GO or STAY!




「スモーカー警部」

コンコン、とやや乱暴なノックの音がして、返事を待たずスチール製の扉が開いた。
入ってきたのは面白みもクソも無ェ黒のスーツをそれなりにきちりと着込み、髪をぺったりと真ん中で分けた眼鏡の男。っつーと普通のカンジを受けっかもしんねェけどそれは巨大な間違いで、髪型にはもうちっと特筆すべき点がありまくりだ。まあだから、その髪だけで今までの普通なカンジの説明は相殺され切って結果トータルすれば普通度はマイナス。
なんつーか?形を例えて言うなら数字の3?みてェなのがオブジェっぽく頭のてっぺんにくっついてんだが、アレは流行を先取りしたニューウェーブなのか?火星とかの。

ひそひそと、こっちに聞こえねェように、スモーカー(多分)の耳に手を当てて男が何か囁く。
スモーカーは一瞬眉間の皺を深くして、まだ長い葉巻を灰皿にギュウと押し付けて、机を蹴るようにして立ち上がった。ジャケットを引っ掴み、男と入れ替わるようにして部屋からすたすた出て行く。
去り際に、

「しっかり見張っとけ」

と一言を付け加えて。
がちゃん、と、大きな背中を飲み込んで扉が閉まる。

「…………」

途端に、メガネ男の目つきが豹変した。
うっすらと浮かべていた愛想笑いらしきものが消え、冷徹なものが宿る。

「立て」

俺はきょとんと男を見上げた。What?
気に障ったのか、男は苛々と首を振って再び命令。

「立てと言ってるのだガネ、聞こえないのカネ?」

嫌味ったらしい口調。俺はひとつ瞬きをして、男の顔をまじまじと見直した。
値踏みするように細められた目に小狡しそうな角度の唇。貧相な鼻。ついでに視線を下ろせば、ヒョロい体。
……なんだか、物凄く頭が痛ェ。

男は俺の手首をぐいと掴んだ。
じん、と痛みが走る。顔をしかめたのにまったく無視され、男は──小さな鍵でガチャリと手錠を外した。
え?良いの?……でもまあ、俺に好意を持ってねェのは丸わかりだから、きっと碌なことたくらんでねェなコイツ。

「早くしないとスモーカーが戻って来てしまうガネ……」

気分の悪くなる顔から目を逸らし、部屋の中を見回す。
散らかってるけど、見事なまでに物の少ない部屋だ。俺の座ってるスチールのチェアセットと、なんだかファイルが数冊立てかけてある棚、ブラインドの下りた窓。散らかってるっていったのは、部屋中に撒き散らされた紙のせいだな。あーあ、貴重な資源がよ。エコって言葉はもう耳慣れすぎて新鮮味がねェのか。
溜息をついてズボンのケツポケットや胸ポケットに手を突っ込んだが、目的のものは入っていなかった。つか空だな。

くしゃり、と髪をかき回す。頭痛が酷くて、考え事なんざ出来ねェ状況だ。何だコレは。何度もいうけど、何なんだ?
全くなんでお前がこんな所に居るんだ、なんて訳のわからないことをぶつぶつと喚いてる野郎が、とてつもなく鬱陶しい。
テメェが後から入って来たんじゃねェかよ。あァ?

「おい!?立てと言ってるガネ、試作──」
「なあ……火、くれねェかなァ?」

言葉を遮って、出来るだけ丁寧に頼んでみる。
③男(仮名)は訝しげに問い返してきた。

「火?」
「そォ、火」

灰皿から、さっきスモーカーが捻り潰した一本を取り上げる。まだ大分残ってんのに勿体ねェなァ。
まあ、おかげで俺が得するんだケドよ……お、あんなトコに落ちてんじゃん、百ベリーライター。誰のか知らねェけど有難く拝借させてもらうぜ。
よっこらせ、と掛け声をかけて立ち上がる。尋常じゃねぇくらい体が重い。
ライターに手を伸ばした途端、

「ふざけているのカネ?」
「っ痛……!!」

いきなり肩をつかまれ、脳天まで電撃のように痛みが貫いた。
痛!痛ェって!
暴れて椅子から立ち上がり、男の手を振り解いて肩を開放する。畜生、死ね!
クソ、絶対ェ涙目になってんぞ今。

荒い呼吸を吐いて、息を整えようとしたところに、頬に一撃が入った。ごつん、と脳みその中で反響する音。
骨がやっぱり硬い骨と盛大に衝突する感覚。景色が横にぶれ、俺は壁に叩きつけられる。
あまりの痛みに無様に呻いた所で俺の責任じゃねェが……あー、ええと、コレ、なんだ?
──どうなってる?

