GO or STAY!






ダウンタウンを抜け、ミドルタウンを駆ける。駆ける駆ける駆ける。
俺は何故だか一瞬も立ち止まらなかった。息が上がっても心臓が悲鳴を上げても傷口が痛んでも、今は走りたかった。
や、ミドルでは人通りの多いところを狙ってルートを選ぶくらいの頭はあったけどな。今の俺には敵ばっかりいるモンで、気を抜いたら即アウトだし。敗者復活戦もナシだからよ。

無作為に走ってるワケじゃねェ、ちゃんと目的はある。
俺がホントは誰だか知るって言ったって、それには障害が沢山ありすぎるから、喚いてるだけじゃ絶対ェ解決しねぇし。
じゃ、絶不調の脳みそを無理やり回転させて出た結論とその過程を繰り返してみようか?

パスティスの秘密の実験、いや認めるの嫌だから誤魔化してんだけどぶっちゃけ人体実験の資料なんて極秘中の極秘だろうし、そう簡単に見つかる訳がねえ。つーかそもそもパスティスのアジト(っていうのか?多分複数あるだろ)すらわかんねぇんじゃ仕方ねえだろうから、まずはその場所を知ることだ。
そして現在の状況。良く考えればスモーカーなんぞにその事がバレたってのはエースが逃げ延びりゃ当然伝わる事で、そしたらパスティスは証拠隠滅を図るだろうし、もしスモーカーが運良くそういうのを押収できたって俺にゃ見せてくれねぇだろうし(イヤその前に『サイレンサー』扱いか?それとも精神鑑定?保護観察処分?俺がトーマスって事になっても、それが本当だって信じられるか?)。
どっちにしろ、そうなると俺は拘束されるか、それとも奴らの優しい嘘を疑う事しか出来ねぇだろう。もうちっと細かく分類すると、刑務所か精神病院かアイデンティティを喪失したままの人生。超最低。

つまり俺は、急がなきゃならない。急いで相手の懐に突っ込んでいかなきゃならない。

やるべきことはわかってる。
スモーカーよりもパスティスよりも早く、俺が誰かっていう証拠を見つけて、んで逃げ出す。
無理?無理。
頭の中で俺Aと俺Bが会話する。それで次、俺Cの発言。
でもやるんだろ?
俺AB、YES.
……イヤ俺ホントに高純度で阿呆だな。

でも、俺はここで諦めるわけにはいかねェからさ。
俺が持ってる全てのカードを使っても(や、全然足りねぇけどね)、この問題をクリアしなきゃ先に進めねェ。……それがいかに高い壁で、なんつーかむしろ掘削機とかミサイルとかでぶち壊さなきゃ通れないんだけど俺はカネもコネもなくって更に言えば明日のメシも確保できないってな状態だったとしても、だ。

っつか、でも、考えようによっちゃ、今はちょっとしたチャンスかもしれねェよな。
もしスモーカーが動き出したら、パスティスだって呑気に構えちゃいられねェだろ。アレだ、俺が狙うのは漁夫の利って奴だ!頭のいい奴ポジション!
いや、夢見たいんで放っておいてください。

今から考えても仕方ねェけど、資料とか読んだだけでわかるかな、俺の事。
まあ、別に資料じゃなくても、俺をスイカ扱いしてくれた(半ば被害妄想だ知ってるけど)丸オヤジみたいな、ああいう奴から聞き出すんでもいいんだが。でもどうやったらんな美味しいシチュエーションに持ち込めるかが全くわかんねぇから保留。

そんなにたいした事を俺は求めちゃいない。
詳しい事は別にいいんだ。ただ、俺が、俺というこの存在のベースが、どこにあるのかさえ誰か証明してくれればいいんだ。

俺の体は誰のものか、この顔は誰のものか、聞こえてくる声は俺のものなのか、俺の記憶はどうなってるのか、海に捨てられた男は誰で、ここで走っている男は誰か。
俺はサンジと名乗っていいのか。

