GO or STAY!








GO or STAY !





俺は。
俺は。

…………空気になーれ。

三十秒だ。三十秒間だけ逃避しよう。俺時間で言ったら三十分かも知れネェがその辺は臨機応変に。
何も考えずに、リセットする時間。……何かを、取り繕う時間。

だって、そんなの酷ェだろ?

「…………………」

目は閉じたまんま。開けるとヤなモン見えっかんな。今余裕ナイんで無視する。
最悪の思考展開は一時保留。確か『自分を信じろ』ってどっかの学級目標くらいにはなってる筈だし。

そんな事ァあるワケねぇんだから、考えねぇでイイ。

考えるのは、もっと現実的な、そして俺に都合の良いコト。えーと。うーんと。
そうだ。色々違和感があんのは放っといて、まず考えなきゃならねぇのはコレだろ。

……何が起こった?

I don't know.
まあ、そうだよな。わかりゃ苦労はしねぇんだよな。
でもまあ不思議な電波とかで答えを待つ時期は過ぎたんで、そろそろ自分で考えなきゃならねェ。
まずは、この俺を虐めるためにあるようなシチュエーションに救いのある解釈をなすり付けるコトか。

一番良い解決方法は、だ。

俺がいねェ間に、新しい入居者が来たってコトにする。
俺がいねェ間に、婆さんの葬式があったってコトにする。
そうすりゃ、問題はねェよな。うん。

……唯一あるとすりゃソレは俺がこの部屋を出たのがほんの一ヶ月前だってコトだ。
婆さんがこの世からグッバイしたのは(レディの話からすれば)半年前。明らかにオカシイよな。
彼女が嘘ついてるってのも考えられなくはねェのか?でも理由がねぇし、レディを疑うのは俺道に反するし。ンなコトする位なら俺がまず精神科に出頭するね、だってどう考えてもコッチの方が情緒不安定な不審人物だろ。

何だ俺、結構理論立てて考えられてる?
アレだけ精神にキックだパンチだバックブリーカーだ食らったのにヤだねぇ雑草根性。
まあ、喜ぶべきコトだろか。

じゃあ、彼女が嘘をついていないとする。コレを大前提として。
そうすっと、婆さんが半年前に死んだのは確実なワケだ。

んじゃ結論は只一つ。

俺が、あのアパートを出たのが半年以上前、ってコトだな。理論立てればさ。
でも俺の経験じゃ、部屋が爆発して追い出されたのは一ヶ月前。

……ハイ、ここで俺がキチガイ(伏字にする気遣いももうねぇ)っていう実も蓋もない理由以外で、事態を説明するには?

1.実は俺は不思議な生物で、一回で五ヶ月以上寝れる。
2.不思議な爆発でタイムトラベルした。
3.全部夢。

…………3?

イヤ駄目だしっかりしろ俺。
思いっきり選びてぇのはヤマヤマなれど、なんつーか、なぁ。
ここまでリアルな夢みて、更に全く目が覚めねぇってのもソレはソレで病気だろ。

大体が、俺の季節感とか日付感覚は正しい筈なんだよな。
だって今XX年のX月だろ?ナミさんの家でカレンダーとか見ても違和感なかったし。
ねェ、よな?

妙に重いため息が勝手に空気に逃げた。そうか、そんなに俺の中には居たくねェか。
……なんか、自分で自分の精神鑑定とか真面目にやんのスゲェ虚しいんですけど。

ふと思い付く。
颯爽と、とはいかずとも見苦しくない程度にしっかりと立ち上がって、一歩。
立ち入り禁止で封鎖されている俺の部屋のドア。鍵はそもそも付いてねェから(盗まれるモンなんざありゃしねぇ)、誰かがわざわざ貼ったペラペラの黄色いテープを剥がしゃ誰でも入れるな。わざわざ来る物好きもいねェだろうけどよ。

握り慣れた形のノブ。
うわ、何かドア枠変形してねェかコレ?

