CHI-CHI 2













ワガハイは死神である。名前も死神である。

死神というのは全員一致で死神であって、個体識別する必要なんかない。人間には見えないし、死神同士であればオマエも死神ワガハイも死神、ワガハイが鼻がカユいと思えば隣の死神がいつの間にか鼻を掻いている。そんなもんである。

ちなみに死神というのは海の水の1滴1滴を全部数えたくらいにいる。なぜなら、およそ命として生まれたものには、それがミジンコだろうが植物だろうが、必ず死神がついているからである。これも、ワガハイたちにいちいち名前がつかない理由なのかもしれない。

ワガハイたちの仕事というのも、実はひとつしかない。憑いている命が死んだとき、××(職務上の秘密)を引っこ抜いて●●(倫理上の秘密)でじゃぶじゃぶと洗濯し、××リサイクル炉に持っていって有効活用する。そしてまた、新たに生まれる命のところに飛んでいって、死ぬまで待つのだ。

「負かしてやるよ、麦わら海賊団!」

ワガハイは今、ある人間の雄の担当となっている。これは非常にラッキーである。

何せ、死神が担当する命は大体、微生物、微生物、微生物、微生物、微生物、たまに昆虫、微生物、ごくまれに魚、奇跡的にほ乳類、そしてまた微生物微生物微生物×数億兆。微生物の担当になったって、もう殆ど着任と同時に××を引っこ抜くことになるから、大変なのだ。

その点、人間の寿命は長い。死ぬときだけ仕事をすればいいし、その暮らしも「ミカヅキモを消化した」の繰返しではなく「私の若さを食いつぶしておいて捨てるなんて酷い!」、「宝くじ6億ベリー当たったどうしよう貯金しなきゃ」なのだから非常に変化に富んでいて、見張るのも楽しい。

たとえば、これだ。競技(スポーツ)や遊戯(ゲーム)というやつ。
人間以外の生き物はこんなことはほとんどしない。

海賊の勝負は、スポーツやゲームであっても戦いが混ざって荒っぽい。
ポーカーでは、相手を殴り倒している間になら手札を見てもいいし、バスケットボールならファウルというルールが消える。

今やっているのは、ダーツだ。正規の的は早々に割れたため、分厚い輪切りの丸太を壁にかけている。
的と選手の間は酒場の端から端。それは普通、射撃の距離ではないのか?と疑問も湧くが、ワガハイももう2年も海賊生活を観察しているのだから「面白けりゃあいい」という一番のルールはわかっている。

ひゅおう!と水鳥のように空を切り裂いて20メートルを横切る矢の音。

的がびりびりと震え、またも床に落っこちた。酷い音だ。
やんややんやと喝采しながら、近くの人間がそれをひろって、両腕でしっかりと支えながら壁に掲げる。そこにあるのは、すげぇな、すげぇよ、という敬意。

人差し指ほどの小さくて軽い矢を20メートルも飛ばすのは、それこそ弾丸くらいの威力がいる。的が落ちるのもむべなるかな。
それを、ひょいとやる。煙草を吸いながらもう片方の手首の振りだけで、いとも簡単そうにやってみせる。

雄というのは常に、強いものに憧れるのである。それが海賊であれば特に、敵だろうが味方だろうが、強いもの、大きいものは無条件で崇拝の対象だ。一応神の端くれであるワガハイとしては、もうちょいとばかりは、善悪というものも気にして欲しいのだが。

「いいぞぉ、サンジィ!」

喝采のなか、ひときわ大きく響くのは、太陽みたいな笑顔の黒髪の雄の声。
お気に入りの宝物を自慢したくてしかたないという顔で、ぴーぴーと指笛を鳴らすのをみると、あの雄の担当は本当に、また微生物サイクルに叩き込まれるときなぞ絶望を感じるのだろうな、とまあそんなことを考えてしまう。まあ、ワガハイも人の心配をしている場合ではないのだが。

そう、ワガハイの担当は、この「サンジ」という名前の雄である。
そう、こんな風に笑う。

「おう、負けねェよ」

正直、サンジは相当高性能な雄である。担当の欲目、というのではないけれど、死神からみる重要な要素──「タフ」という基準からすれば、サンジは本当にいい雄だ。

無人島に数ヶ月放置されても死なないし、敵と戦っても負けないし、餌を用意する手際は良いし、病気にもかからないし、精神的にも健康だ。よく食べよく笑いよく眠る。
人間からみる重要な要素からしても、体は強靭で見栄えも整っているし、きれいな金色の髪は持っているし、おまけに心は優しい。今だって、薄暗い酒場の明かりの中、高い位置にある腰に片手を当てて片目を眇める姿は、ポスターの主役にしたって役者不足ではない。サンジが的にびゅんびゅんと当てるのと同じくらい、彼自身にも熱い視線がびゅんびゅん刺さっている。それをわかっていながら、余裕でかわす。

『アソビでだって、おれは負かせやしねェ』と自信に満ちた目が言っている。
いい雄だ──このセックスアピールをもってしてなぜ雌のハーレムが作れないのか、それは本当に謎なんである。

最後の矢を投げて、サンジはとうとう的を割る。
誰も文句をつけずに、逆に拍手が上がった。麦わらチームの華麗で余裕で圧倒的な、「すげえ」1勝というやつである。

ステージを下りるようにして、サンジは麦わら海賊団の陣取る丸テーブルに戻る。当然のように船長の右隣に座る。左隣は、まだ空席だ。

「サンジ君がダーツ得意だなんて知らなかったわ」
「ああ、俺も船の暮らしが長いから。室内遊戯は、どれも飽きるほどやってんだ」
「ルフィもサンジもウソップも勝ったから、あとはゾロだな!」
「ハッ、もうあいつの勝ち負け、関係ねェけどな」
「ゾロって、ビリヤードなんかやったことあるのかしら……」

