革命家。






『革命家』






「………………」

降ってくるのは平坦な視線。ノエルはかすかに身を硬くした。

灰色の瞳。
確かに目は合っているのに、まるでこちらを見ていないような錯覚を覚える。
風景を眺めるのと、同じなのだ。きっと。

どこかの誰かと同じような感想を抱いたことも知らぬまま、ノエルはクルガンを凝視した。

「何故…………」

ノエルは、この男の考えていることがわからなかった。
仮にも皇国軍に籍を置くものが、領主を惨殺するなどと。しかも私刑だ。

この始末を、どうつけるつもりなのか。

この場にいる者を全て殺して口封じをし、逃亡──?
いやまさか、そんなことはあるまい。ノエルには、クルガンがこそこそとハイランドを脱する姿など想像できなかった。それこそ勝手なイメージなのではあるが。

そうだ、そんな筈はない。
ノエルはすぐに思いついた。もっと良い方法があるではないか。
す、と胸の奥が凍りついた。

その予想を肯定するように、クルガンが口を開く。

「──ジェスタの殺害は貴方の役割だったのに、横取りしてしまった。堪え性がなく、申し訳ない」
「……やはり」

乾いて顎に張り付く舌を無理矢理引き剥がし、ノエルは震える唇を開いた。
この男は、自分が何をしているかがわかっているのだろうか?

「私に、ジェスタを殺させようとしていたのか……?」
「そもそも殺し合いをしていたでしょう。簡略化した方が犠牲は少なく済む」

悪びれた様子など、まさかクルガンが見せるはずもない。それくらいは、ノエルにも既に見抜けていた。
ジェスタの体から流れた血は、いまだ侵食範囲を広げている。

単純な計算で、全てが決定されるのか。

「簡略化だと……?」

普通の人間の神経では吐けぬ台詞だ。
やはり、クルガンはどこか狂っているのだろう。

その膚を一枚めくっても、中に詰まっているのは赤い熱い血ではない気がして。
この雰囲気に飲まれず抜け出す唯一の方法は、膝の上の頭の重みを確認することだった。

「殺したかったのでしょう?」

クルガンはあっさりとそう言ってきた。
手首の内側のナイフを見抜かれているような気がして、ノエルの鼓動が跳ねる。まさかそこに視線を遣るなどという愚は犯さなかったが。
クルガンはそれに気付いているのかいないのか、表情を変えぬまま、ノエルを眺めている。

ノエルは、明確にジェスタを殺したかったというわけではなかった。今更ながらに気付く。
只、許せなかった。ジェスタが、この地を苦しめておきながらのうのうと自分が主だとのたまうことが。

それを変えたかった。だから立ち上がった。倒そうと思った。変えようと思った。そしてジェスタは死んだ。
めでたしめでたし、か?

……既に革命は終わっているのか?

