革命家。
『革命家』
びっ、と。
破れたのだと、一瞬勘違いするくらいに、かつてない程乱暴な音を立てて幕舎の入り口の布が捲られた。
しゅっ
クルガンが振り返るのを待たずに、シードは抜いた軍刀を一挙動で振り下ろした。
ごづっ
鈍く低い音がして、シードの剣が受け止められる。
クルガンの頭蓋骨に、ではない。
「……………………」
灰と赤茶の視線が交差する。
振り向きざま同様に剣を抜き放ち、一撃を的確に受け止めたクルガン。シードは舌打ちした。
しかも剣の刃の部分で受けたのではない。握った柄の、その尻で縦に受け止めたのだ。シードの勢いに、刃が指の第一関節分だけそこに食い込んでいる。
ぎりぎりぎり、と一秒かそこらだけ静止した後、シードは体勢を立て直して飛び退いた。
何故わざわざそんな所でシードの一撃を受け止めたのかといえば、それは音を殺すためだろうと推察する。
外界とは布一枚しか隔てられていない、高い剣戟など響けばどうなるかは自明だ。幕が鳴った後の一瞬で、それを判断したのだろう。
しかも、それはどちらかといえばシードに対して与えられた気遣いである。
全く可愛げのない野郎だ、と唇を噛む。始末を付けるべき相手に塩を送られるのは、はっきりとした不快だった。
シードの殺意も何処吹く風で、クルガンは手を伸ばせば剣が触れる距離に居る猛獣に向かい、いつも通りに呼びかけた。
「──何のつもりだ、と訊いた方が良いですか」
「よく言うぜ予想してたくせによ」
シードは吐き捨てるように言った。
よく手入れされた煌きを持つ刃を、す、と相手に向ける。
こんな行為は二度目だった。ただ、アーネストの死骸はここにはなかったが。
「アンタをのさばらせておいちゃ碌な事にならねぇのがはっきりしたよ」
「私と心中するつもりですか?軍規を知らぬわけでも無い筈だ」
ふん、とシードは鼻を鳴らした。
上官に刃を向けるなど、ましてや殺害しようとするなど、軍においては狂気の沙汰でしかない。
だが、シードの目の前の男は既に踏み切っている。
「アンタを排除する」
だから、それをシードがしてはならぬ法は無い。
違いといえば、シードは何も考えずに動いているので自己保身が出来ない、それくらいだ。
だが、シードは既にクルガンを自分の敵と認識していた。
この男は、放っておけばこれから先、非常にうまく出世していくだろう。しかしこんな種類の人間が、軍の中枢に入り込み国を動かすなど───
許してはならない。
「ノエルは………」
「殺してはいない。皇都へ連行します」
ぴりぴりと肌に刺さる空気。
先程の一撃で確信できた、本気でやりあえばどちらに転ぶかわからない。
どちらかといえばパワーファイターであるシードに対し、クルガンはテクニカルであるように思える。シードには一度剣を交わせば相手の能力をかなり精密に見抜くだけの力が充分あった。
力の値は自分に分があり、速の値は相手に分がある。勿論、小さな差異を突き詰めて大雑把に分ければ、だが。
「処刑のためにか」
「裁判が抜けています」
「どうなるかわかってんだろ!!」
「ええ───」
クルガンは少し、目を眇めた。
「どうなるかはわかっていた筈です。貴方も。勿論彼女も」
「悪いが俺はバカでね。こんな最低の裏切りは予想しちゃいなかった」
同じようにシードも目を細めてみせる。飛び掛る寸前の、獰猛な目。
「裏切る?」
その声音は、ジェスタに向けたのと同じ響きだった。勿論シードが知るわけもないのだが。
クルガンのそれはいかにも見当違いな質問を向けられたときの反応だ。
シードは唸った。
「ノエルの信頼をだ」
「彼女は私のことなど信頼してはいなかった。貴方に対してでしょう」
「じゃあ俺のだ!」
叫ぶ。幕舎の外に対しての気遣いは、していなかった。
「…………これは驚いた」
クルガンは、シードの前で初めて───やや表情を崩して見せた。
それは勿論、目の錯覚であったかもしれない唇の吊上がり、その程度だったが。
「無理はしなくて良いですよ。貴方は私を信用などしていなかった。むしろ監視役を自負していた」
「……勝手に、決めんなよ」
「事実でしょう」
シードはふるふると首を振った。
クルガンの言葉は、間違ってはいないが正しくもない。
「ああ、俺はアンタを心から信用しちゃいなかったさ。けどな」
この男の非情さ、ある種偏った倫理観は、アーネストの死と共に思い知らされていた。
しかし、シードは何故か。
「──それでも俺は、アンタがこの国を裏切るとは思っちゃいなかった」
言葉にした途端、何かが腑に落ちた。
アーネストの死に目を瞑った理由、クルガンを糾弾しなかった理由、グラスに口を付けた理由──
あの時、少佐が気に入らなかったと、この男は言ったではないか。味方ではないと。
だから。シードは。
彼が、この地を守る信念を持っているのではないかと、思ったのに。
「アンタがやった事は、この軍の、ひいてはこの国の信用を貶めた……!」
クルガンは仮にとはいえ、皇国軍を代表して、あの場に責任を持ったのだ。
それを。個人の裁量で勝手に裏切るなど。トラスタの民はもはや、この国を信用などしないだろう。この国の民を、この国が欺いたことになるのだ!
