CORPSE REVIVER
ゾロは、自分がいわゆる「真っ当な」死に方ができない人間であることは自覚していたし、外道の類であることも知っていた。
何の因果かルフィの仲間になってしまったので善玉のようなこともしているが、基本的には悪役だ(分かっていて止める気はないので、この辺りのことの責任は全てゾロ自身にある)。ゾロが麦わら海賊団に所属しているのは、ちょっとした手違いのようなものである。
だから、世界の皮をぺろりとめくれば、すぐにゾロにとっての現実が顔を出す。
夢が見えなくなれば現実は、一人っきりで、むごたらしく死ぬ、という末路だ。
(あー……)
気を抜くと沈んでいく意識をどうにかこうにか保ちながら、ゾロは考えた。
(どうにかしねぇと、なァ)
ゾロのような類の悪役というのは、結構割に合わない人生を送ることになっている。
まず、強いので、誰にも助けてもらえない。
そして、すぐ死ぬので、誰も愛してはいけない。
漢としての地位は高くとも、人間としての地位は限りなく低い。だからこうやって、命の危機に陥っても、自分のことは自分でどうにかしないと死んでしまうわけだ。まあ、それは、ゾロだけではなく大体の人間に当てはまることかもしれないが。
「…………」
ずいぶん上のほうから捨てられたので、人骨の山に叩きつけられたときに体にだいぶ骨が突き刺さった。
それだけならばゾロは平気で動けるが、さらに両手両足の関節が外れているのが難点だった。狂った男は骨折くらいの痛みは無視して這いずるということを見抜いてこの措置なのであれば、ゾロを雑巾のようにねじってからこの「死のゴミ箱」に落としたあの海軍将校は頭がいい。そして性格が悪い。
ひがみかもしれないが、自分が善だと信じている人間のほうが、よほどひどいことをすることが多い気がする。
悪を憎む海兵にとってみれば、海賊に人権はない──インペルダウンのような牢獄にさえ、送ってもらえないこともあるわけだ。
死体の中で、死体になる。
「……、……」
ゾロは窒息しないよう、首を横に向けて、こみあげてきた血の塊を吐き出した。
なぜか誤解されがちなのだが、ゾロにもきちんと痛覚はあるし、こういう苦しくつらいときは涙をこらえていたりする。内緒だ。
馬車に轢かれた野良猫も、きっと同じ気持ちだろう。
胸がしんしんと冷えているのを感じつつ、ゾロは縦穴の底から、横目で上を見上げた。閉められた蓋のふちから、僅かだけ光がこぼれているからだ──いつでも、どんなときだって、ゾロが見るなら上であって下ではない。
ゴミ箱の蓋がまたパカリと開いて、上から何か降ってきた。
天使ならいいが、明らかに悪魔だ。
「それ」は狙いすましたかのように、降ってくるついでに長い脚をゾロの腹にぶつけてきた。いわゆるギロチン落としである。
「ぐふぅ……っ!!」
ただでさえ瀕死のゾロだった。
余裕はどこにもないし、心も広くないし、自分を踏みつけにした相手が相性の悪いコックとなれば恨まない理由はどこにもなかった。たとえここで死のうともこいつは斬る。
(あ、刀──ねぇんだった)
ゴミに武器などは上等すぎるか。
足をめちゃくちゃにされているサンジと同じく、ゾロからは刀が奪われていた。鬼徹ならばゾロの怨念に乗って勝手に動いてくれるような気がしたのだが、ここにないものはどうしようもない。
「……マリモかよ……」
今世界一最低な気分なのはゾロのほうなのに、サンジはここにいたのがゾロだというだけで、そのゾロよりも機嫌が悪いような声を出してくる。理不尽だ。
「ハッ……クソひでェ、やられっぷり、だな、ッ……」
「お前、も、だろ、ぅが……」
「オレ、ァ、手ェ、守ったぜ……全身ボロの、緑ハゲより、勝ってる、な」
誇らしげにいうサンジに、ゾロはぐうの音も出ない。
確かに、こういう風に何かを守るということについて、ゾロはサンジに劣る。何かと張り合う相手だが、ゾロもこれは認めざるを得ない。しかしゾロはハゲではない。これは認めない。
「……く、ぐ、」
サンジは、その守った両手であがくことにしたらしかった。身に刺さった骨を抜いて、上体を起こそうとしている。
そう、守るということなら──それが何であっても、例えばサンジと反りの合わないゾロであったとしても──サンジは実力以上の力を発揮する。サンジがゾロより強いことがあるとしたら、こういったときだ。
しばらく好きにさせていたが、血の臭いが濃くなりすぎてきたので、ゾロは眉を寄せた。くさいし、気が散る。
「やめ、とけ」
「……なにがだ」
「こんな、所、……這った、ら、手、駄目にす…、ぞ」
「テメェ、じゃ、ね…んだ。うまく、考えて、るさ」
果たしてそうだろうか?
