PINK LEDY
ゾロはあまり深く考えたことはないが、考えるまでもなく当たり前のように、自分を特別な男だと思っていた。
世界一の大剣豪(に必ずなる)男だ。普通の奴よりも強かったし、普通の奴よりも格好がいい。有象無象とは精神構造が異なり、人の腕や首だって野菜のようにポンポン斬れる外道で、人の恨みはアクセサリーと同じ──要は、人並みにはなれない男の中の男だと。
そう気取っており、それをアイデンティティにしているフシもあったわけだが。
「──────」
船のヘリを掴んでいるゾロの手の中で、みしり、と不穏な音がした。
ゾロの握力は、厚さ20センチの木の板くらいカステラのように千切りとれる。ゴリラゴリラと言われるが、ゴリラのほうが「アレと同じにすんなよ」と言いたいだろうゾロラである。
感情を抑えきれず、力のコントロールができていない。
まさかゾロは、自分がこのように、柱のハンカチを噛む女のような真似をしなければならなくなるとは思っていなかったし、そのようなみっともない感情とも無縁だと思っていた。だが、起こると思えなかったことが起こってしまうのが現実というものである。
──視線の先にはひとりの女と、ひとりの男。
彼女が、陽の光の結晶のようにキラキラと笑う。それをいつまでも見ていたい。彼女の横に並ぶ男がへらへらと笑う。退け近寄るな触るな半径10メートル以内立ち入り禁止。
こんなものは雑念だ。剣が乱れる元でしかない。このロロノア・ゾロはそこらの俗物とは違うのだ。心頭滅却。邪影殲滅。
しかし、心の内を焼く黒い炎は消せない。
「──────」
こつ、こつ、と気取った革靴の音がゾロの背後から近づいてきた。
そのままわざわざゾロの横に立って煙草を吸い始めたサンジに構っている余裕は、ない。だが、精神的防御はしなければならない。
賭けてもいい、サンジはゾロのためになることはしないのだ。どうせ、今ゾロからごおおお、と沸き立っている炎でイモでも焼くつもりだろう。この男はそういう男だ。
ハン、と軽く鼻を鳴らす音。
心を抉り込む一撃に備え、ゾロはぐっと奥歯に力を込めた。
「……思い知ったかよ? マリモ野郎」
「──────」
「嫉妬なんて、自分には縁がねェと思ってたんだろ」
思っていた。信じてさえいた。
己は特別だと。
こんなことで──こんなことで! 心乱れるなど!
「お前もただのオトコなんだよ」
ぼぎり。
ゾロの左右の拳が握られ、木くずとなり果てた元・船の部品がパラパラと零れ落ちた。
「だって」
そんな言葉を使ったゾロに、隣の調子に乗っているアホがギョッと目を剥いた気配がしたが、そんなことはどうでもよかった。
ゾロの眼中には、ただ一人の女しか入らない。そうだ、ゾロだってただの男だった。
「だって」
つるつるの肌。ふくふくな頬っぺた。ぷっくりとした、ぬいぐるみのような丸みの手足。関節がいちいちピンク色になっているのがもう罪だ。どれだけ厳しく接しても、純粋にゾロを慕ってくる眼差しが怖い。
人の前で、特に娘の前で、ゾロが「ゾロらしさ」を保つためにどれだけの胆力を使っているか。初めての手作り菓子だって褒めてやりたかった。つらい修行に励む姿に、励ましの言葉をかけてしまいそうな唇を何度も噛み切った。
「可愛いんだよ……!!!!」
なんでこんなに可愛い。何か悪い魔法を使っているのではないか。魔女か? 魔女め! 絶対に卑怯な手を使っているに決まっているのだ。
ゾロの娘の手を取る港のガキは、本来ならゾロの呪いの眼力(あるいは大人げない覇気)で気絶しているはずなのだが、サンジが上手くガードしている。いや、お前、嫉妬でガキィ苛めるとか、マジで終わってるからな、というフォローらしい。
感謝は別にしない。いいではないか、ゾロなのだから、我侭な理由で子どもの一匹や十匹、百匹くらい視線で潰しても?
ゾロが死ぬまで、娘のために倒さなければならない男は、ざっと数千人はいるに違いないのだから。少なくとも、ゾロを倒せる男でなければ嫁にはやらん。
「安心しろよ」
サンジは軽い口調で言った。あんなガキに、お前の娘が本気になるわけねェだろう?と。
ゾロは全く安心できなかった。
サンジは、ゾロが右と言ったら左を向き、丸と言ったら四角を返してくる男だ。ゾロの人生を邪魔するためにある障害としか思えない。どうしてそこまで、と思うほど執拗に、ゾロの神経をぷちぷちと細かいところまで潰しにかかる男なのだ。ゾロの神経を風呂場のカビだと思っているに違いなかった。
だから、サンジが安心しろと言ったら────
「だから────大きくなったら、オレと結婚してくれるってさ」
あ、終わったな。とゾロは思った。
何が?
クモの糸の万分の一の細さでかろうじて存在を確認できなくはないかもしれない可能性があると言えなくもないはずだったクルーとしての情と、この港の命運が。
ゾロの全存在をかけて、この悪魔の命を刈り取らねばなるまい。
ピンク・レディ Pink Lady ドライ・ジンをベースに、グレナデン・シロップとレモン・ジュース、卵白をよくシェークして作る。
グレナデン・シロップと卵白の調和により美しいピンク色となる。
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