CORPSE REVIVER






 ぎゃははは、がはははは!と、そう言ってみればまるで海賊の笑い声のようなのだが。
 ──ガキの声というのはどうしても丸まっちいな、とゾロは思った。

「あーーーーーーーーー! 大だんなさまだーーー!!!」

 朝早いうちから起きているゾロが珍しいのだろう。警報のようにがなり立てる声に応じて、わさわさとガキが集まってくる。何匹いるかわからないが、1匹いたら30匹は出てくる。

「抱っこ! 抱っこ!」

 もちろんゾロは無視して歩く。正直、ガキは苦手だ。
 どう相手をしたものかわからないし、ちょっと躓いただけで殺してしまいそうだし、ましてやガキと「遊ぶ」など、そんな意味のわからない機能はゾロに備わっていない。
 いっそ殺してしまえれば楽なのだが、流石のゾロも、理由もないのにガキを殺しては馴染みの酒屋がゾロの故郷から大吟醸を調達してくれなくなると理解していた。
 そこで、ゾロはガキどもの声をぱぴぷぺ音に変換することにしている。

「ぺちゃむくれびびるぽぴ!」
「ばぴぶぺぱぽぽるっと!」
「ぺんぺんべばーるぺっぽ!!」
「ぱーぽ! ぱーぽ!」

 ゾロがいったんそうと思い込んでしまえば、ガキどもの声など意味を失ってただの丸々、ころんとした音の塊になる。大剣豪の精神集中を舐めてはいけない。
 ゾロが歩く先で、海が割れるようにガキが左右に分かれていく。
 単に退いてくれればいいのだが、左右に分かれるのはゾロの腕か足に飛びついてくるためだ。ゾロの体にしがみついて引きずり回され悲鳴を上げるのが、このガキどもが好きな行為らしいのである。理解できない。ゾロもマゾヒスト修行野郎と長年罵られてきたが、こいつらにはとてもかなわない。

「ぺおりぱーぱ!」
「ぷぶぱん!」

 広場を抜け、炊事場の扉を開ける。
 30人は座れる大きな一枚板のテーブルに、山と積まれた握り飯。かまどの上に見える大鍋には味噌汁がたっぷり入っている。家政婦はゾロの食の好みを熟知しているから、この剣術道場で供される食事は基本的に和食だ。
 そう、剣術道場なのだ。孤児院ではない。
 ゾロは席に着いて、行儀悪くそのまま握り飯にかぶりつく──ような真似はせず、両手を合わせて「いただきます」と言った。師範として、手本を見せなければならないのは剣の腕前だけではないからだ。仮にも「道」場というからには、道を見せなければならない。
 頭の後ろで、昔の仲間が唖然としている様子が目に浮かんだりするのだが、もちろん気のせいである。

「ぴぱぱぷぺん」
「ぴぱぱぷぺん」
「ぴぱぷん」

 ガキどもは、鈴生りといっていい様子でテーブルに並んでいる。食事時だけは、食べることに集中しているようで、静かだ。
 食後は、またこいつらを外に追い出して、道場を掃除しなければ。道場の掃除だけは、ゾロは金で雇った家政婦に任せるつもりはないのだ。

 どうしてこんなことになったのか?
 ゾロを知る人間が見れば、首をかしげるだろう。ゾロも同じくかしげている。

 大剣豪になったゾロは、この島で、しばらく、ゾロの首を獲って名を上げようとする若造たちをばったばったと斬り倒していた。最初は1日に3度だった襲撃は、数年後には3日に1度になり、今は1か月に1度くらいだ。
 挑んでくる剣士が少なくなってくるにつれ、ゾロは困った。暇なのだ。
 鍛錬は続けたが、目標がないとどうにも身が入ってこない。そこでゾロは、剣術道場を開くことにした。自分に挑戦してくる者がいなくなるなら、育てればいい。食糧難なら畑を増やせばいい程度の単純な発想である。

 だが、実際、弟子を取ろうと思っても、ゾロの武勇伝が邪魔をして、なかなか人は集まらなかった。その辺に余っている人間をさらって血反吐を吐くほどしごくと、なぜか犯罪になるらしいのだ。そこで、ゾロは、死んでも文句の出ない野良を狙った。
 ゾロにガキを養う能力はないが、そういったことは、賞金首をぶら下げればカタがつくことでもある。ゾロはベリー札で頬を張って、神経が頑丈なタイプの家政婦を10人ほど住み込みで雇っている。

 朝食を終え、ゾロは日課の稽古を始めた。見様見真似で真似してくるガキもいるが、その内容についてこれる者はゼロだ。

 修行をしながら、ゾロは自分の不甲斐なさを自覚していた。修行に身が入らず、剣にも迷いがある。最近など、ゾロに挑んできた相手の命を見逃してしまっているくらいだ。
 深くため息を吐いて、ゾロは重り付きの鉄棒を脇に置いた。
 原因は分かっている。ゾロは、鬱っぽくなってしまっているのだ。
 頭の後ろで、眉毛が特徴的な男が指を差して爆笑したので首をぽきっと折って幻の海に捨てておいた。

 どうにもやる気が出ない。
 体が重くて怠い。
 医者に見せても「体に異常はありません」。

 ゾロはとうとう、十数年ぶりに船長に会いに行くことにした。ルフィの覇気を受ければ、ちょっとはこの背骨もしゃんとするかもしれない。




+++ +++ +++




 行こうと思った場所には絶対にいけないのがゾロである。
 ゾロは全財産を一番弟子(単に、一番最初にさらったというだけではあるが)に渡し、道場を出た。ルフィの下に辿り着くまで、軽く数十年はかかるかもしれないからだ。

