GODFATHER

 

 

 

 

覚えている最古の記憶は、無数に並ぶ頭から始まる。

 

サンジの思うところ、過度に残酷な光景だというわけではない。頭は首から先にきちんとくっついて、呼吸もしている。ただ、過度に趣味の悪い光景ではあった。大の大人が、いや、老人が、子どもでさえ、地に頭を擦りつけて平伏しているのだから。
しかも、その先は、生まれて数年しか経っていないガキなのだ。その光景しか見てこなかったから、その光景の不自然さの意味が理解できないでいるガキ。

当時のサンジの心境を正確に描写してみよう。

まず、彼は、自分の靴を舐めてその摩擦で靴底を磨り減らしている老若男女を、そういう種類の家畜だと思っていた。なんとなく人間に似ているサル。父親が飼って、餌をやっているのだが飼い主と目線を合わせることはない。近づいていくと緊張するみたいなので、臆病な習性を持っているらしい。
そして、サンジはそれらのサルたちに対して、家具と同じくらいの興味しかなかった。目は合わない、話しかけてもこない、たまに癇癪を起こした父親にばらばらに引きちぎられている──そういった存在を自らと同じ人間と認識するには、サンジに与えられた情報はあまりに少なかった。
しかも、もし当時それを理解していたとしたら、サンジはストレスで死んでいただろう。その意味では、無知は救いでもあったのかもしれなかった。同種族がむごたらしく殺されているところで食事はできないが、家具が分解されているくらいなら、煩いけれども、まあ、平気?

趣味の悪い話だ。

しかし、サンジの生まれた世界において、サンジの感性は普通だった。ごく普通の、ヴィンスモーク家の三男たるべき姿。
長男は跡取り、次男はそのスペア。そう考えると、三男たるサンジの立場はかなり重要なものだった。
血で血を洗うこの世の中だ、怪我か病気か誘拐か暗殺か抗争か食あたりか兄弟喧嘩かそれとも父親の気に障ったかで長男が死んだらサンジはすぐスペアに格上げだし、次男が死んだら跡取りだ。
サンジに施された「世間に忌み嫌われる暗黒マフィア一家型英才教育」はかなり優秀で、サンジは確か、五歳頃には麻薬取引が生み出す富と権力について論文が書けていたような気もする。言い過ぎか。とにかく、サンジはそれなりに及第点な跡取り候補だった。そうでなければさっさと第十三男あたりに格下げされていたと思われるので、品質は保証されている。

そんなサンジの人生の転機は、七歳の誕生日に訪れた。

ヴィンスモーク家は、世間で思われているほど常識からは外れていない。家族へ誕生日プレゼントを贈るという習慣もある(長男からは純金製の鳩時計、次男からは見えない毒針付き毛皮のコート)。その年、サンジが父親から贈られたのは、以前から欲しがっていた妹だった。

サンジと同じ金色の髪、サンジと同じ青色の目の、六歳の可愛い女の子。

もちろん、彼女はヴィンスモーク家の娘ではなく、ヴィンスモーク家の三男の「妹」だった。
まったくイカれたお人形遊びだが、当時のサンジは彼女が自分の妹であるとすんなり受け入れて決定した。むしろ、血のつながりがあるほうがおかしかった──父親が、少しでも利用価値のあるものをサンジの玩具に与えるわけがない。

「××××」

と、サンジは彼女に名前を付けた。
ここで名前を伏せておくのは、忘れてしまったからではなく、その名を二度と口にしたくないからだ。
彼女には本当の親に付けてもらった大事な名前があったから、サンジの付けた名で呼ばれても返事はしなかった。天使のように愛らしい女の子だったが、性格は強情で、最初の一日目は運ばれてきた鳥かご──つまり檻──から出ずに、ずっとサンジを睨み付けていた。「信じられないわ」「貴方たち、頭おかしいんじゃない」「ママと会わせてよ!」。