ずるずるずる、と壁に沿って座り込む俺に、侮蔑の視線が刺さった。

「……ああ、自分の立場がわかっていないんだったカネ?でもお前なんかに説明している暇はないガネ、さっさと──」

知らねェよ。

なんだか、随分と耳慣れた台詞を聞いたような気がするが、どうにも要領を得ねェ。
まあ、コレだけはわかるけどな。この男は、やっぱ俺の味方じゃねェし、俺に必要最低限の礼儀を払う気もねェって事くらいはさ。
やっとライターを拾い上げ、ぺらぺらと訳のわかんねぇ事をほざく③男を尻目に火をつける。おしゃべりな奴は一回喋りだしたら三分は放っておいても大丈夫だ。
刻みの入った丸い部品(そういや名前知らねェな)を擦って──オイル切れかけてねェ?コレ。

ああ、頭、痛ェなァ。

「全く、危ない所だったガネ、こんな証拠がスモーカーの手にあっては……」

──シュッ

「見つけたから良かったものの、もうちょっとしたら手遅れだったガネ!」

シュッ

「しかしなんで私がこんな後始末を……あん?」

シュボッ

「……」

オレンジの炎。

俺は葉巻の先端を口に含み、ゆっくりと呼吸した。
それに連れて、すう、と頭痛が退いていく。やっぱコレがなきゃ調子出ねェよなァ。
考え事をする余裕が、やっと出来た。

まず──

「貴様、さっきから何を呑気な事をやってるのカネ!急げと言っているガネ……!!」

この汚ェ手だよ。

「Sorry, Sir.」

なあ、なんでテメェみてェなのが、俺に触ってんだ?

「──I can't understand.」

どぐっ

襟首を掴み上げてきた③男の腹に、極上の笑みを浮かべながら軽く膝を入れる。鈍い音、③男の目がちょっと飛び出たように見えた。

先に手ェ出したのは向こうだから、まあ正当防衛だよな?野郎の癖に許可無く俺に触れた、しかも殴ったなんざ万死に値するんだが、まあ五分の一殺しくらいで勘弁してやるか。
まあ、二日か三日は胃袋が飯ィ受け付けねェだろうけどさ。俺の機嫌が悪かったにしては幸運な結果なんじゃねェの?
礼儀作法の勉強を二歳くらいからやり直して、ついでに喧嘩の仕方を三十年くらい学んだらリベンジに来ても許してやるよ。

Bad lack, Baby.

くるり、と音がしそうなくらい綺麗に白目を剥いて、③男は床に崩れ落ちた。ま、コレはコレで終ったとして。俺は再び室内を見回した。
邪魔するものはもう何もない。けど──やっぱ、さっぱりわかんねェなァ。
灰を落としながら、丁度机に纏まって置いてあった書類を摘み上げる。『KE87709:コードネーム『サイレンサー』に関する噂』?
レポートの内容よりも、その端に記載されたナンバリングの形式が俺にゃヒントだ。

「……あ?」

こりゃ警察の資料だな。隅に判子も押してあるし。つー事はアレか、此処は取調室かなんかか?
何でこんな、スゲェ面倒臭ェ関わりたくもねェ場所に居んだよ俺は。ツキリとまた微かに頭の隅が痛む。

「なーんかやったかァ?俺」

まあこんなトコで悠長にしてても変な未来しか予想つかねェしなァ。
どうせ戸籍もねェし、逃げても見つかりゃしねェだろ。
家、帰るか。

ブラインドを上げ、窓の下を見下ろす。
二階で良かったぜ……つかいま気付いたけどなんで俺スリッパなんだ?

窓枠に足をかけようとしたところを引き返して、気絶中の③男から靴だけ剥ぎ取る。
うぇえ、水虫とかねェダロな。ま、背に腹は変えられねェんだけどよ。

帰ったらさっさと脱げば良いか。
流石にもう吸えなくなった葉巻を投げ捨てる。
窓から身を乗り出した途端、つきん、つきん、と頭が疼いた。

何か──

『ああ、約束だ』

目眩。
なんだ?コレはよ。何か変な病気だったらヤだぞ。

くらくらする頭を軽く振って、焦点をあわせる。
なんか、あったか?ええと、なァ。

俺にゃ、なんかやらなきゃいけねェ事が……そうだ、バイトに行かねェと!
店は結構流行るから、マキノさん一人じゃ追いつかねェんだ。

俺は納得して、今度こそ、空中に軽く身を躍らせた。






+++ +++ +++






「う……」

眼を開ける。
その途端発見したものは、サイズの合わない靴を履いて路地裏に寝転がってる、お世辞にもまともとは言い難い、つかみっともない自分の姿。
うわ、最悪。何だコレは。俺じゃなかったら指差して笑っても良いトコなんだけども、まあ俺だから笑えねェぞ。
何?何で俺、路上で寝てんの?家、追い出された?イヤイヤまさかな。

「痛ってェ……?」

痛ェ。コレって痛みだよなァ?なんつーか、俺人生でかつて無い程の規模の痛み?タンスの角に足の小指ぶつけた痛みが石ころだとすると、コレは例えるなら天王星くらい?イヤわかんねェわかんねェ、自分で例えたけどやっぱわかんねェ天王星の大きさ知らねェし、まあとにかく痛ェ、痛ェのは確かなんだが何処が痛ェんだ?
まず……手?足?肩?わき腹?頭?つまり全身?

