革命家。
『革命家』
「撤退なさい」
クルガンはそう言うと、なんの未練もなくシードに背を向けた。
そのまますたすたと、走ってはいない癖に異様に速やかに移動を始める。
しかも、野営地の中心に向かって。
シードは一瞬、ぽかんと口を開けた。
呆然と、去りつつあるクルガンを見つめる。
「オイ」
自分の始末は?
そう尋ねそうになって、それはあまりに間抜けな質問だと思い直し止める。
その間にも遠ざかる背中に、思わずシードは一度乱暴な口を利いて彼を追った。
「ちょ、待てよ逃げんな」
「逃げるのならば逆方向だ、軍曹。ノークはあちらです」
「んな事わかってます!俺が言いたいのは―――」
「ならば速やかに行動するべきだ。無駄口を聞いている暇はない」
クルガンは振り向きもせずにそう言う。
シードは苛ついて赤毛をぐしゃぐしゃと掻き回した。わけがわからない。
アーネストの躯をその場に残し、二人は移動していく。
「………おそれながら准尉殿、撤退命令が出ているのに何故前線を目指しているのかを、自分はお訊きしたいんですが!?」
「邪魔です」
わざわざ全力で走って自分の前に回り込んできた男を、クルガンは払いのけた。
そのまま脇を過ぎ去ろうとするのを、シードは腕を掴んでまで、止める。
「………………………」
一瞬、空気が凍った。
今度こそ、切り刻むような視線が降ってくる。
冷たい炎というものがあるとすれば、この男の瞳だ。
それをまっこうからはじき返しながら、シードは低い声で問った。
ぎり、と腕を掴む手に力を込める。
「―――何故俺を斬らない。准尉」
「理由がないからです。自軍の軍曹を斬る必要が何処に?」
淡々とそう返してくるクルガンに、シードは軽い寒気を覚えた。
やっていることの辻褄が合わない。狂人なのか、と懸念を抱く。
「司令官を殺す理由はあるとでも」
「ないのに殺す必要がありますか」
少しの間も置かずに返ってきた答え。あらかじめ決められた台詞を読んでいるかのようだ。
この状況にも関わらず、シードは興味を引かれた。
「しかるべき理由があると?」
「私にとっては。速やかにこの手を離しなさい、軍曹」
「聞かせて貰えるかい、味方殺しの准尉殿?俺には貴族のお坊ちゃん同士の権力争いにしか見えなかったけどな」
シードには出世は関係ない。
どれだけ軍功を立てようが、将軍になるのは貴族出身だ。出世競争など、知らないところで勝手にやればいい。
だが、それを戦場に持ち込むとなれば話は別だ。そして、命まで奪うことも。
「兄さん、人の上に立つ奴はもっと他に考えることがあるんじゃないのか」
シードは腕を握る手に益々力を込めた。
一度拍子を抜かれたが、腹はくくってある。既に敬語もかなぐり捨てていた。
逆にクルガンの方は使う必要がないのだが、その口調がより一層彼の冷たさを引き立てている。
「味方?いえ、私が殺したのは味方ではない」
やはり、狂っているのか。
この、銀髪をなびかせて優雅に立っている男は。
「貴方に構っている場合ではない。退きなさい、軍曹」
クルガンは少し体を捻った。
と思ったらあれだけ力を込めていたシードの手から、彼の腕がするりと抜けている。
「待て―――」
「くどい」
追いすがるシードの手をかわし、クルガンは進んでいく。
もう既に、逃げる兵士と追う反乱軍の混乱はすぐそこにあった。クルガンとシードが移動したのもあるし、彼等が近づいてきたのもある。
シードはそれを見て取り、素早く剣を抜いた。
撤退の補佐をしなければならない―――
そう思った瞬間。
雷気が立ち込め、ぞわっとした嫌な感覚が産毛を逆立てた。発生源は目と鼻の先。
眩しさに、シードは思わず目を細めた。
銀髪の青年の手の甲が淡く蒼く発光している。
そこから、十数条の稲妻が立ち上る。
彼の身にまとったマントが、ゆらりとはためいた。
稲妻は彼の頭上で一瞬静止したかと思うと、意志を持った蛇のようにのたくり―――牙を剥き。
閃く。
「ぎゃっ!?」
「ぐわっ」
「ぎゅげぇっ!」
「ひぐっ!!」
複数の濁った悲鳴が上がった。
