GO or STAY!









GO or STAY!






頭が痛ェ。
イヤもう最近じゃ心因性なのか怪我なのか頭が悪くなってるのか(多分全部)痛くない時なんざ全く無ェって状態だったんだけども、コレは更に輪に輪をかけて痛ェ。
どれくらいかってのをわかりやすく描写するとだ、硬い鉄板の上に頭を乗せて、その上にまた鉄板を重ねて、その上で古代ケルト人が集団で儀式の踊りをしてらっしゃるようなカンジ。
そりゃそんなの経験したことないし経験したことある奴すらいねぇだろうけど、ありがたい事に人間様に想像力って装置が付いてるおかげで、俺はそんな架空の人物とも共感出来る。凄い凄い、だからそのうち人類はみな兄弟になれるんじゃないかとかそういう妄想がはびこるのか。

「う、ぐぅ……」

低い呻き声が勝手に唇から洩れる。
サイレンサー。サイレンサーなんて日常じゃそんな聞かない単語だ。ハードボイルド小説とかにはたまに出てくる、なんだっけ、そう拳銃につける──消音器のことだ。確か。

だからどうしたってんだ。俺にゃ全く関係ないことは変わりねェ。

どっかの誰かさんが勝手に色々法律を破ってくださって、ついでに俺と同名で、なおかつ警察の旦那方が間違えるくらいは俺に似ているって、そりゃどういうことだよ。単に俺の上に偶然看板が落ちてきたり、飛び降り自殺に巻き込まれたり、空軍飛行機が墜落してきたりするような不運に連続で襲われたって事で片付けちゃいけねぇのか?

こめかみに脂汗が浮いて、それが頬を滴り落ちるのがわかる。
スチール製の机の上に塩分過多の水溜りが出来る前に、出来ればこの部屋から出て行きたい。

ゆっくりと巨大な質量が移動し空気をかき混ぜる感触。
こちらを覗き込んだスモーカーが、おざなりに声をかけてくる。

「どうした」
「頭…痛ェ」
「そうか」

え?何これで会話終了?
第三者がいたらそう呟いただろう、そんなカンジの受け答え。スモーカーは椅子に座りなおした。
まあそうだよな、俺の頭痛でテメェの頭痛じゃねぇんだからそんな親身になることもねぇよなァ、けどせめて鎮痛剤くらい勧めてくれても然程マイナス要素にはならねぇんじゃないかってのは俺の気のせいか?普通コレだけ挙動不審に盛大に具合の悪さをアピールしてたら救急車とか呼んだりするぞ。

どたどたどたっ、と煩い足音が廊下に響いて近づいてくる。
スモーカーは溜息を吐いて腰をあげ、ドアに向かった。ノブを回す手間も惜しむように、扉が開く。

ばんっ

「ありましたっ!スモーカーさん!!」

がつっ

廊下と部屋の間にある少しの段差(計算されたように不親切な)に躓き、たしぎちゃんがこける。
抱えていた書類が、まるで何かのコマーシャルみてぇに見事に空気中に撒き散らされる。
斜めになって床に墜落しかけた細い体を、丸太の方がまだ可愛げがある腕がおざなりに支える。
控えめな鼻が支えていた黒ぶち眼鏡のフレームが盛大にずれ、唇が悲鳴を上げそうに(てか上げたかも)真ん丸になる。

あー、カートゥーンみてぇだな。

きっとこの子はバナナの皮でも転べる得がたい人材だ。
まるっきり人事のように観察し(当たり前ェだ、今そんな余裕がどこからひねり出せるって?)、俺は洪水のように部屋を侵食した紙切れに思いを馳せた。
どうやら、俺に似ている俺の不幸の原因らしい誰かさんは、かなりの量の問題事を起こしてたらしい。一枚一枚読んでたら日が暮れる程の量だ。
あざ笑うように鼻先を掠めた一枚にも手を伸ばす気になれず、俺はスモーカーがたしぎちゃんをしかりつけて部屋から出し、戻ってくる間じっとしていた。てか、今呼吸以上のことを俺に求められてもマジで困る。

スモーカーはなぜか音を立てずにその体重を椅子に預けるのがとても上手い。俺は目の前に形ばかり纏められた十数枚のレポートを、受け取りもせずに馬鹿みたいに眺めている自分に気づいた時、そう思った。

