GO or STAY!






「お前の気持ち、ちょっとはわかるつもりだよ。俺はさ」

ああそう?そりゃスゴい。今まで誰もそんな事言ってくれなかった。そんなムカつく台詞は。

肩までの長さの縮れた髪の毛をふって、男が顔を上げた。目が合った瞬間、背筋が凍る。
確かに笑みは浮いてんのに、凄く──ぞっとする、表情。瞳は、ガラス玉なんかじゃなかった。
そこにあるのは、暗い、深い穴。覗くのはきっと、絶望だ。

「俺もなァ……殺されちまったんだ。『シュライヤ』も『エース』も、一緒くたにな」

だから、意味わかんねェって。
そんでもって──わからなくって、いい。俺は今、凄く怯えてる。
誰も俺に何も教えてくれなかった。それに腹が立った。ふざけんな、って思った。自分の知らねェことで殺されるなんて、真っ平御免だろ?誰だって。

だが、これから言われる言葉に、俺は耐え切れるのか?

「お前、カワイソウな子なんだよ。俺と同じくらい」
「……」
「カワイソウだ」

俺は、可哀想なのか。そうか。
なんだか呼吸が苦しい。そうか──そうなのか?俺はここで納得しなきゃいけねぇのか?

苦笑された。呆れたように、懐かしそうに、そう見えるように、苦笑された。

「まだ、認めたくないか?そんなに震えてるのに?」

なんで、俺はこの笑顔を太陽みたいだって思ったんだろう。一瞬でも。
こんなに、こんなに、怖いものを。俺はこんなもの、みたくなんてなかった。知りたいと思ったのは、こんな事じゃなかった。イイワケか、これも。
自分にだけはこんなひどいことが起こる筈ないなんて、誰が決めたんだっけ?俺法律?

「頭、痛くない?」

YES.

「逃げ出したくないか?」

YES.

「嘘だって言いたいだろ?怒鳴り散らしたいだろ?夢ならマジハッピーだろ?」

YES.YES.YES.

「誰でもいいから殺したくなるだろ?」

──I can't.

「そう──俺もそうだった」

俺を見つめる視線には、本当は、哀れみとか同情とかは、多分、全然ねェんだろう。
俺の顔が歪んで、俺が苦しんでるのはわかっても、手を貸してくれる気は全然、ねェんだろう。
ま、こっちから願い下げだけどよ?

「……知る、か……」
「いい加減、逃げるのは止した方が良いぜ。お前は、誰に何をしたのか、誰に何をされたのかもわかっちゃいねェんだ」

軽いため息をついて、男は帽子を被りなおした。
鼻の先に人差し指を突きつけられる。

「理解しろよ。あんまり時間を無駄にするのもなんだし、心の準備とか、待ってらんねェから」

やめてくれ。と、反射的に思った。屈辱。
こんな──こんな弱さを、見たくなかった。こんな種類の弱さを。肉体的なモンだったら、まだ許せたのによ。
深刻にミジメだ。

「……サンジはさ、俺と同じで、『アルマニャック』の優秀な駒だった。基本イイヤツだったけどね、やっぱり組織の人間だった」
「ひ、と…ゴ…」
そう、まあ、人も殺した。殺さざるを得ないときはね……その立場に満足してたかは知らねェよ、それは聞いてもどうしようもねェ事だったからな」
「……」
「四年前、『サンジ』っていう駒にひとつの命令が下った──スパイとして『カルヴァドス』に潜入、ついでに『デアデビル』に取り入って、出来れば殺すこと
「……ロロノ、ア?」
「ゾロ。危険で難しい任務だ。失敗することもそりゃ、考えられた。だが、サンジは失敗するどころか──イヤ、これはあんまり関係ねェ話か」

語られるのは、俺には全然わからねェ話だ。
でも……だったら、指が震えるのは何でだ?ノックの音が、だんだん乱暴になってくるのは?これは、俺の心臓の音か?

「まあつまりなんつーか、結局のところ──サンジは、駒から犬になっちまったんだ。優秀だったのによ」

喉が渇く。頭痛は、治まろうとしていた。
ノイズが薄くなっていく。……それは俺にとって、イイコトだろうか?

「噛み付くんじゃ犬は処分決定だよなァ。だが、また躾け直せば使えるかもしれない」

俺みたいに。と、男が続ける。
そこに自嘲の響きがあれば、まだ良かった。だがそれは単なる論文発表に聞こえた。
事実を並べるだけの。

「パスティスは、人体実験をやってる。人の頭の中身を研究してるもんでね」

ああ──だから、実験。実験か。あの丸オヤジにサンプルって言われたのは、それなのか。
つまり俺には人権なんざないんだな。イヤ、そんな気はしてたんだけど、こうもはっきり言われちゃうとね。

「こういっちゃ馬鹿みたいだが、不老不死の研究だ。『性格』を形成するのは『記憶』だからな」

ノイズはもう聞こえない。

「催眠、投薬、移植──そこでだ」

嗚呼──無性に口寂しい。
ノックの音がもう聞こえない。多分、隔ててた扉がないからだろなァ。なあ──あの音は、お前だったのか。

「『サンジ』の顔をしたお前。だが『サンジ』の記憶を持たないお前。──さて、お前は何だ

じゃあ、アンタは誰だ?
『エース』、もしくは『シュライヤ』。そりゃ正確にはそういうしかないよな。

「お前は整形手術を受けたのか?」
「お前は記憶を入れ替えられたのか?」

二人の男が消えて、一人は海へ沈んだ。
もう一人は?