よくわからない。少し落ち着きたかったが、その余裕もない。
ノエルは細く息を吸い、音を立てずにゆっくりと吐き出した。

覚悟だけは既に出来ていた。革命を志したときから、既に命は捨てていたからだ。

わかっている。
きっと、ここでこの男に殺されるのだろうということは。

なんてくだらない、あっさりとした幕引きを用意してくれるのか。そこには、合理性以外に何もない。

ノエルはゆっくりとシードの頭を床に下ろし、立ち上がった。
抵抗くらいはしても良い筈である。ノエルは、す、と手首を握り締めた。

一歩、大きく足を踏み出す。
そこに声がかかった。

「訊きたい事があります」

つ、とクルガンが視線を降ろした。
ノエルは、それがたどり着いたのが自身の左手であることを確認する。

そこにあるものは、ナイフだけではない。

「──上級紋章。それに武器。何処で手に入れたのです?」

蜂起は人員だけでは起こせない。
それが可能になるまでの物資など、通常の方法で調達できるわけがない。
この反乱は、全く危ういところで成り立っていた。

我慢出来ないほど横暴な領主。カリスマ性を持つリーダー。
戦力差を埋める意志力。そして、立ち上がるための武器。

クルガンは質問を変えた。

「……誰に、与えられたのです?」

ノエルは黙して答えない。
クルガンは数秒は待ったようだった。だが、至極あっさりと返答をあきらめたように思える。

むしろ、最初からノエルが答えるわけがないと思っていたのかもしれない。

「──ノエル。貴方にはこれを差し上げましょう」

名前を呼ばれたことに何故か動揺し、ノエルは体を緊張させた。それから台詞の内容を理解し少し不快になる。
この男から、自分が何を与えられるというのだろう。

「受け取りなさい」

クルガンは、錆びた鎖をノエルの目の前に放り出した。
じゃらり、と鈍い音を立てる、手首を戒める拘束具。

──それは、罪人の証だ。

侮辱。
事情を全て知っていて、このような態度をとるのは何故だ。
この上ない、侮辱。

斬られるのなら、戦って終わるのなら、まだ救いがある。
軽蔑しているのは最後までこちらなのだから。

こんな屈辱は、許せない。

もう限界だ。この狂気には。
ノエルの両眼が、火を噴くように燃え上がった。

咆哮が喉を灼く。

「――このくだらない国に反抗することが、罪なのかっ!?」

灰色の目を真っ向から睨み付け、両手を机に叩きつける。
そのテーブルクロスには、赤黒い血が散っていた。この地に住む人々を苦しめた豚の血だ。

「違うっ!」

ノエルは首を振った。
紅茶色の髪がぱさぱさと頬を打つ。むずがゆい感触。

「あんただって、この男は死んで当然だと思ったのだろう!?領主に相応しくない!だから斬ったのだろう!?」

ノエルはジェスタの死体を顎でしゃくってみせた。
今はもう何も為すことが出来ない、蛋白質の固まり。

「この男だけじゃない!貴族達は平民なんて只の搾取の対象としてしか見ていない、王は無能で他国の侵略にしか興味がない!腐った人間だけがもっと腐った人間に取り立てられ、出世してまた悪循環だ……!」

罪があるのは、そちらの方だ。
他人の不幸の上にきらびやかな城を築き笑いさざめく。
自分達は、そんな奴らの満足のために生きているのではない。食い物になるために生きているのではない。

罪があるのは、そちらの方だ……!

「民の嘆きの声を聴いたことがあるか……?」

憎しみさえ込めて、ノエルはクルガンを詰った。
そう、間違ったことはしていないのだ。

「この国を正すには、誰かが立ち上がらねばならない!わかるだろう!?」

ノエルはそう言い放ち、また机を叩いた。荒い呼吸が部屋に木霊する。
その顔は、理想に殉ずるという信念に満ち溢れていて。
世界の正義を代表しているようにも見えた。

若き革命家を見遣り、クルガンは軽く一つ頷いて見せた。

「ご立派な思想。結構なことだ」

すう、と。
喉の奥に氷の塊を差し込まれたような。

薄く鋭い銀の刃。
それが首筋に当てられているような。ノエルにはそんな気がした。

「腐った国を倒し作り替える。改良。改善。より良い世界──」

灰色の目が一度閉じられ、また開かれる。
鋭い切っ先がわずかに、喉に、食い込むイメージ。

「成る程正しい」

クルガンは、静かにノエルを見ていた。
それだけの事が、何故か耐えられない。

無彩色の声が、響く。

「その中でどれだけお前以外の血(・・・・・・)が流れる?」

何気ない問いかけ。
答えるのは至極簡単なことだろう?その目がそう言っている。

「お前の正しさに引きずられて、どれだけの砂粒のような幸福が、まるで本物の砂粒のように、あっさりと踏みにじられるのか。と訊いている」

数えて見せろ。
クルガンは淡々と言い放った。

春先。種をまき、芽を出したばかりの畑は、領主と反乱軍との度重なる戦いで潰されている。
今年の収穫はあまり期待できたものではないのだろう。飢えは、また次の冬にも民を襲う。泣きながら土を囓る夜が続く。
鎮圧に出た皇国軍にも、先の夜襲により多数の死傷者が出た。同盟と戦って散ったのではない、同じ地に生まれた者同士での争いで。

何より、立ち上がった反乱軍自身が、その身を削り、その命を捨てて。
さあ、より住み心地の良い、より幸せな暮らしのため。悪を打ち倒し、汚い膿を出すために。復讐のため、自らの苦しみと怒りのために。
今の世界を踏み台にしよう。

正しければ、それらは許されるのか。

「……只のテロリストだろう?お前は。違うのか」

疑問の癖に否定を許さない響き。当然のような、断定。

ノエルの表情が、凍る。
万人の幸せを願った行為が、単なる破壊活動だと?
搾取され続ける運命を、大人しく享受しろと?