それを知らないと、俺は誰とも向き合えねぇ。
俺の向こうに誰かを見てる奴とは特に、向き合えねぇ。

「……」

ってな訳で、俺は情報とアドバイスを求めてひた走ってる。
情報源は──残念ながら、ひとつしか思い浮かばなかった。あーイヤ全く、こんなに選択肢が限定されてる人生、ゲームだったらプレイヤーから苦情来るぜホント。だったら俺がクレームつけるべきなのは誰だ?神様か?
違うな。
俺は、誰かに俺の人生とか人格のショボさの理由をなすりつける気なんかねェぞ。だってさ、俺、ぶっちゃけ滅茶苦茶格好悪ィじゃん?色んな人に迷惑かけてんじゃん?それなのにこの上超自然的存在にまで縋ろうなんざ、ちょっと甘ェんじゃねえのって話だよ。

だから、つまり、この期に及んでか弱いレディに頼ろうとしている俺の情けなさは全て俺に責任があるって事です。俺はわかってます。確信犯だけにタチ悪いです。つかほとんど開き直りです。

呼吸を整えながら、速度を落とす。
アップとミドルの中間くらい。小奇麗な町並み。俺にゃ、似つかわしくねえ空気だ。
一応尾行かなんかを警戒してぐるぐると変な道とか通ってきたんだけど、大丈夫かな。

巻き込みたくないし、今更どのツラ下げて会えるのかわかんねぇ。
けど、味方だって言ってくれた。その優しい言葉に甘えてもいいだろうか。この我侭の為に、彼女のテリトリーをひとつ、危険に晒しても?

力になって、くれるだろうか?

俺をここにかくまってくれたって事は、そんで一ヶ月も安全だったって事は、ここは奴らの盲点だって思ってもいいよな?
今日この時に彼女がここにいるかは不明だけど、祈ろう。そんで謝って、土下座して、懇願して、パスティスの本拠地とか教えて貰う。スゲェ難しいミッションだ。一番の問題は金がねぇ事だ。

震える指で、インターフォンを押す。

ぴーんぽーんがちゃん!

音が終わるか終わらないかのうちに、扉が開いた。まるで今か今かと俺を扉の内側で待っていたようなタイミングだ。
心の準備もまだ出来てない。俺は慌てて一歩下がって(出なきゃきっと鼻を骨折してた)、彼女の金茶色の目が一瞬驚きに大きく見開かれるのを見た。変わらずお綺麗ですね。
取り合えず言おうと思っていた言葉優先順位第一号が、勝手に口から飛び出る。

「ゴメ」

ぱしぃん!

ン。ナミさん。
そう言う前にビンタ食らった。え?え?ちょっと早すぎねえ?

と思ったらぐいっと手首を引かれて(痛い!)家の中に引き摺り込まれた。ばたん、と扉が閉まる。
ドアマットの上に突き飛ばされて、一言。

「この馬鹿!」

ごめんなさい。
俺はわけもわからず心の中でもう一度謝った。怒れるレディに太刀打ち出来る存在は地上に存在しねぇと俺は信じてる。でも展開が高速すぎる。なんか色々省略されてないですか?

燃えるようなキツい視線。
なんか、頼みごとするような雰囲気じゃねぇな、うん、なんつーか俺、正座とかしなきゃダメかな?

「サンジ君、アンタって、ホント」

ナミさんはそこで言葉を切ると首を振った。何とか冷静になろうとしてるらしい。
怒ってる彼女はとても綺麗だけど、そんな事を今言おうものならきっと俺は明日の朝には生ゴミ収集車の中だ。

「──ゾロのガードを、断ったんですって?」

……またイヤな名前を聞いちまった。つか、まだ半日も経ってねぇのにスゲェ情報早いですね、ナミさん。

まあ、断ったっつーか、開放してやったっつーか、とにかく縁は切ったな。
あの目で見られる事に俺は耐え切れなかったし、アイツだって俺を見ている事が耐え切れなくなってたと思う。
双方、合理的な結論に納得した上で、円満にお別れしましたよ?

