を抜いた。
ぎょっとした様子で目を見開く足元の愚か者に、わかりやすく説明する。

「鎖を切らずに首から抜くには頭を切り落とすしかないでしょう?」
「真顔で怖いこと言うな!」

シードは慌てて立ち上がり、クルガンと距離を取った。
土埃も払わずじたばたと見苦しい動きを見せ、手を合わせる。

「落ち着け、落ち着いてくれ俺が悪かったから!ごめんなさい!」

無傷の鎖を手に入れたとて、それを着けるにはクルガンも頭を切り離してそれから再び接続するという荒業をこなさねばならないではないか。
そう大慌てで説明しようとするシードを、クルガンは溜め息を吐いて遮った。

「もう良い」

選んだ選択肢は切り落とされた。
ならば、もう一度選び直さねばならない。

クルガンは取り返しのつくこととつかない事の見分けは得意だったので、立ち直りが早い。
もっともそれは、諦めも早いということなのだが。

「悪いと思っているなら協力なさい」
「は?何を?」

突然の台詞に、きょとんとシードが瞬きをする。

「貴方にとっても、悪い話ではないでしょう」
「だから何が!」

参加資格を失ったクルガンが、ルカの目に留めてもらえるには。
そうとう派手なパフォーマンスをして見せなければならない。

そう───例えば。
『左鳴りのウィルド』を倒すだとか。

今後の行動予定を大胆に修正し、クルガンは宣言した。

「…………『主命の絶壁』に行きます」
「え」

ぽかん、と間抜けに開いたシードの口。
それが一転して喜色を押し出した表情に変わる。

「アンタやる気になったの!?」

誰のせいだと思っているのか。
今なら本気で斬りつける事が出来そうだが、それでは戦力が低下してしまう事もきちんとわかっているので、クルガンは剣を鞘に収めた。
再び繰り返す。

「協力なさい」

シードはにやりと笑った。

「───良いよ、行こうぜ。俺も挑んでみたかった」

不遜にそうのたまう赤毛は、きっと自分の立場をわかっていないのだろう。
その事についてはクルガンは早々と諦めていたので、何も問題は無かった。

剣の腕は悪くない。それだけで十分なのだ、その他には目を瞑る。



「宜しく」



その話は、それで纏まりかけたのだが。
あ、と突然シードが声を上げた。

「───そういやアンタ、名前は?」
「………………」

なんだっけ。俺アンタに名前聞いたっけ?
真顔で首をひねるシードに、クルガンはもう溜め息すら吐いてやらなかった。