その答を知るのは、ワガハイにとっては簡単だ。
その「ゾロ」の人生の全てを見てきた担当に問いかけるだけでいい。「ルールすら知らない」とすぐに返ってきた。流石に、誰か脳みそを持っている奴が加勢したほうがいいのではないだろうか。

酒場の中央、やや右よりにおいてあるのは、緑のビロードを貼ったビリヤード台だ。
その台の前で、ゾロはいつもの剣をキューに持ち替えてふてぶてしく仁王立ちしている。こいつも相当高性能な雄なのだが、少し生存本能に欠ける。あいつの担当は、この幸せな休暇がいつ終わるかいつ終わるかと常にひやひやしているのだろうなぁ。

「────」

刃を動物にしたら、剣に命を与えたら、きっとゾロのようなのだろうとワガハイは思う。

酒場の、出来の悪いろうそくの光の下では、その緑色の髪は不思議に色を変え、赤黒くも見えた。これはあくまで遊戯であって、殺し合いではないはずなのに、笑みを消しているゾロの周りにはいつもぴりぴりと殺気が漂っている。触れると切れる。斬られる。

水平に倒されたキューの先が、すくりと空を絶つようだ。
先行を譲られた相手が、きゅっと射すくめられてショットをミスしたように見えたのは、そのせいかもしれない。

代わりに台に手を突くゾロの背中に、気後れなどは微塵もない。経験など一度もないにも関わらず、「できる」と何の根拠もなく思っているに違いなく、それゆえにこちらも、ゾロならできるのだろうな、と思ってしまう。誰も「ゾロができないかもしれない」とは感じない。
ゾロは一種の天才である。天才肌の人間である。
勿論努力もしているが、常人が努力して得るものとゾロが努力して得るものは桁が違う。ゾロはなんでも「やればできる」男で、勝負に負ける姿が似合わない。

ゾロが台に身を伏せ、キューの先を白球に定める。
その姿は獲物に飛び掛る一瞬前のトラの姿を切り取ったようだ。こくり、と誰かの喉が鳴る。まさか、もう、相手の先手を見ただけでその技術を得てしまったのか──

「───」

ぼきっ

キューが球を突く、一番緊張感が高まるその瞬間、その木の棒はゾロの手の中であっさりとへし折れた。バランスを崩し、ゾロはビロードの上に肘をつく。

まあ、なんだ。ゾロがいつも振り回している鉄の棒に比べたら、キューなんぞは砂糖でできているようなものだろうなぁ。無理もない。

ゾロがぼきっと折ったものはキューだけでなく場の空気もで、酒場は爆笑の渦に包まれた。
これも無理はない。海賊どもにとって重要なのはクールさで、強さで、格好良さで、それがない男に敬意を払うはずがない。傍にいた女が「可愛い」と言ったのは、果たして褒め言葉かどうか。

「ゾロー!! しっかりしろ!!」

むっすりとした顔で叱咤する船長が機嫌を悪くしたのは、とてもわかりやすい。
彼の自慢の右腕──だか左腕──なのだ、馬鹿にされては面白くなかろう。その他のクルーもそれぞれに、ちょっと不服そうな顔をしている。唯一爆笑しているのはサンジで、普段そりが合わない男の恥をからかう機会を得て楽しそうにすら見える。

「クソ剣士、格好悪ィなぁ!」

サンジは、片手に持ったグラスを口にあて、ぐびりと飲んだ。

余裕綽々。意気揚々。これで、ゾロが戻ってきても、ルフィの右隣に座る資格はあるまい、いや左隣でも贅沢だ隅のほうで正座しとけと、おそらくサンジなら言うのだろうと──そう、人間なら思うのだろう。

ワガハイは違う。死神だから。

(ふざけてんじゃねェクソ剣士!!!!)

これだ。

(何を遊んでいやがる何を気ィ抜いてやがる睨むだけで倒せるやつらを相手に何を笑われていやがる! オウてめえが面倒臭ェなら代わりに俺が全員泡ァ吹かせてやっぞ黙らせてやっぞザマァミロ恥ずかしいでちゅねー八つ当たりしたみてぇでケツ拭いてもらったみてぇで、クソ、クソ、絶対ェ嫌だ絶対ェムカつく絶対ェお願い、目が節穴で脳がプティングで誰を笑ってるかもわかってねェ奴らはどいつもこいつもぶちオロす!! それが嫌ならゾロ今すぐ勝て速攻で勝て3秒後には勝て、バカにしてる奴らを全員黙らせるくらいクールに決めろ、出来ねぇなら今すぐ俺がお前をぶち殺すぞクソ野郎……!!)

ああ、怖い怖い。
楽しそうな顔で、心の中ではこんなことを考えているんだから、人間っていうのは怖い。

「おいサンジィ、そんなに笑ってやるなよ」
「ハハ、ハハハ、悪ィ、もうちょっとだけ待ってくれ」

 

 

 

 

正直なところ、ゾロの生き方というやつには、ワガハイはきっとゾロの担当と同じくらい興味を持っている。なぜならこいつは、サンジのライバルなんである。

人間の雄なんて、倒すべき敵には、恋の相手より素晴らしくいてほしいっていうんだから。
本当に面倒で我侭なもんだねぇ。

 

 

 

 

 

チチ Chi-Chi
ウォッカとパイナップルジュースとココナッツミルクをステアして、
フルーツを飾ったトロピカルなカクテル。口当たりは甘い。
名前の「Chi-Chi」は、英語のスラングで「お洒落」「格好良い」「粋」を表す俗語。