稲妻は奇跡のように正確に皇国兵を避け、反乱軍を襲った。それが同時に十数条。
同じ数だけの人間が、地に伏している。
あれは―――『いかりの一撃』だ。
『いかりの一撃』は最下級魔法だ。雷の紋章を宿していれば、ほとんど無条件に誰でも使える。
いうなれば初心者用だ、魔力が余程高くなければ威力も弱い。
しかし、使う者が使えばこうなるのか。シードは感心した。
通常の発動では、一回につき稲妻は二つ三つ、それが一点を狙って収束する。だが、クルガンはこれを十数条も発生させ、なおかつ機械のように精密に操りそれぞれを別の場所に導いた。
しかも、発動が卑怯なくらいに素早い。余程の反射神経がなければ、回避は不可能だろう。流石に相手を黒こげにするほどの威力はないようだが、充分戦闘不能にさせている。
勿論、シードもただそれをぼうっと見ていたわけではない。
既に三人斬っている。元農民など、シードの敵ではなかった。シードが一九の若さで軍曹の位置にいるのも、この剣技のおかげだ。
血飛沫が頬を掠める。シードは舞うように鮮やかに剣を振るった。
振るいつつ走る。クルガンの後を追って。
クルガンは人波を器用にするすると避け、いまだ早足で進んでいる。
音も立てずに閃光が走り、また幾人かが倒れた。
流石に、もうシードにもクルガンの目的がわかっていた。
しんがりを務め、退却の補助をするつもりなのだ。
勢いづいていた反乱軍が深追いする気力をなくすまで、クルガンは退かないに違いない。死亡率の高さは承知している筈だが。
「………ワケわかんねぇぞアイツ」
シードはぼやいた。その間にまた一人斬る。
初めて人を斬ったのはいつだっただろうか。二十歳前にして、シードの棲み処は既に戦場だ。
後ろからクルガンに斬りかかろうとしていた一人を、打ち倒す。
「准尉殿!!」
「………まだいたのですか」
この期に及んでその言い草はないだろう。
シードはムッとした。だが、今はそんな場合ではないと考え直す。
「あのですねー!このままアンタまで倒れられると軍の統率が取れなくなるんで大変困るんですがー!!」
上官殺しは取りあえずおいておくとして、だ。
アーネストがいない今、その副官であるクルガンまで死ぬとなれば、指揮官がいなくなる。
この軍で、クルガンの次と言えば曹長だが、確か四、五人いた筈だ。それこそ権力争いで目も当てられない状態になるのは目に見えている。
この男のしたことは看過できないが、いったん生き延びて勘でもくじ引きでも良いから誰かを選んで引き継ぎをしてくれないことには、命令系統がずたずただ。
「………阿呆ですか、貴方は」
冷静な声に、シードの脳内温度が二、三度上昇した。
怒鳴りつけようとしたところを、遮られる。
「上手くやる確信がなければ、このような行動など取りません。安易なヒロイズムは自軍の不利益になるだけだ」
傲慢なまでのこの台詞。シードは怒りよりも呆れ果てた。
右手を翳し、目の前でおそれおののく者共にクルガンは無慈悲に告げる。
冴え冴えとした、その響き。
「…………『天雷』」
空を灼く閃光。
不運にもその標的になった人間は、灰ですらなく―――塵になった。
単体魔法であるので実質的な損害としては死亡一、なのだが。
精神的には違う。
反乱軍の足が止まりかける。
戦場では、気合いがものを言う。勢いづいた流れは向きが変わるのもまた早い。
窮鼠は猫を噛むが、勝利を目前にすれば命を惜しむ、というのも人の性だ。
「去ね」
………何故この男の声は、ことさら大きいわけでもないのに良く通るのだろう、シードは疑問に思った。
じり、と気を呑まれて数人が一歩退いた。
逆に破れかぶれになった数人が、銀髪の男に向かって走り寄ってくる。
「………………ばーか」
それをことさら華麗に細切れにして、シードは笑った。
血に染まったこの笑顔が、どのように見えるかは簡単に予想できる。
過剰な演技も、戦場では重要なのだ。
呆れたような背後の溜息は黙殺した。
取りあえず、一段落するまではこの男に付き合ってやろうと思っていたので。