ぐ、とシードの剣を握る腕に力が篭る。
「………私とて、自分の身の程は知っている」
クルガンは、ゆっくりとそう言った。
「この国の名は穢れはしない。汚れるとしたら、貴方に対する私の名くらいだ」
「何を………」
「会談を壊したのはノエルです。彼女はその席でいきなり領主に斬り付け、悲願を果たした」
このおとこはなにをいっている?
ぶつり、とシードの体のどこかで音がした。
「そういう事です」
何処まで卑怯だ。
ノエルに、汚名を、肩代わりさせるつもりか。
最初からそのつもりで────
「貴様ッ………!」
無意識に体が動いた。
振り下ろした刃が、銀の髪を掠めて過ぎる。
怒りに任せた大降りの一撃を、クルガンは素早く体を返してかわした。
剣は地面に食い込む直前で返された。そんな隙は見せられない。
先程よりもさらに近く、直接手が触れる距離で睨み合う。
興奮でうまく回らない舌に苛立ちが募った。
「最初からッ、そのつもりで…………!!そんな謀略を……ッ!」
「いえ」
クルガンは一言で否定した。
この期に及んでなにを、とシードは苦々しく思う。
「これは謀略とは言わない。その類のものは、もっとさりげなくやるものです。加えるのは指一本分の力で充分」
クルガンは少し眉を寄せたようだった。
「…………反して、私のこれは乱暴過ぎる。殆ど衝動です、運に拠るところも大きい」
随分と力技の、杜撰なお遊戯だ。そうクルガンは自分の計画を評して見せた。
ひゅ、とシードの剣の切っ先が、クルガンの喉元に突きつけられる。
准尉は、今度は避けなかった。その基準はなんなのだろう、とシードはかすかに考えた。
まさか、口を挟む隙がある一撃とそうでない一撃を見抜かれているとは思いたくない。
「そんな御託は聞きたかねぇよ」
激情を押さえつけて、シードは呻く。
この刃先を、少し動かして制裁を加えるのは容易い。
「言い訳してみろってんだよ」
───弁明の機会を与えてくださっているわけだ。
そういえば、あの時この男は、面倒臭そうにシードにそう言った。
今も、クルガンの答えは変わらないのだろう。
酷く気に入らなかった。
「ノエルを利用したのか…………!!」
シードは唇を噛み締めた。犬歯が柔らかい肉を食い破る。
クルガンは、一度ゆっくりと瞬きをした。
「その通り、私はノエルを利用しました。許せませんか?」
その灰色の瞳は、シードではなく彼の剣の切っ先を撫でた。
無性に癪に障る。
「では選びなさい軍曹。選択肢は少なくない」
視線が、ゆっくりと軍刀に沿って上げられていく。冷えた感触が背筋を這い登る。
無意識に、刃先が震えた。
淡々とした空気の振動が、シードの鼓膜を射る。
「ここで私を殺し、ノエルを助け、その後反乱軍を潰すか」
「ここで私を殺し、ノエルを助け、第七師団が全滅するか」
「ここで私を殺し、ノエルを助け、ルルノイエに引き返すか」
「ここで私を殺し、ノエルを助け、貴方でも私でもない責任者の首が飛ぶか」
「ここで私を殺し、ノエルを助け、違う部隊が派遣されるのを見送るか」
「ここで私を殺し、ノエルを助け、その部隊が反乱軍を潰すか」
「ここで私を殺し、ノエルを助け、その部隊が全滅するか」
「ここで私を殺し、ノエルを助け、また別の部隊が反乱軍を潰すか」
「ここで私を殺し、ノエルを助け、また別の部隊が全滅するか」
「ここで私を殺し、ノエルを助け、反乱軍を潰すまで王に出兵を続けさせるか」
「ここで私を殺し、ノエルを助け、革命が成功するまで反乱軍が戦い続けるか」
喉が、詰まる。
シードは一瞬目を伏せた。
「選びなさい」
───選択肢は少なくない、だと?
とんだ大嘘吐きだ。
シードは擦れた声で問った。
全く、無様な質問だと思いながら。
「…………なんで全部に『アンタを殺す』が入ってる」
この突きつけた切っ先はなんだというのだ?
シードは自嘲した。結局自分も動いた理由は衝動だけだった。
「ノエルを助けるなら私を殺さねば不可能だ。私の選択肢はもう決まっています」
選択肢なんて二つしかない。
いや、結局の所。
「『ノエルを助けるなら貴方を殺す』」
選択肢なんて与えられていないじゃないか。
これが………これが!
なにかを守ることか。
なにかを捨てることか。
食い破った唇が苦い。
ノエルの信頼、クルガンの非情、ジェスタの横暴、シードの信念。
どれも、何か何処かが間違っている。
「…………選択する」
シードは唇を開いた。
軍刀が少しだけ進み、血が一筋流れた。