「……ああ、ハイ」

頷いた途端、彼女の手にぎゅっと力がこもったのがわかった。
侮蔑の混じった声。彼女の言いたい事はわかってるつもりだ。

「──ゾロに守ってもらわなかったら、自分がすぐ死ぬって、わかってる?」
「……ハイ」
「サンジ君は、死にたいワケ?」
「イイエ」

ナミさんはすうっと息を吸った。そして吐いた。
俺の背骨が硬直する。無理もねェ。
ナミさんは、少しだけ声を低くした。

「じゃあ、なんでゾロと別れたの?まさか、顔を見るのが嫌になったとかそんなくだらない子供っぽい理由じゃないわよね?」

すいません限りなくそれに近いです。
俺はからからに乾いた唇を舐めた。全く、俺、何やってんだろう。一分一秒を争う事態じゃねェんだろうか。
女教師と居残りさせられてる生徒。そんなシチュエーション、AVでもなきゃちっとも楽しくねェ。

「俺は……逃げたくなかったんです」
「──」
「アイツは……俺を守る為かも知れねぇけど、俺をこの世界から隔離しようとした」

逃げろ、と。
それは俺の呼吸を守る事かも知れないけど、命を守る事じゃねェのに。

「俺には、やらなきゃいけないことが多分、あるんです。それが何か忘れちまってるんだけど、俺、何か約束した事があるんです」

わー、結構支離滅裂祭り。
冷静な小さい俺がそう言ってるのはわかってるけど、声が震えないようにする方が俺的に優先順位が高ぇんだ、悪ィな。

「守られたまんま安全地帯まで逃げ出したら、俺はきっとそれを思い出せない。きっと──」

どこかに、俺を待ってる人がいる筈なんだ。
それを俺は放っておけねェんだ。
泣いてるかもしれない、ソイツを。

「その為に、俺は、俺が誰だか見つけなきゃいけないんです」

ナミさんは深いため息をついた。
そして、俺の前に立って俺の目を覗き込んだ。鋭いままの瞳。

「その為にゾロを切ったのね?」
「……ハイ。でもきっと、その方が奴だって──」
「あのね、サンジ君」

俺の言葉を乱暴に遮って、ナミさんは綺麗に手入れされた爪で同じく綺麗に手入れされた髪を掻き揚げた。
苛立っている。苛立ちながら──それでも俺に、何か言ってくれようとしている。

「ゾロはね、アンタと別れてからすぐここに来たわ」
「え」
「サンジ君はって言ったら、電話して頼んできたって」
「は」
「それで、パスティスの内情を詳しく聞いてきた」

あの、緑腹巻がなんだって?
厄介事(=俺)から離れて、高飛びの準備でも始めてるんじゃないのか?……だって、奴にとっても、この街は安全じゃねェんだろう?
電話──電話って、え?
それは、『ファイアブランド』に俺の居場所をリークしたって、その事か?
それとも──それ、とも。

「パスティスは大きな組織よ。全部が一枚岩じゃない。サンジ君を狙ってる奴らは、パスティスの中の一部分で、暗殺チーム育成機関みたいな所よ」

なんで?

「この前アンタがさらわれたあの場所、そこ以外にもそいつらが根を張ってる場所があるのかって、そう聞いてきた」



なんで?



「多分そこがそいつらの本拠地だって言ったら、そうか、って」
「──」
「それだけで、出て行った」

ナミさんは俯いていた。
いきなりの展開に、俺は、どうしたらいいのかわからなかった。
心臓がぎゅうと締め付けられる。胸が苦しい。
なんで、そんな。

冷たい声が俺の鼓膜を突き破った。


「──潰しに行ったのよ」


一人で?
あの、無表情で?
何も──何ひとつ、言わずに?