「!?」

かっ、と眼を見開く。馬鹿か俺は、最初に確認しなきゃ行けねェのは痛みじゃねェだろが。
がばりと身を起こし、その途端全身くまなくすっきり隅々まで行き渡って下さった痛み様をとりあえず北極辺りまで投げ捨てながら、俺は服のポケットを全部探った。
何も入っていないというクソくだらねェ事実発覚の後は、犬、いや蟻レベルに這い蹲ってそこら中を転げまわり、俺の、俺の、俺のハニースウィートっつかなんつーかむしろ命?ソレがないと来月から住所不定な挙句食事はマキノさんトコで一日一食だってカンジの、ていうか事実の、うわ何言ってんの俺錯乱中?イヤイヤ錯乱するべきだぞ正常な反応だ、だってつまりつまりつまりソレは。

財布が無い。って事だ。イコールこの世の終わりだ。

人生的バッドイベント上位三位にランクインするぞコレは。目の前が真っ暗になるってこういうコトだよ、テンション最低体調最悪。
畜生畜生、何か怪我して記憶がはっきりしなくて頭痛ェトコから見て、まあ簡単に想像つくけど、酒飲んだ上にカツアゲされたんだろうな。喧嘩は弱ェけど足の速さには自信アリなんで今迄上手く逃げて来たのに、何だよしっかりしとけよ昨日の俺、なんで酒なんか飲むんだよ強くねェのに。コークで良いだろコークで!

自己嫌悪に歪んだ視界に、痛みの元のひとつらしい手首が眼に入る。
アレ?……何だコレ、包帯?

???

俺は今迄、カツアゲにあったってのは確信してたんだが、怪我の原因がそうだとすると、最近のチンピラはアフターケアまでしてくれるようになったのか?
ヤ、ソレ位なら最初から暴力にゃ訴えねェよな?しかも何、コレ、包帯っつかギプスに近いぞ。応急手当なんてモンじゃねェな。

……俺、夢遊病+リストカットの癖とかあったかな?全力で否定したいけど。
全身をチェックする。やはり、一度きちんと手当てされた跡がある……なんだ?どういうこと?クエスチョンマークの使用頻度高過ぎねェ?

「……」

まあ、こんなこともあんだろうな、たまには。
心優しいレディとか妖精とかが、道に落ちてる見知らぬ他人Aの介抱を至れり尽くせり……や、まあ応急処置程度じゃねェけど、まあそれは運良く医療器具を持った医者が通りかかったとかでも良いや。
別に俺が損するワケじゃねェし。薬を買わなくて済んだっつー結果が全てなんで変な疑問は振り捨てよう、それでなくても二日酔いなのにダメージを受けた脳細胞をそんな推理に回さなくても良い。

俺は瞬時に疑問を忘れ、目の前の現実を再び直視した。
あーあーあーあー……マイハニー、君を守れなかった俺を許して。愛は十分にあったんだ、俺の頭と運と体力がちょっと足りなかっただけで。
I never forget you...

「あ!」

どっぷりと落ち込みそうになったが、更なる現実が俺に張り手を食らわせて引きずり上げてくれた。

「バイト!!」

ばっ、と飛び起きる。体のあちこちが悲鳴を上げたが、人間何かに必死になってれば結構行けるモンだろ。
足を踏み出すと、サイズの合わない靴でこけそうになったが、踏み止まって──つかココ何処だ?まずは標識を探すか。
こんなボロい通りにゃないな、少しでも太い通りに出なけりゃ。

夕暮れに差し掛かった薄暗い道には、それでなくても長居はしたくねェ。
……なのに、俺の行動は三秒後、完全停止する羽目になる。

がぁん!

それは一発の銃声と。
つま先すれすれに開いた小さな穴と。
振り返った先に居た、緑色の髪の男。

そして、その手に握られた銃と。
向けられた銃口と。
迷いのない視線。

その全てが、俺の動きを凍りつかせた。
代わりに、壊れかけた電灯がぼんやりと灯るのが、目の隅で確認できた。







GO!