革命家。






『革命家』




厳しく長い冬を終え、雪解けによって川の水量が増す頃。
ハイランド皇国の南西部、ジェスタ・トーレルの治めるトラスタ領に、内乱が起こった。
民を率いて立ったのは、地方騎士の子、ノエル。若干二十一歳であった。





「――――全隊、止まれ」

涼やかな声が響いて、歩兵達は速やかに前進を止めた。
陣形を崩さず、そのまま指揮官の顔を仰ぐ。
隊列の先頭に立つのは、見事な鹿毛に騎乗した若い黒髪の青年だった。

アーネスト・ディグナーシュ少佐。
歴史に残る将軍を数々輩出してきた、名門ディグナーシュ家の六男。彼こそ、今度の内乱を収めるために皇王が遣わした皇国第四軍第七師団の最高責任者である。
いまだ華々しい戦績は立てていないが、二十歳にして少佐。同じような貴族の子弟達に比べれば、やや上の地位だ。

トラスタ領の領境、領地がすっかり一望できる丘の上に、皇国兵たちはたった今辿り着いたところだった。

アーネストは騎乗したまま傍らを振り向き、二つ年上の自分の副官に目を遣った。
彼は丁度自分の馬から下りてこちらにやってくるところだった。優雅な歩き方をする、といつも思う。
平民出では珍しい、銀の髪を綺麗に整えている。彫りの深い顔、彼の灰色の瞳を見ると、いつも猛禽類が連想された。

「クルガン」

呼びかけた。
反乱の報に、急遽編成されたこの軍。アーネストはまだ、この副官の能力と性格を量りかねている。
話しかければ答えは返ってくるが、自分からは余計な言葉を少しも口にしない。
階級は、准尉。およそ平民出が真っ当に登り詰められる最高位にこの歳で就いたのだ、無能な男ではないと思うが。

「今一度、戦況を確認したいと思う」
「は」

アーネストは視線をトラスタ領に移した。
クルガンはアーネストの背中を見据えながら、淀みなく言葉を綴る。

「ノエル率いる反乱軍は、領主館のあるノークの街に近い山腹の砦を占領し、今にもトラスタ領主、ジェスタ・トーレルの首を取ろうとしております。これに対し、我が軍は歩兵が千五百」
「敵の数は?」
「時と共に増加している、と。詳しくはわかりませんが、予想では千前後と。ノークの領主軍が対抗しておりますが、ジェスタの私兵です、三百に足りません。これはもう、落ちている可能性も」
「ふむ…………」
「如何に相手を砦から引きずり出して戦うかが鍵かと。ノークが渡っているのなら尚更です」

街には外壁がある。門を閉じてしまえば城塞の出来上がりだ。
アーネストは考えた。どうせ向こうは農民平民の寄せ集まりに過ぎない、剣を握って戦えば皇国兵にかなうわけもない。
武器も満足に整わないだろう、兵もこちらの方が多い。勝ちは見えている。
だが、あっさりと、スマートにいきたい。

「もう少し、詳しい情報が欲しいな」
「は」
「偵察を立てよう」

ここからノークまで、二日ばかりかかる。
アーネストは偵察隊を先行させることにした。

ただ勝つのではなく、鮮やかな手並みで。
そう思うのだ。




+++ +++ +++




「ワーオ」

山。
他に言いようがない。
我先にと伸び出す新芽が、眩しく辺りを緑に染めている。

「喜べ、野性に帰れるぞ」
「軍曹…………」

情けない部下の声を、彼は黙殺した。
見えるのは、ノークの外壁、まわりにある農村、そしてそびえる山。
砦は山腹の緑の中に埋まっていた。
かろうじて、その片隅がここから見える。

ノークはまだ落ちていなかった。つまり、偵察すべきなのはあの砦だ。

シードはがりがりと、派手な赤い頭を掻いた。
十九歳、軍曹。今回は偵察隊を任された。
隊員は二等兵が八人、三等兵が二人。

ここまでは馬を駆って来たのが、これからはそうもいかない。
偵察が目立ってどうする、それ以前にあの山は馬では登れない。のこのこと山道を歩いて行くわけにもいくまい。
くるりと振り返って、シードは僅かな部下を見遣った。