確かに、ゾロよりもサンジのほうがいろいろなことを考えている。ただ、この男は計算をするときに、いつも自分のほうの重みを半分にする癖があるのだった。
だったら、出した答は間違っている。
「やめとけ。……無駄だ」
「アア゛?」
全身の痛みに耐えながら、ゾロは口の端で笑った。
余裕のないサンジには気付かれないだろうが、上から落ちてきたのがサンジだと知ったときから、ゾロは既に安心しているのだった。
それは、サンジがゾロを守るからではない。そんなことではなく、もっと簡単な意味でゾロは安心している。
「大、丈夫だ……助けが、くる」
「……は?」
「ここに……みんな、絶対ェ、くる……待ってりゃ、いい……」
サンジはなぜ気付かないのだろう? ゾロはいつも不思議に思うのだ。本当に気付いていないのだとしたら、サンジは少し鈍感すぎる。
誰も照れくさくて直接伝えないからだろうか。それならば、照れなどという感情とは無縁のゾロが代わりに言ってやろう。
いつもゾロの無知を嘲るサンジが知らないことを、大威張りで教えてやろう。
「……お前は、大層、……好かれてるからな」
「…………………………………………………………は?」
サンジが間抜けな声を出したので、ゾロはますます笑った。
ラブコックと自ら言う。だが、自分が与える愛よりも、与えられる愛のほうが下手をすれば大きいことに、サンジだけが気付いていない。
彼は実のところ、船の中で1、2を争うほど愛されている。皆、ひねくれているように見せて、誰より情が深いこの男が大好きだ(もちろん、ゾロを除く)。
毎日毎日美味い飯を作ってくれるからだけではない。落ち込んでいる奴にさりげない気遣いをするのはサンジだし、進んで雑用をしているのはサンジだし、迷子の年寄りを家まで送っていくのはサンジだからだ。
何一つ捨てられない甘さを持っているところや、ただ損得を考えずに与えてしまう愚かさや──そういった数々の「欠点」が、サンジが人に愛される理由だ。
心の優しい男なのだ。
計算をするときには、サンジは己の重みを10倍にすればいい。
口に出してやることはおそらく一生ないが、サンジはその価値のある男だとゾロは知っていた。
だから、ゴミ捨て場に捨てられても、絶対に誰かがサンジを探しに来る。放っておけはしない。強いくせに、実は弱い──何をしていても見知らぬ子供を庇って窮地に陥っていそうな男を。
サンジは助けを待っていい。その地位にある。
ついでにゾロも救助されるだろうから、安心だ。
「……そろそろ、気付け。バカ野郎が……」
いつまでもそんな風に自覚がないままでいられると、かまととぶっているようで気色が悪い。
説教の気分でそう言いながら、ゾロは眠りの淵に落ち込もうとしていた。
痛みをこらえず眠ってしまってもいい、サンジがいるなら助けがくるから──大丈夫、ゾロも、死なない。
「ハアアアアアアアアアアアアアァ?」
意識を失う寸前──ゾロの言葉に感動するどころか、子孫の代まで馬鹿にするような小憎らしい声が聞こえた。
嫌な予感がした。
「ハイッ、せーのッ」
どこばきぼこめぎびしっ!
ナミの軽い声とともにゾロの全身に降ってきた拳は、敵にやられて満身創痍のゾロをたっぷり100秒間は悶絶させた。
この船のクルーは、海兵より容赦がないのか。普段は愛らしさしかないはずのチョッパーにさえ殴られている。そしてロビンは今、手を1本ではなく3本使っていなかっただろうか。
「ゾロ~、サンジに聞いたぞ! お前本当にバカだなー」
そう言って笑う船長が、最後の仕上げは自分とばかりにぐるぐると腕を回している。
笑っているのになぜここまで怖い? 少なくとも、ルフィから初めて感じる類の圧力を受けて、ゾロは顔をひきつらせた。
ゾロは今、包帯でくるまれたミノムシかミイラか、とにかく繭のようなものになっている上、ベッドの上からベルトでさらに何重にも固定されている。逃げることはできない。
そんなゾロ専用の地獄を用意してくれた男は、隣のベッドで同じくグルグル巻きになりながら、体が動けば自分もゾロに殴りかかりそうな顔をしていた。
これまた理不尽だ。意味が分からない。
ふーっ、とサンジが深いため息をついた。
「オレは見聞色の覇気を使うのが得意でなァ。人の気持ちは見えちまう……不本意だが」
ルフィの拳がずがんと眉間に入った瞬間、ゾロは極彩色の宇宙を見た。
そういえば、ゴミ箱から引き上げられたときも、この腕が自分に向かって伸びてきたのだと、なぜだか確信できた。
「テメェだって愛されてんだよ。……オレ以外の奴にはな!」
「あーあァ、もう聞こえてねェか」
コープス・リバイバー Corpse Reviver ジン、コアントロー、リレ・ブラン、レモンジュースを同量、アブサンをひとたらし加えてシェイクする。
Corpseとは「死体」のことで、カクテル名は「死者を蘇らせるもの」の意味。
いわゆる迎え酒であるがアルコール度数も高く、飲みすぎれば再び沈む。
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