夕暮れの決闘。






『夕暮れの決闘』





ずだだだだだだだだだだだ!!

ルルノイエ宮内に、すさまじい轟音が響く。
だんだんと近づいてくるその音に、クルガンは書類を繰っていた手を止めた。

だが顔は上げない。
何の音だかはわかっている、クルガンは来るべき事態にそなえ、机の上の重要書類をクリップで留めひとまとめにし引き出しに仕舞った。
代わりに、書き損じや目を通すと破り捨てたくなる類の陳情書などを目の前に積み上げておく。愛用の羽根ペンやガラスの文鎮も速やかに退去させ、インク壷は勿論副官に手渡して守らせた。

ちょうどそこまでの作業を終えたとき、執務室のドアがとてつもない勢いで叩き開けられた。

がん!ばん!!

一度開いたドアは壁にぶつかり跳ね返り、再び閉まる。
しかも一秒にも満たないその間に、赤い突風は部屋に滑り込んでいた。風圧でクルガンの副官の前髪が少し揺れる。

だぁん!!

猛進してきたシードは、クルガンの机に両手を叩きつけると、滅茶苦茶に掻き回した。
ぐしゃぐしゃになった紙が舞い上がり、振動で部屋自体が揺れる。
即席の地震に、本棚が揺らいだ。倒れてこなかったのは僥倖であろう。

気の済むまで紙くずを生産した後、シードは吼えた。

「クルガーーーーーーーン!!」
「なんだ」

その赤毛が逆立つような、赤鬼のような憤怒の形相で、

「テ・メ・ェ・は!今度という今度は許さねぇ!!」

クルガンに人差し指を突きつける。

「勝負だ!!」

いきなりの宣戦布告に、クルガンは眉ひとつ動かさなかった。

「……………成る程」

見下ろしてくる同僚の顔も見ず、くるりと横を向いて、副官に問いかける。

「今日の俺に空き時間はあるか」
「夕方五時ごろからでしたら、三十分ほど」

即座に返ってきた返事にクルガンはうなずくと、シードと視線を合わせた。

「と言う訳だ」
「……………わかった」

シードは腰に手を当て、無意味にえらそうにふんぞり返った。
城中に響き渡るような大声で、宣言する。

「じゃあ今日の五時に、訓練場の裏でだ!遅れたり逃げたりすんなよ!タイマンだかんな、約束破ったらテメェの家に火ィつけてやる!!変な噂撒いてやる!愛人に浮気ばらしてやる!!」
「了解した」

クルガンは淡々と了承し、シードは先ほどまでの興奮を嘘のように静めて、意気揚々と部屋を出て行く。
さっさと紙くずの片づけを始めていた副官は、箒を片手に上司に問いかけた。

「…………あれで納得するんですか、シード様は」
「あの単純さは、奴の美点だろうな」

クルガンは副官にひとつ頼み事をしてから、書類を引き出して再び片付け始めた。
シードによって引き裂かれた陳情書の末路など、既に頭の片隅にも無かった。




++++ ++ +++




夕暮れ。
この時期は日が暮れるのが早い。

シードは約束の場所にいた。
彼にしては待ち合わせ時間より先に待ち合わせ場所に到着するなど快挙である。もちろん、軍関係を除いてだが。

訓練場の裏はまばらに木が植えられている。だが、剣を振り回すには充分な広さがある。
下はむき出しの地面だが、派手に隆起しているわけでもない。決闘にはふさわしい。
シードは十分以上前からその場にいて、クルガンを待っていた。そわそわとしたその動きだけみれば、彼女の初めてのデートに張り切って早くつきすぎてしまった少年のようにほほえましいが、顔を見ればそんな感想は宇宙の果てまで飛んでいく。

クルガンはまだ来ない。

「あんの野郎…………」

シードは歯をむき出してうなり声を上げた。本気で獣化しそうな勢いである。
約束の時刻にはまだなっていないが、時間に几帳面なクルガンなら、もうとっくに姿を現していて良い頃だ。
まさかこないと本気で思っているわけではない。しかしシードは待たされるのも大嫌いだった。

いらいらとしながら貧乏ゆすりを繰り返す。
腰に吊ってある剣が鞘と触れ合ってかちゃかちゃと鳴った。

もちろん、真剣である。
今回、シードはクルガンを叩きのめす程度で済ますつもりは無かった。
決闘を始める前から殺気をたぎらせているシードの耳に、鐘の音が響いてきた。