「この中で、体力に自信のある奴は?猿と暮らしても未練はない、ってのも動機としてはOKだ」
「…………………」

じ、と視線がシードに集中する。流石に、指さす者はいなかったが。

「オマエら………正直過ぎるってのは美点じゃねぇんだぞ」

渋面を作ると、シードは手早く命令を下した。

「春の体力テスト、平均値の低い奴から一列に並べ」

さっ、と流石に軍隊らしく、兵士はすばやく隊列を作った。
それをざっと眺め渡す。

「えーと、まず、ノークが落ちてないことを本部に知らせる伝令が二人。馬の世話して、ここで待機するのが一人。農村で聞き込み見聞をするのが、こっから半分。残りの四人は登山」

シードは十秒で役の割り振りを終わらせた。

「明日の昼には、ここに戻ってくるように。聞き込み部隊は帯剣禁止。えと、俺が帰ってこなくても時間になったら本部に戻れよ?当たり前だが、予測不可能な事態に陥った場合は各自の判断で動け」

言いながらがちゃがちゃと鎧を脱ぎ捨てると、シードは伸びをした。了解、と一糸乱れぬ返事が返ってくるのを心地よく聞く。
腰に差した剣を確かめる。手袋も重ねた。

「…………………」

シードは動き出した部下達を見遣り、それから自分を見、また山を見た。
山は一面、緑。少し混じるのは、雪の白。

「めちゃくちゃ反対色だし………」

溜息を吐くと、シードはカーキ色のバンダナで頭を覆った。
ただ、後の結果から言えばシードの髪が目立とうが目立つまいが、それは全く関係なかったのだが。





「目標確認」

もうすぐ日が落ちる。

辺りが全くの暗闇に沈む前に、何とかシードは砦の側に辿り着いていた。
まだ少し雪の残る地面に伏せ、砦を見下ろす形で、山壁に少し張りだした場所に落ち着いていた。砦からは、死角になっているはずである。

道のない山中を進むのは、思っていたよりも更に困難だった。途中で一人が足を挫いたのを、一人を付き添いに送り返した。
それから少し進むと、傾斜四十度近くの斜面が延々続いていた。そこで残りの一人が、雪に足を取られて派手に地面を崩しながら転がり落ちた。
運良く彼に怪我はなかったが、崩れた斜面はもう登れず、先を進んでいたシードはもう戻れなかった。

結果一人で山中訓練である。

「クソ、挫くような足はもとから斬っとけ、崩れるような地面は平らになっとけ!」

不機嫌さを隠そうともせず(そもそも隠す相手がいない)、シードはぶつくさと悪態をついた。
地面につけた腹から冷気が忍び寄ってくる。一応コートを着ているが、夜になれば凍えてしまうだろう。今日は徹夜だ。

シードはもう一度首を伸ばして、砦を見下ろした。
別段、歩哨が立っているわけではない。今いるのは、冬の間に積み上げたのだろう雪山を、少し切り崩して盥にあけている娘だけだ。溶かして洗濯にでも使うのだろう。

この辺が皇国軍とは違うんだな、と思った。普通、砦に娘はいない。いたとして、お偉い将校さまの夜伽に、娼婦が一人二人。後は皆兵士だ、煮炊きをするのも、洗濯をするのも。
反乱軍、といっても、彼等はほとんど本来なら畑を耕す人種だと聞いている。

相手としちゃ不足だよな、とシードは溜息を吐いた。

「さーて、どうするかな」

まず、敵の人数と備蓄くらいは調べたい。出来れば、武器の数と砦の構造も。
例えば今、一番簡単なのは、シードの二十メートル程下でせっせと働いている娘をさくっとさらって、腰のものを使って脅して、内情を吐かせた挙げ句強姦でもした後、殺して死体はその辺りに捨てる、といった方法だ。

しかし、そんなことは考えもつかないくらいには、シードはまだ純粋だった。

取りあえず日が落ちるのを待って、砦の壁でも登って忍び込むか。と、やや乱暴な手段を思い付いて、シードはそろそろと首を戻した。

――――みしり。と、不穏な音。

「あ?」

シードは間抜けな声を上げた。

「え、やば、ちょ、ちょっと待て十秒待て」

誰にだかわからないがとにかく話しかけつつ、シードは這ったまま後退しようとした。
だが、それは少し遅かった。

「おい、やめ―――」

足元の、確かな支えの感覚が消える。げ、と濁った声を上げ、シードの顔が見事にひきつった。
春先、雪解けで弛んだ地面が崩れ、シードは砦の鼻先へと転落していったのである。

翌日の昼、集合場所にシードは帰ってこなかった。