革命家。






『革命家』




正午。

「…………軍曹、戻って来なかったですね」

馬の番をしていた三等兵が、ぽつりと呟いた。隣の兵が答える。

「………仕方ないな。本部隊はノークに逗留している。戻るぞ」
「はい………」

中で一番年長の兵が号令し、彼等は歩き出した。
年若い三等兵は、再び隣に話しかける。

「貴方は、農村に行ってたんですよね?どうでした?」
「どーしたもこーしたも………」

苦い顔で答える。

「酷いモンだ、あのジェスタってのはよ」




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「やはり籠城するのだろうな………このままでは時間がかかりすぎる」

アーネストは山中に没する砦を見つめ、爪を噛んだ。
ノークの街の外壁の上である。クルガンはいつもと変わらず、アーネストの左斜め後ろに立っていた。

「―――帰還した偵察部隊の報告では、彼等は農民の支持を受けているということです。あの山をぐるりと囲むには兵が足りない。補給路を断つのは難しいでしょう」
「そんな事はどうでもいい。兵糧責めなどくだらない策だ、阿呆でも出来る」

アーネストはクルガンを振り返る。

「なるべく早く済ませたいんだ」

そして、す、と目を細めた。その視線を受けても、クルガンは無表情を保っている。アーネストは平坦な声で問った。

「………クルガン。お前、ジェスタと取り引きしたのか?」

灰色の目はちらりとも揺れなかった。そのまま、十数秒ほど沈黙が流れる。
ふ、と息を吐いてアーネストは視線を逸らした。

「まあいい。それについてはこのごたごたが終わってからだ」

ぎゅ、と拳を握る。

「兵士に通達しておけ、今日中にノークを出るぞ」
「…………少佐」
「私達はジェスタの私兵ではない。皇国軍だ」

アーネストは断固として言い放った。
彼は見なかったが、クルガンの額に、ほんの僅かに皺が寄った。

アーネストが去った後、微かに呟かれた台詞を風がさらっていく。

「…………誇り高く、曲がったことは大嫌いか。成る程ご立派だ」




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白地に青、ハイランド皇国の旗が翻る。

「ひとまずここに陣を敷く事にする」

アーネストはそう言った。
砦のある山、その麓を少し巡る形で、テントを設置していく。
横手には山から続く森、背後は農村の田園地帯である。
居心地の良いノークから出ていくことに、大半の兵は内心不満があるようだった。が、流石に面と向かって口に出す者はいない。

「奴らは砦に立て籠もり、こちらとの全面衝突を避けるだろう。だが策はある。諸君らの仕事は、私の立てた作戦を忠実に遂行することだ。明日の朝、追って指示する。それに備えて休め」

きり、とした表情の若い少佐。兵達はそれを眩しそうに見つめた。
夕日が、彼の黒髪を照らし出していた。

そして、彼等はそう決定してしまったのだ。
敵の陣の近くで眠ることを。

失策、と呼ぶほどではない筈だった。問題ない。
質、数で勝る皇国軍に対抗するには、相手はあまりにも無力すぎるのだから。




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「見張りの一人もついてねぇってのは、やっぱ俺ってば舐められてる?」

シードはぼやいた。
ほとんどの者が一般兵で構成される軍隊で、二十歳前にして軍曹というのもなかなかのものなのだが。まあ自己紹介したわけではないけれど。

先程、反乱軍が兵をまとめて出発したのは知っている。
夜襲だ。

やめておけ、というシードの忠告は無視された。
彼等にはノエル様がおり、そして戦力差を埋める方法もあるのだ、と。
どこか誇らしげに娘は言った。

何とかしてここを抜けだし、なんとかして奴らよりも早く山を下り、何とかして指揮官の所まで辿り着かねばならない。
間に合わない公算の方が高いが、シードは諦めの悪い男だった。

この牢は、頑丈だ。砦の地下、太い鉄の棒で出来ている。
だが、鍵が南京錠だったりするのだ。流石に指では千切れないが―――

シードは自分のブーツを脱いで手を突っ込んだ。
ブーツには鉄板が仕込んであり、立派に凶器として通用する。だが今はそれ自体に用があるわけではない。

しばらくつま先の辺りをまさぐると、シードは先の曲がった針金をそこから取り出した。





闇。
その中をシードは転がっていく。
本人は走り降りているつもりなのだが、積もった雪、飛び出た根、茂った枝のトリプル効果で、結果的にそうなっている。

シードはなりふり構わず急いでいた。
砦からの山道を通っていたのでは絶対に間に合わない。山の麓をめがけて、直線距離をシードは辿ることにしたのだ。
勿論方向感覚など当てにならない。頭上を見上げても、枝葉に隠れて月も見えない、同様に足元も見えない。
泥団子のようになりながら、シードは転がった。

無駄だ、と呟く声がする。
シードは無視した。そんな事はわかっているのだ。

ただ、ここで大人しく牢の中で味方の救援を待ったり、心配したりするだけでいるのは情けないではないか?一パーセントの可能性を捨て去るのは、もっと淡泊な性格の人間がするべきだ。

そう、例え間に合わなくとも―――シードは戦うことが出来る。
そして、何の救いもなくあの娘の上に刃が振り下ろされるのも、我慢出来なかった。

布を突き破り、尖った枝が皮膚に突き刺さる。
滑った勢いで木の幹に顔面をぶつけた。もう幾度も繰り返しているので慣れた。
冷たい、というより痛い感覚を呼び起こす夜気が、周りを取り巻いている。視界はほとんど利かず、幾度も何かに足を取られて転んだ。

口の中は土と血で一杯だ。

目ん玉を枝でほじくり出されないだけ幸運なのかな、とシードは思った。
スピードを緩める気はない。

もっと、もっと早く。

自分が出来ることは、出来る限りやるべきなのだと。
シードはそう思っている。




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深夜。
ハイランド皇国軍は、僅かな歩哨を残して深い眠りに就いていた。

突然、何の前触れもなく轟音が響いた。
それが始まりの合図だった。





きゅどっ

閃光が空を灼き、悲鳴が響く。

「な…………」

剣を掴み自分の天幕を飛び出したアーネストは、驚愕に目を見開いた。
野営地を次々に襲うのは、あの光は魔法だ。

しかも。

「最後の炎………!?上級紋章が、何故こんな者共に!」

烈火や雷鳴、流水などの上位紋章は、ハイランドでは将校クラスに与えられるものだ。紋章屋では掘り出し物、それも希にしか出ず、値段も見合って高価である。

かくいうアーネストも流水の紋章を宿してはいるのだが、魔力が足りずあまり役に立たない。そもそも攻撃には向かない紋章なのだ。
上級魔法の『静かなる湖』が使用できればこの状況も打破できるかもしれなかったが、不可能なものは仕方がない。

完全な誤算だった。
皇国軍相手に、まさか向こうから討って出ることはないだろうと思っていたのに。
しかも、こんなに早く。

小さなテントが二つ三つ、綺麗に吹き飛ばされた。
術者がかなりの才能に恵まれた手練れなのだろう、高温の炎に大地が煙を上げている。
完全に不意を突かれた格好だった。ほとんどの者は眠っていたし、鎧もつけていない。

どおん、とまた爆発音がした。
鬨の声が上がる。反乱軍が突入してくるのだ。