KE87709:コードネーム『サイレンサー』に関する噂。

無感動にそう読む。というより文字列を順に頭の中に放り込んだだけだ。意味を理解する気もなく。
というより、意味なんかねぇだろ?
どうやら、コレはそのあたりに死骸みてぇに哀れに果ててる紙くずの中から警部殿が厳選してくださったらしいが、俺はあんまり興味もない。
ヤ、あるにはあるんだけど今文字を追って咀嚼するとかそういう高度なことが凄く難しい状況にあるわけで。

それを察したんだろう、スモーカーは低い声で話し始めた。
頭を磨り潰されるような頭痛をかいくぐってゆっくりと届く、低い声で。

「KE87709が最初に仕事をしたのは、記録によれば四年前だ。奴はその時、『カルヴァドス』の新人だった」

俺の疑問を目の色から読み取ったんだろう(なんで他の事は察してくれないのか理解できねェけど)、スモーカーは説明を加えた。

「『カルヴァドス』は、この街を半分仕切ってる組織だ。マネー、麻薬、商売、組織の仕事も色々あるがKE87709が所属したのは実戦部隊、その下っ端だった。当然要人の警護や、暗殺なんざ任される訳がない。他組織との抗争の駒として駆り出されるか、店が花代を出し渋るときの脅し役くらいだ、新人なんてな」

スモーカーはぶはりと煙を吐いた。
多分──多分、俺の頭痛の原因の二割はその煙のせいなんだが、抗議しようにも聞き入れられないことが明白。
あれ、嫌煙権って最近になって使われなくなった単語?もしかして。

頭に放り込まれた単語を右に左に移動させる。どうにも落ち着く場所がない。
組織。凄くイヤな響きだ。
まず真っ当に生きてりゃそんなモンには関わらない。関わろうとも思わない。奴らは金も権力も暴力も持ってるが、もうひとつあるのが仁義って奴で、何もねぇのに堅気にゃ手を出さない筈だから。
だから、アレだ、他人を殴ったり脅したりするコトが世界の全てだとか思ってたり、もしくは正当な手段じゃ生きていけなかったりする奴等。そういうのが組織の息のかかった店でくだを巻いて、常連になって、そこから誰かの手下になって、とかいう手順を踏まなきゃ末端といえどもメンバーにはならねぇ。
だから俺が、たまたま組織間の抗争に朝からの爆発とか勘違いとかで巻き込まれたからといって、イコール俺が組織の人間って事になるのは鶏がいきなり鶏を産むようなモンだ。

「だが、それだけの奴にわざわざこんな資料を造る程、警察ってのは暇を持て余しちゃいない」

断言するが、俺にゃそんな暇はなかった。だから卵とかヒヨコとかを何処かで見落としてるなんて事はねぇ筈だ。
確かに俺にゃ戸籍もねぇし、親もいねぇ。学校にも行かなかった。日曜学校に三度、ってのは牧師が熱心な人だったからだ。ガリガリに痩せてゴミ箱から芋の皮を失敬するストリートチルドレンだった事を認めてもいい。

「実戦部隊にゃ、その頃何人か有名人が居た──ロロノア・ゾロもその一人だ。奴は十にも満たねえ頃に組織に拾われて、叩き上げられた。『デアデビル』が組織内での奴の呼称だったが、奴を知る殆どは『コールドブラッド』って方が言い易かったんだろうな、結局それが定着した」

でも俺は──人の荷物をかっぱらうよりも新聞売りをしたし、迷い込んできた旅行者を殴りつけるよりゃ、壁のペンキ塗りを引き受けて小銭を稼いでた。
運良く凍死も餓死もせずそれなりに体が成長してから、更に幸運にもマキノさんや、Mr,メリーに雇ってもらえて、その人たちの口利きもあって部屋を借りられるようにまでなった。初めて自分のベッドを持ったとき、俺は興奮で眠れなかった。

「ロロノアは確かに、『命知らず』で『冷血』だった。別に戦闘狂って訳じゃなかったらしいが、仲間のジョークに笑うよりは二丁拳銃のトリガーを引く方を容易くこなす男。任務に私情は入れなかったし、そもそも私情ってのがあるかどうか怪しい『コールドブラッド』だ。勿論一目も二目も置かれてた、だが敬遠されてたのも確かだ。相棒が半年も持たずに死ぬのが普通だったってのも理由のひとつだろうな」