俺には、何も、言わずに。
声が、震えた。


「な、んで」


どん、と綺麗な手が、壁に叩きつけられる。
堰を切ったように、ナミさんは声を荒げた。

「……さっき、アンタは馬鹿だって言ったけど訂正するわ。アンタ達は馬鹿よ。アンタも大概頭悪いけど、アイツだって負けないくらい馬鹿なのよ。それくらいわかってよ馬鹿。馬鹿野郎。何?アンタ達って馬鹿が褒め言葉にでも聞こえてる訳?」

乱暴な言葉だ。耳に痛い罵倒。でも、俺はナミさんが傷ついているように見えた。
ひれ伏して謝りたい。でも、そんな事は出来やしない。

「馬鹿は一人で行ったわよ。アイツは真っ直ぐ全力で馬鹿なんだから、そうするより他にどうしようもないじゃない?」

わかりなさいよ、ってもう一度言われた。わかるわけがない。
苦しい。息が出来ない。どうしてこんな事になる。
俺は、そんな事をして欲しくて、アイツから離れたんじゃねぇ。そうじゃねぇんだ。

「アンタがアイツになんか守られたくないってんなら、そうか、つって敵倒しに行くのよ。勝ち目もないのにいくのよ。それがアンタを守る事だなんて自覚なんてないわよ。わかってないのよホントに。ただアイツはしたいことするだけなのよ」

俺にはわからなかった。
だって、アイツは、俺の事なんかどうでも。

「死ぬとか怪我するとか痛いとか辛いとか苦しいとかしんどいとか、アイツにとってそんなのより大事なものはきっと──」

言葉を切って、ナミさんは顔を上げて俺を見据えた。



「あのね、今ここで何でアイツがそんな事するのかって聞いたら、はったおすわよ」



「────」

それでもいい。殴っていい。このわだかまりを吐き捨ててしまえるなら。
俺は、それが聞きたいんです。
目が痛い。
わけがわからなくて俺は呻いた。

「だって……だって」

俺は。
『サイレンサー』じゃねぇんだ。

「俺は、奴の望むモンになんか、なれねぇのに」

なんでそんな事するんだ。本当にいい迷惑なんだ鬱陶しいんだ何度も言ったろ。
なんで俺なんか守ろうとするんだ。俺は、テメェの為に何もしてやれねぇのに。

そんなのって、ないだろ。

馬鹿か。
無表情で俺を見下して、そのまま立ち去ればよかったんだ。
テメェの欲しいモンはもう何処にもないって納得して、そのまま。それが道理だろ。
それなのになんでテメェは命捨ててんだ。ヒーローか。サイボーグか。テメェがホントはそんなんじゃねえってなんで今気付かせる。


俺は。
お前の為に何かした事なんてないのに。


「俺は、ホントに、何も出来ねェし、あいつに優しくなんてした覚えもねェし、アイツが見てるモンは多分、俺の顔とか声だけで、俺は、アイツの事なんて知らねえし、好きな事とか、物とか、食いモンとか、好みのタイプとか、なんもわかんねェし、世間話だってした事ねェし、名前だって、ちゃんと呼んだことなんか、なくって、」

ああもう。
テメェなんか嫌いだ。

「期待に応えることなんか、できね、」

もうダメだ。俺は混乱してる。
ナミさんの手が、腫れた俺の頬を撫でた。無様な顔を見せたくなくて、俺は俯いた。畜生、テメェのせいだ、こんな美味しいシチュエーションなのに、俺はなんで他の事考えてるんだ。
やってらんねぇよ。
ホント、誰かどうにかしてくれ。あの馬鹿をなおしてくれ。……俺の為に、死なせたりしないでくれ。

「サンジ君」
「……ハイ」
「アンタ達ってホント馬鹿。いつだって、相手の背中ばっかり追いかけてる」

そんな優しい手つきで、そんな事言わないで。
泣いてしまいそうだ。

「──私に聞きたい事があるわよね?」
「……ハイ」











全力で走りながら、汗とか血とか色々なものを垂れ流しながら、俺は思った。
あの野郎は馬鹿だ。

もう三歩走って思った。
俺も馬鹿だ。


レディはいつも正しくて、俺はいつも馬鹿だ。