『よっ』と、サンジが片手を上げ、胡散臭い変な笑顔で、目覚めたばかりのゾロに挨拶をした。
ゾロは顎が外れるかと思った。

「な」

参ったなー、どうしよっかなー、そんな気持ちが目に見える気まずそうな様子で、サンジは引き攣った笑顔を浮かべていた。それでも、どうにか普通にゾロに受け入れてもらおうと自然に振舞おうとしているらしい。

乾いた埃の舞う朝の光の中で、堂々と。
ゾロは口をぱくぱくさせると、思わずサンジを指差して見たままのことを言ってしまった。

まさか、本当に──

「ゆ、幽霊だと!?」

ああ、なんという浅い台詞を吐くのだロロノア・ゾロ。激しく格好が悪い。













『寂しがり屋の魔。』













ずだだだだだだだだだ!!!

「おい親父! この町に坊主はいねぇのか!?」
「坊主? なんだいなんだい、朝っぱらから急いで。階段が傷むからゆっくり降りて──」
「いいから坊主だ! 悪魔祓いでもいい!」
「悪魔祓い? お客さん、幽霊でも見たってか」

かっかっか、と笑う宿屋の亭主に向かって、ゾロは隣を指差した。

「俺の横に居るのが見えねぇのか!?」

亭主は笑いを納めると、生真面目な表情で言った。

「……あー、お客さん。そうさな、頭の病院なら北の町外れにある。眼科なら大通りだ」






刀を亭主に突きつけるまでして教会の場所を吐かせたのに、神父の祈りはゾロに安眠効果をもたらしただけだった。使えないにも程がある。

「南無、阿弥陀仏……!」

ゾロ自身が裂帛の気合を込めてうろ覚え念仏を唱えてやっても、幽霊は全く動じなかった。
むしろ、『可哀想に』という目付きでゾロを眺めてくるので、こちらの血管がぶち切れて昇天しそうになった。

『悪ィなァ。俺よ、カミサマホトケサマ信じてねェんだわ』
「使えねぇ……!」

何故この男は、ゾロの予想外のことを──予想より三割増しゾロの気に障る結果で──やらかすのだ?
ゾロはバリバリと頭を掻き毟りたい気分になりながら、サンジを怒鳴りつけた。

「成仏しやがれ!」
『いや、天国ってどっちだ?』
「……テメェは天国に行けるつもりなのかよ」

大体、あれだけのことがあったら普通は空気を読んでゾロの前に二度と現れないくらいのことはするべきだろう。ゾロは弱さを断ち切って、また晴れやかに歩き出して、万々歳のハッピーエンドだ。そうやって綺麗にまとまる話だ。

穴があったらこの馬鹿を埋めたい。
わかっていないわけではない筈だ。あえてのこの振る舞い、どう考えても確信犯だ。

『クソマリモちゃんが中々俺のこと認めたがらねェモンだからよ。一度、消滅演じてみたら素直になるんじゃねェかと。作戦勝ち? これで俺の美声もよく聞こえるようになって、良かったなァ』
「テメェの存在を認めたのはそういう意味じゃねぇよ馬鹿コック……!」

問題を綺麗さっぱり片付けて、気持ちのいい朝を迎えようとしたゾロの努力は水泡に帰している。
昨日の自分をなかったことにしたい気分になりながら(ついでにサイダーと煙草とちょっとした塩分もこの世から消えろ)、ゾロは苛々と足踏みをした。

そして、慌てついでに咄嗟にこんな事を言ってしまった。

「大体、何でテメェは俺の所に来てんだよ!」
『え』

口にしてから、ゾロは骨の中にさあっと氷が詰まる感覚を覚えた。
嫌だ。駄目だ。今更、こんな答を聞いてどうする。駄目だ駄目だ駄目だ、早く成仏させないと──

だって、サンジは死んだのだ。
ゾロが今更気付いたところで、何にもならない。サンジが今更気付いたところで、何にもならない。

苦しいだけだ。胸が痛むだけだ。感じる苦痛を認められなくて、ずたずたに切り刻んでしまうだけだ。
だからそんな秘密は墓の下まで持っていけ。

未練など!

