CHI - CHI 3

 

 

 

 








一夜の恋人を見つけるのは、それほど難しくはない。
気の合う友人を見つけるのは──特に異性の──は難しい。
そういった人生だったし、それが自然だ。なぜなら、自分は顔のいいゲイだから。

「────」

その、数少ない異性の友人であるところのレーナは、ちびちびとグラスを傾けながら、さりげなくちらちらとカウンターの片隅に視線を送っていた。
さりげない割に、彼女のその目つきの熱量は飢えた猛禽のようである。あるいは、大好物を前にお座りをさせられている犬。当然、こちらとの会話も上の空である。
もちろん、それはこちらも同じことなので、文句は言えなかった。なんだよあれ、この、ちっぽけな港町になんなんだよあれ。
傍から見れば、雰囲気のいいバーでデートをしている美男美女。しかしてその実態は、息を荒げた畜生である。
仕方ない、仕方のないことだ──だって、美味そうなんだから。

「しゃぶりつきたい」

薄く紅を引いた可憐で清楚な唇から、ひそめた声でそんな風な上品でない言葉が聞こえてきた。
よって、深くうなずいて同意した。

挨拶したい。握手したい。ハグしたい。できればそのまま舐めたり噛んだり揉んだり吸ったりしたい。反則だろう、あの胸元(筋肉)。

顔のいいゲイと男好きの娼婦が熱視線を送っているのは、酒場の暗がりに腰を下ろしている流れの男である。

もう、どう見ても堅気ではない男だ。顔面に大きな傷があるのもそうだが、年のころはまだ若いのに、百の修羅場を潜り抜けた猛者のような目つきをしている。視線で殺されそうだ。
ちらちらと服から零れ落ちる肌は適度に日焼けして、潮のにおいが漂ってくる。雄のフェロモンに引き寄せられて集る女たちの腕を、一言で振り払う声の響きは落ち着いていて深い。

太い首。太い腕。がっしりとした肩。
男らしい顔つき。
そして短髪。
東海系。


(ああああああモロタイプッ……!!)


よだれ出そう。こんなんゲイには悶絶級の核爆弾だわ。
何一つしてくれなくてよいから、とにかくベッドインしたい類の男だ。奉仕されるのが当然の人間。ライオンのオス。ヒモで食べていける。
自分だって、彼が自分と寝てくれるならせっせと文句も言わず養うだろう。好い男というのは、そこで呼吸をしているだけで偉いのだ。

それでも、レーナも自分もその男の袖を引かないのは、その他大勢と同じく一瞬で追い払われることが目に見えているから、という理由よりは、男が振りまく危険を察知しているからだった。
男の腰にある三刀は明らかに人間を殺傷する以外に使い道がないし、男にちらちらと視線を送っているのは彼の魅力に気付いている人間のほかに明らかに裏社会の荒くれが混ざっていた。おそらく、この掃きだめのような港町に舞い降りたエンジェルは賞金首なのだ。
そんな男と首尾よく連れ込み宿に入れたとしても、翌朝巻き込まれて路地裏で冷たくなっている可能性がある。まだまだ十分に人生を楽しめるのに、カラスの餌になるのはごめんだ。

よって、ゲイの中でも器用なほうの男と、娼婦の中でも上等なほうの女が、サウナの中での我慢比べみたいにしてご馳走に視線を送るだけで済ませているわけだ。クソ、セックスだけの思考回路になり切れないこの理性と人生経験が憎い。

カラン、とドアベルが鳴った。

「あ」

諦め悪くまたその刀の男に視線をやっていた自分をよそに、レーナがそちらに顔を向ける。
その表情が、鳥の卵に狙いを付けた蛇のようになった。

入店してきたのは、黒スーツに咥え煙草の金髪の男である。
身に着けているものは一目で特注品だとわかった。既製品ではサイズが合わないだろう──足がすらりとして素晴らしく長い。
薄暗い店の明かりすらも美しくはじき返す髪はややパサついていたが、海の男としては当たり前だ。目じりの下がった目は片方だけさらされていて、それが余計に瞳の印象を濃くしていた。店にいた人間の目が、さっと男に集まる。
彼はその視線は気にせず、するり、と黒豹のように滑らかに注目を横切って歩いた。明らかに、どう動けば自分が魅力的に見えるか理解している人間の所作だった。

思わずため息が出た。紳士だ。
しかし、そのため息は刀の男に対する感嘆とは意味が全く違う。

確かに、新たに登場した男は、一般的には色男の範疇に入るのだろう。実際、レーナの欲望は刀から煙草に移った。レーナは賢い女だ──ライオンのメスになるより、オシドリのメスになったほうがプリンセス気分が味わえるし、幸せになれる。

しかし、自分の好みではない。

華麗さやしなやかさなんて女に任せておけばいいのだ。女が喜ぶ清潔さや少女小説のヒーローのようなお綺麗さに用はなかった。香水よりも汗の香りをさせてくれ。

(うわー、白けた顔しちゃってさ。本当アンタってキレイ系に興味ないわよね)
(好みは人それぞれ。でもアレは好み以前の問題だな。女に媚びてるのが丸わかりすぎて気に障る)
(何よその言い方。女に敬意を払っちゃいけないわけ?)

む、とレーナが口を尖らせた。議論が始まる合図だった。
彼と彼女は好みのタイプが重なるようでいて、微妙にこだわるポイントがずれていたりもするので、余計にその違いが許しがたいのだ。
お互い自分の意見を譲らないので、いつもこの話し合いは平行線だったが──




「俺の入った店にお前が入っちゃならねぇって法律知らねぇのか? わかったらさっさと回れ右して直進して海に落ちて消えろ」
「藻の分際で何幅きかせてんだマリモハゲ!! 吸った酸素に詫びて吐いた二酸化炭素掃除してテメェが消えろ」
「オレはハゲてねぇっつってんだろ次言ったら百万遍斬るぞダーツ眉」
「え?え?お前百万とか数えられるの?知らなかったし聞いてもとても信じられねェ、植物にそんな能力備わってねェだろ。可哀想だけどテメェは自分の分際を自覚しろ」
「一! 二! 三……ッ!!」
「うわテメェ店ん中で刀ァ振り回すんじゃねェ、レディに当たったらどうすんだ!」
「安心しろ、狙いは喋る黄色い巻いたゴミだけだ。四! 五! 六! 七ァッ!」




──10秒後、議論は始まらずに終わっていた。

「────」

どちらに対する興味もあっさりと失せた彼らは、子どもの喧嘩の場になり果てた酒場をあっさりと見捨て、いい友人として腕を組んで外に出て行った。
やはり、大事なのは恋愛よりも友情である。









 

 

 

チチ Chi-Chi
ウォッカとパイナップルジュースとココナッツミルクをステアして、
フルーツを飾ったトロピカルなカクテル。口当たりは甘い。
名前の「Chi-Chi」は、英語のスラングで「お洒落」「格好良い」「粋」を表す俗語。