サンジは取り合わなかった。

ただ、彼女の好きにはさせた──無理矢理檻から引きずり出すような真似はせずに、彼女が自分で出てくるに任せたし、自分と同じ食卓に着くことも許した。
しかし、サンジには訳が分からないことに、彼女は、食事を運んでくる家具に向かって、いちいちお礼を言うのだった。そして、家具がその言葉にこそ恐怖を感じて怯えることに悲しそうな顔をする。「どうして」「あたしは違うのよ」「傷つけようってんじゃないの、私だって貴方たちとおんなじ……」。

家具と妹が同じとは、どういう意味だろう? 椅子と花が違うものであるように、それらは別々のものではないのか?
サンジがそう聞くと、彼女は嫌悪に満ちた表情をして、つんとそっぽを向くのだった。
サンジの妹だからサンジは許すが、これを父親や兄達の前でやられては困る。サンジはひととおり、ヴィンスモークの家での振る舞い方を教えてやった。それでも彼女が反発するので、できるだけ彼女が怖い権力者に遭遇しないように気を配った。
サンジの気遣いに、妹は全く感謝しないようだったが。サンジは気にならなかった。
彼女は、家具やサルよりずっと面白い。言うことは新鮮だし、サンジを叱ってくれる。

「この人を傷つけないで!」

彼女はお気に入りのサルが出来たようで、それを大事にし、サンジに向かってもそのルールを要求した。父親のものだからサンジが勝手に妹に与えるわけにはいかないが、傷つけないよう丁寧に扱うことはできる。

妹はずいぶん長い間、その家具に「本来の」名前で自分を呼ばせようと頑張っていたが、どれほど頑張っても家具は結局「××××様」というのだった。妹の言葉を真に受けた途端、舌を抜かれて窓の外にぶら下げられるかのように(そしてそれは、真実でもあった。妹がやらなくとも、ほかの家具がやるのだ)。

「お兄様、あんなひどいこと止めさせて!」

初めて彼女がサンジを兄と呼んだのは、サンジの誕生日から三ヶ月ほど過ぎたころだっただろうか。
兄といわれて、サンジは不思議な気持ちになった。どうとはいえないが、なんだか──

結局、サンジにはサルを放し飼いにする自由はないので、妹のおねだりは聞かなかった。泣きわめかれても、懇願されても、駄目なものは駄目である。
涙を目に一杯溜めた彼女は可愛らしかった。だが、ヴィンスモークの家にはその愛らしさを楽しむ美意識は基本的に存在しない。
サンジの代わりに、よりによって次男に泣きついたらしい妹は──肉体的には毛一筋の傷も付けられなかったが、精神的に虐殺された。何をされたか、サンジには想像もつかなかったが、妹は一週間、何を食べても吐き続けた。
それが確か、サンジの誕生日から半年くらい経ったころのことだった。
 
だんだんと、妹の青い目が感情を映さなくなってきたことにサンジは気付いた。栄養のいいものを与えても、運動させてみても、あまり効果はない。
サンジは考え、彼女が前から欲しがっていた、むく犬を与えてみた。妹は一瞬、ぱっと嬉しそうな顔になった。効果がある。
シルクのブラウス。アンティークドール。甘い菓子。サウス・ブルーから取り寄せた宝石。サンジは、ひとつ年下の妹が欲しそうにしたものはどんどん与えることにした。
しかし、与える度に、サンジは不思議な気持ちになった。
可愛い小鳥。真っ赤なエナメル靴。縮女用のボンネット。サルの持っていたのと同じピン。

──この子は、こんなに物を欲しがる子だっただろうか?
彼女に、犯罪者が奪ってきた宝物を喜ぶ理由はあったか?