五時を告げる鐘。

これが鳴り終わったら、クルガンは遅刻。
というより、敵前逃亡だ。
自分はそんな腑抜けを同僚に持っていたのか、シードのこめかみにうっすらと血管が浮く。

かーん………かーん………

二度目。三度目。

かーん………かーん……

冷たい風に吹かれて、シードの前髪が揺れる。
最後の鐘の余韻が消えないうちに、シードはここから思い切り腑抜けを罵倒してやろうと唇を開き、大きく息を吸った。

「畜生!!見損なったぜクル───」

ひゅっ

シードの台詞を遮り、背後から疾風が頬を掠めた。
ぱらり、とシードの髪が二、三本舞い落ちる。

「な」

かつん、と彼の首の脇を通って目の前の木の幹に突き刺さったのは。
見覚えのありすぎるハイランド産の矢。

「……………!!」

シードは反射的に剣を抜き放ちざま振り返った。

ばしっ

野生の勘としか言いようがないが、振り切った剣の平が二本目の矢を叩き落す。

………もうそろそろわかっていた。伊達に長い付き合いではない。
ぎん、と胆力の無い者ならそれだけで戦闘不能にさせるような眼差しを、矢の飛んできた方に向ける。
そこに紛れも無い同僚の灰色の瞳を見つけ、文句を言おうと口を開く。

「クルガ」

が、その腕が支える弓が現在進行形で引き絞られているのを見て、シードは思わず横っ飛びに体を投げ出した。その後を追うように地面に矢が突き立つ。
くるんと回転して起き上がろうと手を突いたその脇に、また一本。

明らかに、当てるつもりで狙っている。

「…………殺す気かぁっ!?」
「急所は外す」

急所、『は』?

問い返しても言い間違いでないことは明白なので、シードは口をつぐんだ。
クルガンは弓兵部隊の指揮官である。
指揮官自ら矢を放つことはめったにないが、それはしないだけであって腕はかなりのものだ。
シードは精密な狙いが要求される弓は不得手なのだが、クルガンには向いていると思う。根拠は身をもって今証明している。

クルガンは片手で複数の矢を支え、それをひとつずつ器用にずらして弓につがえていた。
速射連射を可能にする高等技術。
それでどうやって狙いをつけているのかはわからないが、矢は正確にシードに向かって射ち込まれ、並の人間なら既にハリネズミであろう。

シードは体勢を立て直し、肩口を狙って打ち込まれた矢を今度は冷静に叩き落した。
大体、一方的に攻められっぱなしでは猛将の名に傷がつく。第一自分が気に食わない。

怒りの炎はさらに油を注がれ、燃え上がった。それがもしも本物ならば、相手を焼死させることも可能なように思える。

「泣かしてやる、ぜってー泣かしてやるかんなっ………!」

ごめんなさい、と言って手をついて謝れば、まあ同僚のよしみで許してやっても良いかもしれないが。
シードはぎらぎらと目を光らせ、クルガンに向かって駆け出した。

迫る鏃を、発達した動体視力と勘でかわす。
言うのは簡単だが、弓相手にまっすぐ突っ込んでいくのはかなりの度胸を必要とする。相手が凄腕で、剣が届く範囲にいないならなおさらだ。

ただまあ、今のシードの頭にはクルガンを叩きのめすことしかなかった。

「甘ーーーーい!!」

基本の能力プラス激しい怒りに冴えた神経。
シードは絶好調だった。

神技ともいえる体捌きで飛来する矢をかわす。
身をよじり、剣を振り、間合いを詰める。
皮膚を掠める矢も何本か有ったが、いずれも皮一枚のかすり傷だ。

ふふん、と鼻先で笑いを刻み、舞うように体を翻す。
余裕があるわけではなかったが、追い込まれているのはクルガンだ。

二人の間合いは今、六メートル前後。
シードがもう二度跳躍すれば、剣の間合いに入り込める。
さらに言わせてもらえば、クルガンの手が支えている矢は残り二本だ。

もちろん、距離が近くなればなる程矢に当たりやすいのだが、シードは相手が矢を放つタイミングを読んで避けるというまさに野性まるだしな能力をフル活用しているため、掠める以上のダメージはないと踏んだ。

「覚悟しろよな!」

クルガンが弓の弦を引き絞る。
シードはその手袋に覆われた指先に意識を集中した。

ぐ、と一瞬力が込められ、灰色の目の奥の瞳孔が収縮する。

今だ!
シードはダンスのステップを踏むように、呼吸をはかり右斜め前方に向かって地面を蹴った。

「!!」

しかし、その一瞬。クルガンの指先はピクリと動いただけだった。
代わりに空中のシードに向かい鏃の方向が変えられる。

フェイントか!