ぶるぶると唇を震わせ、ノエル激しくかぶりを振って叫んだ。
言わせたままにしておける筈がなかった。

「――貴様に、飢える子どもを見ていられなかった親の気持ちがわかるものかっ!」

この目に焼きついている光景。
この肌が感じた嘆きと怒り。

それを知らずに、勝手なことを。
勝手なことを……言うな。

「肉親を殺された怒りがどれほどのものか!」
「わからないに決まっている」

ノエルの激昂に──クルガンはむしろあっさりと答えた。

「苦しむ我が子を見ていられない親だと?だから戦うだと?ではその親が死んだら子どもはどうする。それからどうやって生きていく」
「それは」
「逆もまた然りだ。親の仇を討つために子は死ぬのか?其奴が生きる事を望んで死んだ者の仇を討つために、死ぬのか?」

クルガンの声には抑揚がない。
クルガンの顔には表情がない。

他人のためと言いながら。
考えているのは自分の怒りだけだろう、と。そう、淡々と言う。

「――それが間違いだと言うわけではない。義憤とは、愛情とはそういうものなのだろうからな……ただし」

クルガンは、自身の頬に一滴だけ飛んでいた血糊を拭う。
ぐい、と赤が引き伸ばされた。手の甲も、それに染まる。

ノエルはその様を見ていた。

「目の前の正義に踊らされるのは勝手だが」

行動を起こすなら。
最後の決着まで、考えることだ。

「責任は放棄するな」

どのような理由があろうと、戦いを起こしたのはお前達なのだから。
血は、拭われなければならない。再び、何かを費やして。

「それでも、何かを犠牲にしても……人として許せないものがある!得なくてはならないものがあるだろう!?」

ノエルには許せなかった。
自分達の行いが、罪だと言われることが。
この決意を。
この理想を。

汚されることが。

「この国は、間違っているんだ!正しいと思ったから、私達は戦ったんだ!!」
「国が間違っている?ああ、だから次はルルノイエに攻め上るのか。諸悪が全て、滅ぶまで」

灰銀の視線の温度が、下がる。
ノエルは気付いた。この男は──

「最後の一人になるまで?最後の一人になっても?――お前が見も知らない他人と、お前を慕う者を戦わせ、それがただ正義の為だけだと……?」

成る程、確かにジェスタはこの地に住む人々の暮らしを踏み付けにしたのだろう。
だがお前達も同じ事をしたのだ。し続けようと言うのだ。掲げるものが違うだけで。

その事実を、知れ。

正しいことなら罪にはならないと。
そんな都合のいいことが、あるか?

「お前の意志はお前にしか関係がない。それでも他を巻き込むというのなら、それなりの覚悟があってのことだろう」

ハイランドの民を傷つけたのは、お前も同じ。
ジェスタが死んで当然と言うのなら。

「お前も、死んで当然だ」

指導者の一番の役割を知っているか?
責任をとることだ。

クルガンの声は、ノエルを切り刻んだ。
極限まで薄く冷たい、その響き。

「流れた血は、命で贖え」

死刑台が待っている。

――ノエルは唐突に理解した。
理想も大義名分も、誇りも何もない。同情や共感も取るに足らない。もしかすると、善悪の区別も、ない。ノエルが正しくとも、ジェスタが間違っていようとも、この男が見ているものはそこではない。
クルガンの判断基準は、たった一つだけであると。

……この男には、容赦がない。




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シードは目を覚ました。
それは次の日の朝のことだった。

──皇国軍は、既に退却の準備を始めていた。

シードは、獣のように一声吼えると、駆け出した。
始末を、つけなければならない。