俺は真っ当になりたかった。
俺は、こんな所でこんな奴に無実の罪を着せられる為に走り回って来たのか?
答えは明確にNOだ。

言われる台詞の殆どは頭に入らねぇ。
只断片的に、脳みそを傷つけて何処からか抜けてく。ああ、アレだな、トンネル頭ってこういうことだな。

「そこに登場したのが、KE87709だ。コイツは仕事の時も殆ど銃を抜かなかった……『サイレンサー』だ。だが、手ぶらでも五人は瞬殺出来たな、奴は。どういう経緯か知らんが、組織に入ったときから既にチンピラ程度の実力じゃなかった。……そしてコイツは『コールドブラッド』ともなんとかやっていけた。『消音器』ってのはそこからも来てるんだろう」

スモーカーは手元の書類なんざ見ていなかった。
顔見知りらしいから当然ともいえるか。その──『サイレンサー』と。

「二人は二年ほど前、ある任務に着手したらしい。此処は『カルヴァドス』と、パスティスの裏組織『アルマニャック』の境界線だ──多分、深入りしすぎて、『サイレンサー』の方は」

スモーカーは誰かに聞かせるように、そこで一息ついた。
俺としちゃ全くどうでもいい話に時間をかけてくれる。

「その途中で消息を絶った」

死んだんじゃねぇの?

「そこからの足跡は全くない。ゼロだ」

顔色を探るように向けられる目。
ゾンビよりも土気色だと思うんだが、それでも観察し甲斐があるのか?つか、思うような反応はしてあげられねぇぞ絶対。可愛げを求めるなら動物園のふれあい広場へ行け。

「ロロノアは時を同じくして、組織から抜けた──勿論組織ってのは抜けられるようなモンじゃねぇから、『カルヴァドス』はロロノアを見つけ次第始末するだろう。だが奴は二年も姿をくらましてる、死んでるんじゃねェかって事になってるくらいだ」
「…………………」
「──お前は、此処に逃げ込んできたんじゃねぇのか?」

スモーカーは、核心を突いたように切り込んできた。俺はあっけに取られた。
此処に?逃げ込む?

逃げ込んだ先で指とか折られそうになるのか普通?

「お前を見つければ、まず間違いなく『カルヴァドス』はお前を拘束する。ロロノアの居場所を吐かせるためにな」
「…………………」
「自白剤でも使われちゃ仕様がない。逃げ切れないことを感じたお前は留置所を選んだ──奴を売るよりは」
「…………………」

あー。凄くいい話が展開されてるな、俺の意思とは関係ないところで。

多分俺の今の顔は異国で言うところの埴輪って奴に似てるんじゃねぇだろうか。
だから、溝が埋まってないんだって。俺は、その『サイレンサー』とは別人なんだ。あんなサイボーグと心を通わせられるわけがないっての。アレと話が通じる奴って尊敬しても良いくらいだ。
でもまあ、俺が狙われる訳がコレでちょっとわかった。あの自称ボディーガードのせいか、完璧に。

俺は頭痛の一瞬の隙をついて、言葉を発した。
少しはこの状態についての情報をもらえたおかげか、さっきよりはケルト人の数が減ってる。儀式は終盤に近づいてきたのか、小刻みに揺れてる──あ、俺の体か。震えてんの。

簡潔に、俺はもう一度だけチャレンジした。

「人違いだ」

スモーカーの眼光が険しくなる。

「コレだけ長々と説明してくれたのに悪ィけど、ホントに俺は違う。そりゃサンジって名前も一緒ってのはスゲェ偶然だけど、信じてくれ。俺は……違う」
「あくまで偶然で押し通すのか。お前が馬鹿を装う理由はないし──あったとしてもそんな演技じゃ全く無意味だ」
「だから偶然だっての!大体なんだよこのレポートだって」

やっとのことで頭痛を叩き伏せ、声を張り上げる。
俺は書類をつかみ上げ、反対に突き付けた。

「噂だと?全然信憑性ねぇし、俺にゃこの世界の全員で俺のことをはめようとしてるって方が信じられるぜ」
「証拠が必要か。そうでなければ認めないと?」
「違う!アンタに俺を認める気がねぇんだ!俺は違う、何ならそっちを証明したっていい──」