「っと」

四回か五回押したり引いたり繰り返したか?ヤダねえ、腕がろくに使えねェと不便も不便、どうしようもねェな。
なんか自分の部屋にまで拒絶されてんじゃねぇかと思うのは被害妄想も行き過ぎのレベルだ。
やっとこさ足を踏み入れた、久しぶりのマイルーム。
で。まあ。

がらん

その一言に尽きる。
元からそんな物のある部屋じゃなかったけど。流石に必要最低限のモンは置いてた──完全無欠に撤去されてっけど。
まあ、そんなコトだろうと予想はしてたよ。爆発で全部やられちまったろうし、捨てられたか?
今確かめたかったのはそんなことじゃねェがな。

狭いけど広くなった部屋の中央まで進む。遮るものは勿論何もねェ。
すん、と軽く空気の臭いを嗅ぐ。その場に片膝を着き、むき出しになった床のコンクリートの上を軽く撫でる。
焦げて変色した跡。壁紙も殆ど溶けてっか。

「…………」

指先を少し舐めて確かめる。
まあ、そこまでしなくても見ただけで確信は持てたんだが、やっぱそうだ。
ココで爆発があったのは、多くとも半年も前じゃない。

ふ、と思わず息を吐く。コレで自分の正しさを少しなりとも立証できたワケだ。
俺がこの部屋から出たのは、一ヶ月前で、あってる筈。
……こんな大前提から疑ってこなきゃならねぇこの不思議ワールド、文句も言い厭きたなァ畜生め。

俺は立ち上がりかけた膝を、一度止めて、視線だけで周りを見渡した。
一つきりの窓、今は塞がれてるその四角から差し込む西日。いつの間にか昼下がりを過ぎてる。
……腹、減ったな。

途方に暮れてる場合でも暇でもねぇ。ぎしぎし鳴る関節に気合を入れて立ち上がる。
浸るのは止めにして、部屋から出ようと方向転換。

「っ!?」

く、と一瞬呼吸が止まった。

閉めるのも面倒臭いから、開け放しといたドア。
戸口には黄色いテープの残骸が散らばってる。

それを踏みつける、ゴツイ形のブーツ。
当然のようにそこから続くのは、太く長く太い脚。

いつから居たのか、俺が全く気付かねェ間に、ソコには不思議な物体が出現してた
俺よりも優に頭一つ分デケェトコから、お世辞にも優しいとは言えない眼光が落ちてて、厚い唇には太ェ葉巻。
どー見ても、カタギにゃ見えねェ大男。俺、情緒不安定一般市民。逃げ場、ナシ。

目が合って、沈黙。
や、俺的予測で行くと後十秒くらいで胃に穴が開いてもオカシクナイかなァなんて。

「何してんだ?」

………………………。
そんな俺にもマジメに答えられないような質問をされても。

強いて言えば……自分探しの旅?
ヤベェ、真剣に頭痛ェ。

葛藤中の俺の無言を黙秘と取ったのか、男は葉巻の煙をぶはあと吐き出すと、一歩部屋に踏み出して来た。
自然、俺は一歩下がる。

「………………………」
「………………………」

イヤ仕方ねェだろコレは。
誰だってベンガルタイガーと鉄格子ナシで差し向かいになったらこうするだろ。多分ムツゴロウさんだけだぞこの状況を切り抜けられるのは。

「封を破ったのはお前か?此処に何の用だ」

大男は大股でまた一歩踏み出した。ずうん、とプレッシャー。
鋼鉄の蒸気機関車を想像する。踏み潰されたら人間なんて一センチ単位の細切れ、ってカンジですか?
別に余裕があるわけじゃネェんだが、うん。コレも一種の逃避ってヤツか。

ふさふさと首周りに毛皮のついた白いジャケットに包まれた鍛えられた体。
鉄骨で殴られても折れなそうな太い首。岩に手斧で刻んだような荒めの、男臭い造作。

ええとええとええとええと。何か言わねェとな。
男が不審を感じたのがわかった。そりゃそうだろうけど、俺の舌とか唇とか、本能を覆すほど逞しくナイんで。あんまり。しかも今結構いっぱいいっぱいだし。二日後くらいにアポ取って出直してくれると嬉しいかなァなんて。

