革命家。
『革命家』
以上。いつものようにそう置いて言葉を切る。
再びの報告を終えた、そんなシードに与えられたのは次の一言だった。
「───それで?」
物理的圧力さえ感じさせるような、冷たい視線が刺さる。
目は口ほどにものを言う。
それでそのままのこのこ帰ってきたのか、とシードはそういわれているような気がした。言い訳を口にしてみる。
「それで、って………イヤ俺も説得はしましたよ?けどノエルはその条件は譲れないと」
「誰がそんな事情を訊いていますか」
呆れが少し混じったかもしれないが、やはりその声の響きはいつも同じような形だ。
クルガンは少しだけ目を伏せて言った。
「それはもうわかりました。貴方がいれば来ても良いと言うのでしょう?別段不都合もない。貴方が大人しく壁に背をつけているなら」
馬鹿にする、のではないのだ。まるきり本物の馬鹿だと思っているのかもしれない。それならば揶揄は無い。
猿に対して、侮蔑の気持ちを抱かないのと同じように。
「じゃあ後は何が」
「ノエルの意志ははっきりしているでしょう。貴方がそれを承諾するのかと訊いている」
予想しない問いかけに、シードは眉をひそめる。
「は?俺の意思なんか───」
「全く考慮されないと?」
クルガンの言葉にシードは憮然とした。その通りではないか。
自分の意見がどうこう、そんなことは最初から考えていなかった。何故なら。
「───嫌って言ったらどうにかなるんですか?」
「勿論ならない」
喧嘩を売っているのだろうかこの男は?
今の自分の顔には薄い笑みが浮いているだろう。当然好意からではない。
「なら俺の意思なんか訊いても無駄でしょう。俺に決定権はありません」
「だが、兵士は意思がなければ良いというだけのものではない。惰性に慣れれば無能が増えます」
無能。
この男が言うと殊更冷たく響くのは何故だろう。
続いて、クルガンは律儀に先ほどの台詞をそっくり再現した。
「それで?」
シードは薄ら寒い笑みを顔面に貼り付けたまま答えた。
「立ち会いますよ。信頼には応えるのが筋ですし───何か不信があっても困りますんで」
アーネストの死と同じようにな?
視線に台詞を混じらせ、シードはクルガンを睨み据える。
「結構」
皮肉がわからないはずは無いだろうに、彼は一言で返すと、てきぱきとシードに会談の説明を始めた。主に、会談の最中は呼吸すら上品にしろだとか、窒素と酸素と二酸化炭素の混合気体と完璧に同化する事がお前の使命だとか、翻訳すればそのような類のことを。
シードはといえば、その声を完璧にBGMにしながら、この澄ましたツラを歪められたらさぞかし爽快だろうな、とまるで違うことを考えていた。
+++ +++ +++
「ようこそいらっしゃいました」
広間に、堂々とした足取りで入ってくるノエルを見つめて、ジェスタは低い笑い声を抑えるのに苦労した。
表情選択はいつもどおりの、鷹揚な笑みで。
輝かしいシャンデリアと、目に優しくない白いテーブルクロス。
トラスタの領地から吸い上げた益をふんだんにあしらった、会談場所。
広間の豪勢な内装に、怒りを覚えるかと実は少し期待もしていた。ジェスタは、人を怒らせるのが好きだった。悔しげな表情が好きだった。その怒りが果たされない安全な場所から見る、という条件がつくが。
「今日のこの日がこの地とって祝されるべきものになるように祈っておりますよ」
広間の入り口に向かい足を進めるジェスタ。
ノエルの二メートルほど手前で足を止める。慇懃に一礼した。
ノエルに連れ添ってきた従者たちは、別室に迎えている。
勿論ジェスタも私兵たちは連れておらず、他にこの場にいるのは、ノエルの斜め後ろに立っているシード、この会談の見届け役、皇国軍代表のクルガンだけである。
シードの参加についてクルガンに告げられたときには、ジェスタは渋い顔を隠せなかった。目撃者など必要ないのだ。
ただ、クルガンが問題なく片付けると言っていたので受け入れたまで。
クルガンの小賢しさをジェスタは見抜いていた。後で始末に困るような愚かな真似はすまい。
ノエルは凛として立っている。
しかし、礼儀は放棄していた。下品なのではない、ジェスタに対して一ミリたりとも頭を下げていないだけだ。
それに気付いたジェスタの頬がかすかに痙攣するが、口には出さない。気に入らないが、ノエルはどうせこの館から生きて出られることはないのだ。
クルガンに促され、ノエルは席に着いた。
丸テーブル。ジェスタとクルガンと、結べば丁度三角形になるような形である。
いきなり本題には入らず、まずは共に食事をして雰囲気を和ませつつ───というのが定石だが。
和むわけがない。
ノエルの硬質な表情と、雰囲気は似通っているが決定的に何か違うクルガンの無表情を見遣ってシードはため息をこらえた。
まあ、そんなことは自分が気にする筋合いではないのだが。シードの役目はこの会談に不正がないかを見張ること(これは正確に言えばクルガンの役割だが、シードはノエルの信頼とともにそれをする義務がある)と、何事もなければここで壁の花になっていることである。
食事?