パスティスが欲しがったのは──優秀な能力だ。
パスティスが欲しがったのは──従順な性格だ。

「まあ俺も専門じゃねえからよくわかっちゃいないけどな。お前が──」

『トーマス』なのか。『サンジ』なのか。

「でもまあ、推測は出来る。自分で決めてみな?選択肢をやるから」

選択肢?
そんなモンに、意味があるのか?

何かを選んだら、俺は楽になるのか。
頭痛から開放されても、俺は楽にはなれなかったぜ?
それどころか、史上最低の気分だ。マジで。

「お前は、トーマスの記憶移植に成功した、サンジの抜け殻か」
「お前は、サンジの記憶移植に失敗した、トーマスの抜け殻か」

俺?
俺って、どの部分だ?

「お前は、誰だ?」

死んだのは、誰だ?

みな、俺の中に何を見た?
あの呼びかけは、誰への?

ははは、とエース(あるいはシュライヤ)は笑った。
まるっきり面白がっている子供の笑いだったが、俺にはわかった。コイツは、笑いたいわけじゃないんだ。
確かに──カワイソウ、かもな。

お前らは、混じり合ってる

『サンジ』、もしくは『トーマス』か……長すぎるって。
クソ面白くねェ。笑えねェよ。

「トーマスの記憶があるくせに、自分をサンジだと言って、鏡を見ても疑問にも思わない」

だって、俺の顔だ。
俺、の、顔、だろう?

「中途半端だから面倒なんだ。戦い方も覚えてねェのに隙を見て脱走するし、『トーマス』の部屋に逃げてアイデンティティ守ろうと足掻くし。その様子だと、多分都合の悪い記憶とかは捻じ曲げて捏造してたんじゃねェのか?ご苦労様」
「俺は……」

俺は。

「サンジ、だ」

記憶がどうとか、トーマスとか、そんなの知らねェよ。
俺は、サンジだ。でも『パスティスのサンジ』じゃねェ。『サイレンサー』でもねェ。

マキノさんの店で、皿と床を磨いてた、小市民だ。
それじゃ駄目なのかよ。誰が決めたんだそんな事。

「……だからゾロも、お前を憎んだらいいのか守ったらいいのか、わかんねェんだろな」
「関係、ねェ……」
「お前はサンジか。まあイイぜ、言うのは自由だ」

男は立ち上がった。
そして、

がんっ!!

背を預けていた壁が、派手な音を立てて揺れる。
ブーツのつま先が、耳の横三センチを掠めて過ぎた。髪が踏みつけられ、ぶちぶちとちぎれる。痛み。

「──俺はお前を『サンジ』とは認めねェよ。トーマス、お前は人を殺したこともねェんだろ?」

そうだ。
面倒事は勘弁だし、争い事は御免だ。俺は、人畜無害で平凡な、その他大勢。
道端にコインが落ちてたらそれだけでその後半日は幸せで居られる。

「『サンジ』にお前は必要ない。お前はただの、亡霊だ」

亡霊か。
コイツは、俺を『パスティスのサンジ』にしたいのか。
ロロノアは──『サイレンサー』に?

だから、俺は、いないのか。どこにも。
マキノさんでさえ、俺を見てはくれなかったのは、そういうことか。

「『パスティス』はお前を消す。警察にでも見付かったらマズいからな」
「……」
「だけどな、俺は……『サンジ』はまだ使えるんじゃないかと思ってるんだぜ?サンジは俺に懐いてくれてた。ロロノア・ゾロが嫌いになったなら丁度良い」
「……」
「俺が口添えすりゃ、まだ命は助かるかも知れねぇ。『サンジ』を選べよ──生き延びたいなら。思い出せないなら、俺が教えてやるさ。銃の使い方も、人の殺し方も」

踏みつけられていた髪が開放される。
太陽を背にして、俺を見下ろしてる、その顔。安心させるように、陽気に投げつけられる台詞。





「まだ生きてるんだ。チャンスはあるさ」




──これは、致命傷、だ。
軽い言葉が、冗談みたいに深く突き刺さる。ああ、そうか。
そうか?これが──真実なのか?フィクションじゃなく?

「おい、どした?そりゃまあショックだろうけど、大丈夫だって言ってるんだぜ。喜べよ」

違う。
叫びたいのに、喉がふさがれて声が出ない。

「『サンジ』になりゃあいい。俺はサンジを、いや、お前を、気に入ってたし」

そうじゃねぇ。
そんな事はどうでもいいんだ。

「なあ、サンジ。死にたくないだろう?

じん、とどこかが焼き切れた気がした。
死にたくない、だと?

そんなことがまだ言えるのか?今の、『俺』は。
酷ぇ。とにかく、なんか、酷ぇよ。

「あ、は……は」

笑ってる。俺は笑ってるのか?
込み上げる。目が熱い。
なあ、アンタ。
『シュライヤ』だか『エース』だか知らないが……アンタは。

「……アンタは、ホントに…そう思ったか……?」

真実を知ったときに、さ。








そいつには、親はいなかったが、そいつには友達がいた。愛すべき人々がいた。
皿洗いが得意で、コーラが好きで、子供にゃ手を上げなかった。
泥の中で生まれたのに、それを恨まなかった。
理不尽に殴られても、それを恨まなかった。
ゴミ箱を漁りながら、それを恨まなかった。

世界を恨まなかった。
そいつは真っ当に生きてた。



でも、此処にあるのはその記憶だけだ。

そいつは、ハールヘル湾の底でコンクリート詰めになってる。
まるで、いくらでも生産のきく使い捨て容器のように。

マキノさんはそいつに、もう二度と会えない。
もう二度と、俺は誰にも会えない。




俺は──俺の喪失に、泣いた。