そして、ある日──八歳にならないある日──サンジはとうとう、見てしまったのだった。
「××××様。サンジ様がお呼びです」と告げられた妹が、家具と目も合わせずに、当然のように食事を中断して席を立つところを。そして、その際に零れた紅茶のシミがスカートを汚したというので、サルに「10秒で」着替えを用意させるところを。

なんて、彼女はサンジの妹らしくなったことだろうか。

そこで、サンジは気付いてしまった。
妹への愛にではない。己の感性の異常さにでもない。そうではなく単純に、サンジが気付いたのは、世界の持つ「型にはめる力」の存在だった。
──彼女は、一年前の彼女が、決してそうはなりたくないと思っていただろう自分に、既になってしまっているのだった。


「××××様」と繰り返し呼ばれることによって。
恐怖に満ちた目を向けられることによって。
名前も知らない数百人に靴の裏を舐められることによって。
沢山の贅沢品と、同じく沢山の恐怖を与えられることによって。
周囲が「かくあるべき」と思う姿へと押し込められた。

そして、サンジも今、同じ道を歩んでいるのだ。


「見ろよ、アレがヴィンスモークの息子だぜ!」
「血も涙もねぇ外道のツラだ。おい、気を付けろよ、目を合わせるな!」


なぜ、サンジのことを、サンジではない誰かが決めているのだ?
サンジではない誰かが期待する何者かに、なぜサンジがならなくてはならない……?

その屈辱に気付いた瞬間、少なくとも父親に対してはあったはずの畏怖や畏敬の念が、サンジからはさっぱりと消え失せた。
アイツは所詮、世間に負けた男じゃねェか。
サンジは特に、ヴィンスモーク家にふさわしくなく慈悲深かったわけでも、心が弱かったわけでもない。ただし、サンジは生まれつき、猛烈な負けず嫌いだった。
世界ではなく、彼の内に元から備わっていたものがあるとしたら、それは「負けたくない」という雄の闘争本能なのだった。
 
サンジは、自分というものをこれ以上、一匙も売り渡したくなくなって──妹を「返品」して元々いた場所に戻した。そして、周到な準備の末に、八歳の誕生日を迎える前には、とある客船の船倉に潜り込んでいた。

きっとおそらく、それが「サンジ」の二度目の誕生日だった。

 

 

 


「お前は、××××じゃない。オレがやったその名はもう使うな」
「どういうこと?」
「お人形遊びはもうやめだってことさ」
「お兄様は、私を捨てるの……?」
「そうだ。お前は妹なんかじゃない。洋服も宝石も家来も、もうお前のものじゃない」
「ひどい」
「いいや、そうじゃない。オレの妹なんてつまんねェモンだ。××××だなんて名前も、ヴィンスモークへの忠誠もクソだ。だから、オレは、去年のプレゼントはお前の親のところに返す」

 


「──お前はオレを足蹴にするべきなんだ、プリンセス」

 

 

 

 

 

 

 

サンジの演説を、一応目が覚めるまでは聴いてやっていたゾロだったが(眠っている間にッ右から左に流れることくらいはまあ耐えられなくもないのだ)、腹が減ってきたのでもう止めることにした。
のそのそと立ち上がるゾロに向かって、酔っ払いが酒臭い息を吹きかけてくる。

「オレの話を聞いてんのかァ、マリモ野郎―」
「聞いてねぇ。その話、もっと短く済むんじゃねぇか」

サンジは何やらくだくだと理由を付けていたようだったが、ゾロが考えるところ、つまり単純に、こういうことだ。

「気が優しくて、ワルにゃなれなかったってことだろ」
「へっ、なろうと思えばなれたさ」
「いや無理だ」

サンジがゾロの言葉にはことごとく反発する性質だということをゾロは知っている。魚にしろと言えばその日の夕食は肉だし、黙れと言えば余計に煩くなる。だがこれだけは、どうやっても無理だろう。

「テメェは女を足蹴にできねぇ」

 

 

 


久々に、ぐうの音も出ないほどサンジをやり込めてやった『クソマリモ』は、上機嫌にトレーニングを始めかけたところでようやく気付いた。

その分割を食って足蹴にされてるのは、おれじゃねぇかよ!


 

 

 

 

ゴッドファーザー Godfather 
ウイスキーとアマレットをおよそ3対1の割合で氷を入れたグラスに入れステアする。
度数が高く、シンプルなレシピだがアマレットのアーモンドの香りの風味と甘さが味わい深いカクテル。
映画『ゴッドファーザー』に因んで作られたカクテルである。ゴッドファーザーとは、名付け親、代父の意味。