と言いながら、俺は最悪なことに気付いてしまった。
俺が俺である事を証明してくれる人が、何人いる?こんな簡単なことなのに。

マキノさんは何故か、俺のことを忘れてた。
向かいの店の婆さんは、もう死んでた。

いや待て、まだいるさ、沢山。
メリーさんだって良いじゃないか、カヤお嬢さんだって、去年付き合ってた彼女でも、いるじゃないか。

「証明──」

でも──でも、もし。
あなた、誰?って言われたら。

「……どうした?」

スモーカーがゆっくりと聞いてくる。
怖い。怖い。この世界は──イヤだ。
俺の顔色は土気色を通り越して真っ青だろう。やべェ、悪寒がしてきた。痛みと疲労もかさにかかって攻め立ててこようとしてる。
この瞬間を狙っていたとばかりに。畜生、お前らに騎士道精神ってモンはねぇのか。

「お、俺は──」

それからの俺の口は、何かに追い立てられるように高速で動いた。
必要ないことも残らず、思いつくままに喋った。
生まれたときのことから、初めて働いて金をもらったときのことから、すなわちこの『俺』が、そんなわけのわかんねェ世界からは全く違うところに生きてる一般市民だって事を示す人生を。起伏のない、平坦な。
何の変哲もない、聞いても面白いことは何もない人生を。

「…………………」

唯一覚えた聖句のこと。客のゲロにまみれた床のこと。贔屓のチームのこと──
スモーカーは驚いたことに俺が喋り終わるまで黙っていた。観察する視線はそのままだったけど。

三十分か、それとも一時間か、俺の舌は久しぶりに良く動いたな。空回ってる感もあったけど、それはこの際無視する。
言いたいことは言えないより言えた方が良いに決まってるだろ。それが虚しい反抗でもさ。

喉の渇きを覚えて俺は視線を動かした。けど目に入るのは散乱したペーパーと乾きかけた自分の汗の池くらいだ、畜生。
じっと俺を見詰めていたスモーカーは、軽く溜息を吐いてこう言った。

「それで、終わりか?」

横っ面を張り飛ばされたように、俺はさぞかし間抜けな面をしているんだろう。
それを眺める、スモーカーの眼光にちらりとよぎったもの。

……哀れんでいた、のか?
それは、狂人を見る目つきじゃねぇのか。

「……」

ああ。
なに、ショック受けてんだ、俺。

「演技で言ってるにしちゃ、穴が有り過ぎる。それにしちゃ真剣過ぎる」

わかってたじゃねぇか。
人間様と鋼鉄機関車で意思の疎通は出来ないって事だろ?もうそんなの知ってたよな?
駄目で元々だったんだろ、なァ。ホラ、笑って流しゃいい。
笑って。
笑え。
惨めでも。

「──お前、自分が言ってることの不自然さに気付いてねえのか?」

脅すような声音。
俺はぼんやりと焦点を揺らした。不自然?俺の人生が?それともこの状況が?
激烈に後者を望んだが叶えられるわけもねぇか。

「不自然……?」
「沢山ある。だがまあわかりやすい所から行くか……ストリートチルドレン出身だと言ったな」
「それがとうしたってんだ」
「食いつくな」

スモーカーはその大きな背を椅子に預けて行儀悪く座りなおした。
まあコレはほんのちょっとした忠告なんだが、パイプが曲がって折りたためなくなるぞ、ソレ。人間用だから。

「この街はまあ、ミドルとアップに関しちゃ標準レベルは満たしてる。だが、裏通りやダウンじゃそうはいかない。お前の言う通り子供の浮浪者なんざ腐るほど居る……ああ、そいつらが全員腐って育つなんて俺は考えちゃいねえよ。曲がらねェ奴だっている。──そんな事は今更説明されるまでもねぇ、って顔だな」

次に言う言葉を推敲したんだろう、数秒間をおいて続けてくる。
俺には全然ワケのわからねぇ台詞。凄く無礼なことを、次の瞬間さらりと言われた。

「自分が嘘を吐いてることに気付いてねえんだ。驚くべき事にお前自身が、だ」

筋道が通らねぇ、とスモーカーは呟いた。

「だから嘘じゃねぇって言ってる!」
「……じゃあなんでお前は字が読めるんだ?」

え?

「捨てられた、学校にも行ってねぇ、店の雑用しかした事のない、『最下層出身』が」

疑問に思わないのか?
うるせぇ。
何か不自然だと思わないのか?
黙れ。
お前は本当に自分が狂っていないと?
言うな言うな言うな言うな言うな──!!

KE87709:コードネーム『サイレンサー』に関する噂。
差し出されたレポートが、一瞬黒く染まって見えた。





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