丸太のような腕が延びてくる。

「……っ!」

キスを迫られたいたいけな乙女のようにギュッと目を閉じる。オネガイダカラランボウシナイデネ。勿論俺がやっても気色悪ィだけなんだけど、なんつーか、ああわかったよ俺が悪かったよ見掛けで人を判断しちゃあイケナイですよね、ピースピース、汝の隣人を愛せよ、だから一センチ単位の細切れは勘弁してくれ。


「スモーカーさん、一般人を威圧しちゃ駄目ですッ!」


俺と男の間に割って入ったのは、凛とした、けれどキツくはない、若さの抜けない声。
魔法のようにその場に現れたレディ。しかしどうやら威圧感に隠れて見えなかっただけで、男の陰にずっと居たらしかった。まあ、明らかに高さと幅に違いがあるから、すっぽり隠れちまうよなァ。

俺は口をぽっかりと開けた間抜け面で、男の隣に立つ彼女を眺めた。黒いショートカット、黒い瞳に同色の野暮ったいデザインのメガネ。

……一目で大体のトコ見当つくキャラだなァ。
俺の考えじゃ、今の内に世界文化財に指定しておくべき。滅んでからじゃ遅い、人類の損失だ。
真っ正直で、マジメで、ドジで、放っておけない。極めつけはメガネっ娘。……オイオイ、犯罪じゃねェのかこのオッサンは。

「普通に話しかけただけだ」
「そ、それはわかってますけど、スモーカーさんは気を付けないと誤解され易いんです」

誤解?誤解って何だ。
実はこのゴツイ大男が毎日チューリップの鉢植えに水やりを欠かさない心優しい引っ込み思案な小市民だとか言ったら、ソレはソレで面白いジョークですが。本気だとか言ったら熱を計られマスが?

「あ、ごめんなさい、ええと、私達は怪しい者じゃないんです」
「その言い草ァ余計怪しいと思うがな。退いてろたしぎ」
「駄目ですって、まずはちゃんと自己紹介しないと」

スモーカーと、たしぎちゃんね。
もう既に名前はわかったんだけど、たしぎちゃんは俺の前に出て丁寧にお辞儀をした。姿勢の良いレディだなァ、日曜学校のグループリーダーだった子にちょっと似てる。
黒い上着の内ポケットから、星マークのついた手帳を引っ張り出し、見えるように示してくれた。流石にその動作は堂に入ってる、って言ってもイイかな。

「フェルナドット市警察署本部所属のスモーカー警部と、たしぎ巡査長です」

警察?

「それで質問なんですが、ここで貴方は──」

コレはコレで、結構面白いジョーク。
警察官?貴女はまだ良いとして、この麻薬のルートでも仕切ってるのが似合いそうなオッサンが?
いやァ、大した世の中になったモンだ。まあ、向いてねェコトはネェのか、コイツと差し向かいに座らせときゃカツ丼頼む前に犯人自白してくれそうだしな。

「退いてろと言ったぞ、たしぎ」

極端に黒目の少ない瞳が、俺を見下ろす。
彼女の線の細い肩を押しやって、スモーカーは俺の目の前に立った。
銜えっぱなしの葉巻から落ちた灰が俺にかかるんじゃねェかと心配になる距離。
少しだけ身を屈め、こちらの顔を覗き込んでくる。あの、煙いんですが。気分悪くなるんですが。俺警察に厄介になる理由ねェし、むしろ保護を求めても良いくらいなんじゃねェかなと思ってるのに、この脅され方は何なんだ。

「もう一度効くが、何してんだ?此処で」
「っ」

その言葉が耳に届いた瞬間には、もう事態は手遅れ。
たしぎちゃんが息を呑んだ。逆さまにねじり上げられた腕が、ぎしりと鳴る。

「…………!!」

喉の奥で悲鳴を噛み殺す。
──痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ俺ソコ怪我してんだって!ギブ!ギブギブギブ!!