空中では身動きが取れない。
しかもクルガンはここぞとばかりに、かつてない早さの二連続で弓を引いた。やはり何処までも隙を逃さない男である。

そうくるかよ。

シードは心中で絶叫した。
だがしかし、やはり猛将はここでは終わらない。それがシードたる所以である。

「とうっ」

凡人ならばなすすべもなく戦闘不能レベルのダメージを、悪くすれば致命傷を負うであろう攻撃を、シードは空中で腰骨が折れるかと思うほど仰け反ることでかわした。天をむいた鼻先と肩口を矢が掠める。
赤毛がその動きにあわせてぱっと散った。

普通そんなことをすれば頭からの地面激突は確実な末路なはずなのだが、シードは頭の後ろに両手を送り、後転の要領で見事な着地を決めた。止まることなく次の瞬間には立ち上がっている。
曲芸師も舌を巻く身軽さだ。戦隊もののヒーローにも思える。
やはり猿だ、とクルガンが思ったかどうかは定かではない。

「っしゃあ!!」

もうクルガンの手に矢はない。
シードは舌なめずりをする肉食獣そっくりの表情で、身を低くして先ほどより少しだけ開いてしまった距離を駆け出した。
クルガンは未練もなく弓を放り捨てると、腰の後ろに手を回す。

シードの死角から抜き出したのは、鋭利な刃。しかし剣ではない。
矢は尽きただろうという油断を活用しての、飛び道具。至近距離でのナイフ投擲だ。ほとんど外道な行いだが、クルガンがそんなことを気にする筈もない。

シードは一瞬で数メートルを跳び、もう一瞬後にはクルガンに到達する。

「………………」

クルガンはその赤毛にむかって容赦なくナイフを投げ付けた。
必殺のタイミング。普通同僚相手に使う技術ではないが、それを言うならあちらも同じだろう。

しかし、シードは動じなかった。
剣を上げていたのは攻撃ではなく防御のため。

「テメェがそういうキャラだって事は、とっくの昔に見抜いてんだよっ!!」

この場合、まさかいくらなんでも心臓や顔は狙うまい。十中八九肩口を狙うであろうという予想通りだ。
シードは慌てず、これ以上ない程スムーズに剣を滑らせ、見事にナイフを弾いた。

きん、と澄んだ音がする。
ナイフはくるくると回転して、その銀の輝きは視界の外に消えた。

約二メートル弱。
この距離ではクルガンの抜剣より、確実にシードが剣を振り下ろすほうが早い。

勝利の確信。
シードはとてつもなく嬉しそうな顔で、最後の一歩を踏み出した。

ずぼ。

直後、地面が喪失した。




剣を振り上げ、それだけ見れば万歳のようなポーズで。
満面の笑みを浮かべながら。

シードは二メートルを落下した。




+++ +++ +++




ひた、と目の前に突きつけられた白刃。
落とし穴にはまったシードは、なすすべもなくそれを見つめる。

聞こえてくる淡々とした勝利宣言。

「俺の勝ちだ」
「アンタって………徹頭徹尾卑怯モンだよな…………」

落とし穴は、副官経由で一般兵に命じて作らせたものだ。
頭に血が昇っていたシードは全く気付かなかった。

がくり、と肩を落としたシードに、クルガンは剣を退いた。

「さて、そろそろ戻らねば遅刻するな」
「……の前に俺を引き上げろ!!」

優雅にきびすを返そうとした人非人を、シードは声を限りに怒鳴りつけた。




+++ +++ +++




その翌日。
いつものように業務をこなしていたクルガンに、その副官が思いついたように問いかけた。

「…………あれ、そういえばシード様、なんであんなに怒っていたんですか?」

クルガンはそんなに酷いことをしたのだろうか。
思いついたような副官の問いかけに、クルガンはあっさりと答えた。

「さあな、わからん」
「わからんって………」

知将はいつものように書類から視線を外さぬまま、

「わからんが、一応付き合ってやれば満足するからな」
「………………」

それで決闘するんですかあんた達。
その台詞が口から出るのを押しとどめるのに、副官は非常な努力を要した。

「一応同僚だ、俺に出来ることなら協力してやるべきだろう」

クルガンは、いかにも分別がありげに呟いた。
どう見てもあの怒りはクルガンが原因だろうに。余程の仕打ちをしたのでは………

(…………て言うか。謝罪は?) 

誠意があるのか無いのか(ほぼ完全に後者にしか思えないが)面の皮が厚いのか本当にわかっていないのか(これに関してはなかなか判断が難しい)。
シードも、剣を振るだけ振ったら、クルガンの言葉どおり満足してしまったようだし。

もしかしてこの人たち、お子様なのでは?

副官はその疑念を、いまだ完全に振り払うことが出来ずにいる。