革命家。







『革命家』




しゅっ

そのままクルガンの喉を突き破るかと見えた切っ先は、首の薄皮一枚を切り裂いて抜けた。
銀光の軌跡を残し、見事に鞘へと納まる刃。

ふ、とシードは息を吐いた。

「………アンタの処遇は一時保留だ」

どちらの立場が上なのか全くわかっていない台詞を、傲岸不遜にシードはのたまった。
しかしクルガンの反応といえば、その灰色の瞳を少し細めただけである。

なんとも表現できない薄い感情の色を、シードはそこに認めたように思った。

「それが選択ですか?」
「いいや違うな。俺の答えは───」

シードは自由に使える拳をぎゅっと握り締めた。
一瞬の呼吸。

ざっ

踏み込んだ足の裏が擦れる音。
空気が唸り、クルガンの視界一杯にシードの右手が拡がった。
風圧で前髪が揺れる。

クルガンは目を閉じなかった。

シードが舌打ちをする。
クルガンの鼻先数ミリの距離。焦点も合わないほど間近に突きつけられた、とがった骨と荒れた皮膚。


「頑張ってアンタの上官になってアンタを殴る」


空気中に放たれた宣言。

「………………………」

そして、きっちり二秒間だけの沈黙。

その後、クルガンは軽い動作でぱしりとシードの腕を払い、拳を眼前からどかした。
その灰色の目を眇め、ようやくシード自身を見る。

眉が寄せられた。

「低いのか高いのか良くわからない目標だ」

溜め息のような呼気を吐いて、クルガンはやや肩をすくめた。
そのまま何事もなかったかのように、シードの横をすり抜ける。

ぱさりと布を捲り、クルガンは幕舎の外に出た。初春の日差しが、大地を濡らしている。
兵士達が忙しく行き交い、帰り支度に励んでいた。畳まれていく幕舎。骨組み。

目に映るものはそれだけだ。
しかし、ここから見えるはずもなかったが容易に想像できた。

山からのぞく古びた砦。
焼けた野営地。
荒れた農村。転がる折れた剣。
新しく伸びる芽。泥に汚れた雪。
悲嘆にくれる人、希望に燃える人。

全てに同じような日差しが降り注いでいることだろう。

クルガンは振り向かずに、小さな声で呟いた。
相手に聞こえるかどうかなど全く考慮していない、まるで只の独り言のような。

「───私が死ぬ前に頑張って叶えてみなさい。軍曹」

期待はしないで、待っておくことにしよう。

足を止めずに歩き続ける。
クルガンにやることはまだ沢山残っているのだ。

雪は降るが、やがて溶ける。
日は差すが、やがて曇る。
全ての出来事はいつか終わりまた始まる。なんの意味も、理由もないままに。

『正しいと思ったから、私達は戦ったんだ!』

クルガンは足を止めずに歩き続けた。




「………っていうかアンタまず俺の名前を覚えろ!」

シードは怒鳴り声を上げながらその背中を追った。







+++ +++ +++







高く設えられた天井。
白い白い、脅迫感すら植えつけられるように潔癖な壁。

「………………………」

多数の視線が自分に突き刺さっている。もう気にするような感性はとうに失くしていたが。
ハイランドの国旗が、彼女の正面に鮮やかに掲げられている。

ハイランドの首都、ルルノイエ。
皇都最高審判。見物人は相当な数だ。

彼女の左右に直立不動の姿勢で並ぶ兵士達。
後ろ手に手錠をかけられた手首は、既に麻痺していた。

俯かずに。
肩を落とさずに。
見るのは、真っ直ぐ前。続く道を見据えて。

ノエルは審問官の朗々とした声を聞きながら、思い出していた。

彼女に背を向けた男が、立ち去ろうとした足を少しだけ止めて、こう言ったのを。
それは、感情のこもらない、全く変わらない声だったけれど。

『とはいえ、本当にジェスタを殺したのは私ですから』
『貴方にばかり偉そうなことを言うのも気が引ける』
『寂しいなら審判でそう言いなさい』
『………貴方の首の隣に並ぶくらいは出来るでしょう』

その背中を見ながら、ノエルは目を閉じたのだ。
そうして、二つ並ぶ首を夢想してみた。

後悔は、なかった。

「ノエル。トラスタの領民を煽動し、皇国に反旗を翻し、領主ジェスタ・トーレルを殺害した罪を認めますか」

そう問ってくる裁判官に、ノエルは毅然として言った。

その硬質さは揺らぐことなく。
紅茶色の髪は褪せず、瞳の色はなお深く。

「Yes, I did」

あの男め。人を馬鹿にするのも大概にしておくがいい。

これが、革命家としての、自分の誇りだ。







+++ +++ +++







ふと、娘は顔をあげた。

「あら?」

娘は今、飢えや戦乱で親を亡くした子どもを引き取る施設で働いている。
娘自身も天涯孤独の身だ。住み込みで働くのになんの不都合もない。

領主が死んで騒乱が静まってから、まだ何日も経っていなかった。
娘は山を降りて、真っ直ぐここを目指したのである。

どこにもゆかりのない孤児達の家であるこの院に、めったなことで便りは来ない。
申し訳程度に取り付けてある郵便受けは、微妙にかしいでいた。
牛乳配達人がたまにぶつかって、直していかないことがあるのだ。

娘は手を伸ばして、木製の郵便受けに触れた。
力を込めて、歪みを直す。しかし無理をすれば壊れてしまいそうだ。

立ち位置が変わり、娘はやっとその箱の中が空ではないことに気付いた。
だが、入っているのは手紙の類ではない。白い布包みだ。

蓋を開け、中身を取り出す。手に取るとずしりと重かった。
不審に思いながら、娘は包みを解く。


驚きに、娘の瞳が見開かれた。

絹の袋一杯に溢れる、砂金。
それをくくる天鵞絨のリボンには、流麗な字で署名がしてある。

娘はそれを、ぎゅうと胸に抱いた。


「ノエルさま………」













皇国歴二百十八年三月 トラスタの乱
同五月、皇国第四軍第七師団により鎮圧
首謀者ノエル、皇都ルルノイエにて処刑
トラスタ領主、ジェスタ・トーレル死亡
第七師団指揮官、ディグナーシュ家六男、アーネスト・ディグナーシュ戦死







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