勿論テレパシーが通じるワケもなく、不自然な体勢で身を捩る羽目に。当然のごとく強かった握力は、俺の手首を握り潰すんじゃネェかって勢い。
俺、何かしたか?そりゃちょっと不審人物つーか不法侵入(でもココ俺の家なんだケド)したけどいきなりこんな挨拶される覚えはねェ!ふざけんなこのクソ野郎!
青筋を浮かべて口を開きかけた俺、でもたしぎちゃんの方が早かった。

「な、何してるんですかスモーカーさん!?」

その通りだよ何しくれてんだよか弱い怪我人に。て言うかこのポーズ肺が捩れて息出来ネェし。一応俺は酸素を取り込まなきゃ生きていけねェ人類の端くれで、まかり間違っても雑巾じゃなかった筈なんだがその認識から改めなきゃいけないとかいう事なんでしょうか。
……あー、傷開いたなコレ。確実に。シャツの内側の包帯に、血が染みる感触。

訴えてやる、って言いたいトコなんだが俺戸籍とかネェんだよな……まあこの街じゃ珍しくもねェケド。
身動き取れねェ俺の代わりに、たしぎちゃんが目を丸くしてスモーカーの腕に取りすがる。

「一般の方に乱暴は止めて下さい!」
「あ?一般人?」

俺は極められた肩越しに振り向く。スモーカーは面白くもなさそうな目つきでコッチを見下ろしてた。

「お前、いつからそんなモンになったんだ」

生まれた時からだよ。

窓枠の下に巣作りしたスズメバチも殺せネェ程人畜無害を極めた俺に、警官様は何の文句を付けようとしていらっしゃるんでしょーか。
賄賂とか渡せねえぞ俺無一文だから。

「たしぎ、コイツに手錠かけろ」

……へ?

「ええっ!?ス、スモーカーさん──」
「いいから早くしろトロ女!コイツが何企んで大人しくしてるんだかは知らねェが、逃げ足速ェんだよ」

なんつーか。
何か今大事な手順を色々とすっ飛ばされてるような。気のせいかな。

「でも、ええ?も、もしかして彼は、犯罪者なんですか」

ずり落ちたメガネを直し、たしぎちゃんがあたふたと言う。腰に下げられた手錠を不器用な手つきで引きずり出しながら。
いやあの、お嬢さん、全くの見当違いデス。一生懸命考えてくれたトコ悪いんだけど──

「そうだ」

え──?

かしゃん

軽い音を立てて、鉄の輪が俺の手首にはめられる。
え?え?え?え?

「最近は大人しくしてたようだがな。ブラックリストにも載ってる、れっきとした『二つ名』持ちだ」

ブラックリスト?二つ名?
何その物騒な響き。呆然と、腕にはまった手錠と目の前の男の顔とを見比べる。
何か重要な間違いがココには存在してるみてェなんだが、ちょっと多すぎて指摘出来ねェ。つーかまだ俺意味のある台詞一言も喋ってねェ気がしてきたぞ。

「此処に何の用があったのかは知らねェが、どうせ碌な事じゃあねェ」
「もしかして彼が、この件に関係してるって事はないですか?」
「……一ヶ月も後に、何もねェ現場に来る程暇じゃあねェ筈だが。いくらコイツが抵抗も忘れちまったマヌケだとしてもな」
「じゃあなんで此処に居たんでしょう」
「それをさっきから訊いてんだ俺は」

ぐ、と胸倉を掴み上げられる。
スモーカーは探るように目を細めた。

「もしかしたら何かあるのかも知れねえ。部屋の具合を調べてたくらいだからな」

立ち上る煙が視界を覆う。
頭痛と心労は増す一方。そろそろわかってきた、この世の全員で俺をハメようとしてるだろ。

「なあ、『サイレンサー』?」

にやりと歪められた口元。
どくり、と鼓動が跳ねる。一難去ってまた一難、なんてイヤな言葉を作ってくれたんだ先人は。

多分全力で人違いだと思うんだけどよ。
──聞いちゃあくれねェんだろうなァ。

諦め掛けた笑顔でへらりと笑った。
ネジの緩い人みてェだけど他にどうしようもねェし。


あー……ったく、もう。愉快なくらい不幸だな俺。