食前酒が運ばれる段階になって、シードはようやくそのことに思い当たった。
給仕は入り口とは別の小さな扉を通って出て行く。
毒など盛られたら、シードがこぶしを振り回したところで何の役にも立たない、一巻の終わりである。
どうすんだよ、俺。
シードは自問した。
丁度、儀礼的にグラスが掲げられ、おのおのが唇をつけようとするところである。
だがノエルの手が一瞬止まったのを、シードは見過ごさなかった。
当然である。誰がどう見ても怪しい会談。自分を消したいと思っている相手からの招待だ。
勿論、その疑惑を晴らすために皇国軍が橋渡しをしているのだが───
シードはクルガンを見遣った。鉄面皮から情報は受け取れず、無駄な一瞥でもあったが。
ノエルは、危険を承知でグラスに口をつけようとしている。それは、シードへの信頼ゆえだろうか?
何故ノエルがそこまで自分を買ってくれるのかはよくわからなかったが、それを裏切るわけにはいかない。シード自身、この会談を信用してはいないのだ。
ならば。
「!?」
シードは飛び跳ねるようにして壁から背を離すと、ノエルの手首を掴んで止めた。
二対の驚愕の視線が体に刺さる。もう一対は不明。
「何を……」
声を上げたのはジェスタだった。ノエルは、手首をつかまれたままシードを見上げる。
クルガンが僅かに嘆息したのがわかった。それに少しだけ満足感を覚える。
「失礼。少しよろしいですか」
やんわりと、ノエルの手からグラスを取り上げる。
ジェスタがシードの意図を悟って叫んだ。
「無礼な!毒が入っているとでも」
ああそうだよアンタ怪しいし気に食わねぇんだよ。
とまでは流石にシードも言えない。
もう少し柔らかい言葉を捜して口を開こうとしたシードを、硬質の声が止めた。
「私からも言わせてもらいたい。シード殿、このような行いは不要だ」
シードはノエルの黒い瞳を見下ろす。
「貴方にはそうする義務も、権利もない」
私は私の決意でこの場に身をおいているのだから。
「……………」
ノエルが手を伸ばしてグラスを取り戻そうとするのを、シードは指先に力を込めることで防いだ。
視線が交錯する。
「義務と権利?難しい言葉だ」
軽口のようにそう言う。
「アンタが俺を信頼した時点で、それは十分迷惑だ。これくらいの我侭は許してくれないとな」
「何を勝手な───」
遮ろうとしたジェスタの言葉は無視される。彼の憤怒の表情など確認している暇はない。
言い返そうとしたノエルから、タイミングを制してシードはさっと視線を外す。
酒で満ちたグラスを揺らしながら、挑戦的に、シードはクルガンを見遣った。
「………この場には、アンタの目が光ってるんだろ?アンタが責任者だな?」
「ええ」
鉄面皮を、じっくりと観察する。
それとみてわかるような兆候が、そこに浮くはずはないのだが───
シードは数秒の沈黙の後、こう言い放った。
「…………信用するぜ」
睨み付けた瞳を閉じて、一気にグラスを干す。
ノエルが席から立ち上がり止めようとするも、間に合わない。
ごくり、ごくりと。
躊躇無くその喉が動いて、最後の一口を飲み干したとき。
シードの顔色が、変わった。
ぐんにゃりと視界が歪む。
眩暈。
吐気。
グラスが手から落ち、しかし毛足の長い絨毯は繊細な薄さのそれを割らずに受け止めることが出来た。
ぴしり、と細くひびが入ったのは片手落ちだが。
「………………ぅぐ」
――――低い呻き声を漏らし、シードはどさりと床に崩れ落ちた。
「!!」
ノエルの顔から一斉に血の気が引く。
倒れ伏したシードに駆け寄り抱き起こすと、整った形相を豹変させ、ノエルは領主に向かって吼えた。
「ジェスタァっ!貴様何処まで腐っているっ!!」
「ち、違うぞ!!これは私の指示では…………!」
思いがけぬ事態にジェスタはうろたえた。毒など入れた覚えがない。彼は、こんな回りくどい方法ではなく直接ノエルを害するつもりだったので。
「わ、私じゃない、私はこんな───」
そのあたふたとした言い訳を、室内の気温より二、三度低い声が遮った。
「騒ぐ必要はありません」
かたり、とグラスを置いて。
「私の差し金ですから」
薄い唇はそんな言葉を吐いた。