 ゾロが歩くと、道が広くなる。
 一般人はゾロに近寄ろうとは思わないし、一般的ではない者はむしろ逃げる。ゾロというのは、そういう局地災害のようなものになってしまった。
 どこへ行っても、一刻も早く島から出て行ってくれという視線がちくちくと刺さる。そんなものが堪えるゾロではないが、元居た島の住み心地に慣れてしまっていたせいか、「ああ、おれはそういう生き物だったか」と再確認させられた。

 腹が減ったので、飯屋に入った。
 横文字だらけで洒落っ気を出していて、全く気に入らない店構えだったが、腹が減ったので仕方がない。

「握り飯と味噌汁」

 ゾロはメニューも見ずに注文した。どうせ横文字しか書いていないのだ、開く気にもならない。
 給仕は1秒だけ沈黙したが、大人しくゾロの注文を受けて下がっていった。まあ、大体、ゾロは顔が売れすぎているので、言うことに逆らわれることは滅多にない。

 あまり待たせず、大量の握り飯と、どんぶりの豚汁が出てきた。味噌汁、と言ったはずなのだが、より栄養バランスが取れる仕様になっている。悪くはない。
 ゾロは空腹だったので、次から次へと、飲むようにして握り飯をかっ食らった。鮭、ごま塩、ワカメ、鯖、変わり種はチーズか。梅干しがないのは不満だ。

 店内は盛況だったが、ゾロの周りだけはテーブルが空き始めた。
 取って食やしないのに、とゾロは一瞬思ったが、ゾロの周りでは常に斬った張ったが起こるので、最初から近づかないのが一番なのだろう。
 それでも店から客がいなくならないのは珍しい、とゾロは少し感心した。確かに、目の前にこんなに美味そうなものを積み上げられては、逃げられないか。

 腹いっぱい食うと、眠くなる。
 ゾロは酒を散々かっ食らってから寝た。

「お客様、閉店のお時間なのですが……」

 退席を求めに来た給仕に、ゾロはベリー札を何十枚か渡した。だが、腰は上げない。
 滑るような足取りで給仕が下がっていくのを、ゾロはぼんやりと見送った。
 店の看板が仕舞われ、ドアに閉店の札がかかる。何十人もいる下働きが、てきぱきとフロアを掃除していく。綺麗にゾロの周りだけ避けるのが面白い。
 そのうち、そいつらもどこかに消えた。

 かつ、かつ、かつ、と、音楽的な響きの靴音が、ゾロの後ろから回り込んできた。
 頭の上にトレイを乗せた咥え煙草のその男は、ゾロに蹴りでもくれるかと思ったが、予想外に大人しくテーブルの向かいに着いた。
 まかないなのだろう、海の幸のパスタがゾロの分と2人前。

「よう、コック長」
「……何しに来たよ、クソ剣士」

 神かけて、ゾロは握り飯を食うまでは、この男の店とは知らなかった。つまり、偶然辿り着いただけで、この男に用はない。
 ──そのはずなのだが。
 何をしに来たか? その質問に答える前に、ゾロはパスタをずるずると啜った。冷める前に食べるのが一番だという姿勢に文句はないのだろう、相手も食事を始める。

 店は流行っていて、全ての海の食材を自由に調理できて、金目当てに群がる女も沢山、弟子入り志願はその10倍、王族もわざわざ贔屓にしてくれる栄誉。
 そんな恵まれた境遇にいるはずの昔の仲間は、シケた疲れ顔で、原価200ベリーほどの賄飯を食っている。
 その様子をみて、鏡をみるよりも効率的に、ゾロは理解した。ここに辿り着いた理由と、自分の鬱の解決方法を。

 皿を綺麗に空にした後、ゾロは決まったことのように言った。

「行くぞ」
「……あ?」
「海に出るぞ」

 ぽかあん、とした顔をして、クソコックがまるで知能指数をゼロにしてしまったのは、おそらく、ゾロからそんな風な誘いを受けるとは全く予想していなかったからだろう。  まあ仕方がない。ゾロも今気づいたところなのだから。
 成功して終わる人生なんて、クソだ。

「テメーみたいに自分が嫌いな奴は、俺の心配でもしてろ。自分のために生きてても、暗くなるだけだろ」

 我ながら傲慢な言いぐさだと、ゾロは激しい戦闘を覚悟した。
 しかし予想外なことに、渦巻き眉毛の男は、ぱちぱちと目をしばたたかせただけだった。そのあと、すとんと腑に落ちたような顔になる。意外なほど、子どもっぽい反応だった。
 おいこれで納得しちまうのかよ、とゾロでも多少心配になったくらいだ。
 彼は煙草を噛みながら笑う。

「……幸せにする、とか言われたら絶対ェ行かねーけどな。テメェにしちゃあ上出来な台詞だ」

 その夜のうちに、海に出た。一流店のオーナーだったはずの男は、驚くほど執着なく、あっさりと着いてきた。
 おそらくこいつも、鬱っぽかったんだろう。「だって冒険に出るオレにプロポーズしてくれるレディがいなかったんだもん」などとうじゃじゃけたことを言っていたので、ゾロが一発張ったら殺し合いになりかけたが、おおむね順調な船出だった。

 きっとこの船はどこかで沈むだろうが、その瞬間まで、ゾロは挑戦者でいられるに違いない。




 

コープス・リバイバー CORPSE REVIVER
ジン、コアントロー、リレ・ブラン、レモンジュースを同量、アブサンをひとたらし加えてシェイクする。
Corpseとは「死体」のことで、カクテル名は「死者を蘇らせるもの」の意味。
いわゆる迎え酒であるがアルコール度数も高く、飲みすぎれば再び沈む。