ゾロは唇を噛んで、言葉を探した。
どんな酷い罵倒でもいい。二度と振り返りたくならないくらい、塵のように扱って、捨ててやる。そうしたらゾロは真っ直ぐに歩いていける。





『だって、クソジジイも、ナミさんも、俺が見えねェみたいなんだもん』





しゅん、と肩を落とし、眉尻を下げて、サンジは情けない顔で暴露した。
そして、そのまま泣きそうな顔で座り込んでしまった。薄汚い宿屋の一室で、しゃがみ込む姿は全く様になっていない。

(おい。結局三番目か)

お前は本当に、あれか。俺の嫌がらせのために生きてるのかと思ったことは何度もあるが、更には死んでも嫌がらせか。

──ああ、でも、それでいいのだ。

ゾロもどすんと寝台の上に腰を下ろした。そして、大きく深呼吸をした。
サンジはしゃがみ込んだまま、消え入りそうなか細い声で言った。

『……だってよ。俺、まだ、可愛い嫁さん貰ってねェし』

さっさと、成仏しやがれ。

『ジジイに孫、見せてねェし』

うだうだ言うな。鬱陶しい。男らしくねぇぞ。

『海、を』

ああ、もう、天国に行ってもいいから。



『…………もっと、生きたかった……!』





テメェはだから、ヘボだってんだ。いや、ヘボどころじゃねぇヘナチョコだ。このヘナチョコック。
生きたがりなら、もうちょっと上手くやれ。

『絶対ェテメェより長生きしてやると思ったのに……』

ゾロはサンジに、何もしてやることなんか出来ないのだ。
だからそんな恨み言を言われても、どうしようもない。めそめそした泣き言なんて、聞きたくない。

何でこんなところに現れた。
そんなゾロの憤りに応えるように、サンジは捨てられた犬か猫のような様子で呻いた。

『──さ、』
「言うんじゃねぇ!」

ゾロには妄執に関わっている暇はない。
サンジは死んだ。もう何も、取り返しがつくことはないのだ。サンジはゾロより先に死んでしまって、

「今更俺に何が出来るってんだ……!」

ゾロはサンジの胸倉を掴もうとしたが、その指は空を切った。すり抜けた。何らかの気配、温度のようなものすら感じなかった。

ゾロは上げた拳をどうすることも出来ずに、それをベッドヘッドに叩きつけた。
固い木の板が割れる音が響けば、その後の静寂が際だつかと思ったのだ。思い知るかと。

だが、サンジの返答は素早かった。






『いや、別に?』

ジジイやナミさんとなら、生きて色々なことをしたいけど。
テメーにゃ何も求めてねェよ、マリモ君。






「…………………何だと?」
『何だとはこっちの台詞だクソ剣士』

睨みあげるサンジの目は、結構ドスが利いていた。

『テメェ、俺が死んだくらいで俺に何かしてやれることでもあると思ってたのかよ? その自惚れは何処のマリモ界から拾ってきやがった』

サンジは折った膝の上に伸ばした肘を乗せ、手首の先をぶらぶらと遊ばせた。不貞腐れた子供のような顔で、ちょっとした溜息を吐く。



俺が生きてたって、どうせ何にもなりゃしない。
同じことだろ? ずっとずっと。






ずっとだ。

懐かしく思うことなんて、ひとつもない。









「────」

ゾロは言いたいことを一度全て腹の底にぐうっと飲み込むと、一まとめにした。
泣き出したいような笑い出したいような、酷く馬鹿馬鹿しくて情けない気持ちをぐっぐっと圧縮して、軽いゴミのように見せかけて放る。

余計な世話なんだよ。

「……それがわかってんならノコノコ俺の前に現れんな。消えろ」
『だーかーらー!』

サンジは幼児のようにばたばたと長い手足を振り回すと、きっとゾロを睨んだ。子供がやってもどうかと思うのに、相手は馬鹿コックなので恐ろしく鬱陶しい。

『俺は寂しいんだよクソボケが……!』
「んなワガママに人を巻き込むんじゃねぇクソコック!!」

青筋を立てて叫ぶと、とうとう隣の客が怒鳴りこんできてゾロだけ怒られた。
ありえないくらいうざいと思った。









『まあよ、そんな長い間じゃねェさ。どうせテメェ、早死にするんだし』
「言えた立場か」
『あーソレマジで何かの間違いだ全世界の損失だ』
「随分狭ぇ世界だな」
『負け惜しみか? マリモが死んでも全く惜しくねェモンなーホレさっさと死ね。早く死ねー』
「……早死にの覚悟はあるが、その間テメェと過ごさにゃならねぇ義理はねぇぞ」
『我慢しやがれ。俺は飯も食わない酒も飲まない、減るモンはねェだろ?』
「馬鹿言うな、確実に俺のプライベートが減る!」
『あ、横文字がナチュラルに言えるようになったじゃねェか。使えねェマリモでも一応進化はすんだなーエライエライ』
「……『鬼斬り』!」
『だァから、無駄だって』



だって本当、寂しがりなんだから。

サンジは冗談めかしてそういうと、刀の切っ先をひょいと避けてみせて笑った。そのついでにぽろっと零れた雫は、地面に落ちても染みにはならなかった。
















寂しがり屋の魔。:END